とある魔術の自己証明《ドッペルゲンガー》 作:natsuki
「不幸だあああああああ!!」
その日の朝。
第七学区の住宅街に、聞き慣れた叫び声が響いた。
制服姿の少年――上条当麻は、食パンを咥えたまま全力で坂道を駆け下りていた。
「何で今日に限って目覚ましが全部止まってんだよ!」
枕元に置いていた目覚まし時計は止まっていた。
携帯端末のアラームも鳴らなかった。
インデックスは、
『とうまー、ご飯ー』
と、のんきに朝食を要求していた。
おかげで完全に遅刻である。
「補習だけは勘弁してくれ!」
叫びながら角を曲がる。
その瞬間。
「きゃっ!」
「うおっ!?」
誰かと正面衝突した。
ごろごろ、と二人して転がる。
「いったた……」
上条は慌てて立ち上がる。
「悪い、大丈夫――」
言葉が止まった。
「白井?」
「上条さん……?」
白井黒子だった。
制服姿。
腕章。
目の下には薄い隈が出来ている。
「珍しいな」
上条は苦笑する。
「風紀委員も遅刻か?」
「いえ」
黒子は首を振る。
「徹夜ですの」
「え?」
「事件がありまして」
黒子らしくない。
普段なら御坂美琴の話でも始めそうな彼女が、今日はほとんど笑わない。
「何かあったのか?」
「……」
少しだけ迷う。
それから。
「関係ありませんわ」
そう言った。
「風紀委員の仕事です」
「そっか」
上条も深くは聞かない。
「じゃあな」
「ええ」
二人は別れる。
そのまま。
何事もなく。
終わるはずだった。
◇◇◇
「……は?」
補習開始五分前。
上条は教室を見回していた。
「何だこれ」
いつもの教室。
いつもの机。
いつものクラスメイト。
だが。
一つだけ。
「先生」
上条は手を挙げた。
「何だ、上条」
「あそこ」
一番後ろ。
窓際。
一つだけ机がある。
椅子もある。
教科書も置いてある。
「何で誰も座ってないんですか?」
教師は不思議そうな顔をした。
「空席だからだ」
「え?」
「転校予定だった生徒が来なかっただけだ」
教室中が頷く。
「そうそう」
「最初から空いてたよな」
「ずっと空席じゃん」
上条だけが。
首を傾げた。
「……いや」
違う。
あそこには。
誰か居た。
誰だった。
名前は。
顔は。
思い出せない。
なのに。
確かに居た。
「上条?」
教師が怪訝そうに言う。
「どうした」
「……いや」
気のせい。
そう思おうとした。
その時だった。
窓ガラスに。
何かが映った。
教室の外。
廊下。
一人の男子生徒。
制服姿。
こちらを見ている。
見覚えがある。
誰だ。
そう思った瞬間。
その男子生徒が。
にやり、と笑った。
ぞくり、と背筋が震える。
次の瞬間。
廊下には誰も居なかった。
◇◇◇
「やっぱり」
校門の外。
黒子は静かに呟いた。
「白井さん?」
初春が振り返る。
「三校目ですの」
黒子は手帳を閉じる。
「全部同じ」
教室には机がある。
ロッカーがある。
生活用品がある。
だが。
教師は言う。
『最初から空席です』
学生も言う。
『誰も居ませんでした』
違和感だけが残る。
世界そのものが、一人分だけ綺麗に削り取られている。
その時。
黒子の携帯端末が震えた。
非通知。
「もしもし」
『……見付けた』
男でも女でもない声。
『一人だけ居た』
「何の話ですの」
『覚えている人間』
黒子の表情が変わる。
『その高校生』
『上条当麻』
通話はそこで切れた。
風が吹く。
黒子は携帯を見つめたまま動かなかった。
初春が恐る恐る尋ねる。
「白井さん……?」
黒子はゆっくりと顔を上げる。
「どうやら」
静かな声だった。
「事件は向こうから、上条さんを選んだようですの」