逃げ帰った私はそのまま畳に倒れ込み、うつ伏せになりながらバタバタともがいていた。落ち着いたと思ったら唇の感触を思い出してしまいの繰り返しだ。
ドS根性丸出しのどっかの馬鹿に腹も立ったし、なによりそれを拒めなかった私自身が……恥ずかしかった。銀さんが、それに気付かない人間
それに、唇の上に残る感触と、舌を出して笑う銀さんがやけに色っぽかったのだ。
生物学上の分類でいえば私は女で、銀さんは男だ。そんなものは百も承知で、だからなんなのだと思っていたのだけれど……
誤解を恐れずにいえば、私は銀さんの情欲にあてられていた。やり返した気にもなっていたが、本当にそれがやり返したかっただけなのかは、私にも分からなくなっていた。
舌先に残る感触を思い出すたび、疼く何かを知らぬふりして、私は畳へ顔を押し付けた。
それから熱の収まるまでの二、三日。私は万事屋に寄り付けずにいた。銀さんに対して普通の態度を取れるか自信がなかった。
けれど、みっちゃんですら翌日にはたけしくんと鬼ごっこしてたしと、重い腰をあげて万事屋の戸をくぐる。
「こんにちはー」
「久しぶりですね」
「どうしたアルか、それなにアルか」
「ちょっとね。あ、これお土産のプリン」
銀さんだけだったらどうしようと心配したが、神楽ちゃんと新八君もいる。ならば余裕でしょうと、ビニール袋に入ったプリンを渡しながら神楽ちゃんの頭を撫でる。
さっそくパックからプリンを取り出し始めた神楽ちゃんを見て、台所にスプーンを取りに行く。
戻ると人数分、プリンが分けられていた。
「はい、新八君、神楽ちゃん」
ソファーに座る二人にスプーンを手渡す。
「俺の分は?」
そんな声に、もう一つのスプーンをテーブルに置く。
残った一本を手に、私も自分のプリンを取る。
「……あの」
「なに? 新八君」
「いえ、なんでもないです」
ずぞぞぞっとプリンを一気に飲み込んだ神楽ちゃんは美味いアルと笑っていた。
口の端についたプリンをティッシュで拭ってあげる。
ゴミ箱にプリンのカップ三つとティッシュを放り入れ、スプーンを洗う。
泡を流し、水切りにスプーンを置き、雫のついた手を手ぬぐいで拭く。用事は終わったと、帰り支度を始める。
「あれ、もう帰るんですか?」
「うん、今日は。また今度夕飯一緒食べようね」
あまり長居したい気分じゃないので、先に帰らせてもらおうと思った。
「送ってこうか」
玄関で靴を履いていた時に、そう声を掛けられる。
「ありがとう。でも、寄るところあるから」
「そうか」
悪いことをしたなと後悔する。
別に意地悪したいわけじゃないのだ。ただ、どうしたらよいのか分からないだけなのだ。
「明日、また来るから」
「ああ」
告げて、玄関を出る。声を聞いただけで顔に集まった熱を冷ますように、階段を駆け下りた。
それから一週間。つかず離れずの距離を取りながら、どうにか慣れというものを身につけた。
毎度毎度プリンというのも芸がないので、駄菓子屋で五百円分大人買いしたお菓子を手に持って訪ねる。
「こんにちはー」
「勝手に入ってこい」
挨拶すると、奥の方から銀さんの声がした。声の距離を考えると居間辺りだろうか。
靴を脱ぎ、上がらせてもらう。案の定ソファーに寝転んでいた。向かいに座る。
「神楽ちゃんと新八君は?」
「神楽はそよ姫んとこに泊まり、新八は妙んとこが人手足りないからって裏方手伝いにいってる」
「ふーん」
どうしよう、流石に帰るのはあからさま過ぎるか。
慣れたとはいえ、内情は別なのだよ。
「銀さんそのジャンプ何回目」
「あー、金曜だから多分5回目か6回目」
「台詞覚えそうだね」
「そうだな、流石にそろそろ飽きたわ」
バタリと読んでたジャンプを閉じ、身を起こす。
私がテレビのリモコンを操作し、夕方のニュースを探している間、銀さんはテーブルに投げ出したお菓子の中から、きなこ棒を取り出していた。
「これ、食っていい?」
「いいけど、返事する前に開けてたよね? 聞く必要あった?」
「礼儀」
『いただきます』や『ありがとう』の代わりなのだろう。一口サイズのきな粉がかかった飴を、口の中に放り込んでもちゃもちゃと噛んでいた。
手についたきな粉を舐め取り、次のお菓子を選ぶ。
テレビからは農家の様子や、事故情報や明日の天気など日常を回すための情報が垂れ流されていた。
「食わねぇの」
「あー、うん。夕食前だしね」
とは言葉だけで、銀さんを見ていたらなんだかお腹が一杯になってしまったのだ。
「夕飯、食ってくか?」
ここで食べないと伝えるのは酷いだろうか。どうも用意してくれる雰囲気だ。
「……帰るなら送るぜ。そろそろ、そんぐれぇ許してくれねぇか?」
間が空いたことで迷ったことを見抜かれたらしい。言葉が足される。
そして、断り続けてたのもバレてたようだ。
「ごめん、その銀さんが何って訳じゃないんだよ?」
「知ってるよ。初心者相手に調子のって悪かったな」
口こそ揶揄するようだったが、少しばつの悪そうな顔をしている。
どうも大きな誤解があるようだ。
ちゃんと話すべきなのだろう。テレビのリモコンを操作し、音量を下げる。
「銀さんに八つ当たりしようとか、当てつけようとかそーいうことでは……。あー、いや、一割ぐらいあるかもしれない?」
「あるのかよ」
そりゃ、原因は銀さんにあるのだから、そのぐらいの割合負担はして欲しい。
「まあ、それは冗談だとして、銀さんが嫌いになったとかではないんだよ。そこは誤解しないで欲しい」
「してねぇよ」
「それならよかった」
「随分嬉しそうだな」
「だってそこは信頼してくれてるってことなんでしょ?」
「へいへい、言ってろ」
さてと、どう伝えるべきなのか。どこから話しても混乱は避けきれない気がするので、仕方なく前提から確認する。
「銀さんはさ、その……セックスしたいと思っている?」
「……なんつーか、お前のそのぶっ飛んだ発想にもそろそろ慣れてきた気がしたんだが、気の所為だったみたいだ」
「ごめんね?」
深い溜息をついて「で?」と銀さんは促してくるので続ける。
「銀さんはその……粘膜的接触の結果、粘膜の密度を上げたわけじゃない?」
「この前の軽いスキンシップを言ってるのかそれは」
「……まぁ、軽いかどうかは人それぞれだとしても、端的に言えば」
そっと視線を外す。必要だからといって、恥ずかしくない訳じゃないのだ。説明が迂遠になるのも許して欲しい。
「結局、それを引きずってるつー話か?」
「引きずると言えばそうなんだけど……。銀さんはさ、なんというか『それで終わり』じゃなかったよね? やりたいこと全部」
「なんとなく話は読めてきたが……」
ちらりと視線を戻すと、銀さんも横を向いて口元を抑えていた。
「だから聞いたの、セックスしたいと思ってるかと。別にそれ自体は銀さんも男だし? その場にいた女が私だったから気の迷いでそーいうこともあるかもしれないね? とは思うんだけど」
「本気で言ってたら怒るぞ」
「ごめん。でもさ、いざ銀さんにそーいうことを迫られたら、きっと私は拒まないんじゃないかなぁーなんてことを思う次第で。でもきっとそれは流された結果であって、全然覚悟なんて決まってなくてさ。じゃあ時間があれば覚悟が決まるのか? と思って距離を置きながら経過観察を行ってみたけど、そんな訳もなくて……。でも、相手が望んでいるのを分かった状態で無視するのも違うじゃない? どこまで付き合えるのか分からないけど……セックスする?」
羞恥と緊張の混乱で自分でも何を言っているか良く分からなくなったけど、ここ一週間、考えていた事とはそう遠くないはずだ。
「しねぇよ」
「ごめん、したくなかった?」
「そうじゃねぇよ……。お前、頭いいのか馬鹿なのかたまに分かんなくなるな、いや馬鹿だわ。馬鹿の思考だわ、これ」
「そう外してないと思うんだけどなぁ」
銀さんはセックスをしたい。私はまあ銀さんが好きなので? それに付き合う。シンプルに話せばこうだ。
矛盾も、なにもない。
「したいと、するは違うだろ」
「したかったらするんじゃない?」
「短絡的すぎんだよ考え方が。どこまで付き合えるか分からねぇって言ってる女にしてぇからするなんて、どんな獣だよ。そこまで落ちぶれちゃいねーよ」
「分からないのは仕方ないじゃない、だって分からないんだから。銀さん教えてくれない?」
「お前……。本当馬鹿な!」
「馬鹿だアホだと銀さんは酷いなぁ、真剣に考えてたのに」
「真剣に考える方向がおかしいんだよ。大体、手ェガチガチに握り込んで話すことか?」
「手?」
視線を落とす。いつからそうしていたのか、右手を固く握り込んでいた。
「隣、座るぞ?」
頷くと、銀さんは向かいのソファーから立ち上がり、私の隣へ腰を下ろした。
「右手、貸せよ。そんなんでよくあんな事言えたもんだ」
素直に右手を渡すと、銀さんは包むように両手で挟み込んだ。
強張りを解くように、親指で手の甲をゆっくり揉みほぐされる。じわじわと戻ってくる温もりにつられるように、落ち着きが戻ってくる。
知らない内に随分緊張していたみたいだ。
「怖がらせたなら幾らでも謝るが、お前のはそうじゃねぇんだろ? それとも、俺が怖いか? 反対の手も貸せ」
左手を渡しながら首を振ると、銀さんは少し安心したような表情を浮かべた。
「男と女じゃ、勝手も違うだろ。それを気に病むのは馬鹿だ。それにな、お前がしたくないことに、俺は無理に付き合わせたくはねぇよ。お前だってそうだろ?」
「うん」
「なら同じだ。そこに謝罪もなにもいらねぇだろ。だからてめぇは馬鹿だって言われるんだよ」
「うん、ごめん」
「分かりゃいいんだよ」
貸していた左手を返してもらう。
銀さんに触れるのも久しぶりだと思った。
「大体、しなきゃ死ぬのか? そんな呪いでもかけられてんのか」
「使用期限迎えて、チ◯コ腐り落ちたりしない?」
「しねぇよ。生涯現役予定だ。……なぁ、こうやって隣に座りたいと思う気持ちはあるか? お前が俺とキスしたいと思った気持ちは本物だったんじゃねぇのか? そうやって一歩ずつ進んだ先に、お前が欲しいもんを探せよ。お前と歩いてくのもそんな悪くねぇと俺は思ってるよ」
焦りすぎていたのかもしれない。
銀さんが自分より先にいるように見えて、追いつこうと焦っていたのかもしれない。
けれど、銀さんが私の隣を楽しんで歩いてくれるのなら、それもそう悪いことでもないと思った。
「さてと、夕飯作りますかね。素麺にするつもりだったが、それでいいか?」
「うん、手伝うよ」
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