私は2階のドアの前で聞き耳を立てた。
スー、スー。
見かけに反して暁夫兄さんの寝息は小さいので、ちゃんとドアに耳を当てないと聞こえない。
僅かな呼吸音で兄さんがベッドで寝ていることを確信すると、そっとドアを開けた。
部屋のドアを開けると、兄さんの寝顔と男らしい部屋が見えてくる。
コードがぐるぐる巻きのゲーム機、巻数がバラバラに置かれた本棚、終わった宿題がそのまま乗せられた学習机。
スー、スー。
兄さんは横向きにベッドの真ん中でぐっすり寝ている。
寝る姿勢はいつも壁側に向かって横向きで、寝相も意外といい方だったりする。
だから────
「失礼しますね」
こうやって私は兄さんの背中で寝ることができる。
ベッド内で伝わるとってもあったかい温もり、柔軟剤と兄さんの汗の匂い。
三寒四温の春先で微妙に冷える時期だからか、この暖かさが心地よい。
こうやって背中に抱き着いていると、兄さんと私が繋がっていることを実感できる。
ああ、ずっとこうしていたいなあ。
兄さん、昨日は一緒に洋服店に行ってくれた。今日は髪も洗ってくれた。
頼めば明日も────
「う、うんゅ...」
「あっ起きちまったか...暁葉」
目を覚ますと兄さんが私をお姫様抱っこで持ち上げて階段を降りようとしていた。
窓から覗く暗さを見るに、私が寝てからそんなに時間は立ってないようだ。
「兄さんはなんでこんな夜更けに起きているんですか?」
「お前が抱き着いて暑いからだよ!お前寝相悪いから髪が顔に当たるし...」
「冷える今日くらいいじゃないですか」
「...いやお前週4でベッドに来ているじゃん!もう眠いから一緒に寝るのはまた今度にしてくれ」
そう言って兄さんは階段を進み、1階にある私のベッドに向かっていく。
...いやです。
「今日は一緒に寝たい気分なので離れません」
「あつっ抱き着くなよ...あ~もうわーったよ特別だぞ?抱き着かずベッドの端で寝ろよ?」
仕方ないと私を抱きかかえたままクルリと階段をUターンする。
ふふっ、ベッドに入ることは断らない兄さん。
...また寝た後で抱き着いちゃおうかな。
「ったく、抱き着かれて寝られたら春先でも暑いし、長い髪がうっとおしいんだよ...もう一緒に寝るなら髪は切れよな」
「...兄さんは、髪は短い方が好きですか?」
兄の好みは分かっているが、あえて聞く。
「俺は長い方がお前らしいとは思うが...短くないと髪まとめてても長い髪が俺の顔に当たるんだよ」
「じゃあ切りません」
「なんでだよ!」
兄さんがそう思うなら絶対に切ってなんかやらない。
髪を伸ばす切っ掛けはアニメの変身ヒロインだったけど、維持したのは兄さんが女の子らしくなったと言ってくれたからだし。
...私はこの通り兄さんに執着しているけど、それには理由がある。
兄は母親の連れ子で、私は今の父との間に設けられた子供。
母は同じでも父が違うのだ。
.........そんな複雑な生まれのせいか、私は他人と壁を作りがちな性格になった。
子供の私にはその事実は重くて、受け入れがたいものだったからだ。
同級生なんかよりも、今の父と母と兄が世界との繋がり。
いや、いつかどこかに行ってしまうかもしれない両親よりも、ずっと一緒にいる兄が私の全て。
私は兄と同じ胎から育ったけれど、ふたりとも別々の父親に似た。
幼い頃に兄の父親の写真を見てその事実を思い知らされた。
兄妹ではなく、ある意味私たち2人は他人という事を。
兄さんはその事を気にしている様子はないけど、当時幼稚園児だった私はそれを知った時ひどく動揺した。
「にいさんは...ずっとにいさんだよね?」
「ん?まあずっと兄貴だよ」
「ずっとわたしといっしょにいてくれる?」
「うーーーーーん、ああ分かったよ、大変だけど」
兄さんは小学校2年の頃の話だ。
...多分私を泣き止ませるための方便で、この事は覚えてないんだろうけど、兄さんは私の行動を拒むことはない。
文句は言うけど何でも付き合ってくれる。
一緒のごっこ遊びだって、一緒の勉強だって、一緒に風呂に入ることだって、一緒に寝ることだって。この前なんて私の初めての下着選びも一緒にしてくれた。
このつながりは一生切れることはない。
これからもずっと。
────────────
「こんにちは、暁葉さん...うわっ妹さんめちゃくちゃ可愛いじゃん!コーくんと全然違って!」
「人の顔見比べて全然可愛くないとは何だ、確かに頭の出来は暁葉の方が良いけどさぁ…」
「............あれ?」
なに、これ。
家族という世界は今変わった。兄さんが家に女を引っ張り込んできてしまった。
兄さんに彼女が出来てしまった。
おかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしい。
兄さんとの間に邪魔な壁なんてあってはならないのに。
「ホントに可愛いなぁ...コーくんガッチリした感じだからもっと背の高い妹さんを想像してたけどまるっきり別で───」
「...............兄さんの妹だから似てますよ。そう見えますか?」
「うーーんよく見たら似てる...のかなぁ?分かんないや」
「似てるだろ多分、兄妹だし」
「喉が乾くでしょうし、飲み物取ってきますね」
動揺を表に出さないように別の部屋へと逃げる。
あの女を見ていると頭がおかしくなりそうだ。
「あっ、ありがとう~本当にできた妹さんだぁ!」
「......あいつ不機嫌だったな」
「えそうなの?」
「ちょっと見てくるわ」
────────────
私はクローゼットの暗闇の中、体育座りでうずくまる。
何も考えたくない。
あの女は見た目から考えて同級生だろうか。
明るい感じの美人で、ムードメーカーのような雰囲気。性格もよさそう。
それでいて、兄さんとも距離がとても近かった。
兄さんは私の事をもう置いていってしまうのだろうか。本当にあの約束を忘れてしまったのだろうか。
ああイヤ。何も考えたくない、考えるな、考えるな、思考も止まれ。
ガチャリ。
「何してんだ」
「......兄さん、なんでここが分かったの?」
「台所にいなかったからここしかないだろ。どうした、嫌な事でもあったのか?」
...兄さんは本当にすごいね。
でも今は放っておいてほしかった。
「............」
「......わかった、言いたくないなら言わんで───」
「兄さん」
私は意を決して...違う、感情が抑えきれなくなって口を開いた。
「だっておかしいよ、にいさんがどこかへいくなんて、ずっとつながりはあるべきなのに、あんな彼女なんかできて、どういうこと?」
ああだめだ感情がとめどなくこぼれていく。
やっぱり、言葉が言葉にならない。
「......あ~彼女?」
兄さんはバツが悪そうに頭を掻いた。
「アイツとはまだ付き合ってない」
「そう、なの?」
「そうだ」
...そうだったんだ、彼女じゃなくて女友達...。よかった。
でも“まだ”ってことは...。
「付き合って欲しくないのか?」
「えっと...」
“まだ”ということは、いずれ付き合いを考えているという事。
つまり、時間が立てば兄さんはどこかに行ってしまう。
どうする...?女と絶対付き合うななんて言う権利が私にあるのか。
でも、兄さんに恋人ができるのは絶対にイヤ。
「......うん」
迷った末に私は小さい声で付き合ってほしくないことを伝えた。
「じゃあ付き合わん」
「えっ」
え。
確かに兄さんは私のお願いを拒むことは全然無かった。
でも、今回のは自分で言うのもなんだが度が過ぎている。
「...だって約束したろ?ずっと一緒にいるって」
「......覚えてくれてたんだね」
「ああ」
なんてこともないように、そう肯定する兄さん。
「兄さんは忘れっぽいのに......」
「ひでえぞ?言っとくけど流石にアイツとの友達関係まではやめねえからな」
呆れたような顔で頭を掻く兄さん。
そういえば、私との約束は過去に一度も破ったことはなかった...。
忘れずにいつも大切に想ってくれてる...。
「ったく…中学入ったんだから、少しは兄離れしたってもいいん───」
「うええええええええええええええええええんんん!!!」
涙と感情が溢れて溢れて目から止まらない。
勢いそのままに兄さんに抱き着いて、そのままむせび泣く。
好き。好き。好き。
兄離れなんて一生できない。
「あーっっ!!コーくん妹さん泣かせてる!!」
2人して戻ってこない上に、客間まで私の泣き声が聞こえて不審に思ったのか、後ろには兄さんの女友達が。
「イヤっこれは......その...えーーっと」
流石に女友達と彼女にならない約束をしていたとは言えず、言葉が詰まる兄さん。
「コーくんダメだよ?私が比較して褒めたからって、妹さんの事いじめちゃ」
「その...暁葉」
兄さんは言い訳を思いつかないのか、助け船を求めるように私に視線を向ける。
「うっぅっぐ...そうです、暁夫兄さんは女泣かせなのですよ」
「ちょっと!?」
本当に罪な人なのです兄さんは。
好評だったらつづくかも。