夜に咲く白い花 作:ももはね
釣り合った天秤のような膠着を揺らしかねない変則を排除すべく、レンは狙いを定めると素早く頭を撃ち抜く。サクも少し遅れて────
「っやば」
「馬鹿!」
────外した。
サクは元より射撃があまり得意ではなく、さらに継続した魔法運用と緊張状態による心身の疲労によって手が大きくブレてしまった。
「ヒトカ!」
「わかってる!」
ミツハが叫ぶ。だが、既にヒトカは動き出していた。金属生成──長い鎖を作り出すと大きく踏み込んで狼型に近づきながら投擲、縛り付けると同時に引き寄せる。これまた同時にミツハは更に大きく踏み込んで棒を構えていた。
「壊れろ」
胴体を真っ二つに砕かれながら魔物は吹き飛んだ。
「た、助かったっす」
「平気だよ。先を急ごう……ヒトカさん?」
一行の目が独り足を止めたヒトカへと向けられた。
その直前、彼女が見ていたのは沖菜の姿。
剣を撥ね上げられ、無手となった彼女の背後から送り狼が襲い掛かっていたのだ。
剣を取れば噛み付かれ、剣を捨てれば一瞬は抵抗できるが千日手が立ち行かなくなる。そもそも、その膠着すらも魔法ありきの物なのだから、
「っごめん!」
「ヒトカ!?」
気づけばヒトカは飛び出していた。
だが、間に合わない。
送り狼の牙が沖菜の──刹那、彼女は自分から右手をその口へと突っ込んだ。それにより送り狼は右拳を丸々咥えることとなった。
「やってくれたなぁ!」
言葉を荒げながらも沖菜は送り狼の巨体ごと拳を地面に叩きつけた。続けて左拳を握り締め、脳天を殴る。殴る。殴る。殴る。殴る!
もう一度──。
「っ消えた」
縄張り移動を使った。来るなら背後。
それがわかっている沖菜は横に跳び抜けた。
送り狼の牙が空を切り────
「潰れて!」
────巨体を白金色の質量が叩き潰した。
送り狼は車に轢かれた蛙のように、四肢を広げて地面にぺしゃりと伸びていた。即席の大槌が直撃したその背骨辺りは酷い様で、甲殻類でもないのに異様な打撲痕に凹んでいた。
ヒトカは、それはもう死んだと思った。
「先生、」
沖奈はまだ生きていると思った。
「大丈「まだ生きてる!────」
ヒトカの足元でひしゃげた巨体の姿が掻き消える。
同時に、彼女の視界に影が差した。
「────」
沖奈の目が見開かれる。
妙にゆっくり動く世界で、立ち尽くすヒトカとその頭のすぐ上で大きく口を開く送り狼の姿が、網膜に焼きついたように感じられた。
ヒトカの首がゆっくりと、ゆっくりと動く。
その眼前に広がる光景は、白い牙が立ち並ぶ赤い咥内。沖奈の新鮮な血の雫が滴っていた。
「(あ、近っ)」
考える暇もなく、ただそれだけがヒトカの脳裏に浮かんだ言葉だった。
「──!!!」
ドサッ。
強い衝撃と共に仰向けに転がったヒトカは呆然と天を仰ぐ。近くで鳴った魔法具の転がる音が近いのに遠く感じていた。
そして、すぐに痛くないし噛まれそうだった顔面が無事なことに気づいた。
ひらひら、ぽすん、と。
気の抜けた感じに落ちてきた帽子が顔に当たって、漸くヒトカは気を取り戻した。
何故自分は無事なのだろう、率直な疑問と共に彼女は体を起こして、
「は?」
地面に落ちた二つ目の帽子。若草色のバッチが鈍く光る。
蹲って、白い制服を紅に染めたミツハ。
傍らには、送り狼の切断された頭部と首から下、それを為しただろう剣を握る沖奈、目を見開いてミツハを見つめる他の三人を、目撃した。
何故自分が無事だったのか。
答えは理解したくなくっても、すぐに理解させられた。
気を抜いて隙を見せた弱くて愚かな自分が無傷なのは────
『でも……ヒトカさんが居るから』
『今日、一緒に寝ましょうか』
『前、レンさんをちゃんと見て、ちゃんと答えてください……このままで、本当にいいんですか』
────自分に勇気を与えてくれた少女が、自分を庇ったから。
送り狼はおよそ二メートルほどの、狼のような姿の魔物。当然、その体躯に見合った大きな口、太く長い牙をしている。ミツハが噛まれたのは右肩から胸、腹にかけて。白いはずの制服は鮮血に染まり、十を超える数の大きな穴が空いていた。
なのに、それなのにミツハは、
「だ、い丈夫、で……すか?」
引き攣った笑みでヒトカを心配して見せた。
ヒトカは何を言えばいいのかわからなくってしどろもどろになりながらも、何とか言おうとして、しかし言う間もなく、感謝も謝罪も何もかも沖奈の声に迷いごと置き去りにされてしまった。
「加田、早く魔法を使え! お前が気絶したら治せる奴がいない!」
「そ……う、ですね」
「やまっ、夏津道! 止血!」
いつの間にか地面に転がっていた棒を沖菜が素早く拾うとそれを手渡そうとする。だが、失血のせいか視界も手元も定まらないミツハはそれに手間取ってしまう。そこに、片手を負傷して上手く動かせない沖奈に代わり、アオコがミツハの手を支えるように持たせた。
その間、レンは素早く腰の鞄から簡易救急具を、それから包帯や消毒液などを取り出して処置を始めている。サクは万が一にもこの隙を狙われないように索敵を始めていた。
「ミツハちゃんと持って」
「は、い」
「魔法、使える? 意識が飛びそうなら私が頭に水ぶっ掛けるから返事してね」
「へいき、です」
幸いにもミツハの頭は無傷。だから、意識さえ保てば魔法があるし、最低限の集中力があれば魔法が発動できる。
暫く沈黙が場を包み込んだ。ミツハが魔法を使えず、荒いのに静かな呼吸という不気味さだけが続いたからだ。その間も、アオコと沖菜はミツハが失神しないように軽く体を揺すったり声をかけ続けた。
そしてついに、レンが止血を終えたとほぼ同時にミツハの全身を淡い若草色の光が包み込んだ。
「加田、大丈夫か?」
「はぁ、はぁ、はぁ……たぶん、大丈夫、です。回復魔法で、なんとなく、わかりました。魔力きょうかも、してました、から。内臓までは、無傷です……はぁ」
「……よし、よく頑張った。お前たち、急いで帰るぞ。加田は早く医者に見せなきゃならん……猿酒、車まで加田を背負え。金満、加田の魔法具を代わりに持って行ってくれ」
「了解」「了解っす」
その時、咄嗟に山吹は声を上げていた。
「っ先生、ミツハは私が「黙って従え。時間が無いんだ」っ……はい」
ぴしゃりと言い捨てられ、ヒトカは呼吸が纏まらなくなった。緊張からか、掌では汗が酷く溜まっていた。自分は今、何をしようとしていたのだ。そんな疑問が目に見えたような。何が何だかわからない気分だった。
「体格や役割を考えて猿酒が適任だと思った。山吹、私と加田が負傷した今、お前が一番頼りになる前衛だ。もう魔物は居ない可能性が高いが、しっかりしろよ」
沖奈の慰め、か理由付けか、それすら定かでない言葉がヒトカの耳を通り抜けて消えていく。
──頼りになる? 誰が? 私が? なんで?
「……は、い。わかってます」
いつの間にかミツハは意識を失っていた。
軽くなって、でも重くなったミツハをアオコは背負った。
レンはミツハの魔法具を持つと肩ベルトにそれを通して自分に縛り付け、もう片手で自分の魔法具を握り締めた。
サクは目を強く閉じると深呼吸して、改めて索敵の気合いを入れた。
沖奈はまだ出血の止まらない己の腕の処置もせず、もう片方で剣を抜身のまま握った。
ヒトカは、独り遅れた場所から紅い背を眺めていた。
「…………注意してって言ったの、私なのに……私が居るから、安心できるって……っ」
戦が終わり、負け犬だけが残された。
。夕方くらいに次話出します