砂埃の中から姿を現した真依を、直哉は少し離れた場所から見据えていた。
「非道いなぁ」
崩れた屋敷と抉れた地面を見回し、直哉は肩をすくめる。
「自分とこの家を、ここまで滅茶苦茶にするなんて。人の心とかないんか?」
「どの口が言ってるのよ」
真依は銃口を下げることなく答えた。
「家族を殺されても、眉一つ動かさなかったくせに」
直哉の口元から笑みが消えるより早く、真依は引き金を引いた。
銃声とともに、弾丸が直哉へ迫る。
だが、既に
弾丸が背後の木の幹を粉砕する。
「その弾は、確かに俺より速い」
声が聞こえた時には、直哉は真依の懐へ入り込んでいた。
「威力も十分や。でもな――」
真依が銃口を向け直そうとするより早く、直哉の拳がその身体を捉える。
「狙いを定めて、引き金を引くオマエが遅すぎる」
腹部への一撃。
真依の身体が宙に浮き、地面を何度も転がった。受け身を取る間もなく瓦礫へ激突し、肺の中の空気が一息に吐き出される。
「しょうもないで」
直哉はゆっくりと拳を下ろした。
「術師は、その身一つで戦えて一人前や。道具がなければ何もできんような奴を、術師とは呼ばへん」
真依は地面に倒れたまま、すぐには動かなかった。
直哉はその姿を見下ろしながら、先ほど拳に残った感触を思い返す。
(でも、なんや。妙な感触やったな)
骨を砕き、内臓まで届くはずの一撃だった。
だが、真依の身体には予想以上の抵抗があった。
(少し頑丈になっとる? 何かあったんか。それとも、あの呪具の効果か?)
真依は起き上がろうとした。
しかし、身体が動かない。
直哉の術式によって触れられた際、一秒間の動きを規定できなかった者は、一秒間その場で硬直する。
一秒。
硬直が解ける。
真依は反射的に銃を構えた。
だが、直哉は既にその場から駆け出している。
(タイミングを合わせて離脱した……!)
真依は痛みに顔を歪めながら、直哉が消えた方向へ視線を走らせた。
(相手を硬直させられる時間が決まっている。おそらく一秒……!)
一方、直哉は投射呪法によって加速しながら、真依の能力を分析していた。
(持ってた武器は、呪具らしきリボルバー一丁)
先ほどの弾丸の威力は、通常の拳銃で生み出せるものではない。真依自身の呪力だけで、あれほどの破壊力を生み出したとも考えにくかった。
(威力の種は、おそらくあの呪具や)
だが、疑問は残る。
(問題は弾数や。無数の弾丸まで、あれが用意しとるんか?)
それは流石に能力を積み過ぎている。そのような呪具は成立し得ないだろう。しかし、真依の服装を見る限り、大量の弾薬を携行しているようには見えない。
(弾は持ち歩いとるようには見えへん。なら構築術式か? 以前よりは立派な呪力になっとるようやけど……)
直哉の記憶にある真依の呪力とは、別物と言っていいほどの呪力の量と質。しかし、決して目を見張るほどのものではない。
(まぁ、そう何度も構築術式は使えんはずや)
直哉はさらに速度を上げ、真依の周囲を旋回する。
「ほら、狙いつけてみぃ」
声が前方から聞こえた直後、今度は背後から響く。
「つけられるんならな!」
真依が振り向いた時には、直哉は既に別の軌道へ移っていた。
銃口が追いつかない。
照準を合わせるより早く、直哉の姿が視界から消える。
直哉は十分に加速したところで地面を強く蹴った。
今度こそ、一撃で終わらせる。
最高速度に近い状態から放たれた拳が、真依の腹部へ深く突き刺さった。
骨が軋む。
臓腑が潰れる。
真依の身体は凄まじい勢いで吹き飛び、地面を抉りながら倒れ込んだ。
銃が手から離れかける。
それでも真依は、指が白くなるほど強く銃把を握り締めていた。
「呆気ないなぁ」
直哉はゆっくりと真依のそばへ歩み寄る。
「これやから、道具頼りの術師は脆いねん」
血を吐く真依を見下ろし、直哉は薄く笑った。
「こんなんにやられたんじゃ、甚壱君らも浮かばれへんで」
真依は答えない。
答えるだけの力が残されていなかった。
それでも、銃だけは決して手放さなかった。
その銃を握っている間、真依には姉の声が聞こえていた。
(……動きを、事前に作ってる?)
微かな声。
それは耳から聞こえてくるものではない。
(……そう。決められた動きを、一秒間の中で……二十幾つかに分けてる)
真依には、真希の声が届いていた。
銃そのものが言葉を発しているわけではない。その声を聞くことができるのは、真依だけだった。
銃に目や耳が備わっているわけでもない。銃が外界の状況を観測し、直哉の術式を分析しているわけではなかった。
二人を繋いでいるものは、別にある。
――
禪院真希と禪院真依は、一卵性双生児として生まれた。
呪術において、一卵性双生児は同一の存在として見なされる。肉体は二つに分かれていても、その魂と呪力は強く結びつき、互いの存在に影響を及ぼす。
かつては、その繋がりが二人を縛っていた。
だが今は、その繋がりが真依を支えている。
真依が見聞きしたものが真希へ伝わり、真希の認識した情報が声となって真依へ返ってくる。
真依の目を通して、真希が直哉を観察している。
真希の観察眼によって見抜かれたものが、共振を通じて真依へ届けられていた。
さらに共振の影響は、肉体にも僅かな変化をもたらしていた。
真希が持つ身体的強度の一部が、真依の身体へ反映されている。
もちろん、真希と同じ肉体を得たわけではない。直哉の動きを完全に捉えられるほどの視力も、最高速度の一撃に耐えられるほどの強度もない。
それでも、直哉の動きの絡繰りに気が付くところまでは、目で追うことができた。
真依の指先が動く。
続いて腕が地面を押し、身体を僅かに起こした。
直哉が眉をひそめる。
(なんで動ける?)
先ほどの一撃は、多少身体が頑丈になった程度で耐えられるものではない。
(いくら少し丈夫になったいうても、動ける怪我やないはずや)
真依がゆっくりと立ち上がる。
口元には血が残っている。
だが、折れたはずの骨は身体を支え、潰れたはずの臓器も機能していた。
(治したんか?)
直哉の目が細くなる。
(コイツが、
あり得ない。
こんな落ちこぼれに、反転術式を会得できるはずがない。
そう断じながらも、直哉は真依との距離を取った。
「死にぞこないが!」
再び投射呪法を発動し、直哉は駆け出す。
「最高速度でぶち抜いたる!」
高速で駆ける直哉が地面を割り、岩を砕き、木々をなぎ倒す。
姿は見えない。
ただ、破壊の音だけが真依の周囲を巡っていた。
直哉はすぐには襲いかかってこない。
周囲を走りながら加速を重ね、十分な速度へ到達してから、とどめを刺すつもりなのだ。
真依はその間に、自らの身体を修復していた。
真依は反転術式には、まだ到達していない。
真依が用いたものは、浜辺で真希から返された呪力によって完成した、自身の構築術式だった。
――本当なら、最期まで一緒にいてやりたかった。
――護ってやりたかった。
――居場所を作ってやりたかった。
――また、あの頃みたいに暮らせる日が来ると、そう思っていた。
「私も一緒に、暮らしたかった」
真依は、誰に聞かせるでもなく呟いた。
二人が同じ時に、同じ方向へ手を伸ばせていたなら。
二人が互いを遠ざけることなく、同じ場所を目指せていたなら。
願っていた場所へ届くことができたのだろうか。
死の淵まで至ったことで呪力の核心に触れたこと。
幼い頃への憧憬。
姉を一人にした後悔。
もう一度、二人で生きたいという願い。
それらは真依の術式へ変化を促していた。
構築術式の
過ぎ去った時間の状態を
「
――「
扇から受けた致命傷も、甚壱から受けた致命傷も、直哉から受けた致命傷も、真依は自身の肉体を「健康だった状態」へ再構築することで修復していた。
傷を治したのではない。
傷を負う前の身体を、自身の上に再現したのだ。
しかし、構築術式が膨大な呪力を消費する性質であることに変わりはない。
大規模な肉体の再現を繰り返し、真依の呪力はほとんど残されていなかった。
もう一度、致命傷を負えば終わる。治療はこれで打ち止め。ここで決めるしかない。
真依は銃を握り直す。
もう、誰かの顔色を窺って生きるつもりはない。私たちは、自分たちの居場所を見つけるために進む。
望んだ光景は過去にあった。だが、目指す先は過去ではない。
真依は、未来へ向けて銃口を構える。
真希の観察眼と助言。真依が積み重ねてきた偏差射撃の技術。その二つがあれば、届く。
見えないほど速くとも、直哉の動きは無秩序ではない。投射呪法を発動する際、直哉は一秒後までの動きを先に定めなければならない。一度決めた軌道を、途中で変えることはできない。
ならば、現在の直哉を狙う必要はない。撃つべき場所は、直哉がこれから到達する地点。
術式によって、既に決定された未来だ。
(もう少し右)
真希の声が届く。
(そのまま。まだ撃つな)
真依は銃口を動かす。
直哉の姿は見えない。
聞こえるのは、木が折れる音と、地面が砕ける音だけだった。
(来る)
真依は呼吸を止めた。
(今)
引き金を引く。
撃鉄が落ちた瞬間、弾丸に込められた真依の呪力と、撃鉄に宿る真希の魂が衝突した。
放たれた弾丸は、現在の直哉ではなく、投射呪法によって定められた一秒後の直哉を目がけて飛んでいく。
直哉は最高速度に達していた。
真依との距離を一息に詰め、その身体を正面から粉砕する。
そのために決定した軌道を、直哉は既に走り始めている。途中で止まることも、曲がることもできない。
視界の中へ、弾丸が現れた。
直哉は、それが自らの頭蓋へ迫る光景をゆっくりと見届けることしかできなかった。
「この……!」
術式で定めた身体は、直哉の意思に反して前へ進み続ける。
「落ちこぼッ――」
弾丸が直哉へ到達する。
直後、直哉の胸部から上が弾け飛んだ。残された下半身は慣性に従って地面を滑り、木々をなぎ倒しながら、ようやく停止した。
破壊の音が途絶える。
真依は銃を構えたまま、しばらく動かなかった。
土煙が風に流され、その向こうに倒れた直哉の身体が見える。追撃の必要はない。
決着はついていた。
◆◆◆
日が落ち、辺りがすっかり暗くなった頃。
静まり返った禪院家の門へ向かって、真依はゆっくりと歩いていた。その腕には、真希の遺体が抱かれている。戦闘で傷ついた身体に、真希の重さがのしかかる。それでも真依は一度も立ち止まらず、姉を手放すこともなかった。
禪院家の門を出たところで、真依は西宮と出会った。
「真依ちゃん!」
真依の姿を見つけた西宮は、安堵したように駆け寄ってくる。
「無事だったのね……!」
だが、真依が抱えているものに気づいた瞬間、その足が止まった。
「あっ……」
西宮の顔から血の気が引く。
「そんな……」
声が震える。
「真希ちゃん……」
真依は腕の中の姉へ目を落とした。
「ごめんなさい」
真依は静かに言った。
「あと、頼んでもいいかしら」
西宮はすぐには答えられなかった。
それでも、やがて唇を強く結び、真依から真希の身体を受け取ろうと手を伸ばす。
「……真依ちゃんは、これからどうするの?」
真依は振り返り、暗闇の中に沈む禪院家を見た。
禪院家に属する者すべてが、今この場所にいたわけではない。
「まだ、終わってないから」
そう答えると、真依は西宮に背を向けた。
◆◆◆
その後、事件当日に禪院家を不在にしていた「
発見された遺体の一部は損傷が激しく、傷口からは、凶器となった呪具に由来するとみられる僅かな呪力が検出された。
捜査はほどなくして中止され一連の死は、非術師によるテロ、あるいは武装勢力同士の抗争に巻き込まれた結果であると処理された。