彼女に何があったのかは分かりません。
あの子から「いつかフミ様から相談があったら、どうかしっかりと乗って欲しいんです」とも言われ、ある程度の心積もりはしていました。
ですが実際にフミさんから私に相談が来る事はなく、抱えていた問題は解決したのか、それとも私は相談するに値しない相手だったのか、どちらにせよ相手が話したがらない事をこちらから踏み込んでいくなんて事は相手の告解を待つシスターの一人としてはおこがましい行いであると思っていたため、普段と変わらない日常を送っていました。
ですが私は、今それを大きく後悔しています。
「サクラコ様! 先輩をなんとかこちらまで連れてきました!」
フミさんに撃たれた彼女に身を屈めながらマリーが肩を貸す形でここまで連れてきて言いました。
今、フミさんはシスターフッドの他の皆さんとの銃撃戦を行っております。
「ありがとうございましたマリー。……大丈夫ですか? 立てますか?」
「……………………は、い」
あまりにも力がなく、しかし絶望が伝わってくる声でした。
目に力はなくまだ人形のガラスの瞳の方が生気を感じる程に暗く、涙を流していなければ見紛いかねないぐらいです。
表情も絶望で凍りついてしまっていて、私は先程安否を確認するために安易に立てるかどうかを聞いたのを後悔してしまいます。立ち上がれたとしても、大丈夫な訳がありません。
「……すみません。私がもう少し彼女に気を配っていれば……」
「…………いいえ、悪いのは、私、なんです……私、が、ちゃんと、気づけて、いれ、ば……」
ゆらりゆらりと立ち上がってからそう言った彼女は、なんと銃を構え戦線に加わろうとしているではありませんか。
私はとっさに彼女の両肩を掴み止めます。
「……何をしようとしているんですか?」
「わ、たしも……戦わなければ……シスターフッド……として……」
肩を掴む手に、つい強い力が入ってしまいました。
痛みを感じているでしょうに彼女は声一つ上げません。
当然でしょう、きっと心のほうがもっと痛いんでしょうから。
だからこそ、私は彼女を戦わせる訳にはいきません。
「駄目です、今のあなたを戦わせる訳にはいきません。……マリー、彼女を安全な場所へ」
「……はい。さあ、行きますよ先輩」
「…………うん」
マリーの言葉にただ従うだけの彼女。胸が締め付けられる気持ちになりがらも二人の背中を見届けると、私は素早くフミさんに視線を向け直します。
さすが救護騎士団の副団長と言ったところか、十人程のシスター達を相手にも善戦しているようでした。
「ガアアアッ! どきなさいッ! じゃっ邪魔をッ! 邪魔をしないで、でえっ! くださいましぃッ! ウアアアアアッ! ワタクシをッ! 早ぐ! 早ぐゥ! 地下の通路へッェ……!」
彼女をあんな風に傷つけたというのにあの言葉、絞られた虹彩に歯をむき出しにして涎を垂らしながら叫ぶ彼女の姿は間違いなく常軌を逸しています。
だけど、それでも私は許せませんでした。
「行きますよ、ヒナタさん」
「はい……!」
私とヒナタさんは二人で前に出ます。
そして、素早く銃を構え、彼女の頭をセミオート射撃で撃ちました。
「ぐっ!? サ、サクラコっ……さぁん……!」
私を睨んでくる彼女に他のシスターが銃を構えますが、私はすっと片手を上げて止めます。
いくら狂っていても一旦話し合う場を設けたのは理解できたのか、フミさんも撃ってはきません。
ですが、そのまるで狂犬病を患った犬のような相貌と不自然に体を震わせる姿は尚の事不気味でした。
「なぁんですのぉ!? ワタクシの事、通してくれるんですのぉ!?」
「いいえ、今のあなたを素通りさせる気はありません。それよりもお聞かせください。あなたは何を求めているのですか? そして、なぜ我らの友人たる彼女にあんな事を言ったのですか?」
あの子は共にシスターフッドに入った頃から言っていました。
フミさんと並んで恥ずかしくない人間になるんだと。自分は他の子と比べても本当にただの庶民だけど友達になってくれた彼女に、そしてミネさんのような他の立派な友人達と能力で肩を並べられるようになりたいんだと。
実際、彼女はそのために人一倍シスターフッドの“一般的な活動”も“表にはできない活動”もどちらもとても励み結果を残して来ました。
そうした実績からシスターフッドの記録係という役職についた彼女は、私にとってもかけがえのない友人の一人だったのです。
そんな彼女に対し、フミさんは絶交を言い渡しながら銃口を向けました。
……これほどまでに、腹立たしいと思った事はありません。
「何をォ!? そんなの決まってますわよォ! ワタクシは! 幸せになりに行くんですのよっ! 地下の先にはそのための場所があるんですの! だから通してくださいましっ……! ……お願い、通して……通してよぉ……」
それまであまりにも乱暴でらしくない言い方をしていた彼女が、今度は一気に卑屈に懇願を始めました。
それも本当に辛そうで涙も流していて、さすがに演技には見えませんでした。これが演技なら彼女は今すぐ女優になるべきでしょう。
ですが、私は態度を崩さず問い詰めます。
「まだ質問に完全に答えて貰っていませんが。どうして彼女にあんな事をしたんですか? 幼少期からのお友達だったのでしょう? 仲の良い間柄だったのでしょう? あんなにもあなたを慕ってくれた彼女に、なぜ……!」
「……だって、だってだってぇ……! ワタクシの、邪魔を、したから……ワタクシ、もう、耐えられなくて、耐えられなくて……。……そもそもなんなんですのよぉあの子はぁ!! ワタクシがこんな苦しいのに訳知り顔で言いやがって! んだよぉ、男いるからって自慢してんのかァ!? くそっ、くそっ、くそっ……ワタクシは、ワタクシは、アァァアアアアァッ!!!!」
フミさんは突然破裂した水風船のように唐突に発狂し私に銃口を向けてきました。
でも、それは私の隣から響いた重々しく響く銃声によって防がれます。
「……申し訳ありませんフミさん。でも……今のあなたには、さすがの私だって、怒りたくもなるんです……!」
ヒナタが珍しく厳しい顔つきで言いました。
彼女の拳銃“ブレッシング”のマグナム弾がフミさんの右肩を大きく撃ち弾いたのです。
「アアアアアアアアアアアッ……!?」
ソレに対し、大仰な悲鳴を上げるフミさん。
あれはまるで、痛みが何倍にも倍増されているかのような……。
「……まさか!?」
と、そこで私はとある存在の事を思い出しました。
かつてのトリニティの歴史の中で闇に葬り去られた“汚点”の一つ。
歴史と共に消え去ったユスティナ聖徒会についての記述を調べていくと、ごくわずか、かつ断片的にですがその名とそれにまつわる悲劇について知る事ができます。
ユスティナ聖徒会の中において、戒律の守護者としての責務に耐えられなかった者達が己を忘れ任務を遂行するために使ったと言われる秘薬。
本当に限られた途切れ途切れの内容でしたが、今のフミさんは考えてみればその秘薬を使った際の諸症状と似通っているように思います。
今の今まで完全に消え去った過去の遺物としか思っておらずこういう機会がなければ思い出す事もなかった薬物。
その名も――
「――『ヘイロー・バイ・インドゥルジェンス・レター』……」
「…………アぁ、ああああっ……!? やっぱり、やっぱり知ってたんですのね歌住サクラコっ! 渡しなさい! それをワタクシに渡せっ! ワタクシを助けてくれる、それを、この地獄から救い出してくれる、それを渡せぇええぇ……!」
より正気を失っていると言うのが相応しい様子で銃を構え撃ってくる彼女。
ですがそれによりダメージを負うシスターはいても、倒れるシスターはいません。
間違いなく、彼女は弱くなっています。
そもそもフミさんの強さというのは練り上げられた基礎的な戦闘技術とどんな突飛な妄想から始まった戦いでも戦況は冷静に判断する戦術眼でした。
フミさんはそういった基本的なスキルが高いからこそ医療だけでなく戦闘でも副団長の座に相応しいお方であったのだと思っています。
ですが、今の彼女はどうでしょうか。
闇雲に銃を撃ち、カバーに隠れる事もせず、ただ喚きながら暴れるだけ。
あまりにも見る影がありません。
それもユスティナが使用していたと聞く秘薬の毒にやられたせいと言うならば、どうして貴方程の人が……と思わざるを得ませんでした。
「ああああああ……あ……あああああっ……!?」
フミさんの声がどんどんと力を失っていきます。
本調子であったならばこの人数差と人員を一人で巻き返されてしまう可能性もありましたが、今回に限っては私達の負けはないと言えます。
「……すみません、これで終わりです!」
そして完全に戦闘不能とするためにヒナタが普段から持ち歩いているカバンからグレネードランチャーを取り出し、榴弾を浴びせかけました。
「いやああああああああああああああああああああっ!?!?」
爆炎の中で悲鳴を上げるフミさん。
立ち込める煙が薄くなって見せた彼女の姿は、床に膝をついて倒れゆく
「はぁ……はぁ……はぁ……」
「……終わりですね」
まだ意識を保っている彼女を完全に気絶させるために私は彼女に歩み寄ります。
一体どんなきっかけで彼女が伝説の秘薬を手にし、こうなってしまったのかは分かりません。
ですが、友としてせめて最後は私自ら、という感傷的な気持ちで近づいたのは間違いありませんでした。
「サクラコ様……!」
「いえ、いいんです」
シスターのみなさんが動揺していますが私は歩みを止めません。
確かに未だヘイローを残す彼女はまだこちらに反抗しようとしてくるでしょう。
「……このォッ!」
このように、私の頭目掛けて空になっていた黄金のパンマガジンを投げてきたように。
「危ないっ!?」
「…………」
ですが、私は顔を一ミリも動かす事はありませんでした。
その投げ始めの軌道から当たる事はないと分かっていたからです。せいぜい顔の横をかすめ髪の毛を数本千切って宙に舞わせた程度。
投げられたパンマガジンが背後で失速して床に落ちる音を響かせました。当然振り向くまでもありません。
今度は私が床にうつ伏せに倒れる彼女に銃を向ける事となりました。
「終わりです。最後に何か言い残す事はありますか?」
できるなら彼女の本音を聞きたい。
心に秘めた苦しみ、悩みを打ち明けて欲しい。
昔から政治の場でしかなかった家同士の社交パーティーの場にたった一人で家名を背負い現れていた気高いあなたに戻ってほしい。
友としてお互い笑い合えたあなたに、帰ってきて欲しい。
私はそう思い、彼女にどうか気持ちを打ち明けて欲しいと頼みました。
すると、彼女は何か口を開き、ボソボソと言い始めたのです。
「……い……ども……い……」
「なんですか? 聞こえません。はっきりとお願いします」
「……こい……来い……」
「え……? それは、どういう――」
「――《来いッ! 走狗共ッ!》」
彼女の大声が、聖堂に響き渡りました。
すると、まさしくその言葉に呼応するかのように
「馬鹿な……なぜ、ユスティナ聖徒会のミメシスがここにっ!?」
エデン条約のあの日、アリウススクワッドが使役した亡霊達が私達をぐるりと聖堂の中で取り囲んでいたのです。
さすがにこんな事は、予想していません……!
「……はは、ははははははははっ!? やって、やってみるもんですわねぇ!? アハハハハハッ!? ユスティナ直系のシスターフッドの聖堂に、呪われた血を持つワタクシ……これならばもしやと思いましたが、アァー良かったですわぁ……! これでワタクシ、行けるんですものォ!? 愛しい愛しい隠れ家へぃ……! 《ユスティナ信徒共ォ! こいつらを足止めして倒しなさいなぁ!》 アハハハハッ! ハハハハハハハハッ……! アーッハッハッハッハ……!」
彼女は彼女らしくない普通な笑い方でよろよろと立ち上がり聖堂の奥へと歩んでいきました。
私はそんな彼女を止めようと銃口を向けます。
「待ちな……くっ!?」
ですがそれはユスティナ信徒のミメシスに阻まれます。
今、この聖堂で彼女と戦っていたのは私とヒナタさんを含めて十二人。
一方でユスティナ信徒の総数は五十を下らないでしょう。
「きゃあっ!?」
「くはっ……!?」
なんとか応戦するシスター達ですがその数と力に押されて徐々に旗色が悪くなっています。
きっと聖堂の他のエリアにいるシスター達も似たように足止めを食らっていると思います。
「そんな……私は、まだ、彼女に……!」
フミさんに手を差し伸べてあげたいのに、彼女が私の手を握ってくれない。
ならばとそれでも慈愛の手を差し伸べ続けるのが私達シスターフッドなのですが、それには結局手の届く距離に相手がいないといけません。
ですが、これでは……!
「サクラコ様! 危ない!」
「っ!? ヒナタさん!」
私を狙った死角からの狙撃、それをヒナタさんが庇ってくれました。
ですが今この場でもっとも火力を出せるヒナタさんがそれで傷を負い、意識はあるもののこちらの弱体化は必至でした。
明確に、私達の敗北が目に見えてきました。
「私は結局……友人に何もする事ができないまま……!」
浴びせかけられる銃弾の嵐の中、私が悔しさで表情を歪めてしまった、そんなときでした。
「救護が必要な場に救護を!」
あまりにも聞き慣れた凛々しい声が、聖堂に響き渡りました。
「皆さん、大丈夫ですかっ!?」
「ミネさん、救護騎士団の皆さん! それに……先生も!」
ミネさん、セリナさんにハナエさん、救護騎士団の団員の皆様。そして他でもない先生。
このキヴォトスで最も頼れる方々が来た、そう思いました。
「ハアッ!」
ミネさんがまさに重戦車の如き勢いでユスティナ信徒を盾で吹き飛ばし、私の背中に背中を合わせました。
「すみません、サクラコさん。私の至らなさのせいで遅れてしまい……!」
「話は後です。まずはこの場を切り抜ける事、そうでしょう?」
「ええ……では、先生。指揮をお願いします!」
ミネさんと共にこちらに来てくれた先生。
彼はミネさんの言葉に、とても頼もしく頷き、言いました。
「分かった……行くよ、みんな!」
『はいっ!』