守矢神社での対局は、とても静かな立ち上がりでした。
「ロンだよ。四明刻単騎*1!」
「トイトイのみじゃないですか。はい2000点」
「ロン。
「ピンフですね。はい1000点と1本付け」
絵合わせ麻雀に近い、速度も打点も低い家族麻雀。
和も、最初は遠慮しいしい打っていたものの、あまりにもどかしく、東2局の親番が回ってきたこと、配牌が良かったことも相まってつい本気を出してしまう。
{一二④⑤⑦⑨23578東白発}
ドラ {白}
引 ×{⑥三47⑤④}
打 {⑨東發58⑦白}
{一二三④④⑤⑤⑥23477}
「リーチです」
そして。
「一発ツモ。
パリリ。
麻雀力を乗せたアガリは点棒を払う者に現実のダメージを与える。
その法則にしたがい、和の
「あ! す、すみません」
「いえ。気にしないでいいですよ」
東風谷さんが、ひらひら手を振ります。ほっ。
「それより」東風谷さんは私の晒した手牌を覗き込んで「のどちゃんのこと、ちょっとずつわかってきました」
……のどちゃん?
友達、ゆーきと同じ呼び方です。友達に、なれたのでしょうか?
わくわくしながら東風谷さんを見ると、
「ひっ!?」
なんだかとても恐ろしい、ねばっこい雰囲気の東風谷さん。
でも、一瞬だけ。
「どうしました?」
あざとく首をかしげる東風谷さんからは、恐ろしさなんて感じません。
気のせい、ですよね。
「いえ。
積み棒ボタンを押して、ふたたび
{三四八134578③④⑤中}
ドラ {白}
引 {7⑥北⑦一⑤}
打 {中八1北一6}
{三四34577③④⑤⑤⑥⑦}
「リーチ、です」
ふたたびリーチ。タンピン高目三色。なかなかの好形です。
そして上家の東風谷さんがツモりまして、
「
{裏二二裏}{裏伍伍裏}
「え?」アガリ目があっという間に消されてしまいました。「どうして」
呆然とする和に、早苗はクスクスと可愛らしく笑いかける。
「何を不思議がっているのですか? のどちゃんは誰にでも通じる
「!」
私は瞬間瞬間で最善を尽くし牌を切ってきました。それゆえに、捨て牌が手牌を映してしまったと言うのですか?
和の和了牌はゼロ。なすすべなく巡目は進み。
「ロン。
トゥマンボ!
「ぎゃっ」
落雷のような衝撃。これが東風谷さんのアガリなんですか?
衝撃の強さは、運動量保存則と同じ、mB/mA×VAで決まります。
つまりそのまま
私がアガったときは静電気。東風谷さんがアガった時は落雷。これが意味することとは――
「のどちゃん?」
「!」
気づけば、もう東3局は始まっていて、みなさんの前には配牌が並び、私のだけが2トンずつぽつぽつ残っていました。
あわてて配牌を取り、理牌。
私を待って、親の東風谷さんが牌を捨てました。
諏訪子ちゃん、神奈子さん、そして、私。
私はまた、読まれる最善の打牌を繰り返しました。
反骨心からではありません。
理で考えた打牌をすれば、読まれてしまう。
それは私のココロに、染み入ってしまったから。
理からではありません。
迷彩を施しても、最終的に点数期待値は低くなる。
そう思うには、東風谷さんの読みはカンペキすぎたから。
ただの手癖。惰性で、最善を選びつづけ、
9巡目。牌を切り、
「人はどうあがいても最善を尽くす生き物です。だからこそ、最善だと信じさえすれば、どんなことだってできるんです」
恐ろしい東風谷さんが、手牌を倒す。
「ロン。
もう、私には、最善が、わからない。
東3局1本場。
とうとう、和の手がすくんだ。
迷って、捨てて、また迷って。
ココロを映すように、河には面子がパラパラ零れている。
「迷うことはいいことです。常識を疑えるようになったのですから」
「じょう、しき?」
「はい。常識に従っているときは、迷うことなどありません。迷いが産まれたことこそが、常識を疑えるようになった証拠です」
常識。私がこれまで当たり前だと思っていたこと。
私は麻雀で強くなりたかった。
そのために、効率を重視し、極め、最善を尽くして――
なんのために?
『麻雀?』
『東京の進学校を蹴ってまで続けることがそれか』
『中学で一人、友達ができたんです。高校でも……』
『だからここに残りたい』
『こんな田舎の友達がなんの役に立つ。麻雀だってほぼ運で決まる不毛なゲームだろう。練習して大会なんてバカバカしい』
『では……』
『高校でも全国優勝できたら……ここに残ってもいいでしょうか……』
なんのために、私は麻雀を打っているんでしたっけ?
「存分に迷ってください、と言いたいところですが。トンカツが冷めてしまいますからね」
ぽつり、東風谷さんがつぶやいた。
「ケロ。……これで
「テンパイだ」
……あ。いつのまにか、
「ノーテンです♪」
東風谷さんも同様に。……え?
「ホント、ですか?」
「ホント、ですよ?」
つい口をついた疑いも、軽くあしらわれてしまう。
親である東風谷さんがノーテンだったことで、いえ、絶対ノーテンだと偽ったことで、東4局、オーラスです。
東風谷さんは私から直撃をした分トップ目ではありますが、差は
なぜ、ですか? また、私との対局は軽んじられるのですか?
手に力が入る。握りこんだコブシがまっしろになる。
「大丈夫ですよ、のどちゃん。のどちゃんならわかってくれると信じてます」
「え?」
東風谷さんは、どこからかコーラを取り出し、ぷしゅっとフタを開け一口ラッパ。
「けふ。ここにコーラがあります。コカです。
では、スーパーで安く買うことだけが最善なのでしょうか?
今すぐ飲みたいなら、60円
ノドの渇きを癒すためなら水飲み場も、風流にしたいならお抹茶のサービスもあります。
最善の先、たどり着く理想は人によって違うんです。
それなのに、誰もが自分の理想こそ人類共通だと願いたがります」
「……、……」
ぐうの音も、出ない。
麻雀を打つ以上、目指すはトップ、勝利! と思っていたから。
だから、勝利を譲られ離れ業を決められて、私は言いようのない苛立ちを感じていた。
「あなたには取るに足らないもののために、すべてのすべてを投げ打っているように見えたとしても、その人にとってはそうするしかないほどの重大事だったりするんです」
そして、東風谷さんはほほえんだ。憐みの浮かんだ、ほほえみ。
「でも、のどちゃんはそれを認めるわけにはいきませんでした。"合理的"ではないからです。
全人類が"合理的"でなければ、世界があまりにも混沌としてしまうから」
怖い。
自分の抱いた感情が、その根拠が、東風谷さんの口から理路整然と紡がれる。
私のすべてが、暴かれる。
「あなたは複雑な世界を複雑なまま受け止めることに耐え切れず、シンプルな統一理論を求めました。
誰もが自分と同じ目的を持ち、誰もが自分と同じ価値観であれかし、と」
東風谷さんのライムグリーンの瞳が、まっすぐこちらを射貫いてくる。
ヘビが見える。
神社が見える。
「強さ。勝利。誇り。幸福。物品。賞賛。すべてを手に入れる銀の弾丸はないのです。
最善を尽くし抜いた果てに、本当に欲しかったものはなんですか?」
――気がつけば、和は神社に立っていた。
さっき雨の中で見た守矢神社のお社に似た、大きなお社。そして傍らに、お守りを売る小さな社務所。
お守りにはそれぞれ効能が刺繍されていて、叶えば素敵なものばかり。
でも。
手のひらに乗っていた小銭は1枚きり。
どれかひとつ、選ばなければならない。
私の、願いは。
お守りを手に取った瞬間、意識は麻雀に戻ってきていた。
あれは、マボロシ? それとも。
いえ、そんなこと、もう問題ではありません。
和の手番。ツモって、捨てる。よどみなく。
「私は強ささえあればすべてが手に入る。そう思っていました。だからこそ、手に入るはずのすべてに優先順位をつけないまま、マスターキーである強さにばかり固執していました」
私は私流こそが唯一無二の百点満点だと信じていました。だからこそ、他人と自分の違いが、他人と自分の最善の違いが、他人は非合理で非効率であると捻じ曲がり、じれったく怒っていたんです。
いま、わかりました。
誰もが自分の望みを目指していて、私は望みを見失っていたのだと。
和はツモり、面子ができて、浮いた牌を切り、早苗が「ロン」と牌を倒す。
「またひとつ、学びを得ましたね。この世界では常識に囚われてはいけないんですよ?」
東風谷さんが
けど、もう大丈夫。
『お嬢ちゃん』『和』『のどちゃん』
なにもかもが手に入らないことを知ったうえで、いちばん欲しかったもの、縁結びのお守りはムネのなかにあるのですから。
――大丈夫、とは思いましたが。
「はーい。トンカツですよー」
諏訪子ちゃんの前にはごはん、お味噌汁、トンカツ。
神奈子さんの前にもごはん、お味噌汁、トンカツ。
私の前にはごはん、お味噌汁、だけ。
これは、悲しすぎます。
いえ、いいんです。全部は得られないんです。
「いただきます」とごはんとお味噌汁だけのおゆはんに手を付けようとすると。
「はい」
東風谷さんが缶詰を置いてくれました。
「ハッピーブレイクスルー。常識から解き放たれた記念です」
「あ、ありがとうございます」
「あー! いいないいな! クジラだ! ねーのどちゃん、私のトンカツと交換しようよー! ……せめて1切れ!」
クジラ? 見ると、「鯨の大和煮」とラベルに金文字で書かれていました。
クジラ、初めてです。
パッカンのフタを開け、諏訪子ちゃんに1切れあげてから自分でも一口。
お肉のようにぷるぷるの脂身があるのに、触感はぎゅむぎゅむのおさかな。
常識外の、味がしました。