距離を置きたいだけなんだけど   作:ろしでれ

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第22話 君は僕を………

 

 

「へぇ、伊織くんと乃々亜嬢が………ね」

 

 

 

有希は、少しだけ目を細めた。

 

場面は薄暗い空き教室。

 

綾乃は有希の元へ向かうと、この場所を指定された。そして今、今日あったことを余すところなく報告している。

 

そう。伊織は綾乃に「どこまで聞いていたのか?」と尋ねるまでもなく――全部、聞かれていたのである。

 

わざわざ綾乃に聞かなくて、伊織的には大正解だった、と言うことである。少なくとも精神的には。

 

そして全てを聞いた有希は驚いた、というほどではない様子。

けれど、まったく予想外だったかと問われれば、それも少し違う。

 

目の前に立つ綾乃から聞かされた内容を頭の中で転がすようにしながら、有希は薄く笑みを浮かべた。

 

授業が始まる前の僅かな時間を使い、綾乃から話を聞くためにわざわざ選んだ場所。

窓から差し込む光はあるものの、教室の照明は点いていない。

こういう話をするには、少し薄暗いくらいの方が都合が良い。

 

 

「乃々亜嬢は告白までしてたんだ」

「はい。宮前様ご本人が、そのように仰っておりました」

「ふーん……」

 

 

有希は腕を組み、机の端へ軽く腰を預けた。

中学時代から、伊織と乃々亜の間に何かあるのではないか――そんな感覚を抱いたこと自体は、一度や二度ではなかった。

ただし、それ以上には進まなかった。

 

有希が考えるに、乃々亜という少女は、分かりやすく誰かに恋をするタイプではない。

 

好きな相手の前だけ声が上ずるでもなければ、目で追うでもない。 嫉妬して態度を変えるようなことも、少なくとも外から見て簡単に分かる形では出さない。

誰に対しても軽い。 誰に対しても楽しそうに笑う。 そしてその笑顔の奥側へ何が沈んでいるのかは、証拠でも掴まない限り、本人以外にはなかなか分からない。そして、そんな彼女が唯一、明確な執着を見せる相手が、あの谷山沙也加のみだった――。

そう──これまでは(・・・・・)。

 

 

有希自身、昔から乃々亜という少女について、多少なりとも理解しているつもりではあった。

だからこそ、伊織と話している乃々亜を見ても、決定的なものは何一つ掴めなかった。

 

普通に近付く。 普通に笑う。 普通にからかう。

伊織の方も同じだった。

 

多少振り回されることはあっても、露骨に避けることはない。 かといって、特別に距離が近いわけでもない。

少なくとも表面だけを見れば、仲の良い異性の知人か友人。

それだけだった。

 

 

「何かあるなー、とは思ってたんだけどね」

「左様でございますか」

「うん。でも、相手が乃々亜嬢だったからね。確信までは持てなかった」

 

 

その一言だけで、有希の中ではかなりの説明になっていた。

綾乃は僅かに首を傾げる。

 

 

「宮前様であることが、何か関係するのでしょうか」

「基本的にブレないからね。分かりやすく誰かの前だけ乙女になるタイプじゃないでしょ?」

「……確かに、そのような印象はございません」

「でしょ?」

 

 

有希は軽く笑った。

 

 

「だから、分からなかったんだ。伊織くん相手でもいつも通りだったし。普通に話して、普通にからかって、普通に離れてく。それがずーっと続いてたから。……でも、今回は何かあったのかな?」

「会話から察するに、真田くんと有希様がお出かけになられていた所を目撃したから、と推察いたします」

「うん。私も同意見」

 

 

乃々亜が伊織へ想いを告げていた事実を組み込んだとしても、2人のこれまでの雰囲気から繋がりそうに無い。それほどまでに読ませないのだ。

 

でも、綾乃の報告を聞いて合点がいった。

 

伊織が誰かと付き合っている、という話は他には聞いたことがない。瑠璃乃と共に出かける事は幾分かあるようだが、他校の、ましてや大学生相手。何より目撃情報も皆無だったから、噂として征嶺学園には入ってこなかった。

 

でも、あの日の事を直接目にしたというのなら話は別。

 

素を見せる相手が、沙也加だけではなくなった。そこに伊織も加わったのだとすれば、乃々亜が行動を起こしたとしても何ら不思議ではない。

 

 

「……厄介な相手を、目覚めさせちゃったのかも……ね」

 

 

有希はわざとらしいほど声を落とし、僅かに目元へ影を作るように俯いた。

その声音だけを聞けば、まるで長い眠りから覚めた強敵を前にしているかのようである。

 

しかし綾乃は、少し考え込むように小首を傾げた。

 

 

「そうでしょうか。宮前様が、真田くんへ何か不利益をもたらそうとしているようには見受けられませんでしたが」

「…………綾乃」

「はい」

 

 

有希はゆっくりと顔を上げる。

そして次の瞬間、頬をぷくっと膨らませた。

 

 

「分かってない……分かってないよぉ! 恋敵を前にしてさ! 『厄介な相手を目覚めさせちゃったかもね……』って、ちょっと目元に影を落として、不敵に呟く! これもまた強キャラ感を演出する重要な要素なんだよ!」

「!!」

 

 

頬を膨らませながら力説する有希の姿は、綾乃からすれば大変愛らしいものだった。しかし、それと己の勉強不足は別問題である。綾乃は素直に頭を下げた。

 

 

「申し訳ございません。わたくしの勉強不足でした」

「そーだよ! それに私さぁ! お兄ちゃんにすらまだ『恋愛イベントじゃない、大型イベントだから!』で押し通してるんだよ!?」

「はい」

「なのに綾乃にはここまで話してるんだよ!? 昨日のことも、伊織くんのことも、乃々亜嬢のことも! ほぼ全部!」

「……はい」

「だったら分かってよー!」

 

 

珍しく子供のように頬を膨らませたまま訴える有希に、綾乃はまたまた目を瞬かせた。

 

 

「つまり、宮前様を危険視されているという意味ではなく……恋敵として警戒されている、ということでしょうか」

「そう! それ!」

 

 

有希は勢いよく綾乃を指差した。

1人の男を美少女2人で取り合う。それもまたラブコメの醍醐味、とあくまでも有希は強気のまま、ビシッとポーズを決めつつ、綾乃に説明。

 

 

「乃々亜嬢は1度振られてる。そこだけ見ればこっちにとっては安心材料。でも相手はあの乃々亜嬢なんだよ? 振られたからってしおらしく引き下がるタイプじゃないし、昨日の私たちを見た上で、今日わざわざ伊織くんに『もう男遊びしてなかった』なんて教えてるんだよ。まさしく強敵、恋敵として最上級ってものなのさ!」

「左様でございますね」

「そう左様! ――強敵なんだよ!」

 

 

有希は腕を組み、再び不敵な笑みを作る。

 

 

「しかも、こういう時に余裕たっぷりに『厄介な相手を目覚めさせちゃったかもね……』って言うことで、私自身の強キャラ感まで演出できる!」

「……左様でございましたか」

「うむ!」

「重ね重ね申し訳ございません。わたくしの理解が及びませんでした。精進致します」

「分かればよろしい! これからぞ!」

 

 

有希は満足そうに頷いた。

もっとも、綾乃が理解したのが恋愛事情なのか、それとも『強キャラ感の演出方法』なのかについては、少々怪しいところではあった。

 

それでも有希は満足そうに一つ頷き、腕を組んだまま小さく息を吐いた。

 

乃々亜について聞きたかったことは、おおよそ聞けた。

告白の件は想定外ではあったものの、状況そのものは理解できたし、警戒すべき相手であることも再確認した。

 

ならば、ひとまずこの話は終わり。

 

そう考えかけて――有希は、目の前に立つ綾乃へ視線を戻した。

 

 

 

 

「……綾乃」

「はい」

「まだ、何かあるよね?」

「!」

 

 

 

綾乃は直ぐには答えられなかった。

正確には、答えを拒んだわけではない。

 

有希の問いに対する答え、それはあまりに広い。

 

今日あった出来事の中で、どの部分を指しているのか。何を求められているのか。その意図を正確に汲み取ろうとして、綾乃は僅かに言葉を止めただけだった。

そして、その沈黙すら有希には分かる。

有希は人さし指をぴん、と上に立てると。

 

 

「じゃあ、聞き方を変えようか──伊織くんと話した時。乃々亜嬢のこと以外にも、何かあった?」

 

 

聞き方が変わった。

今度は明確だった。

綾乃の視線が、ほんの僅かに揺れる。

 

有希に問われた以上、虚偽を述べるつもりはない。

都合の悪い部分だけを伏せることも、まして黙秘という形で答えを拒むことも、綾乃には選択肢として存在しなかった。

 

ただ、その内容を有希へ伝えることに、一瞬だけ言葉を選んだ。

 

 

「……はい」

「やっぱり」

「真田くんから、少々気になることを申されました」

 

 

綾乃は姿勢を正し直して、頭を下げた。  

綾乃の表情は変わらない。でも、何処か遠くを観てるような、そんな表情だ。

 

 

「伊織くんから?」

「はい」

 

 

有希の纏っていたふざけた空気が、少しだけ薄くなった。

 

綾乃が自分から『気になること』という表現を使う。

それだけで、単なる相談のようなものとは違うことが伝わる。

元より、綾乃の様子から単純なことではない、と言うのは分かっていたが。

 

 

「それで、伊織くんはなんて?」

 

 

綾乃は僅かに目を伏せた。

 

 

「真田くんは、ご自身のことを……『そんなに良いやつではない』と」

「…………は?」

 

 

思わず、有希の口から素の声が漏れた。

 

綾乃の言う言葉の意味が分からなかったから。

伊織が自分のことを、良いやつではない、と言った。いや日本語的な意味は理解できる。でも、そうではないのだ。

 

 

「伊織くんが?」

「はい」

「自分で?」

「左様でございます」

「……なんで?」

 

 

有希の頭上に、見えない疑問符が幾つも浮かんでいた。

 

少なくとも、有希の知る伊織はそんな評価に当てはまらない。

成績は極めて優秀。一気に伸ばしてきた為、教師陣からもかなり注目されている秀才。今後受ける検定試験、資格試験、にもかなり注目している、と有希自身も知っているし、聞いている。

それに、頼めば嫌な顔一つせず力を貸してくれる。

自分たち生徒会に限らず、その他でも同様。どこかに贔屓するなんてこともなく、幅広く満遍なく。

 

生徒会へ入るつもりはないと明確にしていても、一度交わした約束は守る。

他人の事情を考え、必要以上に踏み込むこともない。

 

 

そして何より――有希自身、彼が優しい人間であることを知っている。

…………ずっとずっと昔から。

 

 

だからこそ、伊織自身の口から出たというその言葉が、有希にはどうにも腑に落ちなかった。

 

 

「何の話してたら、そうなったの?」

「わたくしが、真田くんについて感じていることを申し上げた際に」

「感じてること?」

「はい。真田くんは十分に素晴らしい方であり、また、相手の事情を慮ることのできる、お優しい方なのではないかと」

 

 

有希は、綾乃の言葉に即座に頷いた。

むしろ何の問題があるのか。

 

 

「そしたら?」

「笑みを浮かべておられた真田くんが、少々表情を変えられまして」

 

 

綾乃は記憶を辿るように言葉を選ぶ。

 

 

「『僕、そんなに良いやつじゃないよ』と」

「…………」

 

 

やはり、分からない。

 

有希は眉間へ僅かに皺を寄せた。

 

伊織は自分を必要以上に高く評価するような性格ではない。それは知っている。

 

しかし、だからといって自己評価が低く、自虐的な人間、ということでもない。謙遜する事はあるだろうが、何となく綾乃とのやり取りはそういう類いではなく……本心からの言葉、と思える。 

 

でも、褒められれば多少困ったように笑いながらも、礼を言う。

少なくとも、自分からわざわざ否定するようなことは滅多にない。

 

ならば、その言葉には理由があるのだろう。

 

 

「言ってたのはそれだけ?」

 

 

有希が尋ねる。

綾乃は、再び僅かに間を置いた。

 

 

「……いいえ」

 

 

やっぱり、と有希の目が細まる。

綾乃が表情に出た理由も、おそらくはこの辺りから来てるのだろう、と察知した。

 

 

「続きは?」

「真田くんは……わたくしであれば、その意味を分かっているのではないか、と。そのような趣旨のことも仰っておりました」

「綾乃なら分かるって?」

「はい」

 

 

今度こそ、有希は黙り込んだ。

 

伊織が自分自身をどう評価しているか、だけの話ではない。

綾乃なら分かる。

 

つまり。

 

伊織と綾乃の間には、少なくとも伊織がそう判断するだけの何かがある。

 

有希は腕を組み直した。

考える。

 

綾乃と伊織。

 

中等部時代から面識がある。

有希を介して関わることもあった。

伊織が綾乃に対して妙に距離を詰めているところを見た記憶はないし、逆も同様。

 

それでも、当人同士にしか分からない出来事があった可能性は――。

 

 

「……綾乃」

「はい」

 

 

有希がじっと見る。

綾乃は静かに見返した。

 

 

「実は伊織くんと、何かあったり?」

「ございません」

 

 

即答だった。

あまりにも速い。

 

 

「ほんとに?」

「はい」

「恋愛的なやつで?」

「ございません」

「乃々亜嬢のように、告白した〜じゃなくて、された、とか?」

「ございません」

「手を握ったとか」

「ございません」

「抱き締められたとか」

「ございません」

「ちゅーしたとか」

「ございません」

 

 

矢継ぎ早に有希は質問しては、綾乃が即答する、と言うのが続く。どれか1つでも、YESと言われたらかなりの、脳破壊に繋がってしまうようなやり取り。想い人と自身の付き人の蜜月。そう言うジャンル。他人事ならばエンタメとして申し分ないが自分事となると御免被る。

 

 

「全部即答だね」

「事実でございますので」

 

 

綾乃の声音は微塵も乱れない。

どうやら本当に、その方面では何もないらしい、と有希は少しだけ肩を落とした。

 

 

「なーんだ」

「何か期待されていたのでしょうか」

「いや別に? 乃々亜嬢に続いて綾乃まで参戦とかだったら、さすがの私もちょっと面白〜……じゃなくて、困るなーって。割とマジで」

「参戦、でございますか」

「ラブコメ的にね? そういう展開も燃えるじゃん? まあ、他人事なら、って枕詞つくけど」

「左様でございますか」

 

 

また理解していなさそうな返事だった。

有希は苦笑しながら、ふと綾乃を見つめる。

 

何もない。

 

本人はそう言った。

それ自体は、おそらく本当なのだろう。

 

けれど。

 

何となく引っ掛かった。

 

何かを言われた。

伊織自身が『良いやつではない』と評価する理由を、綾乃なら分かると言われた。

 

それで綾乃は、言いにくそうな表情を最初にしている。

 

恋愛ではない。

では、何なのか。

 

有希は考え――不意に、別の可能性へ思い至った。

 

 

「……あ」

「はい?」

 

 

有希の口元が、ゆっくりと吊り上がる。

綾乃は、その変化を見て僅かに首を傾げた。

 

「もしかしてぇ……だけど」

「なんでしょうか」

「私が伊織くんと仲良くしてるの見て、綾乃……妬いちゃった?」

 

 

ほんの冗談だった。

 

半分どころか、ほとんどからかうつもりで投げた言葉。

けれど。

 

ぴくり。

 

綾乃の目元が、本当に僅かに動いた。

有希の笑みが止まる。

 

 

「…………え?」

「…………」

「マジ?」

「そのようなことはございません」

「いやいやいやいや、今動いたよ!?」

「動いておりません」

「動いたって! 私、何年綾乃の顔見てると思ってるの!?」

「気のせいかと存じます」

 

 

 

有希は勢いよく机から離れ、綾乃の真正面まで歩み寄った。

綾乃は一歩も退かない。

 

ただ、その視線だけがほんの僅かに逸れた。

それを見て、有希の顔が一気に明るくなる。

 

 

「うわー! やっぱりそうじゃん!」

「……………」

 

 

綾乃は有希に偽るような事は一切しない。従者として、忠臣と呼ぶに相応しい振る舞いをし続けている、という誇りがあった。敬愛する有希であるならば、尚更だ。

そんな主を憚ってしまうような真似は出来ない……はずなのだが。

 

 

「妬いたんだ! 私と伊織くんがデートしたから?? いやいや、この場合中学の時から、だったり?」

「そのような感情ではございません」

「ほら、『そのような感情では』って言った!」

「……」

 

 

この時ばかりは、有希の指摘に対して首を縦に振れない自分がいたのだ。

 

 

「認めた!」

「認めておりません」

「可愛いやつめー!」

 

 

綾乃は、有希が楽しそうにしていなければ、己の感情を持て余していたかもしれない。

そのまま綾乃の身体をぐいっと抱き寄せたことに対しても、救われる。

 

 

「この、このぉ!」

「有希様、おやめください。私のせいでお召し物が………」

「やーだねー! あとで綾乃に直してもらうから問題なし!」

 

 

綾乃の頭を抱えるようにして、わしゃわしゃと撫で回す。

整えられていた髪が僅かに乱れた。

 

 

「私が伊織くんと仲良くしてるから寂しくなっちゃったのー? 綾乃〜可愛い可愛い!」

「……ゆ、有希様」

 

 

口では制止しながらも、綾乃は本気で振り払おうとはしなかった。

有希に抱き寄せられたまま、困ったように僅かに眉を下げる。

 

それだけで、有希には十分だった。

 

綾乃は別に伊織へ恋愛感情があるわけではない。

 

ただ。

 

自分から少し遠ざかっていくように感じてしまう。

これまで、有希がそこまで深い想いを向ける相手といえば、政近だけだった。 政近であれば、綾乃にとっても敬愛すべき相手だ。むしろ有希と並んで傍にいることを、当然のように受け入れられた。

けれど、伊織は違う。 決して嫌っているわけではない。むしろ、その人柄も能力も高く評価している。

それでも、有希が自分の知らないところで誰かと特別な関係を築いていくことに、ほんの僅かな寂しさを覚えた。

 

おそらく、それだけ。

 

綾乃本人がそれを『嫉妬』と認識しているかどうかは怪しい。

けれど有希にとっては、そんな細かい分類などどうでもよかった。

 

自分のことで、綾乃が少しだけ心を揺らした。

それがただ、嬉しくて。

 

 

「んもー、ほんと可愛いなぁ綾乃は」

「……恐縮です」

「そこ恐縮ですなんだ」

 

 

有希は笑いながら、もう一度だけ綾乃の頭を撫でた。

しばしの間、薄暗い教室の中に柔らかな空気が流れる。

 

けれど。

 

やがて有希は綾乃から腕を離すと、一歩だけ距離を取った。

その顔から、からかうような笑みが少しずつ消えていく。

 

 

「……でも」

「はい」

「それと、伊織くんの話は別だよね」

 

 

綾乃の表情が、僅かに引き締まった。

有希はそれを見逃さない。

 

 

「綾乃がちょっと妬いちゃったことと、それと――伊織くんが『僕はそんなに良いやつじゃない』って言ったこと」

 

 

有希は目を細める。

頭のなかで、何度かそのシチュエーションを妄想したが。答えはでない。

 

 

「繋がらないよね?」

 

 

綾乃は答えなかった。

 

ほんの僅かな沈黙。

それだけで、有希には十分だった。

 

 

「……何があったのかなぁ。伊織くんが私にベッタリで、意図的に綾乃を遠ざけた! とかならわかるけど、そんなラブコメシーン、イベント消化なんかしてないし」

 

 

有希は腕を組みながら考えるが、今度は答えが出てこない。。

その間、綾乃は静かに目を伏せた。

 

そして、昼休みのことを思い返す。

 

乃々亜が去ったあと。

生徒会についての話を終え、自分が真田伊織という人物について率直な評価を口にした、その時。

 

 

伊織は僅かに笑みを曇らせて寂しそうに、いやまるで申し訳ない、と言わんばかりに――そう言ったのだ。

 

 

『僕、そんなに良いやつじゃないよ』

 

 

あの言葉の続きを。

 

 

 

 

『たぶん────君嶋さんの方が良くわかってるって思う。だって……』

 

 

 

 

 

────君は僕を、見ていたはずだから(・・・・・・・・・)。

 

 

 

 

 

そう言い残して、伊織は去っていったんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あーもう! 考えても考えても答えはでなーい!」

 

 

頭を抱えた有希は、気合をひとつ、入れ直すと綾乃に向いて言った。

 

 

「私は伊織くんが大切! で、綾乃も当然大切! そこんとこは頼むぜ!!」

「っ……!! はい。ありがとうございます」

「んじゃ! 伊織くんを迎える準備しないとね〜~」

 

 

有希はそう告げると、この場所から綾乃を連れて出ていくのだった。

 

 

 

 

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