部屋には、乾いた紙の匂いがしていた。それから、窓の隙間から這い入る、わずかな鉄の錆びた気配。
meは、ただそこに座っていた。窓の外では、いくつかの学園自治区を結ぶ列車が地平線を細い銀の糸のように這っている。キヴォトスの空は広く、退屈なほどに平穏だった。
かつて数多の命が散り、今もなお銃弾と爆煙が日常の隙間を埋めるこの歪んだ世界。その本質は、人間のエネルギーの浪費と節約の執拗な繰り返しに他ならない。距離を詰め、時間を節約するために機械を造り、その一方で、余った時間を無意味な抗争と消費に充てる。そんな不毛な円環を繰り返す生徒たちの生も、その過程にある些細な悪戯も、すべてはmeが視通し、与えた時間の中で駆動する歯車だった。彼女たちがどれほどこの理不尽な世界で抗おうとも、その未来の分岐はすべて掌の上で、あらかじめ一本のレールへと収束している。それは世界の理を組み替えるに等しい、揺るぎない統治の形だった。
シャーレの支給品である純白のオフィスウェアの袖口を、少しだけ整える。デスクの上のコーヒーはすでに冷めきっており、黒い水面にmeの顔が静かに映っていた。未来を視るということは、砂浜に散らばる無数の砂粒の行方を、あらかじめすべて数え終えているということだ。これからこの部屋の気圧がどう変わり、誰がどのような足音を響かせて現れるか。meの眼にとっては、それらはすでに過去よりも明瞭な事実だった。
ドアが開く三秒前、右腕はすでにデスクの右側の空間へ、左腕は左側の空間へと静かに突き出されていた。
重い防音ドアが乱暴に押し開けられる。
滑り込んできたのは、二つのライトグリーン。ハイランダー鉄道学園の橘ヒカリと橘ノゾミだった。
頭上で明滅する黄緑色のヘイローは、線路や運行ダイヤを模した幾何学的な形をしている。姉のヒカリは左側の突起が、妹のノゾミは右側の突起が塗りつぶされていた。反転した鏡像。ヒカリは眠たげな青い瞳をさらに細めて歩み寄り、ネイビーのジャケットの裾を揺らして白シャツの襟元を指で弾いた。頭頂部から飛び出たアホ毛が微かに震える。
「……ん。やっぱり、お仕事中だった? でも関係ないかな。ヒカリたちのダイヤは、もう先生のところで終着駅って決まってるから」
「ちょっとヒカリ、また勝手に発車オーライにしてる! 先生! ノゾミのこともちゃんと見てよ! ほら、今日は直通特急で会いに来てあげたんだから!」
遅れて踏み込んできたノゾミが、床を白ニーソックスの足で小気味よく鳴らした。赤い瞳が輝く。口元から覗く小さなギザ歯が、執務室の蛍光灯を反射した。二人はデスクを挟み、一歩も動かないmeを左右から包囲するように位置取ろうとした。
しかし、彼女たちがその位置に到達するより早く、左右の掌はすでにそこにあった。
ヒカリが椅子の左側へと滑り込んできた瞬間、その頭部は、あらかじめ静止していた左手のひらの中へと自ら飛び込む形になった。金の装飾が施された車掌帽が、指先によって正確に固定される。
「あ……」
ヒカリが短い吐息を漏らした。パッツンと切り揃えられた前髪が押し潰され、頭頂部のアホ毛ごと、動きが完全に停止する。青い瞳が驚きに丸くなり、すぐに締まりのない笑みへと変わっていった。ツンと尖ったエルフ耳がピクピクと跳ねる。
「ん……先生の手、最初からここにあったみたい……。すごく大きくて、重い……。ヒカリの頭、全部先生のものになっちゃったみたい……。もっと、もっと強く押さえて……」
「ちょっと、ヒカリがそんな顔するの、なんか癪に障る! 先生、ノゾミは? ノゾミのことは放置進行ですか!? ダメだよ、ちゃんと均等に愛してくれないと、ノゾミ、シャーレの設備を全部爆破しちゃうからね!」
ノゾミが叫びながら胸元に頭をぶつけようと突進した。
だが、ノゾミが不満の声を上げるよりも前に、右手はすでに彼女の細い首筋の裏側に配置されていた。ノゾミは自ら五指の間へと後頭部を滑り込ませ、そのまま鷲掴みにされる結果となった。有無を言わせぬ確たる力が、突進の慣性を完全に殺す。ノゾミの小さな身体がびくりと跳ね上がった。
「ひゃうっ!? ……あ、あははっ! 先生、ノゾミが文句言う前から捕まえてた……! 掴み方がすごく強引……! でも、これがいい……。ノゾミの身体、先生に全部捕まっちゃった……!」
ノゾミの車掌帽がズレ、ライトグリーンの長髪が純白の服の上に乱雑に散らばった。赤い瞳には、明らかな焦燥と、それ以上の喜びが満ちている。自らの運行のすべてを強大なる父性に委ね、支配される安堵に浸るように。
デスクの下で、二人の脚が小刻みに絡み合いを始めた。黒タイツの滑らかさと、白ニーソックスのわずかな摩擦。双子はmeという一本の不動の巨木を巡って、互いの肢体を押し付け合い、領土を主張し合う。それは衣服の繊維を摩耗させるだけの、激しいシンメトリーの闘争だった。
「ノゾミ、足が当たって痛い。先生の右側だけで大人しくしてて。これ以上ヒカリの邪魔をするなら、次のダイヤからノゾミの車両、全部各駅停車にするよ」
「うるさいやい! 各駅停車でも何でも、先生のところに一番に着けばノゾミの勝ちだもん! ヒカリこそ、先生に甘えてばっかりで、全然動けてないじゃない!」
「ふふ……動く必要なんてないの。先生が、こうしてヒカリのすべてを止めてくれてるんだから……」
ヒカリは胸元に指先を這わせ、白い布地越しに、ボタンを器用に外し始めた。彼女のマイペースな指先は、meの沈黙を肯定と確信している。ノゾミもそれに負けじと、ネクタイを小さな手でギュッと掴み、自分の側へと引き寄せようとした。
「あ、ずるい! ボタン外すなんて! ノゾミだって、先生のネクタイ、ノゾミのコレクションにしちゃうんだから!」
少女たちの感情の昂ぶりに応じるように、部屋の明かりが彼女たちのヘイローの黄緑色に染まっていく。メカニカルな光輪が、執務室の白い壁に、幾何学的な影を激しく踊らせていた。
二人がさらに密着しようと腰を浮かせた瞬間、両手はすでに彼女たちの衣服の帯を捉えていた。左手は、黒タイツの奥にあるヒカリの引き締まった腰を。右手は、白ニーソックスの上の、わずかに露出したノゾミの柔らかな太ももの肌を。ただ、等しく、同時に、内側へと引き寄せた。
「──っ」
二人の声が重なり、端的に消えた。圧倒的な力で引き絞られた彼女たちの身体は、純白のオフィスウェアに完全に押し潰されるようにして密着する。ヒカリの細い肋骨の感触が左側に、ノゾミの早鐘のような心臓の鼓動が右腕に、ダイレクトに伝わってきた。
「あは……っ、先生、すごい……。ヒカリの骨まで、先生の形に変形しちゃいそう……。でも、気持ちいいな。このまま、先生の腕の中で、運行終了になっても……」
「ひゃんっ!? せ、先生……そんなに強くされたら、ノゾミ、息が……。でも、離さないで! もっと、もっとノゾミの身体を先生のいいようにして…… Genet(ジェネ)……!」
ノゾミの赤い瞳から、じわりと涙が溢れ、白い服に小さなシミを作った。しかし彼女の口元は、嬉しそうにギザ歯を剥き出しにして笑っている。ヒカリもまた、青い瞳を虚空に向けながら、meの体温を貪るようにエルフ耳を首筋に擦り付けていた。彼女たちは、meという支配者の掌の上で、初めて完璧な「双子」として機能していた。互いを憎み、互いを愛し、そのすべてをmeという唯一の存在に捧げることで、彼女たちの運行ダイヤは完成する。
未来は、すでにmeの側で確定している。彼女たちがこのようにmeの身体に溺れ、互いの肢体を絡ませ合い、シャーレの執務室を甘い熱気で満たすことも、すべてはmeがその眼で見届け、許した既定路線だ。我に従う不完全な命たちを、ただ我が慈悲で包み込むという事実があるだけだ。橘ヒカリの青い瞳と黒タイツ。橘ノゾミの赤い瞳と白ニーソックス。二つの色彩は、純白の服の上で激しく混ざり合い、そして一つの絵画へと収束していく。
「ヒカリ、先生の匂い、すごく落ち着くね……」
「ん……。先生の匂いは、世界で一番安全な、駅だから……」
二人は腕の中で、互いの顔を見合わせ、クスクスと満足そうに笑い合った。ライトグリーンの髪が、服の上で交互に絡み合う。
世界はただ、静かに回り続ける。meは二人を抱きしめたまま、その終わりなき列車の旅路を、すべてを見通す眼で見届け続けていた。そこには、それ以外の未来など、最初から一粒たらとも存在しなかった。二人の少女の呼吸音だけが、静かな部屋に規則正しく響いていた。ヒカリの吐き出す息はわずかに冷たく、ノゾミの息はそれに比べていくらか熱を帯びている。それらの温度差すらも、meにとっては予測された計算式の解というだけのことだ。
窓の外では、太陽がゆっくりと傾き始めていた。光の角度が変わり、執務室の床に長い影が伸びる。その影の形状は、机の上に置かれた書類の山と、meの身体、そして左右にしがみつく双子の輪郭を正確に描き出していた。
「ねえ、ヒカリ。先生、全然動かないね。まるで石像みたい」
ノゾミがネクタイを指に巻き付けながら、そう呟いた。ギザ歯が、西日に照らされてオレンジ色に染まる。
「いいの、ノゾミ。先生は動かなくていいの。ヒカリたちが、先生の周りをぐるぐる回る路線になればいいだけだから。先生は、ただそこにいて、ヒカリたちを迎えてくれれば、それでいいんだよ」
ヒカリは胸元にさらに深く顔を埋めた。車掌帽が完全に床に落ち、乾いた音を立てたが、彼女はそれを気に留める様子もなかった。ただ、純白のオフィスウェアの繊維の匂いと、その奥にある確かな体温を確かめるように、何度も呼吸を繰り返している。二人の行動すべてが、この絶対的な存在への依存を証明していた。外の世界のあらゆる不条理や、ハイランダーの窮屈な規則からも、meの掌の中にさえいれば完全に解放されるのだから。彼女たちはただの迷子のように、この純白の檻に自ら進んで閉じ込められていた。
左手は、依然としてヒカリの腰を固定していた。衣服越しに伝わる彼女の体温は、時間が経つにつれて一定の数値へと落ち着いていく。meの眼には、彼女がこの後、どのような言葉を発し、どのような角度で首を傾げるかが、すべて静止画のように視えていた。未来とは、流れる川のようなものではない。すでに完成し、固定された巨大な建造物だ。meはその建造物のすべての部屋を知っており、すべての柱の配置を把握している。双子がどれほど自由に振る舞おうとも、それはその建造物の内部で許された、極めて限定的な移動にすぎない。
「底知れないなぁ、先生は。でも、だからこそノゾミはここから発車したくないんだよね」
ノゾミが少しだけ自嘲気味に笑い、さらに腕に力を込めた。彼女たちの求愛は、どこか神への供物を捧げるような、必死で、張り詰めた熱を帯びる。
「引込線にずっと閉じ込められてるみたい。でも、それって悪くないかも」
「うん……。外の線路はうるさいし、面倒な乗客ばっかりだしね。ここにいれば、先生が全部の信号を赤にして、誰も来られないようにしてくれる」
二人は小さな声で言葉を交わしながら、meの白い服の感触を確かめ合う。その指先は驚くほどに繊細で、どこか怯える子供のようでもあった。
「でもさ、ヒカリ。たまには先生にも、ノゾミたちの名前を呼んでほしいよね。
ほら、ノゾミ! って。それか、ヒカリ! って。どっちを先に呼ぶかで、どっちが優先される列車か決まるのに」
ノゾミが赤い瞳を尖らせて、顔を覗き込んできた。ライトグリーンの前髪が、meの顎のあたりに触れる。
「それはダメだよ、ノゾミ。先生がどちらかを先に呼んだら、その瞬間にダイヤが乱れちゃう。先生は、ヒカリたちの真ん中にいるから、先生なんだよ。平等に、同時に、全部を支配してくれているのが、一番心地いいの」
ヒカリは青い瞳を薄く開け、ノゾミを見つめた。二人のヘイローが、部屋の隅で再び黄緑色の光を放ち、交差する。その光の干渉パターンすらも、meの演算の範囲内だった。右手の指先をわずかに動かした。ノゾミの白ニーソックスの上、露出した太ももの肌を、ただ一定の圧力で圧迫する。
「ひゃっ!? ほら、先生がノゾミの足をぎゅってした! やっぱりノゾミの方が特別なんだ!」
ノゾミが嬉しそうに声を上げた。
「あ、ずるい。先生、ヒカリのことももっと強くして。そうじゃないと、ヒカリ、ここから動けなくなっちゃう。いや、動きたくないだけだけど」
ヒカリが左腕をさらに強く抱きしめる。左手の圧力もまた、右手のそれと完全に同一の数値へと調整した。左右対称の圧力が、二人の少女の身体に同時に加わる。その結果、部屋には再び静寂が戻った。二人はそれ以上の言葉を発することを止め、ただmeから与えられる絶対的な触覚の刺激に身を委ねていた。彼女たちの選択肢は、とうに奪われ、ただmeの愛という運行経路に依存するほかないのだ。
窓の外の列車が、再び遠くで警笛を鳴らした。その音の周波数は、室内の空気の振動と完全に同調し、そして消えていく。すべての事象は、meが視ている通りに進行していた。彼女たちの恋慕も、嫉妬も、執着も、すべては純白の服の上に収束する、決まりきった路線のパーツにすぎない。meはただ、そのすべてを全知の眼で見つめ、静かに受け入れ続けていた。そこには、乱れが生じる余地は最初からどこにもなかった。二人の少女の呼吸音だけが、静かな部屋に規則正しく響いていた。