明らかに何かがおかしい、だというのに私はフミに踏み込めずにいました。
一度強く拒絶されてしまった事で怯えが生まれ、そのせいでつい接触しないよう避けてしまっていたのです。
ですが私はそんな自らの行いを今、とても後悔しています。
まさかシスターフッドの聖堂を急襲するほどに彼女がおかしくなっていたなんて……。
「『ヘイロー・バイ・インドゥルジェンス・レター』……まさかそんなものが存在していたとは……そんなモノを彼女が使用していたのに気づけなかったなんて……! 私は己を恥じます……!」
聖堂にいたミメシスを蹴散らした後、私は地下への道をサクラコさん、そして先生との三人で進みながら言いました。
サクラコさんは道案内をしてくれ、そして先生は私達が心配だからと後ろからついてきてくれています。
嬉しいと同時に、私が彼との恋に浮かれていたせいでフミの苦しみを知る事ができなかったのだという後悔にまた苛まれてしまいます。
「仕方ありません、私とてあのフミさんの狂った姿を見るまでその存在を思い出す事もなかったですから。……恐らく、こちらでしょうね」
サクラコさんが複数に分かれた道のうちの一つを指さしました。
なぜいくつもある道の中からフミが通った道を選べたのか、それはすぐに分かりました。
彼女が示した道は荒い岩壁や地面、天井に細い鍾乳石や石筍、石柱などが目立つ道だったのですが、それが明らかに人の力によって壊されているのです。
フミがおぼつかない足取りで乱暴に通り抜けたのがそれだけで伺えます。
「こっちにフミが……急がないと!」
「お待ちくださいミネさん、確かに彼女が行ったのはこの先で間違いないでしょうが、先頭は変わらず私が進みます。この地下通路については私の方がはるかに詳しいですから、不意の事態が起きてもあなたよりは対処しやすいかと」
「……それは……分かりました、すみません。我ながら冷静さを欠いてしまっている自覚はあるのですが……」
「それはしょうがないよ、フミはミネにとって大事な友達なんだ。それが今大変な事になってるのなら焦っても仕方ない。なんならミネは私が知る分じゃあよっぽど冷静に動けている方だと思うよ」
サクラコさんを先頭にして進みながらも先生がそう言ってくれました。
このキヴォトスにおいて数々の難事件を解決してきた彼です、きっと似たように友のために我を失ってしまった生徒を沢山見てきたのでしょう。
彼の言葉に、私は勇気づけられます。
「ありがとうございます……」
「とはいえ、急ぎたい気持ちは私も一緒です。先程彼女のヘイローを見たのですが……一部が非常に黒ずんでいました。『ヘイロー・バイ・インドゥルジェンス・レター』が齎す副作用に関しては私も詳しくないのですが、あれはどう見ても危険な状態かと」
「ヘイローが……黒ずんで? 少なくともセリナの報告ではそんな事はなかったはずなのに……」
私が異常事態に気づいたのはセリナからの報告がきっかけでした。
フミがまるで人が変わったかのように乱暴になっていた、これは絶対何かがおかしい、だから先生に相談をした、という報告。
それに私は驚き、いち早く先生に合流、そして荒らされた薬品保管庫を見つけてそこから彼女の足取りを皆で追って聖堂にたどり着いた、そういう経緯がありました。
「薬の禁断症状による身体的な副作用が一気に進行した……? しかし、それがなぜヘイローに……?」
「……あくまで断片的な情報からの個人的な推察にしか過ぎませんが、『ヘイロー・バイ・インドゥルジェンス・レター』はただの薬物ではなく、その名の通りヘイローにすら干渉する特別な力を秘めた薬物の可能性があります」
「ありえるね……これまでこのキヴォトスにおいて騒動を起こしてきた連中もそれぞれ自分勝手な研究と証明のためにみんなの“神秘”に干渉しようとしてきていたし、実際に効果を出していたものもあった。ヘイローに干渉するような薬が大昔に作られていたとしてもおかしくはない」
「そんな……では、フミは……いえ、今はとにかく彼女の下にたどり着くのが先決です。とにかく急ぎましょう、サクラコさん、先生」
「ええ」
「分かった」
私達は頭によぎる最悪の可能性を考慮しながらも、それで足取りが送れぬようにとそれ以降は口を開かずに進みました。
するとやがて洞穴は上り道となり、その先にあったはしごを登って内側から蓋を開きました。
私達が出たのはどうやら小さな納屋の中らしく、そのまま外に出るとそこにあったのは森に囲まれた全景を確認する事もできない程に大きく古い屋敷でした。
「これは……随分と立派なお屋敷ですね。こんなものが今まで見つからずにいたとは。そもそも、ここは一体……」
「……もしかしたら、ここはキヴォトス樹海の奥地なのかもしれません」
サクラコさんの疑問に答えるように、私は周囲の森を伺って見ました。
「樹海の……?」
「ええ。先生、覚えていますか。以前二人でキヴォトス樹海に遭難者を探しに来たときの事を。生えてる木々や、なんと言いますか、空気の感じといいますか……とにかく、似ていませんか?」
「確かに……私達が迷ったのは道の直ぐ側だったけれど、あのまま奥に迷い込んだらこうだったんじゃないかなって雰囲気だね。それに……」
そこで先生がスマートフォンを取り出してみます。
つられて私達も見ると、その画面には圏外が表示されていました。
また、衛星通信からのGPSも機能しておりません。また、ふと懐からサクラコさんが出した方位磁石――なぜ彼女がそんなものを持ち歩いているのかはあえて問いませんでしたが、なんとなく想像はつきます――もぐるぐると回転して完全に狂ってしまっています。
あのときはただの噂だったのだと思ったあらゆる通信を遮断する樹海の姿が、今ここにありました。
「古のユスティナが用いたとされる人避けの術法、でしょうねこれは。特定のルートを通らなければ森で迷いこの屋敷にはたどり着けないようになっている。キヴォトス樹海を踏み込んではいけない場所にしたのはこの屋敷だった、その可能性すらありますね」
「……フミは、そんな屋敷に……怪しい秘薬を求めていつも……行きましょう、彼女をなんとしても探し出さねば」
私達は決意を新たにし屋敷に入りました。
大きなエントランスから進む屋敷の中は想像以上におぞましい場所でした。
そこら中に転がる白骨死体。その服装がかつてのトリニティの様々な組織の生徒、さらにはキヴォトスに住まう大人もいたのだと分かるものがあり、それでいて屋敷内部の装飾はとても質が高く長い時間が経っているというのにその美しさが損なわれていません。
あまりにも多くの生徒がここで薬が与える夢幻と共に命を捨てていた事が伺い知れます。
「フミ……!」
私の胸中はどんどんと不安が大きく膨らんでいきます。
――このままだと、彼女も……!
途中から私達はそれぞれ三手に分かれて探す事にしました。
そうでなければ見つかりそうもなかったからです。
またそれからしばらく私は一人で捜索を進める中で見つけた一つの扉、それを開くと、そこに広がっていたのはとても大きな室内庭園でした。
「これは……」
太陽はいつしか沈んでいて、とても美しい月光が庭園を照らしています。
そして、その月光の下には花弁を散らし実を結んだ花が並ぶ歪な光景の花畑が広がっていて――
「――フミっ!?」
月明かりに照らされた花のない花畑の奥の中で、倒れている姿がありました。
フミでした。
駆け寄ると、その一帯には乱暴に実をもがれた花々、転がる見知らぬ沢山の危惧やガラス瓶と古めかしく大きなカバン、そして注射器。
これはきっと薬物を即席で精製するキットか何かで、彼女はいちいち身を運び出して作る時間すらも惜しんでこの花畑の中で薬を造った、そういう事なのでしょう。
その証拠とも言うべきか、倒れるフミの左腕には何度も同じ場所に刺したのが分かる黒ずんだ注射痕があり、話に聞いた通りヘイローも一部が黒く変色していました。
まるで、壊死をしているかのように。
「フミっ! フミ! フミ!」
ヘイローがあるということは意識を失っている訳ではないという事。
私はつい呼吸の確認や気道を確保、激しく傷病者を揺らしてはいけないなんて救護活動における最低限の事も忘れて彼女を抱きかかえて揺さぶってしまいました。
「あ、あ、あぁ……ミ……ネ……? ……ゲホッ! ゴホッ! ゴホッ! ゴホゴホゴホッ! オエエエッ……!」
激しい咳込みからの嘔吐に体の痙攣。
開かれた目は焦点が合っておらず、嘔吐後の呼吸は酷く浅い。
これは間違いなく薬物依存の末期症状、
「フミッ!? そ、そんな……駄目、です……今の環境では適切な処置が……ここでは救急車も呼べないし、運んでる時間も……そもそもヘイローを侵す薬物など一体どう処置をすれば……!?」
「……ミネ……あ、あ……ははは……最期に……あなたの幻覚を見る、なんて……やっぱり……ワタクシ、未練、タラタラ、ですのねぇ……は、はは……」
混乱してしまっていた私に、彼女がとても小声で呟きました。
「フミ!? 私はここにいます! あなたの幻覚ではありません! 蒼森ミネは、確かにここにいますッ!!」
私は絶叫に近い叫びで彼女に呼びかけます。
ですが、彼女はただ諦めたように笑っていました。
「ああ……まぁ、幻覚でも、いいですか……自己満足でも……最期に……あなたに、謝れるんですから……」
耳がもう、聞こえていないようです。
彼女はもう、諦めてしまっているようです。
それがあまりにも悲しくて、あまりにも無力が悔しくて、どこか同じく諦めてしまっている自分がいるのが腹立たしくて、涙が目から溢れてしまいます。
「フミ……フミ……」
「……ごめん、なさい……あなたの、事……好きになってしまって……」
あまりにも後悔に沈んだ顔で、彼女は言いました。
「あなたを好きになったから……みんなを、悲しませて……酷いこと、しちゃって……たくさんの人、傷つけちゃいました……全部、ワタクシのせい…………あなたに、恋なんてしなければよかった……あなたに、会わなければよかった……私なんて、生まれなければ……良かったんです……そうすれば、きっと、みんな、幸せだった……」
フミの言葉に、息が詰まりました。
否定する言葉すら止まる程に、肺が握りつぶされた感覚に陥りました。
心臓が押しつぶされるような気持ちになりました。
「申し訳ありません……生まれてきて……申し訳ありませんでした……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……この世にいてしまって、ごめんなさい……もう、ワタクシ、消えるから……皆さん……ワタクシの事、忘れてくださいまし……お願いします……お願い……忘れて……忘れて、よぉ……ワタクシの事……なかったことに、して……」
自分の生の事実こそが悪かったのだと、存在しなかったらよかったと、自分自身の存在を後悔して謝罪する彼女。
自分の事を忘れてと懇願する彼女。
今までのすべてが間違っていたのだと、これまでの生すべてを「嘘」にしたいと願うその姿。
そこまで追い詰めたのは、きっと、私で……。
「や、めて……やめっ……や……うっ……うううっ……えぐっ……あっ、ああああああっ……! うわあああああああああああああああああああああああああああああああ……!」
私はそんな彼女を抱きしめ、泣き喚く事しかできませんでした。
大声で幼児のように絶叫するしかありませんでした。
私には何も出来ない。
私の救護の手は彼女には届かない。
だって、その手の届く範囲にはもう、フミはいないから。
フミは私の手を取ってくれないだろうから。
私はただ、大切な親友が後悔の中で沈んでいくのを、見ていくしかないんです。
「うううっ……うううう……ひっぐ……うっ、う、うう…………」
ごめんなさい、フミ……謝らないといけないのは、私です……ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……。
「……ミネ、諦めるのはまだ早いよ」
たくさん泣いて疲れて声もでなくなった頃でした。
後ろから、とても優しく安心する声と言葉が聞こえてきました。
振り返ると、そこには知った彼らの姿があったのです。
「先生……サクラコさん……」
「……ミネさん。一つだけ、助け出す方法があるかもしれません」
彼女は手にとても古めかしい本を抱えながら、言いました。
「壊死したヘイローの、切除手術を行うんです」