玄関先で何かが倒れる物音がした。時計を見たら夜の十一時を指していた。
テレビを消してしばらく様子を確認してみるが、他に何か変わった音はしない。
念のためドアスコープ越しに外を見てみるが、みなれた風景が映るだけだ。鍵を開け、ドアを開けてみる。
「銀さん? どうしたの」
玄関の前、一メートルほど先に銀さんがへたり込んでいた。
位置が低すぎてスコープの視界外になっていたようだ。
つっかけを履いてかけよると、酒の匂い。酔っ払っているのか。
「お前なァ、こんな時間に戸をあけてんじゃねーよ、あぶねーだろ」
「はいはい、それより大丈夫? 転んだ?」
「足がちょっともつれただけだつーの」
そう言って立ち上がろうとして、バランスを崩す。
「危ないって」
慌ててその体をささえるが、ふらふらしていて危なっかしいことこの上ない。
そのまま、帰る方向へ歩き出そうとする銀さんを止める。
「危ないからさ、少し休んでいきなよ」
「あのなぁ、さっきも言ったけど危機感をもっと持ちなさい。男をそう簡単に家にあげるもんじゃねぇーんだって」
「わかった。わかったから。とりあえず、お水一杯だけ飲もう?」
「……一杯だけな。飲んだら帰るからな」
まだ足元の怪しい銀さんの腕を支え、ゆっくり家の中へ入った。
とりあえず銀さんを座らせ、ガラスのコップに水道水を入れて渡す。
ごくごくと喉を鳴らして、一気に半分ほど飲み干した。
コトンとテーブルの上に置かれたコップから、水を入れる時に跳ねた雫が落ちた。
「それにしてもどうしたの? こっち方向で飲むなんて珍しいね」
すぐに帰るとでもいいそうな雰囲気に、話を振ってみる。
近くに飲み屋なんてあっただろうか?
「たまたま……な」
少し言いづらそうな様子に、何かあったのだろうと察する。
大して話は広がらず、銀さんは残りの水を飲み干し立ち上がる。大丈夫だろうか?
「そっか、たまたまか。もう一杯お水飲む?」
「いや、いい。帰るよ」
案の定バランスを崩した。
テーブルに手をついて、体を預けている状態で帰してしまっていいものか悩む。
「泊まっていったら? 客用の布団出すよ」
私としては無難な案だと思ったのだ。夜も遅いし、きっと神楽ちゃんは寝ているだろうし。
この状態の銀さんを送るのは難しそうだ。
「……いや。悪いけど、もう一杯だけ水くれるか。少ししたら帰るよ。つか、男を泊めんなよ」
「まぁ、これが銀さんじゃなかったら流石に私も泊めたりはしないけどさ、銀さんじゃん」
受け取った空のコップに水を汲み手渡しながら伝えると、少し不機嫌そうな顔をされた。
「銀さんだからって大丈夫なわけじゃねぇーの。酒も入ってるし、なんかあったらどうすんだよ」
「まあ、一般論的にはそうかもしれないけどさ。でも、それって役得ってやつなんじゃない?」
チビチビ水を飲む銀さんの前にすわり、テーブルに肘をつく。
「どういう意味だよ」
聞き返され、口にした言葉の意味を改めて考える。言葉にするなら、そう。
「危機感を持つなら銀さんの方にあるべきだと思うんだよ。好意をあからさまにしている人の家に、酒飲んで上がり込んでる状態じゃない?」
まあ、物理的な問題で私が銀さんをどうこうするってのは難しいのだけれども。
「襲っちゃうぞーってか? 鴨がネギしょって、んなこと言ってんじゃねぇーよ。大体、上がり込んでねぇだろう。引っ張り込まれただけだつーの」
「じゃあ、余計危機感持たなきゃ」
「ちげーだろ。何でそんなへらへらしてられんのかしらねぇーけど、本気で危機感持て」
「だって、銀さん相手にそんな……。それにさっきも言ったけど、役得ってやつでさ、そんなことあって困るのは銀さんの方じゃない?」
「んなわけないだろ」
水の残ったコップを少し乱暴に机に置くと、銀さんはこちらを見て怒りを強くする。
怒らせてしまった? 目が幾分座った銀さんは不快そうに眉を寄せていた。
どうしたらよいのか分からず、固まってしまった私を見て、銀さんは顔を伏せた。
「……悪い。でも、やっぱ何かあった時に傷付くのはお前であって、俺じゃねぇよ」
「そうかもしれない。そうじゃないかもしれない。それは銀さんに決めてほしくないな」
また怒るだろうか? そうだったとしても伝えておきたかった。
私の幸せと不幸を銀さんに決めてほしくない。
だけど意に反して、銀さんは頭をかいて困った顔をした。
「てめぇだけの問題で終わらねぇかもしれねぇだろ」
「それは人間関係的な意味で?」
「じゃねぇーよ。この時間から保健体育を講義して欲しいのかお前は」
「あー……確かに? そこまでは考えてなかった。でもやっぱりそうやって考える銀さんが、私に何かをするってのは考えられないじゃない?」
なんだろう非現実的な話過ぎてまったく何も考えていなかった。
確かにそうなのだろうと思うけれど。
「そーいうところだよ。お前は俺が何かしようとしても逃げられないだろ」
「物理的な問題はそうでも、感情の問題の話でしょうこれは」
「お前の感情を俺が無視しないって保証はどこにあんだよ」
「それもそうだけど、銀さんが、銀さんの感情を無視しないって話だよ」
どういう事だと、銀さんは眉間に皺を寄せる。
「銀さんは、自分の気持ちが私と同じか分からないまま、私の好意につけ込むような事はしないじゃない?」
私は銀さんが好きだ。それは何度も伝えているし、疑ってはいないと思う。
それとは別に銀さんは私のことをどう思っているのか決めきれていない。
その状態で、どうするというのだ。その状態で何か起こるのであれば、きっと地球の方が先に滅亡してしまうだろう。
きっと預言者にだってなれる。
「違いはあるさ、だけどそれがお前と同じもんじゃねぇーって誰が証明するんだよ」
「……確かに、誰も証明できないけど」
「だったら、お前には俺がどうするのか分からねぇだろう」
話がズレている気がするが、私と銀さんの感情が同じかを誰も判定できないのであれば、銀さんの感情を担保に保険とするのが間違ってるということだろうか。
でもそれは屁理屈のように聞こえる。
「銀さんは……疑われたいの?」
「誰も、んなこといってねぇだろ」
「そう言ってるように聞こえる。私に銀さんの感情は分からないよ。だけど、それは銀さんが決めるものであって私が決めるものじゃないからだ。同じか分からないと銀さんが定義している状態で、銀さんはそーいうことしないでしょう? それのどこが間違っているっていうのさ」
「全部だよ」
全部か。言葉通りの意味ではないのだろう。苛立ったように銀さんは、残りの水を呷った。
結論を導く前提条件が間違っているのか、それとも出した結論に落とし穴があるのか。
銀さんは何が間違っているからそんなに怒っているのだろう?
「間違っているのは、前提条件? それとも結論?」
「両方」
両方……? 両方????
「あー、坂田銀時様におかれましては、前提条件も間違ってるとおっしゃってるんですね?」
「そうだつってんだろ。なんで急に敬語なんだよ」
やけくそのような言葉の意味が間違いでないのなら……。
「銀さんが私のこと好きっていってるように聞こえる」
「だったらどうだって話なんだよ」
藪をつっついたら、特大の蛇がでてきた。
「いつから……」
「さぁな。けど、確信したのはさっきだよ。てめぇと話してる途中、何にイライラしてんのかって考えたら、そういう結論になった」
酔いの覚めた目で、ひたりと銀さんはこちらを見つめる。
「で、お前の危機感は足りてるのか」
「あー、私が間違っていたのかもしれないです。ごめんなさい」
降参のため両手を上げるしかなかった。
「帰る」
そう銀さんは短く言って立ち上がる。今度はふらつかなかった。
玄関に向かって歩いていく銀さんを追いながら聞いてみる。
「銀さん、泊まってかない?」
「お前はまだそーいうことを。襲うぞ」
「あー、そーいうのなしでさ」
銀さんともう少し喋りたかった。まだ感情の整理ができていないんだと思う。
実感がなく、ただそうなのかという納得感だけが中に浮いていた。
銀さんは足を止め、追いついた私を見下ろす。
「……いや、帰るよ。神楽、心配するだろーしな」
「そうだね。じゃあ玄関まで送るね」
ドアを開け外にでると、冷たい夜気が心地よかった。
「じゃあな」
そう言って歩きだそうとする銀さんの着流しを掴んで引き止める。
「なんだ」
「えっと……なんというか――銀さん、好きです。私とお付き合い頂けないでしょーか」
「今更かよ……。返事は『はい、よろこんで』だ」
頭を二度軽く叩き、銀さんは万事屋の方向へ歩き出す。
それを見送った後、家に戻った私は玄関の鍵を締めたところでへたり込んでしまう。
じわじわと遅れて指先が熱くなる。顔を抑えて深呼吸するが、動悸が止まらない。
今日私はちゃんと寝れるだろうか。