二つの影が、同時に消えた。
蒼白い粒子光だけが、白い測定室に尾を引く。
小柄なPHANTOM FRAMEが、床すれすれを滑るように前へ出る。
長身のPHANTOM FRAMEは壁面へ腕部アンカーを射出し、巻き取りの力で身体を斜め上へ跳ね上げた。
黒いFRAMEが、迫る二人に反応して戦闘姿勢を取った。
「展開」
小柄な少女が、短く告げた。
その指先から、無数の銀線が走る。
先端の微小アンカーが床へ噛みつき、黒いFRAMEの足元を中心に蜘蛛の巣状の網を作り上げた。
少女が指先をわずかに引く。
その動きに応じて銀線が一斉に跳ね上がり、右足首と左膝へ絡みついた。黒いFRAMEの脚部が、床へ縫い止められる。
「脚部、固定」
黒いFRAMEが踏み出そうとする。
ワイヤーが張り詰め、キィン、と硬い音が測定室に響いた。
長身のPHANTOM FRAMEが、黒いFRAMEの頭上にある天井梁へアンカーを射出した。
アンカーが食い込む。直後、唸りを上げて巻き取られたワイヤーが男の身体を斜め上へ弾き飛ばした。
黒いFRAMEの頭上を一気に越え、背後の死角へ回り込む。
PHANTOM特有の変則機動だった。
『脅威、接近』
背後の棺が、無機質に告げる。
骨のように白く、関節の多い腕が伸び、空中の男を叩き落とそうとする。
「うおっ……!」
男は空中で身体を捻り、左腕から別のアンカーを壁へ射出した。
巻き取りの力で軌道が折れ曲がり、白い腕がすぐ横を通り過ぎる。風圧だけで、測定室に散った破片が吹き飛んだ。
「……あれ食らったら、普通に終わるな」
軽口の形をしていたが、声は笑っていなかった。
男はさらにアンカーを撃ち込み、測定室の中を立体的に飛び回る。
白い腕はその軌道を追って空間を裂いた。逃げた先へ伸び、着地点を潰し、次の動きを読んだように迫ってくる。
それでも男は、アンカーの巻き取りと身体の捻りだけで紙一重の隙間を抜けていく。
「雫!」
「固定」
小柄な少女――雫が即座に応じた。
新たなワイヤーが床と壁から跳ね上がる。
黒い装甲腕と、背後の棺から伸びる白い腕。
それらを銀色の糸が絡め取った。
完全には止まらない。
だが、それだけで十分だった。
男が空中で小銃を構える。銃身の内部に、蒼白い光が集まっていく。
全奏解放中の出力を銃身へ圧縮し、装甲の一点へ叩き込む近距離貫通射撃。
反撃を受ける距離まで踏み込んで、初めて成立する一撃だった。
その時、背後の棺が不気味に開いた。
『迎撃』
棺の縁から、槍のような黒い棘が次々と伸びる。
ただ突き出したのではない。
空中の男を追い、軌道を変えていた。
「は……?」
男の声が、初めて素に戻る。
「おいおい、追尾すんのかよ……!」
男の両腕から、アンカーが立て続けに放たれた。
天井。壁。床。
突き刺さるたびにワイヤーが唸り、男の軌道が鋭く折れる。追尾する棘の間を縫いながら、黒いFRAMEとの距離を一気に削っていく。
一本目が肩をかすめる。
二本目が小銃の銃身を掠る。
三本目が背部装甲のすぐ横を貫き、粒子光が散った。
それでも止まらない。
黒いFRAMEの背後にある床へアンカーを打ち込み、一気に巻き取る。
棘の間を抜け、空中で反転。そのまま懐へ飛び込んだ。
距離、ゼロ。
銃口が、黒い胸部装甲へ押し当てられた。
「これで止まれ」
引き金が落ちた。
蒼白い閃光。
測定室の空気が爆ぜ、床の破片が吹き飛ぶ。壁面に残っていたホログラムも、衝撃を受けてまとめて砕け散った。
BASTIONの重装甲ですら、真正面から受ければ内部構造ごと吹き飛ぶ一撃。
だが、黒い装甲には焦げ跡すら残らなかった。
「……嘘だろ」
男の声が震えた。
「効いてねぇのかよ……」
撃ち込んだ直後、男は反射的にアンカーを射出し、即座に距離を取る。
その判断は正しかった。
白い腕が、彼のいた空間を横薙ぎに裂いた。遅れて衝撃だけが測定室の壁を揺らす。
『脅威評価、更新』
背後の棺が、静かに告げた。
『近接高出力攻撃、確認』
『対象群、脅威度上昇』
やめろ。
海斗は、暗い底で叫ぶ。
上げるな。
それ以上は駄目だ。
『非致死制圧、効率低下』
『排除強度、上昇』
『殺傷制限、解除準備』
黒いFRAMEが身を沈めた。
疑似STRIKER構造の脚部が床を噛み、背中の黒い翼片が開く。
直後、黒いFRAMEが跳んだ。
背部の黒い推進器が唸り、白い亀裂光が装甲を走る。足元に張り巡らされていた蜘蛛の巣が一気に引き千切られ、銀色のワイヤーが細かな破片となって宙へ散った。
黒いFRAMEは、そのまま空中へ逃れていた男へ迫る。
「まず――」
男がアンカーを撃とうとした瞬間、黒いFRAMEの脚が胴へ叩き込まれた。
直撃する寸前、銀色の糸束が男の前へ滑り込む。
雫のワイヤーだった。
胴部装甲の前で束ねられた銀線が、蹴りの衝撃を受け止めようと張り詰める。
だが、足りない。
疑似STRIKER構造の加速を乗せた蹴りは、ワイヤーの束ごと男の身体を吹き飛ばした。
雫は即座に、その落下地点へ三重のワイヤーを張った。
一層目が弾け、二層目が大きくたわむ。三層目が限界まで衝撃を受け止めたが、それでも黒いFRAMEの蹴りの勢いは殺しきれない。
銀線がまとめて千切れ、男の身体が床へ叩きつけられた。
「ぐっ……は……!」
肺の空気を無理やり押し出されたような声が、装甲の奥から漏れる。
床面がひび割れ、白い破片が跳ねた。
『NOCTURNE-03、生命反応あり。胸腹部・背部装甲損傷。姿勢制御、一時低下』
男が床の上で咳き込む。
動ける。
だが、すぐに立てる状態ではなかった。
雫はすかさず右手を振った。
ワイヤーが男の腰部装甲へ絡む。
「退避」
短い声。
雫はワイヤーを一気に巻き取り、黒いFRAMEの追撃範囲から外すように男の身体を後方へ弾き飛ばした。
「おい、投げ方……!」
男の文句は最後まで続かなかった。
黒いFRAMEはすでに、雫へ向かって動いていた。
疑似STRIKER構造の脚が白い床を踏み砕き、一歩で距離を消す。
雫の反応は速かった。
右手を引いて残ったワイヤーを前面へ束ね、同時に左腕を胸の前へ上げる。
黒い拳が、真正面から叩き込まれた。
鈍い衝撃音。
ワイヤーも防御もまとめて砕かれ、雫の小柄な身体が後方へ吹き飛ぶ。
左腕部装甲がひしゃげ、測定室の壁へ激突した。
「っ……!」
雫の喉から、短く詰まった息が漏れる。
壁面装甲がへこみ、白い破片が床へ散った。
『NOCTURNE-02、生命反応あり。左腕部駆動低下。胸部・背部装甲損傷』
雫は壁際に崩れた。
左腕がだらりと下がり、指先から伸びていたワイヤーも途中で千切れている。
後方へ投げ飛ばされていた男が、片膝をついたまま顔を上げた。
「おい……こっちはフルスコア二人だぞ?」
その声からは、さっきまでの冗談めいた響きが消えていた。
雫は答えない。
ただ、残った右手だけで新しいワイヤーを展開し直す。
二人とも、まだ動ける。
だが、無傷ではない。
壁と床には、二人分の衝撃で亀裂が走っていた。
海斗の意識が、暗い底で震える。
やめろ。
もうやめろ。
頼むから、これ以上――。
その声が、かすかに喉を震わせた。
「や……め……」
雫の顔面装甲が、わずかに海斗へ向く。
男も息を呑んだ。
「今、喋ったか?」
「対象本人、発声確認」
雫が静かに言った。
「殺害拒否反応あり」
海斗の意思は、確かに黒い棺へ届いていた。
それでも、脅威を排除するという判断までは止められない。
『殺害拒否反応、継続』
『脅威排除、優先』
『全奏解放、準備』
測定室の空気が変わった。
黒いFRAMEの背中で、棺がさらに開く。
白い亀裂光が全身を走り、脈拍のように強まっていく。背中の黒い翼片がゆっくりと開き、黒い粒子の中へ白い残光が混じり始めた。
測定室の破片が、床から浮く。
警報音が低く歪んだ。
壁際で片膝をついていた長身の男が、口元を引きつらせる。
「これ、やばくねぇか……?」
その時だった。
壊れた隔壁の向こうから、静かな足音が聞こえた。
砕けた床を踏み荒らすことなく、測定室に散った破片の間を抜けてくる。
白煙の奥から、もう一人のPHANTOM FRAMEが姿を現す。
頭部装甲は開かれ、左右で軽く束ねた淡いミントグリーンの髪が揺れていた。丸みのある顔立ちと淡い菫色の瞳に、普段の軽さはない。
両手には、二本の短刀。
「ずいぶん派手にやられたねぇ」
軽い声だった。
けれど、測定室の空気は少しも緩まなかった。
長身の男が目を見開く。
「伊織さん……!」
その声に、海斗の意識が激しく揺れた。
白煙の奥に立つのは、海斗の首を切り落とした女だった。
身体に残った恐怖を拾い、背後の棺がさらに深く開いていく。
『接続対象、恐怖反応上昇』
『脅威対象、追加』
『危険度、再更新』
黒紫のFRAMEをまとった少女――伊織は、倒れた二人を一瞥した。
「相馬、雫、下がって」
雫が、わずかに頷く。
長身の男――相馬は、苦笑するように息を吐いた。
「助かります。正直、そろそろきつかったんで」
「見れば分かる」
伊織は短く返し、二本の短刀を構えた。
軽い口調は消えていない。
だが、その姿はすでに戦場の人間のものだった。
黒いFRAMEが、伊織へ向く。
背後の棺が開いた。
『全奏解放《フルスコア》』
黒と白の粒子が、測定室を呑み込む。
同時に、伊織の頭部装甲が展開した。
黒紫のフェイスガードが頬から顎へ走り、顔を覆っていく。装甲の隙間から、淡いミントグリーンの髪だけが揺れていた。
細い眼部スリットに、赤紫の光が灯る。
伊織のPHANTOM FRAMEから、起動音声が響いた。
『全奏解放《フルスコア》』
蒼白い粒子光が、黒紫の装甲の隙間から噴き上がる。
二つの粒子の奔流が衝突し、測定室の床を震わせた。
壁面の警告表示が乱れ、割れたホログラムが白いノイズを散らす。
黒白の粒子を纏う異形と、蒼白い粒子を纏うPHANTOM。
二つの影が、測定室の中央で向かい合った。