ワタクシは……最低の行いをしてしまいました。
いくら精神的にとりわけ落ち込んでいたタイミングだったとは言え、あんな、ミネを、襲ってしまうだ、なんて、ワタクシ……。
ええ、そうです。ただ、ミネと先生の関係が大きく進展した話を……彼女が彼の頬に口づけをしたなんて、そんな話を聞いただけで、ワタクシは……。
「……痛っ……!」
そこでワタクシはまた絆創膏の上から指を噛んでしまっている事に気づきました。
最近は気がついたら噛んでしまっている事が多く、絆創膏の下はいつまで経っても治らない噛み傷になってしまっています。
でも、こんなのはワタクシがミネに与えた痛みに比べれば存在していないのと一緒です。
あの、ミネの怯えた顔。震えた声。かすかな涙。
彼女の信頼を裏切ってしまった、ワタクシに向けられた拒絶の感情。
「……もう、やだ……考えたくない……楽に、なりたい……」
真っ暗な家の廊下を歩きながらワタクシは一人歩きます。
ワタクシの家には、誰もいません。
子供の頃にすでにワタクシの家族はワタクシだけになってしまっていました。
亡くなったわけではありません。ただ、みんな家を捨てて遠くで生活しているだけで、そしてこの風我の家にこだわっているのが、ワタクシなだけという話なのです。
トリニティの社会において、我が風我家の風評とは決して良いものではありません。
家格は間違いなくありますが、上流の方々からは「薄汚い金貸しの家」というレッテルがいつまで経っても語られていて、心地の良いものではありません。
だからみんな一旦名前を捨てて別のお家に入ったり働いたりして離れていったのです。
彼女らを責める事はできません。私が一人この先祖から受け継いだ家名と血を捨てたくなかった、それだけなのですから。
家を捨てた皆さんも、家を捨てられなかったワタクシも、結局は気持ちを優先して生きているのです。
そこにあるのは理屈ではなく、どうにもならない心なのです。
でも一人この家に残って良いこともありました。
ミネを始めとした友達の皆さんをお家に好きに呼べた事です。本来なら家が置かれている立場からそう気軽にお友達を呼べない事もありますし、庶民上がりの子と関係を持つのが良い顔をされない事だってあります。
でもワタクシには関係ありませんでした。
だって一人なんでもすもの。口出しする人なんていませんわ。それこそかつての銀髪のあの子のように我が家とは関係ない方々が文句を言ってくる事もありますが、それはこのトリニティでは普通の光景なのでどうという事はありません。
……その友人関係も今日で全部終わりですけれどね。
ミネにあんな事をした以上、彼女だけではなく他の方々からも軽蔑されてしまうでしょう。
ワタクシはミネの信頼だけでなく、ワタクシを慕ってくれていた他の子の信頼も裏切ったのです。
「……消えてしまいましょう、もう」
ワタクシはすっかり涙も枯れてしまい掠れた声で呟きながら、屋敷の奥、キッチンにある古くて大きいかまどの前に立ちました。
しゃがめば人一人入れるぐらいに大きいかまどで、かつてミネ達と料理をする事があったときには「家の備え付けられたヤツですが今は使っておりませんの」なんて説明をしていました。実際、別口にオーブンなどはあります。
ですが、それは実は嘘でした。
このかまどは隠し通路になっているのです。しゃがみ込んだ後に天井の特定の場所のレンガを押し込むと隠し通路が開かれ、そこに進む事ができるのです。
それは、風我家のとりわけ闇に覆われた歴史への道へと進む通路ですの。
「……さあ、ワタクシを誘ってもらいましょうか……我が家に逆らった人間を消したと聞く、その先へと」
かつて商業と金融業によって栄えた風我家。
悪辣な手腕によってトリニティが一つになった後もしばらく影響力を持っていたわけですから当然敵は多く、野放しにしては家に危険が迫る事も多かったでしょう。ですがそうした中で今このワタクシの代まで家が残せたのは、そうした敵対者、とりわけ首輪を繋いでいたユスティナの中からも出てくる反逆者を「行方不明」にさせてきたからです。
ワタクシがこれから進む先はそんな「行方不明」となった人々がたどり着く先。
受け継がれてきた家の書架にもその先に何があるのかの記録が散逸していた程に
道は暗く、明かりは壁に備え付けられた松脂の松明に火をつけなければなりませんでした。
道幅自体はあるのが逆に厄介で、一本道であると言うのに本当に今歩いている道が正しいのは不安になるほどです。
そして歩いて感じる印象としては、トリニティに数多くある地下遺跡群の道のようだとも思いました。
まあモノとしては同時代のものですからまさしくその地下遺跡群の内の一つ、我が風我家の歴史にしか残っていないその亜種と言えるのでしょうね。
ともかくそんな道をワタクシは一人歩み続けました。
ワタクシはもう消え去りたかったから。
でも安易に自殺をしてしまえば皆様に迷惑がかかります。
救護騎士団の副団長が実家で自殺、なんてスキャンダルが広まればミネ及び救護騎士団は非常に立場が怪しくなるでしょうし、それだけでなくワタクシと仲良くしてくれたお友達の皆様にもご迷惑がかかるでしょう。
ワタクシはもう消えてしまいたかったですけれど、皆さんに迷惑がかかるのは嫌でした。
矛盾した考えと感情。でも、ワタクシはどっちも取りたかったのです。
死にたいけど、迷惑はかけたくない。
身勝手過ぎる考え方。だけど、それをできる選択肢がこうしてあるのですから、それでいいじゃないですか。
そうして、ワタクシの人生の
そこは、ワタクシが思っていたような場所とは違いました。
「……これは、一体?」
地下通路を抜けた先にあった隠し扉を開いて出たのは、とても綺麗な造りをした談話室のようでした。
広さはそれなりにあって、至る所がたくさんの埃とクモの巣に覆われてはいましたが、美しく漆を塗られたオークの木材で設えられたテーブルと椅子、そして壁に備え付けられた本棚は未だに高貴さを保っていて、恐らく名うての職人の手によって作られたであろうガラス細工の中にある油に火をつけると、これまた見事な手際によって塗られたであろう白漆喰の壁が光を反射し赤い絨毯を照らします。
「……っ!?」
そしてそうして部屋を照らし続けていくと、ワタクシは思わず息を呑みます。
部屋中央に置かれた長テーブルの椅子に、いくつもの白骨死体が並んでいたからです。
まず目に入ったのは、そばにスカプラリオとガスマスクが落ちている背もたれに体重を預けたまま死んだであろう骨でした。あれはきっと、ユスティナ信徒のものでしょう。つまり、ここは目的地で間違いないだろう事です。
ですが、他に目をやった骨に、ワタクシは言葉を失いました。
「……え? これは……当時の、ティーパーティー……?」
その白骨死体は服がだいぶ原型を留めていたからすぐに分かりました。多少デザインは現代と比べて変わっていますが、それでもそれがティーパーティーのモノであることは分かりました。つまり、当時のティーパーティーの人間もまたこの部屋で椅子に座って死んだという事なのです。しかも、ユスティナ信徒のそばで。
「これも、これも、これも……いろんな立場の生徒と分かる物品が残っていますわ……一体、ここはなんなんですの……?」
あまりにも豪華な談話室で座ったまま命を落としている古き時代のトリニティの生徒達。
これではまるで、追放されたというよりも、
「……だと、したら……ワタクシにはお似合いですわね……」
ワタクシはつい自嘲気味に言いました。
思っていた場所とは違いましたが、目的にはむしろ都合がいい場所と言えるでしょう。
本来なら持ち込んできたナイフで自らの首の動脈を切り裂いて死ぬ予定だったのですが、そういった場所なら安らかに死ねる方法もあるかもしれません。
簡単に死ねるのなら、それがいいですから。
そう思いワタクシは談話室にあるちゃんとした扉から外に出ました。
扉から出た先は変わらず高級感のある廊下で、どこかの屋敷なのは間違いないようでした。
そして廊下や自殺道具を探すために中を伺った部屋には先程の談話室と同じようにいくつもの骨が転がっていて、やはりこの屋敷は立場ある人間が自殺をするために建てられた場所のように思えました。
そのように何個か部屋を見つつも自殺道具が見つからない事に落胆していたそんな中、とある部屋を開いたときに、ワタクシは思わず目を奪われてしまいました。
「これは……室内庭園、ですの?」
トリニティの教室が三つか四つ入るのではというぐらいに広い庭園がそこには広がっていました。ガラス張りの天井からは月明かりが差し込んでいます。
ですが、異様なのはそこに生えている植物でした。
すべてが、茎のてっぺんに咲いた花を散らせた後に実る、緑色の実を膨らませた畑となっていたからです。
時期的にこんなにもすべての花が実になっているわけでもありませんし、何か特殊な品種改良を受けているのが分かりました。
「……これって、もしかして……」
そこで、ワタクシの頭の中に一つの可能性が浮かびました。
ここは貴人達が逃げてきた場所ではあるが命を捨てに来た場所ではないのでは、と。
その可能性に至ったワタクシは一旦入ってきた扉に戻り、また屋内を歩き回りました。そうして見つけました。まさに「調合室」と言える、その部屋に。そして見つけたのです。
そこで横たわる死体の、見慣れた制服を。
「救護、騎士団……」
そこに横たわっていたのは古の時代の救護騎士団の生徒でした。
制服は昔から丈夫だったようでその形を残していますが、骨はもはやボロボロでちょっとした衝撃で壊れてしまうでしょう。
そしてそんな骨は、大事そうに一冊の本を抱えていました。
「……申し訳ありません、失礼しますわ」
ワタクシは遥か昔の大先輩に一言断りを入れるとその本を手に取りました。骨は一瞬で粉々の灰へと変わりました。
罪悪感を覚えつつもワタクシはその本を開きめくっていきました。そして、そこに書かれていた内容を、口に出してしまいます。
「『ヘイロー・バイ・インドゥルジェンス・レター』……『我らの罪と苦痛を癒す救済の秘薬』……フッ、フフフフフフ……アハハハハ……!」
笑いが出てしまいます。こんな、こんな事ってあるんですのね……!
「なるほど……ここは、確かに死に場所と言えますわね……まさか、ワタクシの家が薬物を吸うための隠れ家に繋がってるなんて……!」
つまりは、反逆者を「行方不明」にするというのも「嘘」だったという訳ですわね。
実態はおそらく商売の一つとして使っていた違法薬物の中毒者が死ぬまで薬を吸い続けるための隠れ家に人を送っていて、それをあくまで「表向きには何か罪があって行方不明になった」というのがいつの間にか「我が家が反抗的な相手を行方不明にしていた」という話になっていたという事なのでしょう。
「それにしても、ヘイロー・バイ・
本当に馬鹿馬鹿しいですわ。
というのも、我が風我家が運営していた「贖宥協会」において最も利益を上げていたのが学園同士の戦争や内部抗争において罪の意識を感じていた生徒達を慰めるために現ティーパーティーの三分派が権勢を獲得するのも兼ねて結託し発行していた「贖宥状」なのですから。
それが裏では薬にこんな名前をつけて稼いでいたとは……ワタクシが背負った名前は、思っていたよりもずっと穢れたおぞましいものだったようです。
「……フフフ……ハハハハハ……。…………あぁ……でも、本当に……本当に、ちょうどいいかも……しれませんわね……」
死ぬなら楽な方がいい。
なら、これで心地よくなりながら死ぬのも悪くないんじゃないかしら?
今でもワタクシの心はずっと血を流し続けています。
愛したミネを裏切り、友情を感じてくれていた友人達を裏切り、信頼してくれた団員達を裏切り、ワタクシの事を友達思いの生徒として見てくれていた先生を裏切った。
ならここでもう一つぐらい誰にも知られない裏切りを増やしたって、別にいいじゃありませんの。
「ああ、いいですわ……いいんですのよ……別に、そう、だってもう、ワタクシ、消えちゃうんですから……」
ワタクシは呟きながらテーブルにちょうど置かれていた紙で粉を棒状に包んだモノを手に取ります。
これはきっと火をつけてその煙を吸引するためのものでしょうね。
ワタクシはそれを手に取り、そっと口に咥えてそばにあった埃が堆積した椅子に座ります。
そして、これまでずっと明かりを照らすために使っていたライターをその先に近づけていきます。
「……っ! ……っ、……っ!」
ですが、なかなか火をつけられません。
手が震えて、顔も震えて、火がなかなか先端に当たらないのです。
――怖い、怖い。こんなの、やっちゃいけないのに。ワタクシ、救護騎士団の副団長ですのよ? それがこんなもの、駄目ですわよ。
――何を怯えているんですのよ風我フミ。こんなの、ただ火を当てて、勢い良く空気を吸い込んで燃やせばいいだけですのよ?
――でも、一度やったら、副作用が、依存症が。
――そもそも死ぬためにやるんだから気にしなくていいんじゃなくて? それに怖くなったら止めれば良いんですのよ。大丈夫、簡単ですわよ。
――でもでもでも、ワタクシ、こんなことするなんて、皆さんに、顔向けが。
――いいじゃありませんの、もう誰にも合わせる顔なんてないでしょう? だからここに来たんでしょう? 何を恐れますのよ? ミネにあんなことしたよりも最低の事なんて、もう何もないでしょうに! やったことを、いい加減受け止めなさいな! この嘘つきの性犯罪者!
「…………!」
ワタクシは、なんとか火を先端に当てて、いい加減湿ってしまった紙巻きの口元から、勢い良く息を吸い込みました。
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「あ――――――」
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―――――――――全部 どうでもよくなりました――――――――――――――――幸せ ですわ ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――それ 意外――考えら れませんわ――――――「………………はあぁあぁぁあぁぁ……」――気持ちいいですわ――これまでの辛さが――全部嘘になりました―――――――― 今は ――――――――――――――――それだけで十分ですの―――――― ――「ふあぁあぁぁぁぁ……」――――満たされますわぁ……「………………」……――――――――――――――――――――――――――
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「えへへ」
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ワタクシは、丸二日間、ご飯も忘れて、幸せになっていました。
そして、思ったのです。
こんなに幸せなら、別に死ななくていいんじゃないかなって。
薬の造り方は分かりました。
材料もあの温室でいくらでも取れます。
だから、好きにあの薬を作って吸ってれば、もうワタクシは大丈夫ですの。
幸せだから、辛い気持ちになんてなりませんわ。
ミネにもお友達のみなさんにも先生にも、消えて心配をかける事もないですわ。
だって。
「ワタクシはもう、満たされているのですから」
ワタクシがやった事を許してくれたミネに、ワタクシはそう説明しました。
これでもう、何も問題はありません。幸せ。
※本作は違法薬物の使用を推奨しているわけではありません。薬物の乱用は、法律で厳しく処罰されます。麻薬及び向精神薬取締法により、単純所持・利用で10年以下の懲役、営利目的の利用で1年以上の有期懲役又は情状により500万円以下の罰金の併科が科せられます。