とある魔術の自己証明《ドッペルゲンガー》 作:natsuki
榊原悠真が消えてから、十秒ほどは誰も動くことが出来ず、ほんの数秒前まで銃声が響いていた裏路地には、不自然なほど重苦しい静寂だけが残されていた。
それは先ほどMIRRORが見せた『存在置換』とも、白井黒子の空間移動とも違っていた。黒いフードの人物が榊原の肩へ触れた直後、二人の輪郭は水面に映した像を指で崩したように揺らぎ、その向こうにあった壁や路面を透かしながら薄れていき、最後には最初から誰もそこに立っていなかったかのように消えてしまったのである。
「……初春、追えます?」
『やってます! 周辺の防犯カメラ、衛星監視、交通管制、入退場記録……使えるものは全部当たってますけど、反応なしです!』
「能力使用の痕跡は?」
『それもありません。空間移動なら座標演算に伴う観測データが何かしら残るはずなんですけど……本当に、何も』
黒子は唇を噛んだ。自分の目の前で保護対象を攫われたというのに、相手が何者なのかも分からず、何より腹立たしいのは、最後までこちらへ敵意らしい敵意を向けなかったことである。
「君は変わらないね、か」
上条が黒衣の人物の残した言葉を反芻すると、黒子はすぐに振り向いた。
「心当たりがありますの?」
「ねえよ」
「ですが、あの方は明らかにあなたを知っていましたわ」
「だから俺が一番聞きてえんだよ」
上条はそう答えながら自分の右手へ目を落とした。幻想殺し――異能の力なら、それが超能力であれ魔術であれ、触れるだけで打ち消す右手を持つ自分を、あの黒衣の人物は警戒するどころか、まるで昔から知っている相手と再会したような口調で見ていた。
君は変わらないね、という言葉は、少なくとも初対面の人間へ向けるものではない。
「カミやん、一つ確認するぞ」
土御門が眼鏡の位置を直しながら問い掛ける。
「第五演算施設跡地って名前に聞き覚えは?」
「ない」
「即答か」
「俺が学園都市の研究施設を全部覚えてるような優等生に見えるか?」
「そこまで堂々と言われると清々しいぜい」
いつもの軽口を返した土御門だったが、その表情には笑みがなく、何かを確かめるように視線を細めていた。
「何か知ってますのね」
「第五演算施設は七年前に閉鎖された研究所だ」
「研究内容は?」
「能力者の演算補助……正確には、能力者本人の脳を使わずに能力演算を再現出来るか、って研究だったらしい」
「それって、能力を機械で使うってことか?」
上条の問いに、土御門は小さく首を振った。
「そこまで単純じゃねえよ。能力ってのは本人の『自分だけの現実』を土台にしてる。他人の脳みそに計算式だけ突っ込んだところで同じ能力が出る訳じゃねえし、まして機械ならなおさらだ。だから研究は失敗して、施設も閉鎖された――ってのが表向きの話だ」
「表向き、ということは、閉鎖される前に何かありましたのね?」
「研究対象が変更されてる」
黒子に問い詰められても、土御門はすぐには答えず、ポケットから携帯端末を取り出して何かを確認すると、その画面を二人へ向けた。
表示された資料はほとんどが機密指定によって黒く塗り潰されており、文章として意味を読み取ることすら出来なかったが、その中には辛うじて三つだけ、意図的に消し忘れたのではないかと疑いたくなる単語が残っていた。
『LEVEL 5』
『第六位』
『代替演算』
「……おい、まさか」
「そのまさかだ」
土御門は端末をしまい、声を落とした。
「第五演算施設は閉鎖される直前、第六位の能力演算を外部から再現する実験へ切り替わってる」
「では、MIRRORはその研究を引き継いだ組織……?」
「可能性は高い」
黒子は先ほどの光景を思い返していた。別の世界、違う制服を着た初春、そして上条当麻の存在しない世界から来た榊原悠真――もし、あれほどの現象が第六位の能力に由来するものなのだとしたら、単純な複製能力などという説明では到底収まらない。
「行きますの」
「待て」
「二十分と言われましたし、もう半分近く過ぎていますわ」
「だから罠だって可能性もあるだろ」
「承知しています。ですが、榊原さんは助けを求めました」
黒子がそう言い切ると、上条は頭を掻きながら深々と息を吐き、やがて諦めたように右手を握った。
「あー、もう……分かったよ。行けばいいんだろ」
「カミやん、お前は来るな」
「何でだよ」
「さっきMIRRORが狙いを榊原からお前に変えたの忘れたのか?」
「だからこそだろ。あいつらが俺の右手を欲しがってるなら、俺が行けば出てくるかもしれねえ。それに、あいつは俺の名前を知ってたんだ」
本人には存在しないはずの記憶の中に、何故か上条当麻という人間だけが存在しており、しかも黒衣の人物はそれを『君の記憶じゃない』と言った。
「確かめなきゃならねえだろ。あいつの中に何が入ってるのか」
土御門はしばらく黙っていたものの、上条が一度こうなれば何を言っても止まらないと知っているため、やがて諦めたように肩を竦めた。
「そう言うと思ったぜい」
◇◇◇
第五演算施設跡地は第七学区の外縁部にあり、表向きには既に解体工事へ入っていることになっていたが、実際には巨大な灰色の建物がほぼ当時の姿のまま残されていた。
周囲を覆う金属フェンスには立入禁止の表示が何枚も貼られ、窓という窓は塞がれ、正面玄関には錆び付いた鎖まで巻かれているため、七年間も放置された廃墟だという説明を疑う理由はないように見える。
「電気、生きてますの」
黒子が建物を見上げる。
外からでは分かりづらいものの、壁面に取り付けられた監視装置の小さなランプだけは確かに点灯していた。
「廃墟じゃねえってことか」
「少なくとも、誰かが管理していますわね。初春、そちらから何か分かります?」
『施設周辺の電力使用量を確認しましたけど……変です』
「どんな風に?」
『ゼロなんです。送電記録上は七年前から電気なんて使われてません。でも、白井さんの端末が拾ってる電磁波を見る限り、内部には相当数の機械が動いてます』
「記録だけ消してるってことか」
上条が眉を顰める横で、土御門は正面玄関へ目を向けた。
「MIRRORの得意分野って訳か」
ところが、彼が鎖へ触れるより早く、がちゃん、と内側から鍵の外れる音が響いた。
「……歓迎されてるな」
「嬉しくありませんの」
黒子が扉を押すと、冷房設備が現在も稼働していることを示すような冷たい空気が流れ出し、外観から想像していた廃墟とは似ても似つかない光景が三人を迎えた。
内部には真っ白な廊下が伸び、天井の蛍光灯は一つとして切れておらず、埃一つない床の両脇には何枚もの液晶パネルが埋め込まれている。ただし、電源そのものは入っているようなのに、どの画面にも何も映されていなかった。
「榊原!」
上条が呼び掛けても返事はなく、その代わりに廊下の奥にあった扉が、まるで声に反応したようなタイミングで自動的に開いた。
「露骨過ぎるにゃー」
「帰ります?」
「帰る訳ねえだろ」
三人が廊下を進むたび、一枚目、二枚目、三枚目と扉が順番に開いていき、その動きはまるで何者かが目的地までの道筋を指定しているようだった。
そして五枚目の扉を抜けたところで、上条達は同時に足を止めた。
「……何だよ、これ」
そこにあったのは巨大な円形の部屋であり、壁面を埋め尽くす無数のモニターには、それぞれ異なる人間の顔が映し出されていた。
学生、教師、研究者らしき人間まで、年齢も性別も統一されていない。しかし、奇妙な共通点が一つだけあり、誰一人として名前が表示されておらず、顔写真の下にあるのは『S―01』『S―02』『S―03』という無機質な番号だけだった。
「S―23……」
黒子が見つけた画面には榊原悠真の顔があり、その隣へ視線を移した上条は、続く『S―24』の顔写真を見た瞬間、思わず息を止めた。
「……何で俺が映ってんだよ」
「触るな、カミやん!」
土御門が叫ぶのと同時に全てのモニターが切り替わり、真っ白な画面へ、同じ二つの文章が表示された。
『基準点を確認』
『幻想殺し――接続可能』
「接続って、どういう――」
問い終えるより早く床が震動し、部屋の中央にあった円形の床が左右へ開くと、その地下から巨大な円筒形の装置が低い駆動音と共にせり上がってきた。
透明な円筒の内部は無色の液体で満たされ、その中央には白い病衣を身につけた一人の人間が、無数の電極と生命維持装置へ繋がれた状態で浮かんでいる。顔の半分は酸素マスクに覆われており、身体の線も病衣に隠れているため、年齢どころか性別すら判然としなかった。
しかし、その人物が何者なのかを示す情報だけは、円筒の下部に取り付けられた表示板へ明瞭に記されていた。
——LEVEL 5 No.6
「……第六位」
学園都市に七人しか存在しない超能力者、その中でも正体どころか能力の詳細さえ表舞台へほとんど現れない第六位が目の前にいるという事実に、黒子が思わず声を漏らした直後だった。
「違うよ」
背後から聞こえた声に三人が一斉に振り返ると、先ほど榊原を連れ去った黒いフードの人物が、いつの間にか入口に立っており、そのすぐ隣には榊原悠真の姿もあった。
「榊原!」
「待て、カミやん!」
駆け寄ろうとする上条を土御門が制止する一方で、黒衣の人物は円筒の中へ浮かぶ人間を見上げ、何でもないことのように言った。
「それは第六位じゃない」
「じゃあ何なんだよ」
「器だよ。第六位という『役割』を演算するために作られた、空っぽの人間」
その言葉を聞いた榊原は、自分にも何か通じるものを感じたのか苦しそうに俯いた。
「MIRRORは失敗したんだ。彼らは第六位の能力を再現しようとしたけれど、能力の出力だけをコピーしても意味がなかった。必要だったのは演算式でも脳でもない」
黒衣の人物はそこで言葉を切り、フードの奥から上条を見つめるように顔を向ける。
「必要だったのは、『誰が本物なのか』を世界に決めさせるための基準だった」
「それが、俺?」
「正確には、その右手」
黒衣の人物は静かに頷いた。
「幻想殺しは異常なものを壊す。でも、壊した後には必ず『正常な世界』が残る。だったら逆に利用出来ると思わない?」
その言葉を聞いた瞬間、上条の背筋を嫌な感覚が駆け抜けた。
「無数の可能性から一人を選び、その人間へ君の右手を触れさせる。消えなかった方を本物と定義する」
黒子の表情から血の気が引いていく。
「まさか……」
「そう。MIRRORが欲しいのは上条当麻じゃない」
黒衣の人物は、円筒の中で眠る『器』へ視線を移した。
「幻想殺しを使って、第六位を作り直すつもりなんだ」
その瞬間、施設全体へけたたましい警報音が響き渡り、白一色だった室内が非常灯の赤い光へ塗り替えられると、壁一面のモニターには先ほどまでとは異なる警告表示が一斉に浮かび上がった。
『外部術式干渉を検出』
「術式……?」
その単語を目にした途端、土御門の顔色が明らかに変わった。
「おい、それって――」
「ああ」
上条の問いに答えながら、土御門は懐へ手を差し込み、いつでも使えるよう術式用の札を指の間へ挟む。
科学の街で起きた第六位を巡る事件、暗部組織MIRROR、存在置換という異常現象――ここまではどれほど常識外れであろうと、全て学園都市という巨大な科学の箱庭の内側だけで完結しているはずだった。
しかし、今この施設が検知した『術式』という言葉だけは、その前提を根底から覆してしまう。
「魔術師だ」
土御門は警報音の向こう側に潜む何者かを探るように目を細めた。
「最初からこの実験を狙ってた奴が、学園都市の中にいる」
そして、まるでその言葉を待っていたかのように、円筒の中で眠っていた『第六位の器』が、液体の向こう側でゆっくりと目を開いた。