トリニティの街角並みに、午後の日差しが落ちていた。
meは白い服の裾を整え、石畳の上に立っていた。
少し離れた場所に、一人の少女が立っている。
耳の後ろで低い位置に結ばれた栗色の髪が風で揺れた。頭の左側には小さな白い羽のヘアピンがあり、その頭上には、小さな羽が左右にあしらわれた黄色の二重の光輪が浮かんでいた。
少女はmeの前に歩み寄ると、足を止めた。
彼女は胸の前で両手を合わせ、まぶたを閉じた。
四秒ほど、静けさがあった。
彼女の光輪が小さく明滅していた。
meの視界には全ての未来が開されていた。転ぶ未来も、戸惑う未来も。meはそれらをあらかじめ改変し、彼女が何事もなくmeの元へ至る未来だけを選択した。
全てはmeの全能により固められた既定路線に過ぎない。
まぶたが開いた。透明感のある琥珀色の瞳がmeを見た。
「お待たせしました、先生。行きましょうか」
彼女はそう言った。白セーラー服の胸元にある紺色のリボンを直し、meの右腕に自分の腕を絡めてきた。
彼女は一度meを見上げ、それから安心したように笑うと、おっとりとした歩調のままmeの腕をぎゅっと抱きしめてきた。
肩からはパステルピンク色に塗られたアサルトライフルが下げられている。背中には、大きな黄色い鳥の顔が描かれた重そうなリュックサックを背負っていた。
meは何も言わず、歩き出した。
少女はmeの歩調に合わせて歩いた。黒のソックスと茶色のローファーが、石畳の上で規則正しい音を立てた。
「今日のコラボカフェ、すごく楽しみにしていたんです。整理券が取れて本当に良かったです」
彼女は言った。
meは黙って歩いた。
「ペロロジラ」の黄色い看板が見えてきた。ガラス戸を押して中に入る。
店内には甘いシロップの匂いが漂っていた。黄色い鳥のキャラクターのぬいぐるみやポスターが、壁一面に飾られている。
店員に案内され、窓際のテーブル席についた。
彼女は背中の大きなリュックを下ろし、隣の椅子に置いた。スカートの裾を手で押さえながら腰を下ろす。
meも向かいの席に座った。
「何にしますか? 私はこの特製パンケーキと、スペシャルドリンクにします」
彼女はテーブルの上のメニュー表を広げ、指で示した。
meはメニューの写真を一箇所だけ指差し、店員に見せた。彼女と同じドリンクだった。
「あ、お揃いですね。先生と一緒に限定メニューが頼めるなんて、すごく嬉しいです」
彼女は目元を緩め、少し声を弾ませて言った。
注文を終えると、彼女は両手をテーブルの上で重ねた。
「こうして先生と二人で出かけるのは、少し久しぶりですね。シャーレのお仕事、いつもお疲れ様です」
meは返事をしなかった。ただ彼女を見た。
間もなく、注文した品が運ばれてきた。
丸いパンケーキの上には、黄色いクリームで鳥の顔が描かれている。青いサイダーの上には、鳥の形をしたアイスクリームが浮いていた。
「すごいです。写真通りですね」
彼女はスマートフォンを取り出し、画面を覗き込みながらパンケーキの写真を二枚撮った。それからすぐに画面を消し、鞄に仕舞った。
「冷めないうちに食べましょう。先生、どうぞ」
彼女はナイフとフォークを使い、パンケーキの端を小さく切り分けた。クリームを少しつけ、フォークをmeの口元へ差し出した。
「はい」
meは口を開け、それを食べた。
口の中に、甘いカスタードクリームと温かい生地の味が広がった。
彼女がフォークを滑らせる未来が見えた。meはその未来を全能で叩き潰し、手元が狂わぬ未来へと書き換えた。meから生まれたこの無垢な魂を、手元で愛で、災いから護り育むことこそが王たるmeの望みであった。
「……美味しいですか?」
meは一度だけ首を縦に振った。
「ふふ、良かったです。先生のお口に合って」
彼女は胸元に小さく手を当て、ホッとしたように息を吐いた。
自分も小さく切った生地を口に運び、ゆっくりと噛んだ。
サイダーの泡がグラスの底から上っていき、プチプチと小さな音を立てて弾けた。
「あの、先生」
彼女はグラスのストローに手を伸ばさず、手元を見つめたまま言った。
「私、時々思います。私みたいな普通の生徒が、こうして先生と一緒にカフェに来たりできるのって、なんだか不思議だなって」
meは黙って彼女を見ていた。
「特別強い力があるわけでもないですし、何かすごいことができるわけでもありません。ただペロロ様が好きで、毎日学校に通っているだけの普通の生徒です」
彼女は顔を上げ、meの目を見た。
「でも、私にとって先生と一緒に過ごす時間は、すごく大切なんです。……本当に、それだけなんですけれど」
彼女は言い終えると、少しだけ口元を緩めた。
meは胸のポケットから、白いハンカチを取り出した。テーブルを挟んで手を伸ばし、彼女の口元に付いていた小さなクリームの跡を拭った。
彼女の頭上の光輪を見つめた。どれほど自らを普通と称しようと、その命も幸福もmeの支配下にある。彼女の魂はいずれmeの元へと還る。それまでの間、このささやかな歩みを全能をもって保証してやるだけだった。
「あ……」
彼女は瞬きをした。
meはハンカチを引き、ポケットに戻した。
「……ありがとうございます、先生」
彼女は言った。
それから彼女はストローを口に含み、青いサイダーを一口飲んだ。氷がカランと音を立てた。
「美味しかったです。ごちそうさまでした」
彼女は伝票を手に取り、席を立った。
meも立ち上がり、白い服の皺を伸ばした。
会計を済ませて店の外に出ると、外の空気は少し冷たくなっていた。日差しは橙色に変わり、街路樹の影が長く伸びていた。
彼女は背中に大きなリュックを背負い直し、肩のピンクの銃の位置を調整した。それから再び、meの右腕に腕を絡めてきた。
「少し遠回りして帰りませんか? ……先生と歩くこの時間が、もう少しだけ続けばいいなって」
彼女はmeの服の袖を小さく引っ張り、少し首をかしげて見上げてきた。
meは何も言わず、そのまま歩き出した。
二人の影が、橙色の石畳の上に並んで伸びていた。
彼女の頭上の光輪が、夕暮れの光の中で静かに黄色く光っていた。
夕空の下、石畳の小道は静もり返っていた。
彼女はmeの右腕に絡めていた手をそっと解き、指先をすべらせてmeの左手を握った。指と指を深く重ね合わせ、少しだけ先へと進む。
「こっちです、先生」
彼女は振り返った。
背中の大きな黄色い鳥の顔が、西日を受けて淡く輝いている。頭上の光輪は一定のリズムで明滅を繰り返していた。
彼女の足取りはおっとりとしていたが、握られた手のひらにはたしかな熱と強さがあった。
「見えますか? あそこの夕焼け、すごく綺麗です」
彼女は足を止め、空を指差した。つないだ手は繋がれたままだった。
meは空を見なかった。彼女の手の温もりと、広がる未来の全貌だけを視ていた。
彼女が手を離しどこかへ去るような分岐など、始めから存在しなかった。すべてはmeの視界の内で完結している。
「行きましょう。シャーレまで、もう少しです」
彼女は満足そうに微笑むと、再び歩き出した。
meも彼女の隣に並び、歩調を合わせた。彼女の小さな手のひらから伝わる体温が、meの白い袖口を静かに揺らしていた。
石畳の上に落ちる影の輪郭が、ゆっくりと滲んでいく。
ふたつの影は隙間なく重なり合い、夕闇の彼方へと静かに伸びていた。