会議室の空気は、証拠保管室よりもなお冷え切っていた。
壁一面を占める大型スクリーンと、中央に据えられた黒い長机。その周囲には、薄いホログラムモニターが幾枚も浮遊している。
そこに人の顔は映っていない。ただ、遠隔接続者を示す白い識別番号だけが、感情を排した記号のように整然と並んでいた。
誰が接続しているのかは分からない。それでも、無数の視線だけは感じられた。
白峰司令官が入室した時、すでに二人の男が席についていた。
一人は、黒い研究服をまとった男だった。
削げた頬に、針のように細い指。死人めいた白い肌が、照明の下でいっそう青白く見える。
黒鷺玄真(くろさぎ・げんま)。
軍中央《特異兵装開発局(とくいへいそうかいはつきょく)》局長。
FRAMEの動力核である《コーラスリアクター》をはじめ、CHORUS由来技術の研究を統括する男である。
黒鷺は、入室した白峰司令官を認めると、口元だけをわずかに歪めた。
「遅かったですね、白峰司令」
白峰司令官は足を止めずに答える。
「遅参した。必要な確認をしていた」
短い謝罪だったが、頭は下げなかった。
黒鷺は、その表情を覗き込むように目を細める。
「第八独立フレーム中隊《Grim Reaper》隊長――灰狼の遺品確認ですか」
白峰司令官の歩みが、ほんの一瞬だけ鈍った。
「前線では英雄でしたからね。数字だけでは処理できないものもあるのでしょう」
返事はなかった。
白峰司令官は、黒い長机の空席へ向かう。
その奥には、もう一人の男が座っていた。
鷹司玲央(たかつかさ・れお)。
統合参謀本部に属し、軍中央における作戦承認と兵器運用計画に関与する高官。白峰司令官よりも上位の権限を持つ男だった。
整った顔立ちに、金色の髪。感情の輪郭を読ませない目をしている。軍服は寸分の乱れもなく整えられていたが、そこに前線の匂いはない。
戦場ではなく、会議室で人を動かす者の顔だった。
白峰司令官が席につくまで、鷹司は何も言わなかった。
ただ待っていた。
その沈黙すら、命令に似ていた。
椅子を引く音が、冷えた会議室に小さく響く。
白峰司令官が腰を下ろすと、鷹司はゆっくりと視線を上げた。
「では、始めよう」
静かな声だった。
「議題は二つ。第十三戦術学園に出現したセラフ級の行方。そして、天音海斗の処遇だ」
鷹司は正面スクリーンへ目を向ける。
「まず、セラフ級反応の追跡結果を確認する」
会議室の照明がわずかに落ちた。
正面スクリーンに、崩壊した第十三戦術学園の俯瞰記録が表示される。
赤く染まった学園区画。
乱れる観測映像。
白い異形の出現地点。
そして、その先にある灰狼との交戦地点。
赤い反応線は、そこで途絶えていた。
「衛星監視網、外壁監視網、都市防衛センサー、地下路線センサー。すべて照合済みだ」
鷹司の声に温度はない。
「セラフ級反応は、第十三戦術学園区画内で消失している」
「消えた、ということか」
白峰司令官が問う。
「記録上はな」
鷹司は、反応線の途切れた空白を見つめた。
「だが、実際に消滅したと断ずるのは楽観が過ぎる。理由は不明だが、通常観測の外へ逸脱したと見るべきだ」
都市が追跡を怠ったわけではない。
追えなかったのだ。
白峰司令官は、黙ってスクリーンを見据えた。
セラフ級が出現した。
灰狼は戦死した。
第十三戦術学園は壊滅した。
そして、その白い異形は今もなお、どこかに潜んでいるかもしれない。
鷹司が指先で表示を切り替える。
今度は、第七要塞都市と周辺防衛圏の地図が映し出された。第十三戦術学園を中心に、周辺三区画が赤く塗り潰されていく。
「周辺三区画は高濃度汚染判定。学園跡地は焼却処理準備。地下路線への干渉反応も確認されている」
赤い表示は、地下深層輸送路の一部にまで侵食するように伸びていた。
「第七要塞都市は、単独で完結した都市ではない。地下深層輸送路によって近隣都市、そして中央都市へ接続されている」
鷹司は一拍置いた。
「つまり、これは一学園の壊滅では終わらない。輸送路に汚染が乗れば、近隣都市群と中央都市への接続そのものに影響が及ぶ」
白峰司令官は、机の上で指をわずかに曲げた。
「地下路線は」
「当面、軍用便を除き全面停止する」
鷹司は即答した。
「以後、本件は中央管轄案件として扱う」
セラフ級は消えた。
だが、そのセラフ級と接触しながら生き残った青年がいる。
天音海斗。
「……中央は、あの青年をどう見るつもりだ」
白峰司令官が問う。
その問いに答えたのは、鷹司ではなかった。
「そこが、本件の二つ目の議題です」
黒鷺が指先で表示を切り替える。
画面に、一人の青年の記録が表示された。
――――――――――
対象者:天音海斗
回収地点:第十三戦術学園B-17区画
生存者区分:凍結
暫定分類:未分類対象
CHORUS反応濃度:危険域
欠損部位再生:確認
対CHORUS弾耐性:確認
――――――――――
そこに並んでいるのは、天音海斗という人間を説明する情報ではなかった。
ただ、その身に起きた異常だけが、無慈悲な精度で積み上げられている。
記録の末尾に、回収時の音声が一つ添えられていた。
『俺は……人間です』
ノイズ混じりの小さな声が、冷えた会議室に流れる。
誰も言葉を発しなかった。
白峰司令官も、スクリーンに映る青年から目を逸らさない。ただ、机に置かれた指先に、わずかに力がこもった。
「そして、もう一つ」
黒鷺が表示を切り替える。
――――――――――
現場採取物:白色組織片
採取地点:第十三戦術学園B-17区画
対象口腔内:同系統反応を検出
――――――――――
「現場で採取された組織片と同系統の反応が、対象の口腔内から検出されています」
「……摂取した、ということか」
「本人から明確な供述は得られていません。ですが、状況証拠を見る限り、CHORUS由来組織を体内へ取り込んだ可能性は高い」
黒鷺が再び表示を切り替える。
海斗から検出されたCHORUS反応が、赤い線となって浮かび上がった。反応線は危険域を示す境界を大きく越えている。
「天音海斗は、危険域に達するCHORUS反応を示しています。にもかかわらず、個を保ち、NETWORKへの完全接続も確認されていない」
黒鷺の声が、わずかに低くなる。
「通常、この段階まで汚染が進行すれば、自我はNETWORK側へ融解します。個体としての判断能力は残りません」
高濃度汚染下では、死者の神経情報さえNETWORKへ取り込まれる。
白峰司令官の脳裏に、赤く汚染されたB-17区画が浮かんだ。
だが、その先を考える前に、鷹司が口を開く。
「人間ではないが、CHORUSでもないと?」
「現時点では、そう分類するほかありません」
「個を保っているように見えるだけ、という可能性は?」
「あります」
黒鷺は即答した。
「結論を言え」
白峰司令官が割って入る。
「貴様は、天音海斗をどう扱うつもりだ」
黒鷺が求めているのは、即時処分ではない。天音海斗を生かしたまま測定し、その異常を調べることだ。
ならば、まずはそれを明言させる必要がある。測定が目的なら、中央へ移送せずとも第七管区内で実施できる。
「隔離を継続し、測定する。その結果を解析した上で、処遇を判断します」
黒鷺は、そこで初めてはっきりと笑った。
「ならば、測定は第七管区内で行う」
白峰司令官は即座に言った。
黒鷺は答える前に、わずかな間を置く。
「中央の設備へ移送した方が、より精密な解析が可能ですが」
「必要ない」
白峰司令官は切り捨てた。
「あの青年は第七要塞都市内で発見された未分類対象だ。現時点での管理責任は、この管区にある。測定のためだけに中央へ引き渡す理由はない」
「白峰司令。これは中央管轄案件です」
「中央管轄であっても、現地管理対象であることに変わりはない。危険性が確定していない以上、移送は認めない」
短い沈黙が落ちた。
鷹司が、指先で机を軽く叩く。
乾いた音が一つ。
それだけで、会議室の空気が切り替わった。
「判断材料が足りない」
静かな一言だった。
「天音海斗を処分するにも、研究対象として扱うにも、現段階では情報が不足している」
鷹司は、スクリーンに映る海斗の記録を見た。
「まず、FRAME適性測定を即時実施する。場所は第七管区内でよい」
中立に聞こえる判断だった。
だが、その測定結果を誰が最も欲しているのか、白峰司令官には分かっていた。
「ただし」
鷹司の視線が、白峰司令官へ向く。
「測定結果によっては、中央移送を再審議する」
「異論はありません」
黒鷺は、間を置かずに答えた。
白峰司令官は短く息を吐く。
「測定は第七管区内で行う。中央といえど、地下封印区画への干渉は許可しない」
「もちろんです」
返答は早かった。
中央の研究設備を使えず、地下封印区画にも触れられない。本来なら、黒鷺が何らかの条件を求めてもおかしくはない。
だが、男は何一つ要求しなかった。
まるで、第七管区内で測定するという結論だけを、最初から待っていたかのように。
白峰司令官は黒鷺を見据えた。
問いただすだけの根拠はない。
それでも、その従順さを好意的に受け取ることはできなかった。
「まずは、測りましょう」
黒鷺は、モニターに映る海斗へ目を向けた。
その口元に、細い笑みが浮かぶ。
「彼が、何者なのかを」
白峰司令官は何も言わなかった。
ただ、会議室を満たす白い光の下で、拳を強く握りしめていた。
【中央都市・要塞都市・地下深層輸送路】
《中央都市》
軍、政府、研究機関など、人類側の中枢機能が置かれた都市。各要塞都市に対して強い権限を持ち、広域作戦や重要案件は中央管轄となる。
《要塞都市》
中央都市の周囲に配置された防衛・居住拠点。各都市は独自の生活圏と防衛戦力を持ち、CHORUSの侵攻に対する防壁として機能している。第七要塞都市もその一つ。
《地下深層輸送路》
中央都市と各要塞都市、要塞都市同士を結ぶ地下輸送網。地上の戦闘や汚染を避けて、人員、物資、兵器を輸送するために使われる。一方で、汚染が路線内へ侵入した場合、複数の都市へ被害を拡大させる経路にもなり得る。