音も立てずに開いた漆黒のドア。
人が1人通れるほどの隙間が空いている。
果穂はごくりと唾を飲み込んだ。
息を殺してゆっくりと中を覗き込む。
(誰も……いない……)
そう思った瞬間彼女の首筋を冷気がなぞった。
「ひ!」
思わず果穂は声を発して、体を引っ込めた。
一瞬の出来事であった。
(何なん?今の……)
心臓が激しく脈打つ。
(ここ……一体何の部屋なん?)
震える息を整え、再び隙間から覗き込んだ。
部屋は想像以上に奥行きがある。
左右の壁に沿って数メートル間隔に牡丹の透かし彫りの行灯が並び、壁を橙色で不気味に照らしている。
そして彼女の目に入ったのは、蓮の花や観音菩薩、仏などが一面に描かれている宗教画であった。
(何だか……気味悪い)
思わず腰が引ける。
彼女は気持ちを鎮めながら奥に視点を移した。
(仏壇……?)
正面の壁には香炉・燭台・花立などが並ぶ祭壇が広がっていた。
中央には阿弥陀如来像が置かれ、左右には唐草文様や蓮の花を透かし彫りにした灯籠が祭壇を照らしている。
そして果穂は、祭壇の前を見て全身が硬直した。
それは紫檀の台の上に置かれた長方形の白木の箱であった。
(嘘やん……!何で棺桶?)
体が小刻みに震え出す。
思わず後ずさりすると、扉が勝手に閉じた。
彼女の目に涙が溜まる。
「嫌や――!」
果穂は絶叫すると猛烈な勢いでその場を離れた。
階段を降りる時にバランスを崩し、踊り場の壁に手を着く。
さらに数段 飛ばしで階段をかけ降りてから、売り場をダッシュですり抜け、よろめきながらバックヤードに飛び込んだ。
「一体どないしたん?山田さん!」
店長の若槻は果穂の様子を見て驚いて声をかける。
「ハァハァ!あの部屋……何なんです?」
「あの部屋?」
「なんか……黒い扉の部屋です!」
若槻は目を細めた。
「……ふうん。中見たんや……電気消してってお願いしただけやのに」
「……すいません。でもなんか、中から音がして……」
「あのね山田さん。勝手に見たらあかんよ。それとな、 あんまり変なことベラベラ喋らんといてな。お店の評判も悪なるさかいな!」
「は、はい……」
(何だろう……店長……怖い……)
若槻の普段の温和な物腰とのギャップに違和感を持ちながらも、彼女はそれ以上言葉が継げなかった。
翌日は午後からのシフトであった。
昼過ぎから15時前後は比較的買物客が少ない。
レジの並びも途絶えがちだ。
休憩時間前で、手持ち無沙汰にしていたその時であった。
果穂は呼吸が止まりそうになった。
いつの間にかレジの前に白い着物を着た小柄な老人の男性が立っている。
手には何も持たず、皺だらけの顔に温和な笑みを浮かべていた。
果穂は必死に声を絞りだした。
(あ、あの……お買い物……ですか?)
老人は歯のまばらな口を開けた。
「きくこ。わしや。うれしいな」
「きくこ……?」
「うれしいで。ほんまに」
「あ……あの……」
「二人で行こな。一緒にな」
果穂は悪寒が走った。
「一緒にって……どこに?」
「二階で待ってるで。必ず来てや」
老人のまなこが虚無の様な黒目をしていた。
「ひ!い、いや――!」
果穂は思わず目をつぶって叫び声を上げた。
「ちょ!ちょっと!山田さん!」
「え!」
目の前には若槻が立っていた。
「あ、あれ……おじいさんは?」
果穂はあたりをキョロキョロと見回した。
「おじいさん?そんな人いてへんよ!」
呆れ顔の若槻。
「そんな……今、確かに……」
「休憩時間よ。いらんの?」
「い、いえ。要ります。休憩入ります!」
「ほんま大丈夫?しっかりしてや!」
「すいません!交代よろしくお願いします」
果穂は頭を下げると休憩に向かった。
バックヤ―ドに入るとベテランパ―トの藤田 理恵(ふじた りえ)が先に休んでいた。
「なんか店長の大きな声がしたけど。果穂ちゃん叱られたん?」
「いえ……何か……ぼーっとしちゃって……」
「寝不足とかちゃうやろね。ふふ…」
(理恵さんと二人きりか……)
果穂は思い切って昨日の出来事を話してみた。
理恵は一瞬真顔になり沈黙した。
そして重い口を開いた。
「あのね……私が言うたん、店長には内緒やで」
「はい」
「実は二階のフラワール―ムな……霊安室やねん」
「ま、まじですか!?」
「うん。ほんまやで」
「なんでそんなもんが……スーパーに?」
「CU(生活連合組合)な、何個か霊安室も経営してんねん。ここはそのうちの一つや」
「嘘でしょ!」
「だからほんまやて!家族も寝泊まりできる他の霊安室がいっぱいの時に順番待ちの仏さんがここに運ばれてくんねん。長い時はニ週間ぐらい置かれてんで」
「そしたら……あたしが見たのは……やっぱり……」
「うん。棺桶や……しかもな……」
「?」
「今、来てる仏さん……私の叔父やねん……」
「ええ!」
「この前癌で亡くならはってん。死ぬ直前までえらい苦しまはってな。死んだ奥さんの名前を呼び続けてたみたいやで」
果穂はごくりと唾を飲み込んだ。
「その……奥様の名前……もしかして……《きくこ》ですか?」
理恵は驚愕した。
「あんた!なんで知ってんの!」
「う……ぐ……やっぱり」
果穂は半泣き状態である。
「理恵さん……その方……お若い時の写真、ありますか?」
「叔母の若い時?これやけど……」
理恵はスマホの画面を見せた。
果穂は高まる鼓動の中で画像を見る。
夫婦の伊勢旅行の記念写真であろうか、背後に夫婦岩が映っている。
(やだ……ご主人さんは……あのおじいさんだ)
果穂の背筋に冷たいものが走る。
そして、夫に寄り添う女性の顔を見て果穂は思わず絶叫しかけて口を両手でふさいだ。
自分と瓜二つだったのである。