あれから三週間経ったかなというところで気づく。なにも変わってなくない? と。
まあ、急に銀さんが夜明けのコーヒー……まぁ、あれよ。トレンディ俳優みたいな事を言い出したら糖が脳に回ったかな? と心配しちゃうわけで、けれど気の迷いだった? 嘘だった? と疑う理由もなく、ただ日々がつれづれと過ぎているだけなのだなぁーと思う次第だった。
このまま年を取って死ぬのも悪くないなと思うのだけれど、寂しいものがある。
そこで、今度の休みに遊びにでも行かない? と誘うつもりで、水族館のチケットを購入してみた。「ペア割」と書かれたボタンを押すのは躊躇してしまったけれど、お付き合い? しているのだから許されると思って押した。
「ねぇ、神楽ちゃん、新八君。今度の休み銀さん借りていい?」
「勝手に借りてけヨ」
「わざわざ聞かなくてもいいですから、借りるなり持ち帰るなりしてください」
万事屋に遊びに行ったついでに二人の了承を取る。
許可も下りたところで、いつもの席で爪を切っていた銀さんを誘う。
「ねぇ、銀さん。今度の休み空いてる?」
「お前……まあ、空いてっけど」
「一緒に遊びに行かない? ここに水族館のチケットが二枚あってさ。あ、今度、神楽ちゃんと新八君も一緒に行こーね」
「これ断れなくねぇ? こんな圧強いデートの誘い初めてだよ」
「デートじゃないよ? 遊びに行くだけだよ?」
パチンッと爪を切る音とともに、「いいぜ」と返事を貰えた。
当日、眠れないかと思いきや、意外にもぐっすり眠れた。まあ、水族館へ遊びに行くだけだ。それで眠れないなんて思春期じゃあるまいし。
ハンカチ、ティッシュ、財布に携帯、チケットと……忘れ物がないかチェックして――鏡の前にいた時間がいつもより長かったのは気の所為だ。
「少し早すぎたかな?」
待ち合わせ場所の駅前につく。二十分前だった。
時計塔の前、そこでは多くの人が待ち合わせ、合流し通り過ぎていく。その中に埋没する自分が少し不思議だった。
そうやって人間観察をしながら待っていると声をかけられる。
カメラを持った、デザイン関係者という感じの男性。
「すみません、さっきから見てたんですけど。もし良かったら一枚写真撮ってもいいですか?」
「え、あ、写真ぐらいなら」
「いやぁー。良かった、モデル探してたんですよね。良かったらこの後お茶をしながら話しませんか?」
「えっ、写真は?」
「ああ、実は近くにスタジオがあってこっちなんですよ」
腕を取られる。あれ、これってダメな奴?
思ったより強く掴まれている。抵抗すれば、跡になるかもしれない。
「離してください」
「大丈夫、すぐそこだから」
まるで話を聞かず、男は腕を引く。大声で助けを呼ぼうと息を吸ったところで――
「すんませーん。この人、俺の彼女なんで。AVのスカウトはよそ当たってくれます?」
横からすっと伸びた手が、男の手首を掴む。次の瞬間、ミシッと音が聞こえそうなほど強く力が込められた。
「いだだだだっ!」
たまらず男の指がほどけ、私の腕が解放された。
「銀さん! 助かった~」
「ちっ、大人しそうな顔をして彼氏持ちかよ」
痛む手首を押さえながら、男は悪態をつく。
「……彼氏じゃないよ?」
「そこ否定すんなよ。お前もわかったからさっさと行け、これ以上痛い目みたくねぇだろ」
銀さんは男へ視線を戻す。
男は一瞬怯えた表情を見せると、逃げるように走り去った。
「彼女でもないかもしれない?」
「まだやんのそれ。怪我は?」
「大丈夫。本当助かった。ありがとう」
ふと時計塔を見上げる。針はちょうど待ち合わせの時間を指していた。
駅で切符を買って目的地まで。
やってきた電車は座れなかったので扉近くに立つ。
「なぁ、俺とお前つきあってねぇの?」
「そーいう話、公共の場でしない。はしたないよ?」
「急に純情ぶりやがって、普段好きだなんだと見境なく言うくせに」
「銀さんのことは好きだよ? それとこれとは別じゃん?」
「お前の思考回路どうなってんだよ、マジで」
銀さんが引っかかってるのは、先程否定した「彼氏」「彼女」の話だと推測する。
けれど、それを蒸し返されても困るので話の腰を折らせて貰った。
「付き合ってる」と「彼氏」「彼女」では、ワードパワーが違いすぎるのだ。頭では分かっていても、中々受け入れることができない。
目的地に到着。そこまで混んでおらずスムーズに入場できた。
薄暗い館内を案内板の順路に従って進む。
「浅瀬の生き物たち? へぇー、触っていいんだ」
浅い水槽を見下ろす形の展示物が設置されていた。
どうやら手を入れても良いようで、子どもたちがヒトデやナマコをおっかなびっくり触っていた。
私もしゃがみ込み、手前にいた仲間はずれにされてるナマコを突っついてみる。
「うわっ、ナマコってこんな感じなんだ。初めて触った」
「酢の物にすると案外いけんだよな」
「こんな可愛いのに酷いこと言わない」
「お前、そーいうキモい奴好きだよな」
「そう? あーそうかも、でも可愛くない? こっちお尻? オスメスどっち?」
水の中で転がすようにひっくり返してみるが、よく分からない。
「手洗えよ」
「はーい」
設置されていた手洗い場で手を洗い、次の展示へ。
大きめの水槽に、様々な魚が一緒に展示されている。
近寄ってきた魚と見比べながら、展示板を読む。
「カワハギ? カワハギって皮が簡単に剥がせるからカワハギなのか~」
「肝がうめぇんだよな」
「へぇー」
「お前もたまに食ってんだろ、大葉と一緒に唐揚げになってるやつ」
「あれって、この子だったんだ。美味いんだね、お前」
言葉が通じたのか分からないけど、逃げるように奥へ去っていった。
なんだか後ろ姿が唐揚げに見えてしまった。強く生きてくれよ。
水槽を離れて順路を進んでいると、ペンギンショーの案内板が目に入った。銀さんの袖を引く。
「ねぇ、銀さんペンギンのショーがあるって」
「ああ、丁度今行けば間に合うんじゃねぇか? 行ってみるか」
案内図に沿って道を確認、人混みの中移動する。
「わっふ、すみません」
前の人が急に立ち止まり、その背中にぶつかる。
どうも、親子連れのようで、急に子どもが走り出そうとしたのを止めようとしたみたいだった。
立ち止まった親子連れと私を、幾人もの人が左右から追い越していく。
「あれ、銀さん?」
ふと見ると隣にいたはずの銀さんがいない。
困った。邪魔にならないよう通路の端に寄る。
探しに来てもらう方が良いか、それともペンギンショーの会場に行く方が良いか。
そう遠くまで離れてはいないと考え、待つことにした。背中を壁に預ける。
薄暗い廊下、淡く光る水槽。目の前を通り過ぎる人たちが深海を泳ぐ魚に見えてくる。
非現実的な空間の中、一人で待つのは不思議と苦にならなかった。
「いた。おい、キリ」
数分後、予想通り銀さんが迎えにきてくれた。
「良かった。ごめん、人の流れで見失っちゃって」
「それはいいけどよ……」
「ねぇ、手、繋いでいい?」
銀さんは少し驚いたように目を瞬いた。
けれど、何も言わず差し出した手を取ってくれる。
薄明かりの通路を泳ぐ深海魚達に、二匹の魚が混じる。
一匹よりも二匹の方が遠くまで泳いで行ける気がした。
『それではペンギンショーの始まりです』
会場に着いたところで、ちょうどアナウンスが流れる。
「可愛いね」
「お前みてぇにどんくさい奴いんぞ」
一匹だけ行進からはぐれたペンギンを銀さんは指さす。
「可愛いっていうんだよ。あーいうのは」
「じゃあ、お前も可愛いってことになんだろうがよ」
「可愛いんですよ」
「分かった、可愛い可愛い。……なぁ、自分で言わせておいて固まるの止めてくんない?」
いや、てっきり反論が返ってくると思ったんだよ。
そっと視線を外し、ショーのお姉さんを見る。行進を終えたペンギンへ、ご褒美のイワシを投げていた。
次の合図で、ペンギン達は次々と水中へ飛び込む。
地上ではヨチヨチと頼りなかったのに、見違えるように自由自在に泳ぎ回る。
行進からはぐれていた子も、ひとたび水中へフィールドを移すと、丸い身体は流線へ変わり、弾かれたように泳ぎだす。
長い年月をかけた進化が磨き上げたその姿は、無駄のない機能美そのもので、息を呑むほど綺麗だった。
盛大な拍手の中、ショーは終了した。
「凄かったね! 可愛かったね!」
「お前さっきからそれしか言ってねぇーぞ」
「だって凄かったし可愛かったんだもん」
「へーへー」
興奮冷めやらぬままに、いくつかの展示を回る。チンアナゴを観察してみたり、妙に新八君に似たタコを見つけてしまい笑ったり。
最後に辿り着いたのは、クラゲの展示だった。
淡い光を抱いた円筒形の水槽が、静かな柱となって立ち並んでいた。
鏡張りの天井にもその姿は映り込み、光の柱は果てのない高さへ伸びているように見えた。
その内側では、クラゲだけが重さを忘れ、ゆるやかに昇り続けている。
「うゎー」
声になりきらない息が、そっとこぼれる。
傘の縁にほのかな紅を灯すもの、フリルのような襞を揺らすもの、細い触手を糸のように長くたなびかせるもの。
小さなクラゲたちは淡い光の中に群れ、どれも時の流れから切り離されたように、静かに美しく漂っていた。
「綺麗だな」
「うん」
それきり銀さんも黙って、昇り続けるクラゲを眺めていた。
もう少しだけ銀さんの側に寄りたくて、繋いでいた手を離し、肩を寄せて腕を組んだ。
銀さんが何を思っているのかは分からない。それでも今は、言葉を交わさず、この空間を分かち合っていたかった。
「そろそろいくか」
「うん」
しばらく眺めたところで、展示室を後にする。
明るいロビーに出た瞬間、今までの幻想的な世界から、急に現実へ引き戻されたような不思議な感覚を覚える
それでもまだ足元はふわふわして、半分ぐらい夢の中にいるような気がした。
出口の手前に、お土産コーナーが見えた。
「銀さん。お土産、買っていこうよ」
「ああ」
ぬいぐるみやキーホルダー、お菓子の並ぶ一角へ向かう。
「可愛い。あ、このペンギンのぬいぐるみ顔がちょっとずつ違うんだ。『名前をつけたらタグに書き込んであげてね』だって」
「なぁ、こいつあのどんくさい奴に似てねぇか?」
そう言いながら銀さんは、手の平サイズのぬいぐるみが並んだ棚から一匹取り出す。
「確かに。買ってってあげよう。神楽ちゃん好きそうだし」
籠のなかにぬいぐるみを入れる。
新八君には何を買っていこうか。ぬいぐるみって柄じゃないよなぁと、キーホルダーコーナーを回る。
チンアナゴに吹き出しのついたキーホルダーが目に留まる。
「うーん」
「お前、さっきも見てたけど好きなの?」
「可愛くない? 個人的にはオレンジと白もいいんだけど、この水玉の奴も捨てがたくてさ。『縦社会!!』って叫んでるやつもいいし、『キャンディケインじゃないよ』って言ってるのも可愛いし。悩む」
「なぁ、この魚名前なんつったっけ」
「えっと、チ……アナゴ?」
「え、何、聞こえない」
「それ以上はセクハラで訴えるよ」
「魚の名前聞いただけじゃねぇか」
「作為的なものが見えるんですよ」
猥雑なイタズラをかましてきた銀さんを叱りつける。小学生か!
新八君のお土産は悩んだ末、水玉の『縦社会!!』と叫んでる子に決め、レジへ向かう。
ぬいぐるみとキーホルダーを水族館オリジナルのビニール袋に入れてもらい、無事に購入を完了する。
「名前、あとで神楽ちゃんときーめよ」
「休憩がてら飯でもくってかねぇか」
「確かに、お腹すいたね」
少し離れたところに、海の見える休憩スペースがあったはずだと向かう。
テーブルと椅子が並べられたフリースペースの横にキッチンカーが何台か止まっており、屋台も出ていた。
水族館や近くの商業施設からの帰り客で賑わっている。
「何にしようか悩む~。あ、ハンバーガー美味しそう」
幟と看板の出ているキッチンカーを指さす。
「じゃあ、俺もそれで」
一緒に並び、メニューをにらめっこし結局二人とも同じチーズバーガーに落ち着いた。
食べ終える頃には日が沈み、空は青色を濃くしていた。
「楽しかった~」
「そうだな」
丸めたハンバーガーの包み紙が、テーブルの上に転がっている。
ぐっと背伸びをすると、身体の筋が伸びて気持ちが良かった。楽しすぎて疲れを認識できなかったようだ。
「また来ようね。今度は神楽ちゃんや新八君も連れて」
「ああ。それとは別でさ……また二人でどこか行こうぜ」
「あぁ、うん」
「なんだよその微妙な返事!」
「いや、銀さんから誘われるとは思ってなかったからびっくりして」
「お前、俺を何だと思ってんの」
「……彼氏とか?」
「……」
「急に照れるのやめてよ! こっちだって恥ずかしいんだから!!」
銀さんは両手で顔を覆い、そのまま天を仰いだ。
思わず私も両手で顔を覆い突っ伏してしまう。
両者痛み分け、勝者なし。
当分、パワーの強すぎるワードは封印しよう。そう決めた休日だった。
砂糖でチャペルを建てようと思ってます。
書いてて寂しい物があるので、感想という名のツッコミや評価など反応頂けたら嬉しいです。
お願いします。