「ちょっと果穂ちゃん!あんた顔、真っ青やで!」
「すみません……ちょっと気分が悪くなっちゃって……」
「大丈夫かいな?」
「はい……」
「それにしても……誰かに似てると思ってたら、叔母の若い時の顔やったんや」
「その……きくこさんは、もうお亡くなりになられたんですか?」
「うん、五年前にな。叔母も癌やったわ」
「……ご夫婦は仲は良かったんですか?」
「そりゃもう、おしどり夫婦やったで。そやさかい叔母が亡くなった時は叔父は狂ったように泣き叫んでな。お葬式の時も、『わしも一緒に行く!』言うてお棺にかじりついて大変やってん」
「そうなんですか……」
果穂の脳裏に死装束の老人の嬉しそうな笑顔が思い出された。
体の芯から不気味な冷たさが広がっていく。
「ところで、果穂ちゃんってどこの出身?」
「生まれは神戸ですけど……何でですか?」
「いや…ちょっとな。ご両親は?」
「両親とも神戸ですけど、母方の祖父は四国の愛媛だと聞いてます」
「え!お母さんの旧姓は?」
「勅使河原(てしがわら)です」
「何やて!」
「ど、どうなされたんですか?」
「叔母の出身も愛媛やねん。ほんでな……」
「は、はい」
「旧姓も《勅使河原》やねん…」
「何ですって……」
果穂は言葉を失う。
「あんた。もしかしたら叔母と血縁があるんとちゃう?」
「い、いえ……。分かりません」
(……もしかしたら……でも……そんな事って……)
その時にバックヤードの入口が開き、若槻が入ってきた。
とっさのことで果穂の口が開き、眉が跳ね上がった。
「山田さん、何をそんなに驚いてるん?休憩時間終わりやで。レジの交代よろしく頼んどきます」
「は、はい!」
果穂は慌ててサービスキャップをかぶると持ち場に急いだ。
その日の業務が終わり、CUの看板も消灯される。
業務用の出入口の前で店員たちが挨拶を交わし、思い思いの方向に帰宅していく。
果穂の自宅は堺市である。
彼女は南海電鉄泉州南駅で切符を買おうとした時、財布がポーチの中に入っていないことに気がついた。
(うそ!まじ!最悪!)
彼女は泣きそうになった。
閉店後に夜食の総菜を買ったのまでは覚えている。
(どこに置きっぱにしたんかな……どうしよ……戻るか?……嫌やな……)
彼女は散々逡巡したが、結局引き返すことにした。
再び業務用出入口の前に立つ果穂。
ドア横のパネルにセコムカ―ドをタッチした。
ピ―ッという音が鳴り、パネルランプが赤から青に切り替わる。
それからダイヤル錠に暗証番号を打ち込んだ。
カチッと音がして解錠される。
彼女は一瞬ドアハンドルを握るのをためらったが、意を決して開けた。
入るとすぐにドア横にずらりと並んでいる照明スイッチをいくつか押した。
店内の補助照明が点灯する。
(レジで袋詰めしてる時に横に置いたんや。きっと)
レジ横でポーチを開けた記憶だけがぼんやりと残っていた。
彼女はバックヤ―ドのドアを少しだけ開けて、恐る恐る店内の様子を覗いた。
オレンジ色の関接照明に照らされた売り場は薄暗い。
(誰もいない。よし!速攻で行って戻ってこよう)
彼女はドアを開けて飛び出すとカップ麺やスナック菓子の商品棚の間を駆け抜けた。
レジに到達すると、慌ただしく周囲を見まわす。
「有った!」
支払いカウンターの上に、ハートマークロゴ付きのピンク合皮の二つ折り財布が放置されている。
「なんでこんなところに忘れんねん!」
彼女は呆れと安堵が入り混じった表情で財布を取り上げた。
その時であった。
階段ホールの方角から声がした。
「きくこ……なんで上に来てくれへんかったんや」
果穂は財布を持ったまま凍りついた。
唇を震わせながらゆっくりと視線を上げる。
彼女の血走ったまなこが極限まで開いた。
目線の先には、白装束の老人が立っていた。
裸足の足元は床に接していない。
体が数センチ浮遊しているのだった。
「ひっ……!ひい……ぃ…」
果穂は叫ぼうとしても喉から声が出ない。
「きくこ。寂しかったで。さあ……一緒に行こか」
老人はそう言うと、スーッと音もなく床の上を滑るように近づいてくる。
柔和な笑顔が眼前にまで迫ってきた時、果穂は解き放たれたかのように絶叫した。
「いやぁぁぁ――!!」
彼女は身をよじってレジ前から飛び出すとバックヤ―ドに向かって走った。
体が硬直して思うように動かない。
そして何とか入口に到達してスイングドアを押した。
「開かへん!なんで!」
ドアが凍りついた様に固まっている。
「きくこ。何で逃げるんや。わしやで」
背後から声が近づいてくる。
果穂は声にならぬ声を上げながら、咄嗟に商品棚の隙間に駆け込んで醤油の陳列棚の裏にうずくまった。
「おお……きくこ……どこに行ったんや……怖がらいでもええで……出てきてや……」
死者の声が響く。
歯の根が合わぬ程ガチガチ震えた。
(最悪や……ほんまに最悪や!何でなん……あたし、《きくこ》違う!)
視線を感じてはっと顔を上げる。
通路の端に老人が微笑みながら立っていた。
「きくこ。そこにおったんか。さあ、行くで……」
「う、うぐ……」
(駄目だ!とても逃げ切れない……)
彼女は意を決して立ち上り、老人に向き直った。
そして唇を震わせながらも必死に声を振り絞った。
「あ、あたし、きくこ違います。果穂といいます」
老人の笑みが消えた。
「あなたの奥さんと違います!別人なんです」
「ふ……ふおぉ……」
底なし沼の様な黒いひとみが果穂の顔をじっとみつめる。
(もしかして……気付いてくれはった?)
果穂は少し気持ちを持ち直した。
「きくこさんは……きっと天国でお待ちです。だから行ってあげて下さい」
彼女は優しく訴えた。
「お……お……」
老人は一瞬悲しげな表情をみせた。
果穂は息を飲んで見守った。
しかし、老人に柔和な笑みが戻った。
「なにゆうてんのや。あんたはきくこや。愛しいきくこや」
そう言うと両手を広げて空中を浮遊しながら彼女に向かってきた。
「ひ、ひいぃ……!」
果穂は絶望の表情を浮かべてその場を逃れようとした。
しかし脚がもつれてうつ伏せに転倒した。
その上から老人が覆いかぶさる。
そして彼は果穂を羽交い締めにしたまま空中に浮かび上がった。
死体の肌の冷たさが背中に広がる。
「い、嫌や!嫌やああぁぁぁ……!」
彼女は足をバタつかせながら必死に身をよじってふりほどこうとするが、老人は万力の様な力で締め付けていてびくともしない。
「ああ……きくこ……愛しいで……もう離さへんで」
老人は冥界の底から響くような声でささやく。
果穂は涙と鼻汁まみれの顔で絶叫した。
「嫌あ!誰か助けて!違う!あたし違う!離して!離してぇぇ……!」
老人は微笑んだ。
「さあ行くで。ええとこ行くで。二人はずっと一緒や。わてはずっときくこの側にいるで……永遠に一緒やで……」
そういうと恐怖と絶望に顔が歪んだ果穂を抱き抱えたまま空中移動し、階段ホ―ルから二階に消えていった。
「きゃぁぁぁぁ……!ひぎいぃぃぃ……!」
果穂の悲鳴が鳴り響く。
しかし……暫くして何も音がしなくなった。
そして、店内は静寂を取り戻した。
翌朝、一番に出勤した若槻は、セコムが解除されている事を不審に思った。
昨晩最後に締めたのはパ―トリ―ダ―の船越である。
(セコム忘れてる!出勤したらしっかり注意しとかな……そや!八時に出棺やったな……)
彼女は急いで階段ホ―ルに向かった。
二階に上がるとすでに霊柩車が到着していた。
葬儀担当者は若槻の立ち会いでフラワールームの扉を開ける。
彼は棺の前で合掌した後、中身の確認の為蓋を開けた。
その瞬間彼は「ぎゃあ!」と叫んで仰け反った。
「な!どうされたんですか!」
悲鳴を聞きつけて若槻が駆け寄る。
そして……震える葬儀担当の横から棺の中を覗いて絶句した。
そこには……目と口が恐怖で限界まで開かれた果穂の骸と、それを背中から固く抱き締めている満足そうな表情の老人の遺体が横たわっていた。
――完――