とある魔術の自己証明《ドッペルゲンガー》 作:natsuki
第二話
夕方。
第七学区は、一日の中でも最も慌ただしい時間を迎えていた。
学校帰りの学生達が一斉に通りへ溢れ出し、ファミリーレストランには制服姿の集団が入り込み、自動販売機の前では「今日は誰が奢るか」という不毛な議論が繰り広げられている。
学園都市では見慣れた光景だった。
そして。
「……本日六件目ですの」
白井黒子は、机の上へ書類を放り投げた。
「お疲れ様です、白井さん」
向かいでは初春飾利が苦笑している。
「今日も大変でしたね」
「迷子二件、自転車盗難一件、能力を使った喧嘩三件……」
黒子は頭を抱えた。
「能力者というのは、どうしてこうも規則を守れませんの」
「白井さんも結構破りますけど」
「それはそれ、これはこれですの」
即答だった。
初春は肩を震わせながら笑う。
そんな何気ない時間。
支部の電話が鳴った。
初春が受話器を取る。
「はい、風紀委員第一七七支部です」
数秒後。
初春の表情が少しだけ真面目になる。
「はい……ええ……分かりました」
受話器を置く。
「白井さん」
「何ですの?」
「常盤台女子寮の
「寮監?」
珍しい。
黒子は首を傾げた。
寮監から風紀委員へ直接連絡が来ることは滅多にない。
「学生さんが一人、昨日から戻って来ていないそうです」
「外泊届は?」
「出ていません」
「研究施設」
「確認済み」
「病院」
「ありません」
「警備員は?」
「事件性は低いという判断だったそうです」
黒子は立ち上がった。
「行きますの」
◇◇◇
「お忙しいところ申し訳ありません」
常盤台女子寮とは違う。
第七学区にある男子学生寮。
寮監室では、中年の女性が頭を下げていた。
年齢は五十代くらい。
厳格そうな雰囲気だが、その表情には隠し切れない不安が浮かんでいる。
「学生が帰って来ない程度で風紀委員を呼ぶつもりは本来ありません」
寮監は静かに言う。
「ですが」
机の上に一冊のノートを置いた。
「昨日までは、確かにここに居たのです」
黒子はノートを見る。
点呼表。
毎日記録される在寮確認。
昨日まで丸印。
今日だけ空欄。
「お名前は」
「榊原悠真君です」
「学校は?」
「羽場跳高校一年」
黒子は頷いた。
「確認して参りますの」
◇◇◇
「榊原悠真?」
羽場跳高校の職員室。
担任教師は怪訝そうな顔をした。
「そんな生徒は居ませんよ」
「え?」
黒子は思わず聞き返した。
「一年三組ですわよね?」
「三組に榊原という生徒は居ません」
教師は名簿を開く。
「ほら」
そこには確かに。
榊原悠真という名前はなかった。
「転校ではありませんの?」
「ここ数か月、転入も転出もありません」
「欠席者は」
「今日はゼロですね」
教師は不思議そうに首を傾げる。
「どこでその名前を聞いたんです?」
黒子は答えられなかった。
◇◇◇
「……変ですの」
支部へ戻る途中。
黒子は腕を組んでいた。
「寮監さんが勘違いしているようには見えませんでした」
「わたしもそう思います」
初春が端末を操作する。
「学生データベースも確認しました」
「結果は」
「ありません」
「学校も」
「ありません」
「住民登録」
「ありません」
「能力測定」
「ありません」
初春が苦笑する。
「まるで
その言葉に。
黒子は立ち止まった。
「……戻りますわ」
「え?」
「寮ですの」
◇◇◇
部屋番号三〇七。
榊原悠真が住んでいたという部屋。
鍵を開ける。
そこには。
生活があった。
机。
本棚。
制服。
読みかけの漫画。
昨日飲んだらしいペットボトル。
洗濯籠には制服が一着。
ベッドには掛け布団が乱れたまま残っている。
「誰も住んでいなかった部屋ではありませんね」
初春が呟く。
黒子は頷いた。
そう。
この部屋には。
確かに誰かが居た。
生活していた。
息をしていた。
その痕跡だけが。
綺麗に残されている。
「学生証は」
「ありません」
「財布」
「ありません」
「携帯端末もありません」
持ち主だけが。
綺麗に消えていた。
その時だった。
寮監が静かに言う。
「一つだけ、おかしなことがあります」
「何でしょう」
「この部屋」
寮監は三〇七号室を見つめたまま言った。
「今朝までは、表札がありました」
「……今朝?」
「ええ」
「名前は」
「榊原悠真」
黒子は扉を見る。
確かに。
表札だけが外されている。
跡だけ残して。
まるで。
最初から誰も住んでいなかったと言わんばかりに。
黒子は静かに息を吐いた。
「初春」
「はい」
「これは失踪事件ではありませんの」
「……ええ」
「学園都市の誰かが」
部屋を見回す。
机。
本。
制服。
生活。
その全てを見渡して。
黒子はゆっくりと言った。
「『一人の学生そのもの』を消そうとしていますの」
その言葉を聞いていた者は、まだ誰も知らなかった。
これが、一人の学生の失踪事件では終わらないことを。
学園都市の暗部。
そして、誰もその正体を知らない第六位へと繋がる事件の始まりであることを。