レクイエム・フレーム ―FRAMEを纏えない青年―   作:momomotototo

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第九話 ノクターン 後編

 首を、切り落とされた。

 

 その事実だけが、遅れて海斗の意識に届いた。

 

 戻らない。

 

 腕の時とは違い、肉が伸びる感覚も、骨が繋がる感覚もない。首の下で、身体の存在そのものが途切れていた。

 

 目は見えている。

 

 耳も、かすかに音を拾っている。

 

 それなのに、指一本動かせない。喉を鳴らすことも、息を吸うこともできなかった。

 

 寒い。

 

 遠い。

 

 自分というものが、少しずつ薄くなっていく。

 

『ノクターン、何をしている』

 

 無線の声が聞こえた。

 

『対象の再生反応が著しく低下している。頸部接続が断たれたままでは、このまま死亡するぞ』

 

 黒紫のFRAMEが、わずかに動きを止めた。

 

「……あ」

 

 軽い声だった。

 

 けれど、さっきまでの楽しそうな色は消えていた。

 

「……やば」

 

 黒紫のFRAMEは短刀を収め、海斗の手に残っていたもう一本も引き抜いた。

 

 黒い刃が抜けても、痛みはなかった。

 

 身体の感覚そのものが、もう届いていない。

 

 黒紫のFRAMEが、海斗の頭を拾い上げた。

 

 視界が持ち上がる。

 

 瓦礫の地面が離れ、首から上のない自分の身体が近づいてくる。

 

 見たくない。

 

 見たくないのに、目を閉じることもできない。

 

 黒紫のFRAMEは、海斗の身体を片手で引き起こした。

 

 力の抜けた胴体が、がくりと揺れる。

 

 その首元へ、海斗の頭が押し当てられた。

 

「動かないで」

 

 黒紫のFRAMEが言った。

 

「……いや、動けないか」

 

 両手で頭を掴まれる。

 

 ずれた位置を直すように、強引に首元へ合わせられる。

 

 だが、何も起きない。

 

 首の奥は冷えたまま。

 

 身体の感覚も、途切れたまま。

 

 繋がらない。

 

 視界の端から、黒いものが滲んできた。

 

 音が遠くなる。

 

 無線の声も、瓦礫を踏む音も、黒紫のFRAMEの声も、水の底から聞こえるみたいにぼやけていく。

 

 駄目だ。

 

 本当に、死ぬ。

 

 そう思った時だった。

 

 切断面の奥で、何かが脈打った。

 

「――――ッ!」

 

 声にならない悲鳴が、頭の中で弾ける。

 

 肉が伸びた。

 

 骨が噛み合った。

 

 神経が焼けつくように繋がっていく。

 

 途切れていた身体の感覚が、無理やり引き戻される。

 

「が、は……ッ!」

 

 喉が震え、途切れていた息が無理やり戻ってきた。

 

 同時に、喉の奥から黒ずんだ血がせり上がる。

 

「ごぼっ……!」

 

 海斗は血反吐を吐き、瓦礫の上で激しく咳き込んだ。

 

 肺が空気を求めて痙攣する。

 

 首は繋がっている。

 

 息ができる。

 

 身体も動く。

 

 その時、海斗は顔を上げた。

 

 すぐ目の前に、黒紫のFRAMEがいた。

 

 自分の首を切り落とした相手が。

 

「あ……」

 

 海斗の顔が引きつった。

 

「あ、あああああああああああッ!」

 

 悲鳴が弾けた。

 

 海斗は瓦礫を掻き、反射的に逃げようとした。

 

 だが、身体がうまく動かない。

 

 黒紫のFRAMEがわずかに動いただけで、海斗はびくりと身を縮めた。

 

「逃げようとしないでね」

 

 軽い声だった。

 

 けれど、冗談には聞こえなかった。

 

「もし逃げたら、また首を切るから」

 

 黒紫のFRAMEが短刀を抜き、その切っ先で海斗の喉元を示した。

 

「今度は、繋がないけど」

 

 首。

 

 その一言だけで、海斗の身体が固まった。

 

 視界の端から黒いものが滲んできた感覚。

 

 音が遠くなり、自分というものまで消えかけた感覚。

 

 さっきは、本当に死ぬと思った。

 

 あれが、死。

 

 海斗の喉がひくりと震えた。

 

「や……だ……」

 

 声はかすれていた。

 

「もう……やだ……」

 

『対象の頸部再接続を確認。生命反応、回復』

 

『殺害許可を停止。捕獲へ移行』

 

 沈黙。

 

 黒紫のFRAMEは、少しだけ間を置いた。

 

「うん、わかったー」

 

 あまりにも軽い返事だった。

 

 今まさに首を切り落としたとは思えないほど、何でもない声。

 

 海斗の両手には、黒い刃に貫かれた穴が残っていた。

 

 血が瓦礫へ落ちる。

 

 穴の空いた手のひらが震える。

 

 だが、次の呼吸には、傷口の奥で肉が蠢き始めていた。

 

 塞がろうとしている。

 

「ほんと、気持ち悪いくらい治るね」

 

 黒紫のFRAMEが、海斗から一歩退いた。

 

「君、捕獲することになった」

 

「……捕獲……?」

 

「うん。大人しくついてきたら殺さない」

 

 頭部装甲の奥で、赤紫の光が細く揺れる。

 

「来る?」

 

 頭部装甲が、こてん、と小さく横へ傾いた。

 

 その動きに合わせて、装甲の隙間から零れた淡いミントグリーンの髪が、さらりと垂れ下がる。

 

 殺す寸前まで追い詰めていた相手とは思えないほど、仕草だけは妙に軽かった。

 

 海斗は、震える手を自分の首元へ伸ばした。

 

 繋がっている。

 

 さっきは、繋がったから助かった。

 

 けれど、次もそうなるとは限らない。

 

 視界が黒く沈み、音が遠ざかっていった感覚が蘇る。

 

 あの先を、もう一度確かめたいとは思えなかった。

 

「……は」

 

 声が掠れる。

 

「……はい」

 

「素直でよろしい」

 

 黒紫のFRAMEは、満足したように小さく頷いた。

 

 ◇  ◇  ◇

 

 どこか、地下深く。

 

 光の届かない空間で、巨大な黒い影が沈黙していた。

 

 棺のような形だった。

 

 だが、死者を納めるためのものではない。

 

 黒い外殻は何層もの固定具で押さえ込まれ、床から伸びた拘束アンカーが、その輪郭を縫い止めるように食い込んでいる。

 

 周囲には、封印陣にも似た模様が淡く浮かんでいた。

 

 円環。

 

 直線。

 

 重なり合う文字列。

 

 その中心に、黒い棺だけが沈黙している。

 

 何も動かない。

 

 音もない。

 

 ただ、暗闇の中で。

 

 棺の表面に走る白い亀裂が、一度だけ淡く明滅した。

 

 ――接続対象。

 

 ――接近。

 

 ◇  ◇  ◇

 

 白い部屋だった。

 

 窓はない。

 

 壁も、床も、天井も、感情を削ぎ落としたような白で統一されている。

 

 天井に埋め込まれた細長い照明が、部屋全体を冷たく照らしていた。明るいのに、温度がない。

 

 壁際には、金属製の保管棚が並んでいる。

 

 焼け焦げた通信端末。

 

 歪んだ薬莢。

 

 溶けた装甲片。

 

 それらは透明な証拠保管ケースに収められ、名前ではなく番号だけを与えられていた。

 

 誰かが持っていたもの。

 

 誰かが身につけていたもの。

 

 誰かが、戦場に残したもの。

 

 この部屋では、そのすべてが資料として扱われている。

 

 その中央。

 

 無機質な検査台の上に、一つの封入ケースが置かれていた。

 

 中に入っているのは、割れた認識票だった。

 

 煤と血で汚れ、端は焼け焦げている。

 

 細い鎖は途中で千切れ、黒ずんだ金属片の片側には、かろうじて白い文字が残っていた。

 

 《GRIM REAPER》

 

 《REAPER-1》

 

 白峰結月(しらみね・ゆづき)は、その文字を見つめていた。

 

 白銀の髪が、冷たい照明を受けて淡く光っている。

 

 肩下まで伸びた髪は乱れなく整えられ、細い首筋へ静かに流れていた。

 

 色の薄い肌。

 

 細面の整った顔立ち。

 

 涼しげな赤い瞳。

 

 感情を表に出さないよう訓練された、軍人候補生の立ち姿だった。

 

 だが、ケースへ伸びかけた指先だけが、かすかに震えていた。

 

 触れてはいけない。

 

 それは分かっている。

 

 これは遺品ではない。

 

 証拠品だ。

 

 軍が回収し、番号を振り、記録に残した戦場の残骸。

 

 だから、勝手に触れることは許されない。

 

 それでも結月の指は、透明なケースの表面に触れる寸前で止まった。

 

「……姉さん」

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