夜に咲く白い花 作:ももはね
ぼんやりと開かれた視界、カーテンの隙間から床を照らす陽光に目を惹かれ自然と意識が浮かび上がった。目が覚めたら白い天井に白い壁、薬品の臭いが漂う部屋にいた。組合の医務室、そのベッドの一つに寝かされていたのだ。
ぼやけた視界で周囲を伺うが、ベッドは他にもあるけど誰もいない。回復魔法なんて便利な物があるし、人はあまり居ないのが常なのかもしれない。
「……んん」
確か、送り狼に噛まれて……何とか魔法を使って、気絶したのだったか。軽く体を動かしてみた。手、腕、肩、背筋を伸ばして胸を張ってみて、痛いような痛くないような。噛まれただろう箇所を押してみるけど、やっぱり似たような感覚。幻肢痛というのもおかしな話だけど、妙な感覚だった。
「回復魔法使ったからかな……?」
着せられていた病衣の襟を捲り中を見れば、肩から腹に掛けて包帯が巻かれていた。だが、血の滲みや臭いはしない。仄かなアルコールっぽい薬剤の臭いがするだけで、本当に怪我をしているのか疑問に思うほどだった。
何はともあれ……。
「よかった……の、かな」
私は無事だった。他の皆もきっと……あ、気絶する前に先生の手も治しておけばよかった。頑張ればそれくらいはできたはずなのに。とにかく、非常事態は起きてしまったが誰も死んでいないし、多分誰も大怪我はしていない。なら、とりあえずは『良かった』だろう。
強いて言うならば、本当は最後まで頑張らなきゃいけない回復魔法使いの私がいの一番に気絶してしまったから、他の皆に怒られそうで不安だった。
怠い体を起こし、サンダル等が見当たらなかったので素足で床に立つ。
「っお、とと」
バランスを崩しそうになりながらも壁を支えに窓に近づき、カーテンを開き、窓も開く。
太陽が大空に浮かんでいた。今は昼頃だろうか。春風が入り込み、風と眩しさに目を細めながら外を眺める。外の新鮮な空気を大きく肺に取り込んで、吐いて、取り込んで。
その時、また別の方向に空気が抜けて行くのを肌で感じた。
「ぁ……」
「……あ」
陽光に細めた目をそのままで風に靡く髪を抑えながら振り返った先、扉の影で俯いたヒトカがいた。
着ているのは制服で、でも制服は綺麗だし魔法具もベルトもなくて。任務からそれなりに時間が流れているのが見て取れた。
「…………」
「おはようございます。ヒトカさん」
「……うん。おはよう」
「いつまでも廊下に居ないで、入ったらどうですか?」
「……失礼、します」
どうにも動く気配を見せない彼女に、廊下で立ったままなのも他人の邪魔になるだろうと催促しながらベッド脇に見えた椅子を座りやすいように動かした。
私はベッドに戻ると腰を降ろし、壁に背を預けてヒトカを待つ。ゆっくりとした足取り、怯える迷子みたいな彼女はベッド脇で足を止め、立ち尽くしてしまった。
「……座らないんですか?」
「いや」
ヒトカは俯いたまま低い声を溢し、しきりに拳を開閉させながら口を閉ざしてしまった。
もしかしたら、私の方向に太陽があるから眩しくて目を合わせられないのだろうか。いや、ギリギリ日陰に入ってるから大丈夫だと思うんだけど。
そんなことを考えていると、ヒトカが唐突に頭を大きく下げて見せた。
「ごめん、なさい。私のせいで」
「……怪我のこと、ですか? ヒトカさんのせいじゃないですよ。先生も想定してなかった緊急事態。これで済んでよかった。あ! 他の皆はどうですか? 先生の手とか」
「それは……大丈夫、だった、はず。他の回復魔法使いが先生の手は治したし、二人以外に怪我人は……いない」
「なら良かったです。これで済んで」
「良くない!」
叫んだ彼女は目を合わせることもなく、ただジッと私の胸を見ていた。
「……回復魔法は傷を塞げるけど、血液は作れない。疵痕が残ることもある。魔力器官を損傷した場合は治せないし、腹部の負傷は魔法少女にとって致命傷になりかねない。あなた、死にかけたんだよ」
「……死ぬつもりはなかったですよ。魔力強化は全力でやってましたし」
「もしも噛まれたのが少しでも上だったら首がやられてた。下だったら腹をやられてた。そもそも、あなたが魔法を使えたからよかったけどそれも間に合わなかったら出血で死んでたかも。何も、良いはずがないの」
唐突に伸ばされた手が私の胸に触れた。
「疵痕、ちょっと残るかもしれないって」
「っ……そう、ですか」
ちょっと衝撃だった。まだ恋人とかできたこともない私だけど、乙女としては辛い気持ちだった。
そっか、痕が残っちゃうのか。できるだけ、小さくて薄いといいんだけど。
思わず私も自分の胸に手を当てていた。
「血が足りてないから不調は続いてるかもだけど、もう、殆ど怪我は治ってるんだって。回復魔法も使われた。それでも痕が残ってるってことは、そう言うことだと思う……」
あれ。
「……疵痕、見たんですか?」
「……うん」
私が怪我したのって肩と胸とお腹だよね。
お、おっぱぱぱぱぱぱぱ…………胸!?
「わ、わた、私の胸、見たんですか!?」
「……うん。小さくて良かった。大きかったら、最悪噛みちぎられて捥げてたかもしれないって」
「うぇ……」
「欠損は回復魔法でも難しいから」
ど、どんな顔すればいいのかな!? え、何これ。私って今貶された? お前おっぱい小さいなぁ! ってさぁ!? それとも無事でよかったことを喜べばいいの? おっぱい小さくてよかった! ってさぁ!?
咄嗟に、未だに私の胸を触っていたヒトカの手を払い除け胸を自分の腕で抱いた。
「……変態っ」
「……どうかした?」
「どうしたじゃないですよ!? 何勝手に人の胸見てるんですか! 誰も止めなかったんですか!?」
「私が勝手に見たから」
「性犯罪者!」
「……ごめん。どうして?」
「自覚なし!?」
頭本気でブン殴れば記憶が壊れてくれるかなぁ!?
「ちょ、ちょっとそこに座ってもらっていいですか……?」
「……ごめん」
「ごめんじゃなくて座って!」
「……座る資格なんて、私にはないから」
「そうじゃなくって!」
あ、そ、そう言えば……ヒトカって組合育ちだ。というか、魔法少女の殆どが。皆、幼い頃から同じ場所で姉妹みたいに育つ。お風呂も大浴場で共用だ。もしかして、女同士の裸なら遠慮がないのだろうか。
例えばレンたちとか、三人で狭い部屋に住んでいる訳で、着替えとかも手を伸ばせば触れちゃうような距離感で毎日やってる訳で……距離感が、私と違い過ぎる!
「……ごめんなさい」
ああ、もう……もういいや。
酷く怯えたようなヒトカは、昏い瞳を震わせていた。潤ませていた。こんな幼子のような彼女を前に、怒りも驚きも穴の空いた風船の空気みたいに抜けていく。
そんな訳で、この全自動謝罪機械となってしまったヒトカをどうすればいいのだろうか。どうやら私の想像以上に自責の念にかられているようで、まるで私の話が通らないように感じる。
「……油断しちゃ駄目って言ったの、私なのに。私が油断したせいで、あなたが怪我しちゃった。本当に、ごめんなさい」
まあ、気にしてない……とは言えないが、そもそも私が勝手に庇ったのだ。これで文句を付けたらイチャモンと言わざるを得ない善意の押し売りだし、傷跡で彼女を責める気なんて一切ない。また、謝られたとて今更どうにかできる訳でもない。それも受け入れてくれる素敵な旦那様を見つければいいだけの話だし。きっと何とかなるなる。
だから、言うとしたらこうだろうか。
「ヒトカさん」
「…………」
「ヒトカさん!」
「……なに?」
彼女の頬に両手を遣って俯いていたそれを正面に向かせる。
「私の胸ばっかり。目を見てください」
漸く合った視線。その目元は昏くて黒くて、寝不足が見て取れた。精神の弱い彼女のことだ。もしかしたら、私のことで魘されていたのかもしれない。
そう言えば、私ってどれくらい寝ていたのかな。まあ今はいっか。
「私がしたくてやったことです。それとも、お節介でしたか?」
「……あなたに怪我されるくらいなら、私が喰らっておけばよかったとは思ってる。でも……ううん。わかってる。庇ってくれなきゃ、死んでたかもしれない。だから、お節介なんて言えないよ」
「じゃあゴメンじゃなくて、ありがとうって言って欲しいな」
そう言うと、彼女は黙ってしまった。きっとまだ心の整理ができないのだろう。
その顔色は酷い物で、酷くて酷くて。きっと、噛まれた時の私と同じくらい生気がない。
「……じゃあ、今はゴメンでいいです。その代わり、靴を脱いでベッドに乗ってもらえますか?」
話をしながら掛け布団を動かして、私に足して一人分ほどの空間を開ける。それから枕の位置を調整。
「……?」
「いいから。それとも、私のことが嫌いで近づきたくもないですか?」
「わ、わかった……これでいい?」
「正座してください」
「う、うん」
「──よいしょぉ!」
「わぁ!?」
恐々とベッドで正座した彼女の肩を抱き寄せ、押し倒し、強引に寝かせて布団を掛ける。
「な、なにこれ……?」
「寝てください。目元が酷いですよ」
「だ、駄目だよ。ここはあなたのベッドで、怪我したばかりなんだからもっと寝ないと」
あなたあなたって……ミツハと呼ばないことに妙な距離感を覚えた。申し訳ない気持ちなのはわかるけれど、せっかく庇った相手にこうもされると気に食わない気持ちにはなる。
「あなた、じゃなくて、ミツハって呼んでください。それとも、私もヒトカって呼ばないと駄目ですか?」
「……それ、は」
葛藤が見えて、私も私をちょっと変えないと、今の彼女に響かせることは能わないと感じた。深呼吸して、心のスイッチを切り替える。
「言われなきゃ気づけないのかな。今のヒトカみたいな、精神的に限界な奴に謝られたってしょうもないの。しっかり寝て、しっかりした状態で、改めて感謝と謝罪してよ。できるでしょ?」
「み、みつは……」
私の圧に押されて、今の精神が弱りきったヒトカに抵抗できるはずもなく、弱々しい抵抗の末に大人しく布団と私に絆された。
「ほら、さっさと寝てね。私はここにいるからさ。死んでないし、もう元気だから。ね?」
「……うん」
やっぱり眠かったのだろう。目を瞑った彼女は、数分で寝息を立て始めた。
流石に私は寝る訳にもいかず、スマホも本も何もないのだから暇も潰せず、ただ外を眺めることにした。
暫くして、どうやらさっきまでは昼頃だったことがわかった。太陽が少し下がって陽光の角度が変わっていたのだ。いつの間にか、春先の日溜まりが私たち二人を暖かく照らしていた。
陽光に掌を翳し、暖かい。その手で、白金色の頭を撫でた。さらさらと触り心地の良い頭だった。
「……ママぁ」
「ママじゃないが……足を揉まないでね」
「おっぱい……」
「……えぇ?」
一体、どんな夢を見ているのだか。
脳内会議でストックさんとテンポさんが相談しあった結果、ここは当日中2話投稿だと判断したそうです