「おやすみなさい」
流れ込む銀さんの感情のせいか、なんとなく声をかけたくなってしまう。
声をかけるたび、返事の代わりのように何かしらの反応が返ってくる。それが少し嬉しい。あー、少しではないかもしれない。
布団に入ってからも名残惜しくて、なかなか目を閉じられずにいると、寝ろとでもいうように、流れがゆっくりと温かくなる。
銀さんも眠いのかもしれない。
「おやすみなさい」
二度目の挨拶をして、今度こそ目を閉じた。
一週間――存外悪いものではないのかもしれない。そんな気もしていた。
朝、目覚ましが鳴る5分前に目が覚める。
「おはよう」
右腕に着けたピンク色の腕輪に挨拶をする。だが返事はない。
まだ寝ているのだろうか? 一瞬、そう思った。
けれど、絶えず感じていた流れがプツリと途切れている。
何かあったのか? 慌てて携帯に手を伸ばし、短縮ダイヤルを押す。引き抜かれた充電コードがワンバウンドする。
電話のコール音が、階段を上がってくる死刑執行人の足音にも聞こえた。
元に戻っただけ。私はそう思っていた。けれど、呼び出し音が鳴るたび、今すぐ銀さんの元へ行く力を失ったことが、ひどく惜しくなった。
「もしもし、坂田さんですよー、誰だよこんな……」
「銀さん!!」
間延びした銀さんの声が聞こえてくる。ほっとして座り込んでしまう。
「ああ、キリか? どうした朝っぱらから」
「銀さんの腕輪から……なにも感じなくなって」
感情の乱高下についていけなくなった精神は、安定を取り戻すためにストレスを涙として放出している。電話越しの銀さんが、戸惑っている気配がする。
「あー、なんかしらねぇが、ブレスレット外れてるわ」
「大丈夫? 頭パーになってない? くるくるしてない?」
「くるくるしてんのは寝癖だけだ。安心しろ、今んところはなんともなっちゃいねーよ。あとで源外のじーさんとこ行って調べて貰ってくるわ」
「そっか、ごめんね。起こしちゃったね」
きっとまだ寝ていたのだろう。だから受話器を取るのも遅くなった。コナン君なんていなくとも簡単に推測できる理由へ辿り着き、電話を切ろうとする。
携帯を耳から離しかけたところで、銀さんが言葉を継いだ。
「キリ……なんつーか、ああ、今日、夕飯食いにこいよ。新八も神楽も寂しがってた」
「うん、わかった」
「……じゃあまた後でな」
最後に受話器を置く音がして通話は切れた。
バイトが終わり、万事屋に向かう。今日の夕飯当番は銀さんだった気がする。
暖簾を出していたお登勢さんに挨拶し、脇の階段をあがる。
ブザーを一度押し、玄関を開けると、ソースのいい匂いが漂っていた。
「こんばんはー。今日の夕飯、焼きそば?」
靴を脱ぎ、上がり込みながら台所に顔を出す。
「ああ、もうできる。ちょっと待ってろ」
フライパンを振りながら銀さんはそう答える。
声につられ、神楽ちゃんと新八君もやってきた。
「こんばんは。来たんですね」
「きーやん、なに持ってるアルか?」
「これ? 半額になってたから、ケーキ買ってきちゃった。後で皆でたべよう」
「ひゃっほい」
神楽ちゃんは渡したビニール袋の中から人数分のカットケーキを取り出し、冷蔵庫にしまう。
銀さんは皿に盛った焼きそばへ、薄焼き玉子を一枚ずつのせていく。
「ほらよ、持ってけ」
「あ、オム焼きそばにグレードアップした。嬉しい」
「神楽が玉子乗せろっつったんだよ」
なにも聞いていないのに、銀さんはそう付け加えた。
「うさぎさん、うさぎさん」
神楽ちゃんが玉子の上にウサギさんの絵を描いていく。
全員の皿の上で、うさぎが笑っていた。
わいわいと食卓の準備を整え、全員で「いただきます」と声を揃える。
「あ、それで源外さんはなんて?」
器用に箸を使い、薄焼き玉子で焼きそばを巻いて食べている銀さんに聞く。
「ん。ああ、電池切れだとさ」
「電池切れ? 私の方まだ外れないんだけど。不良品? 一週間持つって言ってなかった?」
今朝、試しに外そうとしたが、外れなかったんだよね。
「どっかの馬鹿が、肩こり治るどころか、肩飛んでく勢いで一日中震わせてたからなァ。想定外の使用方法だったんじゃねぇーかっつってた」
「一日中震えてたアル」
「すごいですよね、一緒にいなかったのに。途中から僕ら呆れてましたよ」
墓穴ってAmaz◯nで売ってるかな。ちょっと浮かれてた過去の自分を殴り倒したい。
「へぇー……」
正面を見てられなくて、視線を落とす。
焼きそば美味しいなぁ。具が少ない気もするけど……。
「まあ、なんにせよ。明日からはいつも通りの生活に戻れるってことだ。お前の方も一週間ぐらいで外せるようになんだろ」
銀さんはそう説明すると、ずるずると焼きそばを食べ始めた。
「片方が機能しないと、ただの外せないブレスレットになるだけってのが文字通り片手落ちって感じですね」
新八君の言う通り、片方だけになったブレスレットからはもう銀さんの感情は流れ込んでこない。そして私の感情も受信されることはないのだろう。
まあ、人の感情を四六時中意識するというのも案外疲れるし、これで良かったのかもしれない。
名残惜しいと感じるものの、こうやって顔を突き合わせてしゃべれる方が何十倍も良い。
ごちそうさまを言って、ケーキを食べて、片付けをして。新八君の帰宅に合わせ、私も帰ることにする。
「送ってくよ」
ブレスレットの抗議はないけれど、銀さんはそういって玄関を出てついてきてくれる。
「焼きそば美味しかった、ありがとう」
「んなもんで良ければ、また作ってやるよ」
他愛のない会話だけれど、いつもより優しい気がした。
心配をかけてしまったのかもしれない。取り乱して電話を掛けてしまったことが少し恥ずかしくなる。
つられ、銀さんからの感情を思い出す。
「銀さんから伝わる感情は、冷たくて気持ちいいような、温かいような。複雑で分かりにくかったけど、綺麗でさ。なんか良かった」
「そりゃどうも」
私の曖昧な説明に、銀さんは口角を一ミリだけ上げて笑う。
「お前のは煩かったよ。寝ても覚めても四六時中流れ込んできやがる」
「その節はご迷惑をおかけし、誠に申し訳ございません」
「けど、まァ……悪くはなかったよ」
謝る私に、着流しから抜いた片腕であたまを掻きながら銀さんは付け加えた。
そうか、そう思ってくれたならば良かった。
「銀さん、好きだ」
「……んだよ、唐突に」
「なんか言いたくなっちゃって」
言葉にしないと伝わらないのなら私は何十回も伝えようと思う。
伝えられる限り、何度でも。
「銀さん、好きだ」
キリが嬉しそうに言った。
思わず右腕に意識を向けてしまう。二日間そこから絶えず流れ込んできた感情は言葉にすると驚くほど短い。
「……んだよ、唐突に」
「なんか言いたくなっちゃって」
キリはそれだけ言うと、少し照れたように笑った。
この後しばらく震え続けるんだろうなと、なんとなく分かった。
「じゃあ、また明日」
「はいよ、おやすみさん」
閉じた扉の向こうから鍵をかける音がした。
何もない右腕がやけに気にかかった。
それが名残惜しさなのだと気づくのには少し時間がかかった。
「さてと、帰りますかね」
独り言への返答はなく、それが寂しいのだと気づくにはもっと時間がかかった。
万事屋へ戻ると、神楽は既に寝ていた。
キリを送る前から眠そうにしていたのだ。
明かりの落ちた静かな万事屋で、銀時は布団に入る。いつもなら、これで一日は終わりだ。
だが、なかなか眠気がこない。
枕元の時計を見る。そろそろ、キリが寝る頃だろう。
「静かだな」
そうつぶやいてしまうほど、時計の音だけがやけに耳についた。
安眠を邪魔されることなく、
そこまで考えて、銀時は掛け布団を頭まで引っ被る。
庇護欲として片付けるには散らかり過ぎた感情をどう処理していいのか分からなかった。
少なくとも、自分が抱く感情は、キリが抱くものとは異なっていた。
冷たいのか温かいのか分からない、複雑な感情だったとキリは言っていた。一方、銀時が二日間浴び続けたキリの感情は、どこまでも温かかった。
あれを『恋』と呼ぶのなら、己の感情は『恋』ではないのだろう。
それに、奔流とも言える感情を銀時は抱ける自信はなく、その推測を補強した。
けれど、『恋ではない』と結論づけるには――自分がキリの感情を欲していることを否定できなかった。
元々、女々しい人間なのだ。手に入ったものを手放すのが惜しくなっただけだろ。そう自嘲してみても、他人から向けられる感情に執着する様は、おしゃぶりを手放せないガキのようだった。
今まで、銀時はキリと同じ感情を自分の内側に探していたが、それを見つけることはできなかった。
違う人間なのだ。違う感情に同じ名前を付けることもあるだろう。
「……これがそうかもしれねぇな」
ひとり零した言葉は、誰に届くこともなく消えた。
「おやすみ」
脳裏に青いブレスレットを思い描く。返事などあるはずもないが、今度こそ銀時は目を閉じた。