とある魔術の自己証明《ドッペルゲンガー》 作:natsuki
「包囲完了」
白い戦術服の男達が、一歩ずつ距離を詰めてくる。
裏路地は完全に封鎖されていた。
前方。
後方。
屋上。
逃げ道はない。
「上条!」
土御門が叫ぶ。
「右手だけは絶対に下げるな!」
「分かってる!」
上条は榊原を背中へ庇う。
黒子は二人の前へ立つ。
「空間移動で突破しますの!」
「無駄だ」
隊長格の男が淡々と言う。
「座標は固定済み」
「……何ですって?」
黒子は能力を発動する。
しかし。
「なっ!?」
身体が動かない。
いや。
正確には。
能力演算だけが、途中で霧散していく。
「演算が……消えていますの?」
「世界の座標を書き換えている」
隊長は静かに答えた。
「ここでは空間移動は成立しない」
黒子は初めて焦った。
能力が通じない。
それは風紀委員として戦う術を失うことを意味する。
「撃て」
隊長の命令。
三方向から銃口が向けられる。
その瞬間。
榊原が叫んだ。
「駄目だ!!」
全員の視線が彼へ向く。
榊原は頭を抱えていた。
「もう近付かないで!」
震えている。
全身が。
声が。
「お願いだから……!」
「榊原?」
上条が手を伸ばす。
その指先が肩へ触れようとした瞬間。
世界が、音を立てて軋んだ。
ぱきり。
ガラスが割れるような音。
しかし、割れたのは空間だった。
「……何だ?」
上条が空を見上げる。
夜空に。
一本の亀裂が走っていた。
紫色。
細い線。
しかしその向こう側には、別の景色が見えていた。
「……空?」
昼間だった。
いや。
違う。
昼でも夜でもない。
そこには無数の街並みが広がっていた。
同じ第七学区。
同じ道路。
同じビル。
同じ人間。
だが。
どれも少しだけ違う。
信号の位置。
建物の色。
歩いている学生。
全部。
ほんの少しだけ。
「まさか」
隊長が初めて動揺を見せた。
「レイヤーが重なった……?」
「レイヤー?」
土御門が歯を食いしばる。
「おい、嘘だろ」
彼も理解している。
「おい!」
「第六位!」
叫ぶ。
「ここまで崩れてるのか!」
その時だった。
亀裂の向こう側から。
一人の少女が歩いてきた。
制服姿。
セーラー服。
見覚えがある。
初春だった。
「初春!」
黒子が叫ぶ。
だが。
違う。
制服の色が違う。
腕章もない。
髪飾りも違う。
少女は黒子を見ても反応しない。
そのまま。
亀裂の中へ消えていく。
「並行世界……?」
土御門が呟く。
「違う」
隊長が首を振る。
「可能性世界だ」
静かな声だった。
「存在置換とは」
一拍置く。
「存在をコピーする能力ではない」
夜空の亀裂がさらに広がる。
世界が何枚にも重なる。
同じ道路。
同じ街。
同じ人間。
少しずつ違う。
何百。
何千。
何万。
「存在置換とは」
隊長は空を見上げた。
「無数に存在する可能性世界から、別の"お前"を連れて来る能力だ」
静寂。
誰も言葉を失う。
つまり榊原悠真は、コピーではない。
偽物でもない。
別の世界で。
確かに生きていた、本物だった。
「……じゃあ」
上条がゆっくり呟く。
「元の榊原は」
隊長は答えない。
答える必要がなかった。
榊原自身が震えながら口を開く。
「僕」
涙が止まらない。
「僕の世界には」
震える指で。
上条を指差す。
「君が居なかった」
その一言で。
空気が凍り付いた。
上条だけではない。
土御門も。
黒子も。
隊長ですら。
息を呑む。
幻想殺し。
世界の基準点。
その存在しない世界。
それは存在してはいけない可能性だった。
その時だった。
空に走っていた亀裂が、一斉に閉じ始める。
まるで。
誰かが。
外側から。
世界を縫い合わせるように。
隊長は空を見上げ、小さく息を吐いた。
「……来たか」
「誰が?」
黒子が問い返す。
しかし隊長は答えない。
代わりに。
仮面越しに。
誰も居ない夜空へ向かって敬礼した。
「作業を中断する」
通信機へ告げる。
「第六位が介入した」
その一言だけを残して。
白い装束の男達は、一斉に姿を消した。
裏路地には上条達だけが取り残される。
誰も動けない。
誰も喋れない。
ただ、夜空だけが。
何事もなかったように静かだった。