春日ツバキの予想通り、この湖畔にはちょうど昼過ぎに辿り着いた。
地図の余白に記されていたその湖は、百鬼夜行の深部に深く潜んでいる。風が杉の巨木を揺らし、濡れた腐葉土と濃密な水生植物の匂いが空気を重く湿らせていた。波紋の生じない水面は、木漏れ日を反射することなく、冷たい鏡面としてただそこに停滞している。
meは水際にある、平らで冷たい岩の上に腰を下ろしている。前面にシャーレの紋章が入った白い海水パンツを一着だけ身につけた裸身。固い岩肌から伝わる冷気が直接皮膚を叩く。
meの視界には、時間と言う概念はなく、無数の分岐の道として開かれている。現在という一点から無限に伸びる未来の樹形図。誰がどの石を踏み、どの角度で呼吸をし、どのような言葉を口にするのか。それらは最初からmeの前に開かれた盤面上に露出しており、指先で一つ駒を弾くだけで、あらゆる事象の収束点は容易に書き換わる。世界は選択され、配置されるのを待つだけの決定事項の集積に過ぎない。
だが、この絶対的な全能の領域においてなお、meの計算回路の隙間にぬるりと割り込み、思考の速度を鈍らせるものがある。彼女たちの圧倒的な肉体の質量と、生々しく発せられる肌の熱量だ。
「先生! 見てくださいです! 水が冷たくってすっごく気持ちいいですよ〜! えっへん、これならどれだけ厳しい修行でも平気です!」
浅瀬の水面をバシャバシャと激しく蹴立てながら、一直線に駆け寄ってくる足音。勇美カエデ。彼女の一歩ごとの踏み込み、足元の濡れた泥に滑って左斜め前方へ倒れ込むはずだった絶望的な未来の軌道。meはその転倒の分岐をあらかじめ手繰り寄せ、握り潰すように消去した。代わりに手繰り寄せたのは、彼女が滑ることなくmeの左半身へと飛び込んでくる経路だ。
次の瞬間、水飛沫とともに小さな身体がmeの左腕へと激突した。変形千早風の白無地のチューブトップは、湖の水を含んで透け、幼い皮膚にぴったりと吸い付いている。腕を大きく上げたことで完全に露出した無防備な脇のライン。そこから胸の横へと流れる、体型にそぐわないほどの豊満な丸み。朱色のローライズショーツの脇から伸びる紅白の組み紐が、激しい動きに伴って柔らかい腰の肉に喰い込んでいた。頭上で桜と勾玉の光輪がくるくると回転し、濡れたタヌキ耳がピコピコと跳ねる。
「えへん! わたしが一番乗りです! 今日の修行は『湖での精神統一』って聞いてましたけど……ふふん、本当はわたしと遊びたかったんですよね! 先生ったら照れ屋さんです! わたしがしっかりお付き合いしてあげますから、覚悟してくださいね!」
勢いに任せて、彼女は両腕でmeの左腕を強く抱きしめてきた。背伸びをしたい年頃の少女が見せる、やんちゃさと無知ゆえの鋭利な色気。白布越しにダイレクトに伝わる柔らかいバストの弾力と、ぐんぐんと上昇していく彼女の体温。計算速度の遥か上をいく勢いで皮膚に押し付けられる密着感に、meの思考回路が一瞬だけ眩暈のような引っかかりを起こす。
「カエデちゃん。あまり騒ぐと先生の迷惑になりますよ。ふふ、でも……自然の気を取り込むのは、修行部として非常に正しい行いですね」
砂利を踏むしとやかな足音。左側の髪に結ばれた赤いリボンと、二つの金の鈴がチリンと繊細な音を立てた。水羽ミモリ。たすき掛けに結ばれた白布のホルターネック。濡れて背中と脇にべったりと張り付いた薄桃色の透かし羽織から、彼女のしなやかな体の線が鮮明に浮かび上がっている。濃紺のサイドオープンショーツから伸びる引き締まった太ももの脇で、紫と白の組み紐が優雅に揺れていた。
彼女は手にしていたバッグから竹筒を取り出すと、木製の盃にトクトクと白い液体を注いだ。
「徹夜でお仕事ではなさそうですが……先生、喉が渇いておられませんか? ふふ、特製の冷やし甘酒を持ってまいりました。どうぞ」
差し出された盃。だが、そこに注がれた甘酒は、彼女が予期していた冷たさを失い、ぬるくなっていた。
「おや……おかしいですね。おばあちゃんの知恵袋通りに冷やしたのですが……少しぬるくなってしまっています……。あ、でも、お口に合わなければ、すぐに作り直しますので……! 次はもっと美味しく作ってみせますから、嫌いにならないでくださいね……?」
涼しげなシアンの瞳が動揺に揺れる。理想の花嫁であろうとして、完璧を求めるがあまりに滑稽な失敗を犯す彼女の可笑しさ。meはその動揺の未来を見通しながらもあえて放置した。失敗に焦り、少し赤くなった頬のままで、ミモリはmeの右側に密着するように腰を下ろした。
「ふふ……先生の隣は、とても落ち着きますね。まるで……本当のお嫁さんになったような気分です。私、もっと修行を重ねて、先生の理想の花嫁になってみせます♪ いつでもお世話させてくださいね」
吐息とともに漂う甘酒の麹の香りと、彼女独特の可憐な桜の匂い。しとやかな大和撫子の体を装いながら、内に秘めた「正妻」としての独占欲を隠そうともせず、肩と太ももをぴったりと押し当ててくる。その吸い付くような肌の湿度が、meの右半身の熱量をじわじわと書き換えていく。
そこへ、ずるずると重い足取りが近づいてきた。
彼女は、meの数歩手前で、歩みを止めると、一度背伸びをして、こちらを見据えた。
「ふあぁ……。ふたりとも……元気だね……むにゃ。水に入ると……冷たくて……余計に眠くなっちゃうよ……」
春日ツバキ。胸元に厳重に巻き付けられたサラシ風のラップビキニ。だがその圧迫をあざ笑うかのように、サラシの上下から溢れ出た肉感が圧倒的な存在感を放っている。股上の浅い漆黒のショーツの上に垂れる白い紙垂と、左腰で結ばれた朱色の極太組み紐。肩からだらしなく脱げかけた真っ白な和風パーカーの隙間から、無防備な背中と脇のラインが全開になっていた。
彼女は、睡魔に抗うのを完全に諦めたように膝の力を抜いた。ぬるりと、重い質量の塊が前方から倒れ込んでくる。彼女の頭部が、ダイレクトにmeの太ももの上に着地した。
「ふあぁ……。先生……ちょっと膝、借りるね……。……うん、やっぱり先生の上が、一番落ち着く……むにゃ。先生の匂い、なんだかすごく安心するんだよね……」
太ももの上でぐぐっと頭を押し付け、位置を微調整するツバキ。その弾力のある豊かな胸部がmeの脚を圧迫し、熱い呼気が太ももの皮膚に直接吹き付けられる。彼女の手が、甘えるようにmeの海水パンツの裾をギュッと握り締めた。黒茶色のタヌキ耳が垂れ下がり、家紋風の光輪の明滅がスローダウンしていく。
「先生の隣にいると……安心して眠れる気がする……。だから……もうちょっとだけ、こうしてていい……? ……すやすや……むにゃ……先生……どこにも、いかないでね……ずっと一緒にいてね……」
完全なる無防備。己の全てを預け切り、世界への警戒をゼロにして眠りへと落ちていく体躯の重み。左腕を無邪気に締め上げるカエデの弾力。右肩にすり寄せられるミモリのしっとりとした体温。膝の上を完全に占有するツバキの、だらしなくも愛おしい質量。
未来の全貌を見通し、あらゆる事象を支配できるはずのmeの計算領域が、彼女たち三人の生々しい熱と体液と皮膚の感触によって、みっちりと塗り潰されていく。
この場所で、世界をどう改変することも可能だ。未来の糸を切り、彼女たちの記憶を操作し、完璧な秩序を再現することなど一瞬でできる。全能であるmeにとって、予期せぬトラブルなど存在するはずがない。
しかし。
カエデの小さな手のひらが掴む腕の強さ。ミモリの肩から伝わる、トク、トクという規則的な心拍。ツバキの規則的な寝息がもたらす、太ももの上の温度上昇。計算式の外側から過剰に供給されるこの過酷なまでの「生」の摩擦。
meはあえて、この不確定で、あまりにも愛おしい熱のノイズを排除しないことを選んだ。視界に無数に漂う未来の分岐の中から、彼女たちがこうしてmeにしがみつき、満たされたまま時間を過ごす一筋の経路を指先で手繰り寄せる。
静寂が湖畔を包み込む。風が止み、波紋が消え、湖面は彼女たちの無防備な姿とmeの体を鏡のように滑らかに映し出し、止まった時間の中に定着した。