呪術廻戦 喪呪路   作:四月三十日

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網呪路

喪呪路(もじゅろ)?」

 

 時は、獄門疆(ごくもんきょう)から五条悟が解放された後――宿儺(すくな)との決戦を目前に控えた頃。

 

 集結した呪術師たちを前に、かつて夏油一派に属していたミゲルとラルゥが、ある情報を持ち込んでいた。

 

「そうダ。今、日本中に広がりつつある不自然な呪力の流レ……コレは、夏油がかつて計画していた呪力の送受信網――“喪呪路(もじゅろ)”と同じものだネ」

 

 ミゲルの言葉に、場の空気がわずかに張り詰める。

 

 喪呪路。

 

 それは夏油傑が百鬼夜行を計画する以前語った、術師と非術師が共生する道を模索するなかで構想した仕組みだったという。

 

「もともとは、非術師から自然に漏れ出す呪力を回収して、別の場所へ送り出すための仕組みだったらしいわ」

 

 ラルゥがミゲルの説明を引き継ぐ。

 

「非術師から生じ、漏れ出た呪力をその土地に留めない。それが喪呪路の目的よ。各地に巡らせた呪力の送受信網そのものが、周囲に滲み出た呪力を吸い上げる。そして回収した呪力を絶えず流し、循環させることで、一か所に澱みが生まれるのを防ぐ」

 

 呪力は、人間の負の感情から生じる。

 

 とりわけ呪力を制御できない非術師からは、それが無意識のうちに漏れ続け、土地に蓄積する。澱んだ呪力は、やがて呪霊を生む。

 ならば、澱む前に回収し、留まらないよう循環させればいい。

 

「そうすることで、呪霊の発生そのものを抑える。少なくとも、傑ちゃんはそう考えていたみたいね」

 

 それは夏油傑がかつて思い描いた、ひとつの理想だった。

 

 非術師を排除するのではなく、非術師から生じる呪いを仕組みによって管理する。術師だけが一方的に消耗し続ける世界を変えるための、別の可能性。

 

 だが、その理想は実現しなかった。

 

 構想は破棄され、その先で夏油は百鬼夜行を実行した。

 高専側(こうせんがわ)の術師たちは、誰も口を挟まずに説明を聞いていた。

 

 輪から少し離れた位置には五条悟がいる。普段の軽薄さを潜めたまま、彼もまた、今は亡き親友が遺した構想に耳を傾けていた。

 

 五条は、夏油がなぜこの構想を自分に語らなかったのかと、ほんの一瞬だけ考えた。いつ、この考えを持ったのか。高専を離れる前なのか、それとも後なのか。

 

 もし、前だったとしたら──

 

 その考えが、五条の胸に小さく引っかかった。

 夏油は語らなかったのか。それとも、自分が聞こうとしなかったのか。

 

「でも、この構想は結局、夢物語で終わったと聞いているわ」

 

 ラルゥは静かに続けた。

 

「私たちもすべてを聞かされていたわけじゃない。けれど、解決できない問題がいくつもあって、計画そのものを破棄したそうよ」

 

「一つ目は、展開方法だろうな」

 

 日下部(くさかべ)が腕を組み、現実的な問題を指摘する。

 

「日本全国に、それこそ隙間なく、毛細血管みてぇに経路を敷設する必要がある。時間をかけりゃ不可能じゃないのかもしれないが、人の手でやるには途方もない作業だ」

 

 日下部はそこで一度言葉を切り、現在確認されている現象と喪呪路の構想を頭の中で結びつけた。

 

「だが、今の喪呪路は実際に範囲を広げ続けている。となりゃ、普通に敷設しているわけじゃない。呪力か術式か、あるいは構築術式系の呪具か。増殖させていると考えるのが自然だろうな」

 

「天元様の結界と、死滅回游によって集められた呪力。その両方を利用しているってことか」

 

 誰かの呟きに、日下部は小さく頷いた。

 

 喪呪路は、髪の毛を媒体として作られた生体呪具(せいたいじゅぐ)だった。

 本来、それ自体に広範囲へ増殖する能力はない。しかし、かつて人間の呪物化を研究し、実用にまで至らせた羂索が手を加えたことで、喪呪路は自らを複製し、根を伸ばすための性質を与えられていた。

 

 あとは、天元の浄界によって日本各地が結びついているという環境と、死滅回游から供給される膨大な呪力を利用すればいい。

 

 地中に根を張る植物のように。

 あるいは、肉体の内側を這う血管のように。

 

 喪呪路は今も少しずつ、その支配領域を拡大している。

 

「二つ目の問題も、現在の状況と照らし合わせれば見えてくるわね」

 

 今度は冥冥(めいめい)が口を開いた。

 

 彼女は独自の情報網を利用し、すでに喪呪路が確認された地域の状況を調べていた。

 

「呪力の循環経路の周辺では、明らかな負の影響が観測されている。電線に例えるなら、送電そのものには成功していても、その周囲に好ましくない電場が生じているようなものかしら」

 

 喪呪路は呪力を回収し、流すことはできる。

 だが、その経路を通る呪力が周囲の環境に及ぼす影響までは、完全に抑えられていなかった。

 

 冥冥の傍らに立つ憂憂(ういうい)が、続けて報告する。

 

「さらに、急激に範囲を広げている影響でしょう。各地で、断線に類似した現象が確認されています」

 

「断線?」

 

「はい。経路の一部が損傷、あるいは増殖に耐えきれず破綻し、内部を流れていた呪力が外部へ漏れ出しています。漏洩地点では大規模な呪力の滞留が発生し、準一級以上と推定される呪霊の出現も確認されました」

 

 呪力を流す経路そのものが、事故の原因になり得る。

 周辺環境への悪影響。

 経路の破損による呪力漏洩。

 さらに、それを原因とする強力な呪霊の発生。

 

 これでは、社会基盤として利用するにはあまりにも不完全だった。

 かつて夏油が計画を中止したことにも、不思議はない。

 

 しかし、今回に限って言えば、その欠陥は羂索にとって都合のいいものだった。

 喪呪路が広がるほど、各地に呪力の異常が生じる。呪霊が増え、術師たちは対応を迫られ、戦力を分散させられる。

 

「羂索が喪呪路を広げてる理由って、何なんだ?」

 

 虎杖(いたどり)が尋ねた。

 

「やっぱり陽動か?」

 

「それもあるだろうが、この状況と結果を考えるとな」

 

 日下部は険しい表情を崩さないまま答えた。

 

「“慣らし”の予備計画だろう」

 

「予備計画?」

 

 虎杖の眉が寄る。

 

「でも、慣らしは死滅回游で終わってるんじゃないのか?」

 

「俺だって詳しい仕組みまでは分からねぇよ。ただ、羂索が天元サマとの同化を実行するには、“慣らし”と“死滅回游を終わらせること”の両方を満たす必要があるはずだ」

 

 日下部の説明を補うように、冥冥が口を開いた。

 

「死滅回游を終わらせる方法は、普通に考えれば二つある」

 

 彼女は指を一本立てる。

 

「一つは、総則(ルール)に従って泳者(プレイヤー)を全滅させること」

 

 続いて、二本目。

 

「もう一つは、死滅回游そのものを外部から強制的に終了させること」

 

「強制終了なんてできんのか!?」

 

 虎杖が思わず声を上げる。

 

「少なくとも、今すぐ実行できる方法ではないんだろうね。できるのなら、羂索はとっくにやっている」

 

 冥冥は冷静にそう返した。

 

「理由は分からない。けれど、“彼岸渡し”と呼ばれる慣らしもまた、大規模な結界術の応用である可能性が高い。死滅回游という結界を無理に壊せば、慣らしの効果そのものにも悪影響が出るのかもしれない」

 

 死滅回游の結界と、日本全土に施された慣らし。

 

 その二つが独立した術式ではなく、互いに影響を及ぼす構造になっているとすれば、結界を強制的に破壊することは羂索にとっても危険な賭けになる。

 

「けれど」

 

 冥冥は言葉を続けた。

 

「喪呪路が日本全国へ広がり、国土そのものを呪力で満たすことができたなら。死滅回游とは別の形で、慣らしの役割を代替できるようになったなら――」

 

「死滅回游を強制終了しても、慣らしの効果は失われない……!」

 

 虎杖が結論に至る。

 

 日下部が苦々しげに息を吐いた。

 

「つまり、俺たちには時間制限があるってことだ。もともと、そんなに悠長に構えていられる状況じゃなかったがな」

 

 羂索が喪呪路を完成させれば、死滅回游を正規の方法で終わらせる必要がなくなるかもしれない。

 そうなれば、羂索が次にどのような手段を取るのか火を見るよりも明らかだ。

 

 即時、死滅回游を強制終了させて同化を開始する。

 

「だったら、撤去も並行してやればいいんじゃねぇか?」

 

 (はかり)が単純な疑問を口にする。

 

「見つけた端から潰していけば、広がる速度くらいは落とせるだろ」

 

 だが、ミゲルは首を横に振った。

 

「喪呪路は、地面の下に根を張るように広がっていル。誰でも簡単に引き抜けるようなモノじゃナイ」

 

「それに、無理に撤去して傷つけたら、どうなると思う?」

 

ラルゥが続ける。

 

「喪呪路がただの細い管ならまだいい。でも、もし傷つけた場所が、人間の身体でいう動脈に当たる部分だったら?」

 

 乙骨(おっこつ)が息を呑み、答えを口にした。

 

「呪力の大氾濫が起きる」

 

 その場にいる者たちの視線が乙骨へ向く。

 

「経路を流れていた呪力が、一気に外へ噴き出す。最悪の場合、日本各地から回収された呪力が、一か所の破損部分に集中して溢れ出す可能性もある」

 

 一本の経路を断ち切っただけで、どれだけの呪力が漏れ出すのか分からない。

 それが末端なのか、幹線なのか。

 局所的な経路なのか、全国の呪力が合流する地点なのか。

 全体構造を把握しないまま手を出すことは、爆発物の内部構造を知らずに配線を切るようなものだった。

 

「となれば、まず必要なのは喪呪路の全体像を把握することだな」

 

 東堂(とうどう)が、それまでの議論を整理するように言った。

 

「羂索を倒し、死滅回游が終わった後も、喪呪路が正常に維持され続ける保証はない。術者を失ったことで停止するのか、暴走するのか、それすら不明だ」

 

 喪呪路が羂索の操作を必要とする仕組みであるなら、羂索の死と同時に機能を停止する可能性がある。

 だが反対に、制御を失った呪具が自律的に増殖を続ける可能性も、経路を流れる呪力が行き場を失う可能性もあった。

 

「だから、死滅回游を終わらせる前に、日本全土を調査する」

 

 東堂は迷いなく続ける。

 

「喪呪路がどこを通り、どこで分岐し、どこに呪力が集約されているのか。その全体構造を記録する必要がある」

 

 さらに、喪呪路が損傷した場合に備え、呪力漏洩を食い止める処置も施さなければならない。

 破損時に経路を遮断する結界。漏れ出した呪力を一時的に受け止める領域。異常が発生した際、それを術師へ知らせるための監視手段。

 

「万が一に備えて、漏洩防護の処置も各地に施して回るべきだ。少なくとも、どこか一か所の破損が、そのまま広域災害につながる事態は避けなければならん」

 

 それは、あまりにも途方のない作業だった。

 

 喩えるなら、日本全土を巡る血管を末端に至るまで調べ上げ、その一本一本を構造図に書き起こしながら、すべての血管に保護膜を取り付けて回るようなものだ。

 

 喪呪路は、もはや単なる呪具ではない。

 一度は血が通り、今も脈打ちながら成長を続けている、日本という国の新たな循環器官だった。

 不用意に傷つければ、そこから呪力が噴き出す。

 

 ひとたび大規模な“出血”が始まれば、被害は一地域では収まらない。流出した呪力が新たな呪霊を生み、その呪霊によってさらに負の感情と呪力が生じる。

 連鎖が始まれば、大災害へ発展する可能性は十分にあった。

 

 呪術師たちは、それぞれに喪呪路の調査方法や撤去手段について意見を交わし始める。

 

 誰を調査へ回すのか。

 羂索と宿儺への戦力を残したまま、どこまで人員を割けるのか。

 漏洩地点を発見した場合、どのような優先順位で封鎖するのか。

 

 議論が続くなか、五条だけは少し離れた場所で沈黙していた。

 

 夏油傑が遺した理想。

 その願いは羂索の手によって歪められ、日本を呪いで満たすための道具として利用されている。

 もちろん喪呪路を破壊することが、夏油の理想を完全に否定することになるわけではない。しかし、五条にとって、無碍にできるものではなかった。頭では分かっている。

 だが、親友がかつて別の未来を選ぼうとした証しが、今もこの国の地中で脈打っている。そう考えると、それをただ敵の術式として切り捨てることはできなかった。

 

◆◆◆

 

 小休憩の間。それにしても、と虎杖は呟く。

 

「外国人助っ人か~」

 

 わずかに場の空気を和らげるように呟いた。

 だが、ミゲルは即座に首を横へ振る。

 

「勘違いするナ。オレたちは、宿儺が十分に弱ってからじゃないと参加しなイ」

 

 冗談めいた響きはなく、その声音には明確な線引きがあった。宿儺を相手にする以上、それは臆病ではなく、勝機を見極めるための現実的な判断だった。

 

 

 

 

そして時間は進む。

 

五条悟の敗北へ。

 

続いて、鹿紫雲一の敗北へ。

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