とある魔術の自己証明《ドッペルゲンガー》 作:natsuki
風紀委員第一七七支部。
夜八時十二分。
窓の外ではすっかり人通りも減り、自動清掃ロボットだけが規則正しく道路を走っている。
支部の中には、キーボードを叩く音だけが響いていた。
「……ありません」
初春飾利は画面から目を離さず言った。
「やっぱりありません」
「もう一度お願いしますの」
「これで五回目です」
「六回目でも七回目でも構いませんわ」
黒子は腕を組んだまま端末を見つめていた。
榊原悠真。
十五歳。
羽場跳高校一年。
男子学生寮三〇七号室。
寮監だけが存在を覚えている学生。
検索。
該当なし。
学生データベース。
該当なし。
能力測定記録。
該当なし。
医療履歴。
該当なし。
交通履歴。
該当なし。
「まるで……」
初春が小さく呟く。
「最初から存在しなかったみたいです」
その言葉に、黒子は首を横へ振った。
「違いますの」
「え?」
「居たんですの」
机へ置かれた写真を見る。
三〇七号室。
乱れたベッド。
教科書。
制服。
食べかけのカップ麺。
人が生活していた痕跡だけが残っている。
「部屋は嘘を吐きません」
黒子は静かに言った。
「人間だけが消えている」
「能力……でしょうか」
「能力なら、なおさら妙ですの」
学園都市には数多くの能力者がいる。
記憶を操る能力。
光を屈折させる能力。
精神を支配する能力。
しかし。
「データベースまで消せる能力など聞いたことがありません」
「ですよね……」
その時だった。
支部の固定電話が鳴った。
黒子が受話器を取る。
「こちら第一七七支部――」
『白井黒子かにゃー』
聞き覚えのある声だった。
黒子は露骨に嫌そうな顔をする。
「土御門さん」
『久しぶりだにゃー』
「全然嬉しくありませんの」
『相変わらず辛辣だぜい』
電話越しに笑っている。
それが余計に腹立たしい。
「何の御用ですの」
『榊原悠真』
黒子の表情が変わる。
「……何故、その名前を」
『それ以上調べるな』
「理由は」
『死ぬぞ』
あまりにも短い返答だった。
「脅迫ですの?」
『忠告だ』
電話の向こうから笑い声は消えていた。
『お前は真面目だからにゃー』
『だからこそ危ねえ』
「説明してください」
『出来ない』
「何故」
『俺にも全部は分からねえ』
沈黙。
珍しく土御門が迷っている。
「なら」
黒子は低い声で言う。
「分かることだけ話してくださいまし」
数秒。
静寂。
やがて。
『その事件は暗部が動いてる』
黒子の瞳が細くなる。
『風紀委員が首を突っ込む事件じゃねえ』
「どこの組織ですの」
『知らねえ』
「嘘ですわね」
『本当に知らねえ』
土御門は続けた。
『いや』
『正確には』
『名前しか知らねえ』
「名前?」
『MIRROR』
初めて聞く組織だった。
アイテム。
スクール。
それらは黒子も知識として知っている。
しかし。
MIRROR。
聞いたこともない。
「何をしている組織ですの」
『存在を消す』
「……は?」
『証拠』
『記録』
『戸籍』
『研究資料』
『人間』
最後の一言だけ。
土御門は少しだけ声を落とした。
『全部、消す』
黒子は言葉を失った。
電話が切れる。
支部に静寂だけが残った。
「白井さん……」
初春が不安そうに見る。
黒子は受話器を置いた。
「初春」
「はい」
「この事件」
少しだけ笑う。
風紀委員として。
一人の少女として。
「ますます放っておけなくなりましたわ」
◇◇◇
同時刻。
第七学区。
人気のない地下施設。
白い照明だけが無機質に部屋を照らしていた。
「……二十四例目です」
一人の男が報告する。
「対象は完全に置換されました」
部屋の奥。
誰かが椅子へ腰掛けている。
逆光で顔は見えない。
「誤差は」
静かな声だった。
「〇・〇〇〇四%」
「許容範囲ですね」
男は頷く。
「ですが」
「問題があります」
「言ってください」
「演算が再び不安定になっています」
その瞬間。
部屋の照明が一瞬だけ揺れた。
誰も触れていない。
誰も能力を使っていない。
それでも。
空気が僅かに軋む。
「……またですか」
「はい」
男は小さく息を吐く。
「やはり」
その言葉を口にすることを躊躇うように。
ゆっくりと。
「第六位が動いています」
部屋の空気が、静かに凍り付いた。