THE IMPERIAL SAVING   作:夏目陽光

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回想メモリアル【京極サツキ】

街灯の壊れた並木道は、ただ冷たい闇に沈んでいた。

 

剥き出しのアスファルトを踏みしめるmeの足音は、一定の歩調を崩さない。夜の混沌のなかで、meの纏うシャーレの白い制服の輪郭だけが、妙に浮き上がって見えた。カフスの擦れる微かな繊維の音が、夜気に吸い込まれて消える。その真横、半歩下がった位置を歩く少女――京極サツキのロングブーツが、硬い音を立てて硬質な路面を震わせていた。アスファルトの深い割れ目からは、夜目にもそれと分かる奇妙な形に干からびた雑草が、一本だけ力なく突き出ていた。遠くのゲヘナ自治区の方角からは、不良たちの他愛のない内輪揉めによるものだろう、気の抜けたような爆発音がひとつだけ轟き、そしてすぐに冷たい静寂にかき消された。meも彼女も、それに対して視線を交わすことすらしなかった。ただ、世界の隅で蠢く「生きんとする意志」の残滓が、無意味に弾けただけに過ぎないからだ。

 

meの瞳が捉えている世界は、常に無数のはさみのように蠢き、重なり合い、影のなかでmeの意思によって逐一書き換わり続ける未来の因果そのものだった。これから訪れるあらゆる可能性、ゲヘナの騒乱も、万魔殿の有象無象が企てる小細工も、すべてはmeの視界のなかで既に視通され、望む形へと改変された決定済みの断片に過ぎない。未来を変えることなど、meにとっては容易いことだった。不条理で思い通りにならないこのキヴォトスという世界だからこそ、meがその双眸を開き、指先で未来をねじ伏せ、唯一の確定した線へと導くのだ。サツキの頭上にある赤黒い八芒星の光輪が、不規則に明滅を繰り返している。それは中世の古文書に記された、人心を惑わす悪魔の刻印の如き禍々しい形状を有していた。彼女がどれほど万魔殿の幹部として他者を惑わす術に長けていようとも、そのすべての選択肢は、meがあらかじめ配置した未来の戦場の一幕でしかなかった。

 

頭上の月光が、古い給水塔の影に遮られて翳りはじめる。直射光線が建物の角で気疎い回折光線へと移ろいはじめると、meの踏みしめる脛の影も、彼女の黒いドレスの影も、夜の底で不思議な鮮やかさを帯びて浮き彫りになっていった。腰まで届く無造作なピンク色の髪が、湿り気を帯びた夜風に揺れ、黒を基調としたミニ丈のドレスの深いスリットから覗く赤色のサイハイソックスが、影の境界線で怪しく明滅する。彼女の長い指先が、ミリタリーコートのポケットのなかで愛銃のフレームをなぞる掠れた音が聞こえた。黒染めされたレシーバーには、ボルトが後退するための細いスリットが刻まれ、セミ・フルを切り替えるためのセレクターレバーだけが、彼女自身の手によって鮮やかな赤色に塗られている。彼女の得意とする人心掌握の催眠術は、世俗の欲に塗れた有象無象には絶対的な効力を発揮するのだろう。だが、あらゆる未来を視界に収め、それを自在に改変するmeの放つ圧倒的な威厳の前では、それは光に晒された一枚の透き通った硝子のように脆く、無意味な玩具に過ぎなかった。

 

サツキは探るように、しかしその自尊心を隠さない艶然とした微笑をmeへと向けた。長い指先を薄い唇に当て、低く喉を鳴らすようにして言葉を紡ぐ。

 

「――ふふ。そんなに私のことを見つめて、一体何を考えていらっしゃるのですか、先生?」

 

meは歩みを止めず、ただすべてを視通す眼差しを彼女へと向けた。meの視る未来において、君のすべての足掻きも、その美しい容姿を用いた誘惑も、我が往く道を彩るための些事に過ぎない。世界を完全に支配する覇王としての冷徹な全知と、生徒という脆き存在をそのまま我が影のなかに包み込む大人の包容力、すなわち全知全能の覇王が寄せる絶対的な慈悲が、言葉を介さない視線そのものとなって彼女の五感を優しく圧迫していく。サツキの呼吸が僅かに浅くなるのを、meの耳は捉えていた。すべてを見通すmeの眼は、ドレスの奥深くに隠された、普段は顕わになることのないスペード型の短い黒い尻尾が、内側から布地を微かに押し上げるようにして震えていることすら克明に識別している。それはさながら、天上の主が定めし聖域の原罪を購う洗礼の儀式の如く、あるいは悪魔の受肉せし器に刻まれた反逆の刻印が歓喜に震えるかのようであった。彼女は直感していたのだろう。己の自由意思による選択すら、このmeの持つ絶対的な全能の前では、あらかじめ許容され、決定されていた一本の線に過ぎないのだと。その絶望的なまでの格の差を悟った瞬間、彼女の内にあった万魔殿としての傲慢な自尊心は心地よく踏み潰され、その裏側に隠されていた狂おしいほどの依存心が呼び覚まされていた。

 

並木道の途中に置かれた、塗装の剥げかけた古い木製のベンチが視界に入る。meが足を止めると、彼女もまた吸い寄せられるように歩みを止めた。二人が腰を下ろすと、古い木座が「ギィ」と低く、間の抜けた音を立てて夜の静寂に軋んだ。サツキは大人びた態度を崩さないまま、しかしその指先は僅かに強張りながら、ゆっくりとmeの右腕へと自身の細い腕を絡めてきた。ミリタリーコートの厚い上質な生地越しに、長身がもたらす豊かな肉体の質量と、衣服の奥から染み出してくる隠しきれない熱量がmeの肌へと伝わる。彼女の頭上のヘイローは、先ほどよりも激しくまたたきを変え、もはやmeという存在の重力なしにはその禍々しい形を維持できないかのように、狂おしい熱を帯びていた。

 

少女の指先から、赤いカスタムの施されたピストルが滑り落ちそうになった。彼女自身が意識して手放したのか、あるいはmeの存在感に圧されて力が抜けたのか、それすらもmeが「受け止める」と書き換えた未来のなかの一幕だ。meはその銃身がアスファルトに激突して硬い音を立てる寸前で、音もなく片手でそれを受け止めた。指先でレシーバーの感触を確かめ、セーフティが確実に機能していることを確認すると、木製の手すりの上へと静かに、金属音ひとつ立てずに置いた。空いたmeの掌が、今度はサツキの冷え切った指先を包み込む。meの視線は夜の闇を見つめたままだが、掌から確たる質量が、彼女の内に残る最後の惑いを消し去っていく。未来はmeの手によって既に我らの都合の良い形へと書き換えられている。君がここにいることも、我が腕にすがりついて焦がれることも、すべてはmeが許容した世界の形だ。

 

サツキは言葉を失ったように動きを止めた。人心を惑わす万魔殿の役員としての虚飾の仮面は完全に剥ぎ取られ、そこにはmeの絶対的な肯定という名の支配の前に、至上の悦びと敗北を感じている一人の少女の横顔だけが残されていた。彼女は潤んだ金色の瞳をmeへと真っ直ぐに向け、消え入りそうな声で囁いた。

 

「……本当に、ずるいお方ですわ、先生」

 

夜風が並木道の枯葉をカサカサと散らす音が、冷たい静寂の隙間を埋めるように淡々と響いている。サツキは静かに瞼を閉じると、これまでの妖艶な駆け引きのすべてを放棄し、ただ自らの身を委ねるようにmeの胸へと深く飛び込んできた。ミリタリーコートの厚い生地が擦れ合い、彼女の細い腕が必死にmeの背中へと回される。その豊満な身体の熱量と、172センチの長身が小さく丸められてmeに縋り付くその落差は、あらゆる者を惑わす悪魔が唯一の絶対的な救いに帰依した証のようでもあった。meはそれ以上の心理解説も、甘いナレーションも必要とせず、ただ大きな掌を彼女の背へと回し、その存在ごと我が影のなかへと強く抱き留めた。その絶対的な抱擁のなかで、二人の輪郭は完全にひとつに溶け合っていた。

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