距離を置きたいだけなんだけど 作:ろしでれ
休み時間。
先程までの授業が終わり、教室は一気に賑やかさを取り戻していた。
次の授業までの僅かな時間。友人同士で談笑する者、購買へと向かう者、机に突っ伏して仮眠を取る者。思い思いの時間を過ごす中、政近の席へ一人の男子生徒が近付いてくる。
それは毅だった。
周囲をちらりと見回すと、何やら重大な話でもするかのように身を屈め、政近の耳元へと顔を寄せた。
「(お前、アーリャさん怒らせて延髄斬りされたってマジ?)」
「どうしてそうなった!?」
思わず大きな声を上げてしまい、教室中の視線が一瞬だけ集まる。中でも、一番気になる視線は当然一つ。
じろり。
鋭い視線を向けてきたアリサに、政近は慌てて首を縮めた。
ちなみに延髄斬りとは、プロレス好きなら大部分が知ってると思うが、ジャンプしながら相手の後頭部目掛けて放つ回転蹴りである。延髄とは人体の急所のひとつ。悪い子は絶対真似してはいけない危険技である。
「(延髄て。アーリャがそんな危険技使ってくるわけないだろ)」
「(だ、だよな)」
毅がほっと胸を撫で下ろす。
だが、政近は肩を竦めながら苦笑した。
「(ああ、精々顎にサマーソルトキックされただけだっての)」
「(いや、それはそれでヤバくね?)」
冗談半分だと思ったのか、毅は苦笑を浮かべる。
しかし政近だけはそこまでは笑えなかった。
「(半分くらい事実だしなー……)」
顎に残る鈍い痛みが、その現実味を嫌というほど物語っていた。
そもそも、顎も急所の一つだ。脳を揺らせてくる。ボクシングとかの格闘技で積極的に狙う場所の一つだ。よくこの程度で済んだな、とある程度頑丈に産んでくれた母親に感謝のひとつやふたつ………………。
「(で、なんでアーリャ姫はあんなにご機嫌斜めなワケ?)」
「(いやぁ、それは……)」
「(どーせお前がなんかやらかしたんだろ? おら、キリキリ吐けや。吐いて楽になっちまえ)」
「(う~ん、まあ……やったと言えばやったような?)」
正直に言えば、やった。確かにやらかした。
だが、ここで『その御身足に触れた挙句に、パンツを見ました』などと口走れば、その瞬間に学級裁判が開廷し、満場一致で有罪判決を食らう未来しか見えない。袋だたきにあう可能性だって否定できない。更にアリサから加撃を受けるかもしれない。間接的な辱めなのだから。
何とか誤魔化そうとする政近だったが、不意に毅が何かを思い出したように顔を上げて、くるりと反対側に向き直した。
「そういや伊織」
「うん?」
「第1発見者が伊織って話も聞いたんだけど〜、実のところ、どう? 判決どーぞ」
「ん……」
政近の隣の席にいる伊織に毅は声をかける。
既に教科書を開き、次の授業の予習へ入っていた伊織だったが、ぱたん、と閉じて静かに顔を上げた。
「確かに、さっき政近、教室で倒れてたの見たよ。厳密には座り込んでた、だけど」
「……」
政近の肩がぴくりと震えた。
「最初本人はニキビがどうとか言ってたけど、そんなの気にしてたこと無いと思うし、それに九条さんも慌てて教室飛び出したって話らしいし」
伊織は少しだけ考えるように視線を上へ向ける。
一つ一つ精査し整理し、形を作る。
「僕が直接見たわけじゃないから、本当に何があったかまでは知らないけど」
一拍置いて、結論つけて毅に応える。
「やっぱりこれまでの傾向からして、政近が何かやらかしたんじゃないかな? 九条さんが怒るのってそれくらいしか思いつかないし、彼女が手まであげたとするなら、いつも以上の────」
「おー、流石伊織! その時の光景まではっきり見えるぜ! てなわけで、政近有罪だな。ほらほら、やっぱ何したか、吐け吐けぃ!」
「見られてないのに、状況証拠だけで的確な推理披露してくるなよ!」
思わず心の中で全力ツッコミを入れる政近。
「(何でそこまで当てられるんだよ……)」
現場を見られたわけではない。
証拠もない。
それなのに、結論だけほぼ正解へ辿り着いている。確かに、いつも以上の事が起きた。過失は自分には無いはずだが、自分だけの証言だけじゃ弱すぎる。相手はアリサなのだから。疑わしきは罰せよ、の類だ。毅じゃないが、他人事だとするなら、判決
でも、何となく……複雑なのは、伊織のその口調には、追及する気配が一切ないことだった。取り敢えず毅に聞かれたから答えた、という雰囲気。
「まあ、何をやったかまでは分からないけど。九条さんに聞いてみればいいんじゃないかな?」
「アホか!! アーリャ姫に直接!? そんなもん聞けるわけないだろ!??」
毅の言葉を聞くと、『それもそうだね』と言い、その後は伊織は興味を失ったように再び教科書を開いて視線を戻す。
「……次、古典だったかな」
ページを一枚捲る音だけが静かに響く。
その様子を見ながら、少なからず政近は胸を撫で下ろした。複雑な気持ちはある。でもそれ以上に追求姿勢を取られたら、あることないこと更に広がり、毅の影響でも広がり、更に大変なことになっていたかもしれないから。
「(早めにアーリャに謝罪と、貢物のひとつくらい、しないとな……)」
チラリ、と政近はアリサの方を見た。
彼女もまた、羞恥に見舞われているのだろう。乱心した! 等と周囲に言われるくらいには、普段とは全然様子が違う。
この場で判決・断罪されるのはどうにも好ましくないので、政近は先ほど仕入れた貢物をポケットの中にあるのを確認して、アリサの側へ向かうのだった。
放課後。
終礼を告げるチャイムが鳴り終わると同時に、教室は一気に活気を取り戻した。
部活動へ向かう生徒たちが次々と席を立ち、友人同士で談笑しながら廊下へ出ていく者、今日の出来事を話しながら昇降口へ向かう者。静かだった教室は、ほんの数十秒で喧騒に包まれていく。
伊織もまた、その流れに逆らうことなく帰り支度を始めた。
机の中から参考書を取り出し、鞄へと丁寧にしまう。
今日中に進めておきたい範囲は既に頭の中で決まっている。
帰宅したら夕食までに数学。
食後に古典を一時間。
余裕があれば英単語の復習。
瞬間記憶能力があるから、ある程度は大丈夫だが、所謂やればやるほど、精度が増す仕様? みたいなので、予習復習は効果がある。ひっかけ問題や捻られた問題などにも、応用が利くので、幅広くするのも悪くない。
ここ1年で、何だかガリ勉になってしまったが、それも悪くない、と思い始めてる自分がいる。政近に呼応した、というわけでなはないが、ラノベやアニメ、漫画なども相応に嗜んでいるので、両方良いとこ取りは出来てるので、大丈夫だとは思いたい。
あくまで、勉学は隠れ蓑に過ぎない。ちゃんと自分を持ってるんだと言い聞かせつつ、この後の予定を頭の中で組み立てながら、静かに席を立って廊下へ出た、その時だった。
「おーい、真田〜! まってまって! ギリギリセーフだ〜!」
聞き慣れた声に、伊織は振り返る。
出口へ向かう反対側の方向に一人の女性教師が立っていた。
「あ、佐伯先生、お疲れさまです」
「おう、お疲れさん! 今日の小テストも満点だったらしいな? いや、頑張ってるようで結構結構! ここでも、九条と真田の一騎打ち、見れるなー」
「あはは……宣戦布告されましたよ、早速」
「九条も負けず嫌いだからな。いいライバル関係で居続けてくれよ」
柔らかな笑みを浮かべながら片手を上げる佐伯先生。
中学時代から何かと世話になっている教師の一人であり、高校へ進学してからも変わらず声を掛けてくれる存在だった。
勉学の相談はもちろん、進路についても何度か話を聞いてもらったことがある。
だからこそ、伊織にとっては信頼できる先生だった。
「ところで、もう帰るところだったか?」
「はい」
「そっか。……んー、悪いんだけどさ」
少しだけ申し訳なさそうな表情を浮かべながら、佐伯先生は苦笑する。
「今日って、このあと予定とかある?」
「予定、ですか?」
「うん。時間空いてたりしない?? ちょーっと残ってほしいかな〜、って」
「はい、大丈夫ですよ」
と、伊織は反射的に返事をしてから、
「(あ)」
と、伊織は心の中で小さく苦笑した。
何を頼まれるのか。
その内容すら聞かずに了承してしまったからだ。普通なら先に話を聞くべきだったかもしれない。
だが、それもすぐに考え直す。
相手は佐伯先生だ。
今まで散々お世話になってきた先生でもある。内容を聞いてから損得で判断するような事はしたくない人だ。
それに、自分から「大丈夫です」と言った以上、よほどの事情でもない限り覆すつもりもない。
人からの頼みを受ける以上、自分の都合だけを優先するのは性に合わなかった。
「そっかー助かった〜良かった」
伊織の返事に、佐伯先生は心底安心したように肩の力を抜く。
「実は、生徒会から応援を頼まれててね」
「応援……ですか」
「ああ」
生徒会からの応援要請。
それを聞いた伊織は少し眉を寄せるが、取り敢えず内容を聞くことにした。
「備品倉庫の整理、ですか」
「学校備品の数量確認と、破損して使えなくなった物の仕分け。それを一覧表にまとめて報告するだけなんだけど……」
そこまで言うと、佐伯先生は困ったように笑う。
「思ってた以上にやることの量が多くてね」
「なるほど……」
「最初は二、三人で十分かな〜なんて思ってたらしいんだけど、全然終わらなくて。知っての通り、生徒会はなかなかに人手不足だから。優秀な人材、体力ある人材はいつでもウェルカムなんだ。その点真田は色んな意味で自信をもって推せる」
「……あれ? 僕を生徒会入れようか、って話にシフトしてます? それは直ぐに頷けないですよ」
「あっはは! わかってるわかってる」
わかってる、と言いつつもそこのところはあまり信用は出来ないかな、と伊織は苦笑いをする。先生たちの間で、かなり評価をしてくれている内の一人だということも間違いないからだ。
無論、だからといって、色々と渦中である生徒会に飛び込んだりするのは本意ではない。色々と本末転倒だからだ。
でも、だからといって、完全拒絶には至れない。本当に難儀な性格だと自虐する。
「で、どうだろう? 内申点とか期待してくれて良いぞ。そもそもテスト高得点な時点である程度保証されている様なものだが、生活態度、人柄、と言う部分は数字では表せれないからな」
確かに地味ではある。
だが、人海戦術が一番効率の良い作業でもある。
「別に数字で釣る必要は無いですよ。分かりました」
伊織は小さく頷いた。
「役に立てるなら、手伝いましょう」
「おー! ありがとう、本当に助かるよ! よし、◎どころか、 花丸をやるべきだな」
「花丸って、それ小学生に、あげる評価じゃないですか……」
伊織は苦笑いし、佐伯先生は嬉しそうに笑みを浮かべた。
「場所は備品倉庫なんだけど、大丈夫か? 案内しようか?」
「いえ」
伊織は首を横に振る。
「場所は分かります」
「そっか、よし! じゃあ任せた!」
「はい」
軽く一礼すると、伊織は鞄を肩へ掛け直す。
教室を出て廊下を歩き始める。
窓の外では、運動部の掛け声が校庭へ響き始めていた。
吹奏楽部の音合わせも聞こえてくる。
放課後という時間は、多くの生徒にとって部活動の時間だ。
帰宅部である伊織には、その喧騒も既に日常の風景となっていた。
もっとも。
帰宅部と言っても、真っ直ぐ帰宅して終わりという訳ではない。
帰宅後の学習時間まで含めて、一日の予定は組み立てられている。
その積み重ねが今の成績に繋がっていることを、教師たちも理解してくれていた。
だからこそ、こうして勉強時間を削る頼み事をしてくるのは、本当に人手が足りない時だけなのだろう。
そう思えば、不思議と嫌な気持ちは湧かなかった。この手の手伝いごとは、学生ならば面倒だ、と大なり小なり思うだろうが。
「(備品整理、か)」
派手さとは無縁の作業。
人気のない雑務。
そう言うのもしっかりと引き受けて、生徒たちのために活動をする生徒会。
正直、尊敬する。尊敬している。この規模の学園で絶大の影響力を誇り、今後就職先、進学も左右され、元生徒会、生徒会会長、生徒会副会長。実績を残し、功績を残し、運営も出来たなら、将来安泰を約束される、とも言われる。
そんな凄い所の一因となれるのなら、それは最大級の誉れだ。
少し時間は取られるだろうが、その分だけ役に立つ。
それなら、それでいい。取り敢えずは。
後は、自分の勝手な都合。理不尽な感情だけ。こればかりは、理屈じゃないから仕方ないが。それでも腹を括ろう。
そんなことを考えながら、伊織は備品倉庫へと続く廊下を静かに歩いていった。
数分ほど、歩いた所で苦もなく目的地へ。数ある備品倉庫の1つのその前まで辿り着いた。
耳を澄ませる必要もなく、扉の向こうから、人の気配がした。
数人で話しているような声だ。
どうやら、もう作業は既に始まっているらしい。
「(先に来ているみたいだね)」
伊織は軽く息を整え、扉へ手を掛ける。
その瞬間。
中から聞こえてきたのは、日本語ではない言葉。だが、聞き馴染みのある言語。
『Немного вниманияяя!』
──……かっま〜え。
甘えるような、どこか拗ねたような声音。
続けて、続けられる。
『Хоть немного внимания!』
──……かっま〜え。
さらにさらに。
『Немного внимания!』
──……かっま〜え。
「(……かまって、かまって)」
意味を理解した伊織だったが、表情は変わらない。
誰の声なのか、そして誰へ向けられた言葉なのか、考えるまでもなかった。
そもそも、ロシア語を流暢に操れる人物も限られているし、まして、こうして甘えるような声音で何度も呼び掛ける人間など、一人しか思い浮かばなかった。
「(聞き耳、失礼だったかな)」
タイミングが少し悪かったかもしれない。
とはいえ、今さら廊下へ引き返す〜なんてことは出来ない。了承した以上は。例え魂にまで刻まれようが、だ。
少し気合を入れて気持ちを切り替えると、伊織はそのまま扉を開いた。
ガラッ。
倉庫内にいた三人の視線が、一斉に入口へ向く。
「! 伊織くん」
真っ先に気付いてぱたぱた、と駆け寄ってくるのは有希だった。
先程までは、かまえかまえ、とコールしていた人、アリサもそれを止めて目を見開く。
加えて、構ってほしい。と言う気持ちを向けられた人、そう政近も同様だ。
一様に、皆が思っているのは1つだけだろう。
『なぜここに?』
である。
この場所は特別用事でもない限り、来ることのない場所だから。しかも今は放課後で、確か部活に入ってない帰宅部の伊織は、尚更ここにくる用事は無いはずだが……。
「伊織くん! 手伝ってくれるんですか? ありがとうございます!」
にぱっ!
と、綺麗な花ひらく笑顔を見せるのは有希。
撤回しよう。有希だけは、伊織が来た理由をまるで最初から解っていたかのような口ぶりだった。
「佐伯先生に、生徒会の手伝いを頼まれました。少しでも力になれればと思いまして」
変わらない有希の圧力に思わず仰け反りそうになる伊織だったが、ここに来た経緯をしっかりと説明した。
有希は、そんな伊織の顔をじっ……と、見据える。
「?? どうか、しましたか」
照れくさい、と言ったのも事実だし、距離の詰め方が上手いのも事実。でも、今の有希は何だかいつもと様子が違う気もする。
有希ほどの美人にじっと見つめられるのは、本来ならばかなり照れくさい状況なのだが……、これは経験による慣れがある程度働き、免疫もついてるので大丈夫だ。
無論、限度はあるが。
「いいえ。手助けをしていただけると、会長から聞いておりました。是非、よろしくお願いしますね、伊織くん」
穏やかに笑うと、有希は改めて伊織へ作業内容を説明した。
既に政近に伝えた通り、今日の作業は備品の数量確認が中心となる。台帳と照らし合わせながら不足がないかを確認し、破損や劣化が見られる物は使用せず、その都度報告すること。高所に保管されている備品については危険も伴うため、男子で手分けして対応する。
その上で、有希は伊織へ担当する棚と確認範囲を割り振り、優先して終わらせたい区画を伝えていく。
備品の種類こそ多いものの、やるべきことは単純明快だった。一つひとつを確実に確認し、異常があれば報告する。
そして、説明を終えた後、有希はニコニコと笑いながら政近の隣に。誰にも聞かれていない、聞かれない距離を確認しつつ、ニヤッと何やら邪悪な笑みを浮かべて、政近にだけ聞こえるように小さく言う。
「(しっかり約束は守ってるようだな兄者よ。命拾いしたようだ。……お互いに)」
「は?」
意味が分からず、思わず間の抜けた声を漏らす政近。
しかし、次の瞬間――有希が先ほど伊織をじっと見つめていた理由を理解した。
あれは、反応を確かめるためだったのだ。
もし、自分があの日の出来事を伊織へ話していたなら。
もし、その内容に心当たりがあれば。
伊織は、ほんの僅かでも何らかの反応を見せていたかもしれない。
そして、有希がそれを見逃すはずがない。
つまり、もし万が一、有希が「兄者は約束を破った」と判断したなら――
翌日には、
『伊織×政近、電撃カップル成立!!』
そんなあることないことが、征嶺学園中を駆け巡っていたに違いない。
「アホか────!!」
政近の悲鳴にも似た叫びが狭い備品倉庫に響き、注目を集めるのだった。