THE IMPERIAL SAVING   作:夏目陽光

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回想メモリアル【アイン/ソフ/オウル】

冬の風が高層ビルの谷間を吹き抜けていく。コンクリートの街はどこまでも灰色だった。

 

寒気の底に沈むD.U.地区のストリートを、meは一定の歩調で進んでいた。白を基調とした、いつものシャーレの清潔な衣服の裾が、冷たいアスファルトをかすめるように揺れる。平日の昼下がり特有の、切り離されたような静寂が横たわっていた。冬の乾いた風が建物の隙間を抜けるたび、無機質なビルの壁面がかすかに、寂しげに鳴る。その冷徹な都市の景観のなかを、meはただ歩いていた。

meの視界は、常人に許された平面的で静止した現在ではない。常に無数の異なる未来の光景が、薄い硝子を重ね合わせたように幾重にも重なり、明滅している。これから彼女たちが足を踏み出す一歩のブレから、この学園都市がやがて迎えるであろう凄惨な闘争の行く末、すべてが消え失せた後に訪れる絶対的な静寂に至るまで、あらゆる可能性の砂粒がmeの眼のなかに配置されていた。未来を視通すということは、それを意のままに支配し、変革することと同義だ。どのような破滅がその砂粒のなかに混ざっていようとも、meがそのすべてを自らの意志で書き換えればいいだけの話だった。それが、この地で「先生」と呼ばれる役目を引き受けた大人の、絶対的な権利であり統治の形だった。

 

しかし、その完璧な演算の地平に、極めて生々しい物理的な質量が同時に突き刺さる。

 

「……ずるい。アイン、オウル。二人とも、さっきから先生の境界線に侵入しすぎ。ソフはこれ以上、大人しく順番を待つ気なんてないよ」

 

左側から、湿った低い声がmeの鼓膜を打った。ソフだった。アインと同じ色をした白髪のショートヘアが風に煽られ、長い前髪の隙間から、見えている右の黄色い瞳が覗く。その黒い「×」の瞳孔を鋭く細め、meを値踏みするように、また同時に烈しく縋り付くように見つめていた。ガスマスクを付けていない彼女の素顔には、ドロリとした濃密な情念が浮かんでいる。露出度の高い白いインナーから覗く細い肩をmeの脇腹に容赦なく押し付け、彼女はmeの左腕を自身の両腕でへし折らんばかりの力で抱きかかえていた。皮膚の奥で、生体模倣された内蔵サーボモーターが微かに駆動し、人間を遥かに超えた一定のトルクを発生させているのが衣服越しに伝わる。生身の感触を模しながらも、どこか冷たく硬い、骨格を成す金属の歪な硬度。

 

「不当な占有、および排他的な行動を検知。即座の解放を要求する。先生の右側は、アインの論理回路において既に確保された領域」

 

右側からは、硬質な金属の音がアスファルトを激しく叩いた。アインだった。肩までの長さの白髪を後ろで小さなツインテールに結んだ頭を低く構え、顔の下半分を完全に覆う黒いガスマスクのフィルターからプシューと鋭い排気音を漏らしている。背中から伸びたメカニカルな尻尾が、焦燥を示すように不規則にのたうち回り、その先端がmeのシャーレの服の裾を強引に巻き取って引っ張った。機械的な形状をした彼女の手指が、meの右の手首を正確にロックする。油圧シリンダーが摩擦音もなく収縮し、冷徹な把持力を発揮していた。足先に視線を落とせば、人間のものではない「蹄」の形をした先端が、地面を刻むように冷たく鳴っていた。彼女の黄色い瞳が明滅する。左目の瞳孔には一つの「×」が、それから右目には二つの「×」が並んで刻まれている特殊なオッドアイが、meという存在のすべてを記録しようと固定されていた。

 

「二人とも、先生が困惑されています。いいえ、訂正。困惑しているのはオウルです。先生、オウルの中に蓄積されたお出かけデートの行動心理データによれば、このようなストリートでの過度な密着は、個体間の独占欲の渋滞を引き起こします。つまり――オウルも同時にその処理に介入します」

 

オウルはそう言うと、アインとソフが作り出した僅かな隙間を正確に縫うようにして、meの正面からその胸元へと飛び込んできた。足首の露出した球体関節パーツの隙間でクリアランスが微かに擦れ、キュッと鳴り、彼女の顔の黒い帯がmeの顎に軽く当たる。前髪を切り揃えた、ボリュームのあるロングヘアがmeの視界を一時的に遮った。

 

meの全知の領域は、一瞬にして三人の少女たちの不完全な肉体と、機械の駆動音と、真鍮の匂いによって完全に埋め尽くされた。未来を見通す王としての余裕など、彼女たちが一斉にぶつけてくる容赦のない感情の摩擦の前には何の盾にもならない。誰一人として引く気のない三つ巴の渋滞。meは言葉を発することなく、ただ彼女たちの不器用な熱量に圧されながら、オウルが視線で指し示した小さなテラス席のあるカフェへと、引きずられるようにして足を進めるしかなかった。それすらも、meが選び取った無数の未来の一つに過ぎない。

 

灰色の通りに面したテラス席の四角いテーブルを囲んでも、彼女たちの火花が収まることはなかった。テーブルに運ばれてきたのは、白い生クリームがこれでもかと盛り付けられた厚手のパンケーキと、白磁のカップに注がれた、湯気を立てる熱い紅茶だった。

 

オウルは人形のような細い指先で慎重にフォークを握り、パンケーキを小さく切り分けた。彼女はそれにクリームを付着させると、瞬きを完全に忘れたかのような三つの黄色い瞳でmeを見つめ、その唇の前へと真っ直ぐに突き出した。足首の不自然に丸い球体関節が微かに回転し、カチカチという規則的な微動音が、その不自然なほど静止した腕から冷たく響く。

 

「先生、どうぞ。これは親愛を示すための最も一般的なプロトコルです。先生の口にこれが収まることで、オウルの中の演算エラーが、静かに解消されます。さあ、あーんです」

 

meがそのフォークを受け入れようとした瞬間、カツン、と激しい蹄の音がテーブルの脚を叩いた。アインが身を乗り出す。

 

「不公平です、オウル。先生、アインも同様の処理を要求します。この兵装を維持することはアインの戦闘論理において必須ですが、先生が直接、アインに触れてくれるのであれば、例外的なラッチの開放を認めます。アインのマスクを外してください。そして、アインにも不純物のないエネルギーを供給してください。アインの計算によれば、今がその最適なタイミングです」

 

アインは目を固く瞑り、横顔にあるマスクの固定レバーをmeの方へと突き出してきた。背中のメカニカルな尻尾が椅子の背もたれに激しく打ち付けられ、乾燥した金属音が周囲に響く。

 

「二人とも、本当に浅ましい」

 

ソフが、机の下からmeの脚に自身の細い脚を容赦なく絡みつけながら、低い声で二人を遮った。彼女はフォークの上のパンケーキなど一瞥もせず、爪を木製のテーブルにガリガリと立てながら、長い前髪の隙間から覗く黄色い『×』の瞳孔で、ドロリとした熱を放ってmeを射抜いていた。露出した白いインナーの隙間から、彼女の不規則な呼吸が伝わってくる。彼女の表皮の下、論理コプロセッサの急激な発熱により、冷却システムからかすかな排熱の乱気流が生じていた。

 

「そんな温いもので満足できるなんて、羨ましいよ。先生……ソフはそんな甘いもの、欲しくない。先生の『眼』が、ソフだけの絶望と、ソフだけの救いを見ていてくれればそれでいい。先生がソフをいつか捨てる未来があるなら、今ここでソフの全機能を停止させて。先生の手で、ソフのコアを握り潰してよ……! 先生に壊されるなら、ソフはそれが一番いい」

 

三人の視線、言葉、および歪な駆動音が一瞬にしてテーブルの上で衝突し、狭いテラス席に重苦しい沈滅の渦を作った。

 

その瞬間、meの全知の眼が、脳裏に一つの未来をあまりにも鮮明に映し出した。それは、meの余裕に満ちた統治の果てにある、彼女たちの完全な崩壊の光景だった。アインのマスクが砕け散り、ソフの白いインナーが赤く染まり、オウルの足首の球体関節が断裂してバラバラになって転がる、世界の終焉と同期した凄惨な拒絶の未来。

 

だが、meはその未来の砂粒を視て、ただ静かにその運命をねじ伏せるための意志を固めた。

 

すべてを見通せるからこそ、meはその破滅の未来のすべてを、今この瞬間の行動によって踏み潰し、改変する。指先が微かに動く。それは恐怖による震えではなく、全能の王として、彼女たちの先生として、運命の歯車を強制的に望む形へと噛み合わせるための絶対的な力の顕現だった。彼女たちがどれほど歪な絶望を内包していようとも、meがそのすべてを自らの掌の上で統治し、都合のいい愛おしい現在へと書き換えてみせる。

 

meの、彼女たちに対する態度は貴人が賤者を視るの態度ではない。賢者が愚者を見るの態度でもない。君子の小人を視るの態度でもない。男が女を視、女が男を視るの態度でもない。つまり、すべてを視通す絶対の王でありながらも、不完全な魂に大人の責任を果たす者が、小供を視るの態度である。両親が児童に対するの態度である。世人はそう思うておるまい。目の前でエラーコードを吐き出しながらmeの体温を求めるアイン、ソフ、オウル自身もそう思うておるまい。しかし解剖すれば、meの全知の支配はついにここに帰着してしまう。

 

meは一切の言葉を発せず、ただ確実な足取りで手を伸ばした。

 

まず、アインのマスクの固定レバーを、彼女の計算を狂わせるほどの速度で強引に押し下げた。プシューという鋭い排気音とともに黒いマスクが下がり、露わになった彼女の小さな唇へ、スプーンですくった熱い紅茶を注ぎ込むように運んだ。アインは驚いたように小さな舌でそれを受け止め、喉を鳴らした瞬間、彼女の左右で異なる「×」の瞳孔が過電流のように激しく明滅した。カチャリとマスクが自動で跳ね上がり、彼女は蹄の足を激しく鳴らして、meの二の腕に金属の骨格が軋むほどの力でしがみついた。

 

「先生……! あ、アインの演算、限界、過熱、を検知……! 先生の供給が、多すぎます……!」

 

meはアインのシリンダーから漏れる熱を肌で感じながら、彼女の手首を優しく握り直し、その小さな抵抗をmeの右腕に馴染ませるように時間をかけて抱き寄せた。

同時に、meは空いた左手でソフの細い肩を掴み、引きちぎらんばかりの力で我が胸へと引き寄せた。彼女の生々しい、呪いのような執着のすべてを、meの衣服の中に完全に叩き込む。ソフは短い悲鳴のような息を漏らし、meの激しい抱擁に目を見開いたが、すぐに歓喜に満ちた表情を浮かべ、meの背中に機械のような力で爪を立てて強く握り締めた。

 

「先生、先生……! いいよ、もっと強く、ソフを壊すくらいに抱きしめて……! 先生の心臓の音が、ソフのすべてを塗りつぶしていく……!」

 

meはソフの細い背中を手のひらで大きく覆い、彼女の体内に響くファンの細かな振動を一つずつ検知するように、ゆっくりと胸の中に閉じ込めた。二人の境界線が完全に融解するまで、meはその硬度を強く抱きしめ続けた。

 

ベースにある冷徹な機械としての挙動を置き去りにするように、彼女たちの部品が熱を帯びていく。その剥き出しのパーツは、どれほど重い感情を注がれても歪むことのない冷徹な質感を有しながら、今はmeに触れられることで過熱していた。そしてmeは、正面で待っていたオウルのフォークを、彼女の手ごと掴んでパンケーキを強引に口へと含んだ。濃厚な甘さが広がる。オウルは自分の手がmeの唇に触れた衝撃で、不器用な球体関節の接合部から伝わる硬い振動をmeの手のひらへと直に伝え、顔の黒い帯を大きく揺らしながら、膝の上でスカートの布地をきゅっと握り締めた。その不器用な関節のきしみが、彼女のなかに渦巻く、言葉にならない焦燥と情念の正体だった。meは彼女の金属的な手首を離さず、指先を絡め、その硬い球体関節の輪郭を指の腹で何度もなぞって、その微振動を静かに宥めた。

 

全知であるはずのmeの領域は、完全に彼女たちの不完全な体温と駆動音によって凌駕され、同時に満たされていた。未来を視通し改変する眼は、いまや目の前の三人の狂おしいほどの存在感によって遮られ、この狭いテラス席の光景だけに固定されている。彼女たちはカラッとした無機質な言葉を使いながらも、その実、底のない重い情念をmeへと注ぎ込み続けているのだ。それを受け止めるのは、王であり先生であるmeにしか許されない特権だった。

 

風は依然として冷たく、D.U.地区の高層ビル群は灰色の空の下で静かに佇んでいる。この世界には理不尽や残酷さが満ち溢れており、彼女たちの存在そのものも、その歪な構造の一部に過ぎない。

 

だが、meの腕の中で、互いに牽制し合いながらエラーを吐き散らすこの不完全な少女たちの営みは、その無機質な世界の冷徹さの中で、確かに存在していた。

 

世界は美しくなどない。そしてそれ故に、美しい。

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