訓練場を後にした扇は、忌庫へと続く廊下で足を止めた。
遠くから、乾いた銃声が聞こえた。
一発。間を置いて、さらに一発。
扇は眉をひそめ、背後を振り返る。
(銃声……? 真依か?)
銃声が鳴り響くたび、忌庫に放っていた呪霊の気配が一つずつ消えていく。
だが、所詮は拳銃だ。
「……術師は日々鍛錬した体を、さらに呪力で強化して戦う。一般兵器に頼るオマエはそこ止まりだ」
(弾を持ち込んでいる様子はなかった。ならば構築術式で弾薬を構築しているはずだが、構築術式は呪力効率が悪い。加えて真依の呪力は微々たるもの)
しかし、銃声は呪霊の気配が消えるまで止むことはなかった。
(随分としぶとい)
本来ならば、とどめは呪霊に刺させるつもりだった。自ら手を下す価値すらない。そう考えていたが、これ以上の抵抗を許せば、家中に無用な混乱を招く。
もうよい。
この手で決着をつける。
銃弾であれば、扇に届くより先に刀で打ち落とせる。真依がいかに構築術式を駆使しようと、正面から扇を破ることなどできるはずがない。
扇は刀の柄へ手を添え、呪力を練り上げた。刀身を包む炎が暗い通路を照らし、周囲の空気を揺らめかせる。
「
扇は炎を纏った刀を構え、腰を深く落とした。銃口がどこから現れようと、撃たれた瞬間に斬り落とす。真依が姿を見せたならば、そのまま一息に斬り伏せる。
かすかな足音が聞こえる、その姿が扉の陰に見えた。
「来い! 出来損な――」
空気が爆ぜた。
雷鳴にも似た轟音が忌庫を揺らし、衝撃が扇の頭を弾き飛ばした。
刀を振るう暇も、炎を盾にする暇もなかった。
一般的な拳銃弾とは比較にならない。音速の三倍にも迫る弾丸が、扇の認識を置き去りにして頭部を撃ち抜いた。
扇の身体は、何が起きたのかを理解することすらないまま崩れ落ちる。床に落ちた刀から炎が消え、焦げた臭いだけが通路に残った。
真依は倒れた父の横を通り過ぎた。
足を止めることも、振り返ることもない。
その右手には、銀色の光を帯びたリボルバーが握られていた。磨き上げられた銃身は、忌庫の薄闇の中でも鈍く輝いている。
真依はその重みを確かめるように、わずかに指へ力を込めた。
「始めるよ、“真希”」
◆◆◆
――カン、カン、カン。
半鐘がけたたましく打ち鳴らされていた。
禪院家の屋敷内を、武装した男たちが慌ただしく駆け抜けていく。廊下を踏み鳴らす足音と、互いに指示を飛ばす怒声が、重なり合って響いていた。
騒ぎを聞きつけ、
甚壱は行き交う者たちへ視線を向ける。
「警鐘か?」
直哉は露骨に顔をしかめ、耳障りそうに半鐘の方を見上げた。
「なんや、やかましいな」
そこへ、禪院家の精鋭部隊「
「甚壱さん!」
「蘭太か。何があった」
「真依が乱心しました! 扇さんを殺害! 現在は
甚壱の眉がわずかに動く。
「……扇が?」
直哉も一瞬だけ目を見開き、蘭太の顔を見返した。
「殺されたんか……?」
声には驚きが滲んでいたが、父を失った者への哀悼はなかった。あるのは、真依が扇を殺したという事実に対する疑念だけだった。
◆◆◆
躯倶留隊。
術式を持たない禪院家の男子が入隊を義務づけられる戦闘集団である。術式を持たぬとはいえ、幼少期から
その隊員たちが、屋敷の各所へ散って真依を捜索していた。
「扇さんだって、寝込みや便所で襲われりゃ不覚を取ることもあらぁな。人間、不意の銃撃を躱すのは難しいだろ」
躯倶留隊隊長、禪院
信朗は、自分を追い越していく隊員たちの背へ向けて声を張った。
「お前らも注意しろ。相手は銃を持ってる。正面からならどうとでもなるが、真依は身を隠してる。ゲリラ戦が長引くと面倒だぞ。さっさと見つけろ」
隊員たちは短く返事をし、足を速める。
信朗は首を鳴らし、不意に思い出したかのように付け加える。
「ああ、殺すなよ」
その目には、真依を同じ一族の人間として見る色などなかった。
「シメは俺がやる」
◆◆◆
禪院家の敷地を囲う林の中で、真依は身を潜めていた。
木々の隙間を抜ける風が、頬を撫でていく。遠くでは半鐘が鳴り続け、屋敷から飛び出した男たちの声が林の中にまで届いていた。
真依は太い枝の上に身を伏せ、手にした銃へ目を落とす。
銀色のリボルバー。無機質なはずの金属から、懐かしい気配を感じていた。
その重さに触れていると、最期に交わした姉との会話が蘇ってきた。
――だから、最期に一つだけ頼めるか。
――私にお前の居場所を護らせてほしい。
真依は真希の頼みを受け入れ、姉の魂の器として新たな呪具を構築した。
魂だけでも、これから先も共にいるために。
真依が一人になったあとも、その傍らに居続けるために。
そして、自らがいなくなったあとにも、真依を守るために。
真希は己の魂を新たに構築された器へ宿し、その呪具の核となった。
――アンタが銃なんて、似合わないわね。
――でも、オマエは刀使えねぇだろ?
真依は、少し前に交わしたそのやり取りを思い出す。あのときは、本当に似合わないと思った。
力で敵をねじ伏せ、刃の届く距離まで自ら踏み込んでいく真希と、遠くから相手を撃つ銃。その二つは、まるで結びつかなかった。
でも。
屋敷の一角にある広場へ、数人の男たちが姿を現した。周囲を警戒しながら、木陰や建物の裏へ視線を走らせている。真依を捜しているのだろう。距離は、およそ五百メートル。
真依は枝へ身体を預けたまま、銃口を向ける。呼吸を整え、照準の先にいる男の動きを読む。
真依の指が、引き金に触れる。轟音が林を突き抜けた。
発射とほぼ同時に、広場に立っていた男の頭部が弾け飛ぶ。周囲の男たちは、何が起きたのか理解できないまま地面へ伏せた。
「――撤回するわ」
真依は反動を受け止めながら、銃身をわずかに下げた。
「かっこいいわよ、お姉ちゃん」
◆◆◆
銃声は止まなかった。
乾いた発砲音が一定の間隔で繰り返されるたび、躯倶留隊の隊員が一人、また一人と倒れていく。
「おい! どうした!?」
信朗が現場へ到着したとき、先行していた躯倶留隊はすでに壊滅に近い状態だった。
広場には身体の一部を失った隊員が倒れ、壁や地面には大きく抉れた弾痕が残されている。生き残った者たちは建物や石垣の陰へ身を隠し、銃声が響くたびに身体を縮こまらせていた。
「とても反応しきれない速さです!」
遮蔽物の陰にいた隊員が、信朗へ声を張り上げる。
「撃たれてからじゃ遅い! 音が聞こえたときには、もう当たっています!」
信朗は壁の陰へ入り、倒れた隊員たちの様子を確認した。
速いだけではない。
人体を容易に引き裂いた弾丸の威力も異常だった。石造りの壁へ刻まれた銃痕は深く、一発ごとに周囲へ細かな亀裂が走っている。
拳銃で生み出せる破壊力ではない。
「どういうことだ? 対物ライフルでも持ち込んでんのかよ」
信朗は物陰からわずかに顔を出し、銃声が聞こえた方向を探る。
遠くの木、光が見える。
一見、ライフルのスコープに覗かれているかのように思えるそれだが、信朗にはハッキリとその正体が見えた。
(ただの鏡……?)
弾の速度と威力から狙撃用のライフルだと想像させる
あれは陽動だ。
「もう向こうに真依はいねぇ! 光ってるアレはただの鏡だ! きっと、もう別の場所へ移動し――」
その瞬間、信朗の側面にある茂みがわずかに揺れた。
轟音。
近距離から放たれた弾頭が音速を超えて飛来する。
信朗は銃口へ顔を向けることすらできなかった。弾丸は頭部を捉え、そのまま首元までを一撃で吹き飛ばす。血飛沫が壁に広がり、頭部を失った身体がその場へ崩れ落ちた。
茂みの奥で、真依が独り言ちる。
「この家の暗いところなら、誰よりも詳しいわ」
真依は再び茂みの奥へ身を沈める。
きっと真希なら、正面から屋敷へ踏み込み、立ちはだかる者を一人残らず薙ぎ倒していくだろう。壁を破り、罠を踏み越え、相手の数すら意に介さずに。
けれど、真依にはそんな戦い方はできない。力も、速さも、頑丈さも、真希には及ばない。
だからこそ、相手に姿を見せない。距離を測り、死角を選び、相手が気づくより先に撃つ。
卑怯と呼ばれようが、臆病と蔑まれようが構わなかった。正面から戦うことだけが、強さではない。
真依は銀色のリボルバーを握り直す。
「ええ、分かってるわ」
手の中にある姉へ語りかけるように、小さく呟いた。
「これが、私の戦い方」
通路の死角。
人の寄りつかない古い蔵。
梁が複雑に入り組んだ屋根裏。
外から屋敷を見渡せる外周の塀。
かつて真依は、この家の中で自分の居場所を探していた。
人目を避けられる場所を探し、誰にも責められずに息をつける場所を探し、姉の帰りを一人で待てる場所を探していた。
その記憶のすべてが、今では禪院家を壊すための地図になっていた。