レクイエム・フレーム ―FRAMEを纏えない青年―   作:momomotototo

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第十六話 忘れられない言葉

 白峰結月は、待機室にいた。

 

 測定区画から少し離れた、軍関係者用の小さな部屋だった。壁は白く、窓はない。天井には細長い照明が埋め込まれ、机の上には端末も資料も置かれていなかった。

 

 本来なら、軍属訓練生である結月がFRAME適性測定の管制に立ち会うことはできない。

 

 白峰創から許されたのは、測定後の判断が下るまで、この部屋で待つことだけだった。

 

 天音海斗――姉が最後に守った青年の名前だけが、結月の中で何度も反響していた。

 

 測定室で何が行われ、父や中央が彼をどう判断するのか、結月には何も知らされていない。

 

 扉一枚隔てた向こうですべてが決まっていくのに、自分に許されているのは、ただ待つことだけだった。

 

 結月は膝の上で拳を握り、閉ざされた扉を見つめた。

 

 その時だった。

 

 床が、強く震えた。

 

「……っ!」

 

 結月は反射的に椅子から立ち上がった。

 

 測定区画の方角から、床を突き上げるような重い衝撃が伝わってくる。

 

 天井の照明が細かく震え、壁際の端末に赤い警告表示が走る。

 

 扉の向こうから、慌ただしい軍靴の音と、くぐもった怒号が聞こえてきた。

 

 結月は椅子を離れ、待機室の扉を開ける。

 

 白い廊下を、武装した兵士たちが走っていた。

 

「下がれ、下がれ!」

 

 兵士の声に、通信機から漏れた報告が重なる。

 

『対象、制御不能!』

 

『投入したFRAME兵、行動不能!』

 

『NOCTURNEはまだか!』

 

 断片的な言葉は、結月の中で一つの名前へ収束していった。

 

 天音海斗。

 

 待機しろと言われている。それでも、何も知らないまま座っていられる状況ではなかった。

 

「何が起きているんですか」

 

 近くを走り抜けようとした兵士が、結月に気づいて足を止めた。

 

「白峰候補生、待機室へ戻ってください」

 

「教えてください。天音海斗は、今どうなっているんですか」

 

「命令です。ここから先は立入禁止です」

 

 兵士はそれ以上説明せず、測定区画の方へ走っていった。

 

 結月は廊下の先を見る。

 

 非常灯に照らされた通路の奥へ、武装した背中が次々と消えていく。

 

 結月は唇を噛み、待機室へ戻ると、壁際の通信端末に手を伸ばした。

 

 繋ぐ先は一つしかない。

 

「お父様」

 

 数秒の沈黙の後、通信が繋がった。

 

『結月。待機室から出るな』

 

「測定区画で何が起きているんですか」

 

『答える必要はない』

 

「天音海斗に、何かあったんですね」

 

 通信の向こうで、わずかな間が空いた。

 

 それが答えだった。

 

 結月は端末を握る手に力を込める。

 

「お父様」

 

『待機しろと言ったはずだ』

 

「姉さんの記録を流してください」

 

 通信の向こうで、空気が止まった気がした。

 

『……何を言っている』

 

「姉さんの最終交戦記録です。姉さんが、海斗さんに残した言葉を」

 

『……許可できる内容ではない』

 

「制圧班も、FRAME兵も止められなかったんですよね」

 

『お前が知る必要はない』

 

「否定は、しないんですね」

 

 返答はなかった。

 

 だが、その沈黙は先ほどよりも重かった。

 

「だったら、これ以上同じことをしても、誰かが傷つくだけです」

 

『精神刺激で悪化する可能性がある』

 

「それでも、今のままでは誰かが死にます」

 

 結月は退かなかった。

 

「姉さんの言葉なら、今の海斗さんにも届くかもしれません」

 

 通信の向こうで、管制官の声が重なる。

 

『神崎伊織、全奏解放準備!』

 

『対象、全奏解放反応増大!』

 

『接触します!』

 

 結月は目を閉じた。

 

 脳裏に浮かぶのは、戦場へ向かう姉の背中、いつも少し乱れた銀灰色の髪、面倒くさそうに笑う声。

 

 そして、もう二度と戻らない人。

 

「お願いします。お父様」

 

 長い沈黙があった。

 

 その沈黙の奥で、白峰創が何を考えているのか、結月には分からなかった。

 

 司令官としての判断か。

 

 父としての痛みか。

 

 それとも、姉をもう一度記録の中から呼び戻すことへの迷いか。

 

 やがて、通信の向こうで声が落ちた。

 

『……第八独立フレーム中隊《Grim Reaper》、REAPER-1の最終交戦記録を呼び出せ』

 

『司令、本気ですか』

 

『流せ』

 

 短い沈黙。

 

『責任は私が取る』

 

 

◇  ◇  ◇

 

 

 黒白と蒼白――二色の粒子が、測定室を満たしていた。

 

 伊織が二本の短刀を構え直した途端、切断された首の感覚が蘇った。

 

 彼女は敵ではない。

 

 そう分かっていても、黒い棺は海斗の理性より先に、身体に残った恐怖を拾った。

 

『接続対象、拒絶反応を検出』

 

『対象、高エネルギー反応』

 

『殺傷準備』

 

 黒いFRAMEが、伊織へ向かって動き出そうとした。

 

 その時、測定室の大型モニターが白いノイズを吐いた。

 

 警告表示が乱れ、赤黒い戦場の映像が壁一面に割り込む。

 

 燃える校舎。

 

 崩れた廊下。

 

 舞い上がる灰。

 

 そして、ノイズ混じりの女の声。

 

『お前は、生き残れ』

 

 海斗の意識が、暗い底で震えた。

 

 忘れられるはずがない。瓦礫の中で、自分に向けられたあの声だ。

 

『何してでも生きろ』

 

 映像の中に、血と煤で汚れた灰色の腕がわずかに映る。HUDは乱れ、赤い警告表示が視界を埋めていたが、その声だけははっきりと残っていた。

 

『化け物になってでもだ』

 

 黒いFRAMEの動きが、ほんのわずかに鈍る。

 

 背後の棺が低く軋んだ。

 

『接続対象、記憶反応』

 

『拒絶反応、低下』

 

 海斗は、改めて周囲を見た。

 

 倒れている兵士たち。壁際に崩れた雫。片膝をつく相馬。短刀を構えた伊織。そして、戦闘によって破壊された測定室。

 

 どれも戦っている間から見えていた。それでも今は、自分が引き起こした結果として、逃れようのない重さを持って迫ってくる。

 

 自分を覆う黒い装甲と、背後にある黒い棺。

 

 あれは自分を守るために、これだけの人を傷つけた。

 

「……やめろ」

 

 小さな声だった。

 

 それでも、今度は確かに外へ出た。

 

 黒いFRAMEの動きが止まり、伊織も短刀を構えたまま踏みとどまった。

 

『脅威、残存』

 

 背後の棺が告げる。

 

『排除継続を推奨』

 

「違う……」

 

 海斗は、喉の奥から声を絞り出した。

 

「敵じゃ、ない……」

 

『脅威対象、武装継続』

 

「違う」

 

 海斗は繰り返した。

 

 目の前の伊織が怖い。短刀を向けられれば、切断された首の感覚が蘇る。

 

 それでも、殺していい相手ではない。傷つけていい理由にはならない。

 

「もう……いい」

 

 黒い棺が、低く軋む。

 

『接続対象、音声命令を確認』

 

『保護行動、停止』

 

『殺傷処理、中断』

 

 黒い装甲の白い亀裂光が、少しずつ弱くなっていく。

 

 全身を覆っていた外骨格は、腕から肩へ、胸から脚へと細かく割れるようにほどけ、剥がれ落ちることなく内側へ沈んでいった。

 

 背中に張りついていた黒い棺がゆっくりと離れ、白い腕を引っ込める。黒い外殻が閉じると、棺は墓標のような影だけを残して海斗の背後に立った。

 

 解放された瞬間、海斗の膝から力が抜けた。

 

「あ……」

 

 受け身を取る余裕もなく床へ崩れ落ち、そのまま意識が遠のいていく。

 

 最後に見えたのは、モニターに映る赤黒い戦場だった。

 

 灰に濁った映像の中で、あの声だけがもう一度響いた気がした。

 

『生き残れ』

 

 海斗は、そこで意識を失った。

 

 

◇  ◇  ◇

 

 

 測定室は、しばらく誰も動けなかった。

 

 黒い棺は、海斗の背後で沈黙している。

 

 倒れた海斗へ近づこうとした兵士が一歩踏み出した瞬間、棺の外殻がわずかに開いた。

 

 全員の足が止まる。

 

『全隊、発砲禁止』

 

 管制通信から、白峰創の声が響いた。

 

『対象を刺激するな。救護班は待機。NOCTURNE、現場判断を報告しろ』

 

 伊織は短刀を構えたまま、倒れた海斗と黒い棺を見ていた。

 

 全奏解放による蒼白い粒子が、まだ装甲の隙間から揺れている。

 

 だが、彼女は踏み込まない。

 

 黒い棺が、まだ見ている。

 

 そんな気がした。

 

「……灰狼さんじゃん」

 

 伊織が、小さく言った。

 

 相馬が顔を上げる。

 

「伊織さん、知ってるんですか」

 

 雫が壁際から短く答えた。

 

「第八独立フレーム中隊《Grim Reaper》。隊長、灰狼」

 

「《Grim Reaper》……?」

 

 相馬の声から、軽さが消えた。

 

「そういうこと。生きてるうちに会ってたら、こっちが敬礼する側」

 

 伊織は軽く答えたが、その声はいつもより低かった。

 

 彼女は、倒れた海斗へ視線を戻す。

 

「で、その人の記録で止まるってことは……」

 

 伊織はそこで言葉を切った。

 

 海斗は、灰狼の認識票を持っていた。そして今、彼女の最終交戦記録に反応して、黒い棺を止めた。

 

 二人に何らかの関わりがあったことは、もう疑いようがない。あの記録に残された言葉は、この青年へ向けられたものだったのだ。

 

 伊織は、倒れた海斗と、その背後に立つ黒い棺を見比べる。

 

 だが、灰狼の記録が直接、黒い棺を止めたわけではない。

 

 声を聞いた海斗が自分の意思を取り戻し、自分の言葉で止めた。その命令に、黒い棺が従った。

 

 戦闘中、黒い棺は何度も海斗の恐怖を検出し、それを理由に保護行動を続けていた。あれは無秩序に暴れていたのではなく、海斗へ向けられた脅威を排除しようとしていたのだ。

 

 ならば、銃を向ければ海斗が怯える。拘束しようとすれば、黒い棺が彼を守ろうとする。

 

 制圧しようとするほど、海斗の恐怖を通じて黒い棺を刺激することになる。

 

「……最悪」

 

 伊織は小さく呟いた。

 

 短刀を下ろさないまま、通信へ答える。

 

「対象、戦闘停止。本人は意識喪失。黒い棺は沈黙中」

 

『接近可能か』

 

「おすすめしません」

 

 即答だった。

 

「撃たないでください。近づきすぎないでください。今刺激したら、たぶんまた起きます」

 

『了解した』

 

 白峰創の声は、短かった。

 

『救護班、非武装で待機。拘束具は使うな。まず対象の生命維持を優先しろ』

 

 その命令に、管制側の声がざわついた。

 

『司令、拘束なしでの搬送は危険です』

 

『ならば気絶した青年一人を、ここで殺すか』

 

 通信の向こうから、反論は返らなかった。

 

『命令は変えん。対象を刺激するな』

 

 伊織は、通信を聞きながら小さく息を吐いた。

 

 目の前の黒い棺は動かない。

 

 それでも、測定室の誰もが分かっていた。

 

 これは眠っているわけではない。

 

 ただ、海斗の命令を聞いて止まっているだけだ。

 

 

◇  ◇  ◇

 

 

 管制室の隅で、黒鷺玄真だけが沈黙していた。

 

 モニターには、膝から崩れ落ちた天音海斗と、その背後で動きを止めた黒い棺が映っている。

 

 制圧部隊の損耗表示、隔離区画の破損状況、警告色に染まったログ。そのすべてが、黒い棺の停止と同時にようやく更新を止めていた。

 

 黒鷺が見ていたのは、倒れた海斗でも、その背後の棺でもない。画面の端に並ぶ反応値と、停止直前の出力推移だった。

 

 管制室が静まり返る中、短い電子音が鳴った。

 

 白峰が振り向く。

 

 黒鷺の細い指が端末から離れ、画面の隅に《記録保存完了》の表示が浮かんでいた。

 

「黒鷺」

 

 黒鷺は画面を見たまま、わずかに目を細める。

 

「貴様、今何を保存した」

 

「必要な記録です」

 

 黒鷺は、それ以上何も言わなかった。

 

 白峰は、しばらく黒鷺を見ていた。

 

 この男は、驚いていない。

 

 恐れてもいない。

 

 ただ、確認したのだ。

 

 天音海斗という一人の青年ではなく。

 

 第七封印体が反応するための、条件を。

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