神社へと続く石段の途中、木造の古い茶屋があった。朱色の毛氈が敷かれたベンチに一人の少女が座っている。
青みがかったグレーのボブカットの前髪から、マゼンタ色の瞳が覗く。その瞳にはぐるぐるとした渦巻き模様が刻まれていた。黒を基調としたノースリーブの着物の胸元には白いダイヤの模様があり、ルーズに着崩した羽織の隙間から華奢な肩が見える。短すぎる袴の裾からは包帯の巻かれた脚が伸び、頭上には紅色の一つの輪と三つの火魂が漂っていた。ベンチの脇には身の丈を超える白黒の火縄銃が立て掛け、一本歯の天狗下駄の先端でトントンと石畳を叩いている。
meは石段を登りきり、足を止めた。纏う白いコートの裾が静かに揺れる。
「おやおや……お越しくださいましたか、連邦生徒会の『先生』様」
少女――シュロは手にした折りたたみ扇子をパチンと閉じ、胸元で構えた。口元に薄い笑みを浮かべ、慇懃に首を傾げてみせる。「お呼び出しに応じるなど、まことにお優しく、そして愚かなお方でございますね。コクリコ様も仰っておりましたよ。何にでも首を突っ込む無謀者か、ただの偽善者であるかと」
meは無言のまま、静かに彼女を見つめる。シュロの眉が小さく跳ねた。扇子を握る指先に力が入る。「……相変わらず、気味の悪い眼。手前を惑わせるつもりでしょうか。ですが、手前の紡ぐ物語の前では、どのような強がりも無意味でございますよ」
シュロはベンチから跳ね起き、脇の火縄銃を掴み、一本歯の下駄を鳴らしながら石段を下り始めた。
門前町へと向かう細い路地へ。meは二歩後ろについて歩く。
「ねえ、どうしていつもそのような真っ白な衣を纏っておられるのですか?」
路地を進みながら、シュロが振り返らずに言った。「汚れが目立ちますのに。それとも、どんな泥にも染まらないとお誇りになりたいのでしょうか。ナグサたちの前で見せたように、希望や絆といった甘い戯言で幼子を惑わすのが、手前の役割とお考えで?」
芝居がかった声とは裏腹に、脇に回した手は火縄銃の帯を強く握りしめていた。爪の先が白く変色している。
meは足取りを変えずに、その背中を視線で射抜いた。
シュロは突然立ち止まり、振り向いた。渦巻きの瞳がこちらの顔を捉える。「百花繚乱は崩れかけておりました。手前がほんの少し『言葉』を添えただけで、易々と裂けたのです。手前様が繋ぎ止めたとお思いの品は、水に濡れた紙細工に過ぎません。手前様ご自身、それがよくお分かりのはずでございます」
胸元から一枚の古い紙片を取り出す。墨で文字が殴り書きされたお札。頭上の火魂が激しく揺れ、周囲の街鳴りが遠のいた。路地の空気全体が、水底のように重く沈んでいく。
「これより紡がれるは、手前どもの『百物語』……手前様の正体を、暴いてさしあげましょう。何に怯え、何に折れるのか。コクリコ様の物語の、上質な糧となっていただきます」
シュロがお札を掲げると、粘り気のある気配が周囲を覆う。
meは一歩、前に踏み出した。
シュロの指先が止まる。お札を掲げた腕が微かに震え始めていた。「なぜ……? どうして何も起きないのですか……!? 人の心とは、なんと脆く、儚いものでしょうか……手前様には、失うのが恐しいものなど何ひとつないとでも……!?」
額に汗の粒が浮かび、頬の粘着ガーゼが不自然に引きつる。「やめてください……っ! その目……何なんですか! 手前のすることなんて、最初から全部お見通しだと言いたげなその顔は……!!」
お札を地面に叩きつけ、小脇に抱える火縄銃の柄に手をかけた。持ち手に巻きつけられた包帯が擦れる乾いた音が響く。「手前は箭吹シュロ……! 花鳥風月部の語り部で、百花繚乱を追い詰めた演出家なんだよ!! 手前みたいな大人の偽善者に、見下される筋合いなんてねえんだよ!!」
銃身を引き抜こうと腕を引く。シュロのギザギザとした鋭い歯が剥き出しになった。その金属が正面へ滑り出る直前、meの手がすっと伸び、持ち手の包帯の上に静かに重ねられた。「……っ!?」
シュロの動作が完全に凍りつく。meは銃身の上に手を置いたまま、圧倒的な静寂とともに彼女の目を見つめ返した。
「手前……っ! 何を……何を黙って見つめてやがるんだ……! 気持ち悪いんだよ……偽善者が……っ!」
声は震えていた。銃から手を離し、後ずさろうとする。
meはすっと姿勢を正したまま一歩踏み込み、正面に立ち塞がった。手を触れることもなく、ただそこに立ち続ける。それだけで、シュロの威勢も策謀もすべてが無力化されていく。
頭上の三つの火魂が小さく揺れて消えそうになっていた。シュロは渦巻きの瞳を潤ませ、ギザ歯を噛み締めながら、meの胸元を睨みつける。「嫌いだ……手前なんて……大嫌いなんだからな……っ」
拒絶と虚勢の言葉を吐き捨てながらも、シュロの脚はそれ以上後ろへ引き下がれない。圧倒的な存在感で包み込むmeの前で、地面を固く踏みしめたまま佇んでいた。
静まり返った路地に、木々を揺らす風の音だけが微かに立ち上る。シュロの浅い呼吸が、乾いた空気を細かく震わせていた。握りしめられたままの小さな拳は血の気が引き、白い包帯の合間から覗く肌が痛々しいほど硬直している。「なんなんだよ……なんなんだよ、お前は……っ!」
喉の奥から絞り出すような声。先ほどまでの芝居がかった慇懃さも、怪談師としての尊大な企みも、どこにも残っていない。ただ、思い通りにならない現実と、目の前の圧倒的な大人という存在に対する純粋な困惑と恐怖だけがそこにあった。
「手前が……手前がどれだけ時間をかけて仕込んだと思ってんだ……! 百花繚乱の連中だって、コクリコ様の言った通りにみんなバラバラになったんだぞ……!? 人の絆なんて、心の隙間なんて、ちょっとつつけば簡単に壊れる泥の城なんだ……っ!」
シュロは必死に声を張り上げ、自分自身に言い聞かせるように言葉を足す。だが、その声が響けば響くほど、meとの間に横たわる決定的な格差が浮き彫りになる。
meは微動だにせず、ただ真っ直ぐに彼女を見つめ続けている。彼女という存在のすべてをそのまま受け止める眼差し。シュロにとって、それこそが最も耐えがたいものだった。言葉の毒も、恐怖の物語も、この眼差しの前ではすべて虚空に消えていく。
「やめろ……そんな目で手前を見るな……っ! 哀れむな! 導こうとするな! 手前は子供じゃない……っ! コクリコ様の忠実な語り部なんだ……!!」
下駄の歯が不意に滑り、シュロの体が小さく体勢を崩した。その拍子に肩の羽織が大きく肌から滑り落ちる。濃いグレーの裏地にある鮮やかな赤が路地に広がり、華奢な肩が夕闇の冷気に晒された。
しかし、シュロはそれすら直そうとしない。ただ、胸元のお札の破片を強く握りしめ、ボブカットの間からマゼンタ色の渦巻き模様を必死にmeへ向け続ける「分かったような顔をするな……っ! 手前様がどれだけ取り繕おうと、手前には分かってるんだ……手前様だっていつか折れる……! 誰かを守りきれなくて、信じたものに裏切られて、絶望して、泥の中に転がり落ちるんだ……!」
絶叫する彼女の語調は、どこか助けを求める悲鳴のようにも聞こえた。
meは静かに膝を折り、シュロの目線よりもさらに低い位置まで姿勢を落とした。
何も言わない。言葉を重ねることは、今の彼女をさらに追い詰めるだけだと分かっていた。
ただ、ポケットから真っ白なハンカチを取り出し、彼女の手元へ差し出す。お札の破片を握りしめすぎて、爪が皮膚に食い込み、ほんの少し滲んだ血を拭うために。シュロの瞳が大きく見開かれた。「っ……!」
差し出された布切れと、meの顔を交互に見つめる。
怒り、拒絶、屈辱、そして言葉にならない混乱が彼女の顔をぐるぐると駆け巡る。手を出して奪い取ることも、払いのけることもできず、ただ差し出された白の前で途方に暮れていた。
「ふざけるな……っ」
消え入るような声だった。「そんなもので……手前のつけた傷が消えると思うな……っ」
シュロはハンカチから弾かれたように視線を逸らすと、滑り落ちた羽織を乱暴に引っ張り上げ、肩を震わせながら背を向けた。一本歯の下駄が、乾いた音を立てて路地を打つ。一度も振り返ることなく、シュロは地面の火縄銃を掴み、薄暗い鳥居の向こうへと駆け出していった。両手で抱えて直した巨大な火縄銃が、その小さな体を揺らすたびに重々しく揺れていた。
路地に残されたのは、地面に落ちたお札の破片と、静かに佇むmeの影だけだった。
meは立ち上がり、コートについた埃を軽く払う。遠ざかる下駄の音を聞き送りながら、静かに息を吐き出した。
夕闇が路地の端から沈み込み、門前町の街灯がぽつりぽつりと灯り始める。白く乾いたハンカチをポケットへと収め、meはゆっくりと歩みを進めた。
踏みしめた地面には、シュロが残していった小さな足跡と、彼女の足首から解け落ちた包帯の端切れがひとつ、風に揺れていた。
それは冷酷な語り部が、ほんの少しだけその剥き出しの素顔を置き去りにしていった証でもあった。
meはそれを拾い上げることもなく、ただ一瞬だけ視線を落とし、闇の深まる参道へと背を向けた。
世界はまだ彼女の描く悲劇の途中にあり、大人であるmeもまた、その結末を急ぐつもりはない。ただ静かに未来を見据え、歩幅を崩さずに進むだけだった。