レクイエム・フレーム ―FRAMEを纏えない青年―   作:momomotototo

19 / 20
第十八話 決意

 戦場で見た黒紫の装甲は、どこにもない。

 

 肩からずり落ちかけた黒いジャケットと、その下に着た軽装のインナー。首元には細い接続端子の痕があり、片手にだけ黒いグローブをつけていた。

 

 額をシーツへ預けたまま、少女の顔はわずかに海斗の方を向いている。

 

 長い睫毛。

 

 静かな寝息。

 

 消毒液の匂いの中に、かすかに甘い髪の匂いが混じっていた。

 

 海斗の身体が硬直する。

 

 女の子が、こんな近くにいる。

 

 それだけで、呼吸の仕方が分からなくなりかけた。

 

 人と距離を詰めるのが苦手な海斗には、どうすればいいのか分からなかった。

 

 まして、その相手はただの少女ではない。

 

 伊織。

 

 苗字までは知らないが、自分の腕を斬り落とし、最後には首まで切断したPHANTOMだ。

 

 黒紫のFRAMEをまとっていた姿と、今、目の前で眠っている少女の姿が、うまく重ならない。

 

 海斗は動けなかった。動けば起こしてしまう。だが、心臓の音だけが勝手に大きくなり、胸元に額を預けている少女にまで聞こえてしまいそうだった。

 

 その時、伊織の瞼がゆっくりと上がった。

 

 淡い菫色の瞳が、眠たげに海斗を見上げる。

 

「……あ」

 

 伊織は何度か瞬きをしてから、海斗の顔を見た。

 

「起きたんだ」

 

 まるで、朝の挨拶でもするような声だった。

 

 伊織は、頭を預けていたことに今さら気づいたように、ゆっくり身体を起こした。

 

 背中を伸ばし、片手で口元を押さえながら小さく欠伸をする。

 

「ん……どれくらい寝てたんだろ」

 

 少し寝癖のついたミントグリーンの髪を、指先で軽く整える。

 

「あ……あの」

 

 海斗は、どうにか声を出した。

 

「ここは……」

 

「医療隔離室だよ」

 

 伊織は椅子に座り直し、ベッドの横に置かれた端末へ指を滑らせた。

 

 画面に、海斗の脈拍や神経反応らしき数値が流れる。

 

「目、覚めたって伝えないとね」

 

 その言葉で、海斗はようやく周囲を見た。

 

 白い部屋。

 

 病室に似ているが、普通の病室ではない。

 

 壁にはいくつものセンサーが埋め込まれ、天井の隅には監視カメラがある。

 

 ベッドの脇には医療端末、点滴装置、神経波形を映すモニター。

 

 扉は厚く、内側から開けるための取っ手が見えない。

 

 そして、部屋の奥。

 

 壁際の影の中に、それがあった。

 

 黒い棺。

 

 表面には、白い亀裂のような光が細く走っている。その光は、胸の奥に重なるもう一つの鼓動と同じ間隔で脈打っていた。

 

 あれに呑み込まれ、黒い装甲に包まれた。兵士を吹き飛ばし、機械脊椎を食べた。

 

 断片的な記憶が、熱を持って蘇る。

 

「俺……」

 

 海斗の声が震えた。

 

「俺、人を……」

 

「殺してないよ」

 

 海斗の顔が上がる。

 

 伊織は端末の表示を眺めながら、ミントグリーンの髪を指で耳の後ろへ流した。

 

「かなり派手に怪我はさせたけど、少なくとも君が殺した人はいない」

 

 殺していない。

 

 それでも、人を傷つけたことも、自分の意思で止められなかったことも変わらない。

 

「……俺が、やったんですか」

 

「うん」

 

 伊織は隠さなかった。

 

「君というより、君の後ろのあれがやった、の方が近いかもしれないけど」

 

 彼女は顎で部屋の奥を示した。

 

「……あれは、何なんですか」

 

「正式には、第七封印体――《ORIGIN-07》」

 

「オリジン・ゼロセブン……」

 

「軍では、07って呼んでる」

 

 海斗は黒い棺を見た。

 

「ORIGINって、何なんですか。07ってことは、あんなものがほかにもいるんですか」

 

「そっか。学生には知らされてないんだ」

 

 伊織は椅子の背にもたれた。

 

「ORIGINは、かつて地上を滅ぼした元凶――CHORUS災害の中核個体につけられた名称だよ。簡単に言えば、CHORUSのボスみたいなもの」

 

 海斗は言葉を失った。

 

「それが、何体も……?」

 

「いたらしいよ。今も残っていると確認されてるのは、07だけみたいだけど。少なくとも、私が知らされてる範囲ではね」

 

 伊織は、そこで言葉を切った。

 

「その07、君から離せないみたい」

 

 海斗は息を止めた。

 

「離せないって……どういうことですか」

 

「君をここへ運ぶ時、あれは測定室に残してたんだよ。危ないからね。でも、五十メートルくらい離れたところで動き出した」

 

 海斗の指が、シーツを強くつかんだ。

 

「それで……どうなったんですか」

 

「隔壁を突き破って、君を追いかけてきた」

 

「俺を追って、ここまで来たんですか」

 

「そう。君の近くまで来ると、そこで止まった。だから今は同じ部屋に置いてる。刺激しない方がいいって判断」

 

 海斗は黒い棺から目を離せなかった。

 

 そんなものが、自分の近くにいる。

 

 自分を守るために。

 

 いや、本当に守るためなのかも分からない。

 

 もし自分が眠っている間に誰かが近づいたら。

 

 もし、あれが誰かを敵だと判断したら。

 

「なんで、俺なんですか」

 

 海斗は胸元を押さえた。

 

「それは、私も知らない」

 

 伊織は即答した。

 

「知ってる人はいると思うけど、私には教えてもらえない」

 

 海斗は、少し迷ってから口を開いた。

 

「あなたは……伊織さん、ですよね」

 

「うん。神崎伊織」

 

 伊織は眠気の残る目で小さく頷いた。

 

「NOCTURNE所属。兵科はPHANTOM」

 

 そこまで言ってから、海斗の腕へちらりと目を向ける。

 

「君の腕を斬って、最後に首を落とした人」

 

 言い方があまりにも自然で、海斗は一瞬反応できなかった。

 

 伊織は椅子の背にもたれ、片膝を軽く引き寄せた。

 

 ずり落ちかけた黒いジャケットと、揺れたスカートの裾が、病室の白さの中でやけに目立つ。

 

 海斗は一瞬だけ視線の置き場に迷い、慌てて伊織の顔を見た。

 

「ごめんね。痛かったでしょ」

 

 謝罪の言葉なのに、声はどこか平坦だった。

 

 痛かった。

 

 そんな一言では足りない。

 

 あの時の感覚が蘇り、冷や汗が海斗のこめかみを伝った。身体の震えを止めることができなかった。

 

 伊織は、それを見て小さく首を傾げる。

 

「まだ怖い?」

 

「……はい」

 

 否定できなかった。

 

「そっか」

 

 伊織はベッド脇に肘をつき、少しだけ顔を近づける。

 

「ねえ」

 

 淡い菫色の瞳が、海斗を覗き込んだ。

 

「なんで止まったの?」

 

「え……?」

 

「あれ」

 

 伊織は黒い棺を指した。

 

「私たちが止めようとしても止まらなかった。でも、映像が流れたら止まった」

 

 シーツの上で、海斗の指がわずかに動いた。

 

 あの声。

 

 ――お前は、生き残れ。

 

「あの人は……」

 

 海斗は、ゆっくりと言った。

 

「あの人は、俺を救ってくれた人です」

 

 伊織の表情が、少しだけ変わった。

 

 眠たげだった瞳の奥に、かすかな興味とは別のものが揺れる。

 

 海斗は尋ねた。

 

「あの映像の人は……誰なんですか」

 

「それは――」

 

 伊織が答えようとした時だった。

 

 病室の扉のロックが低く鳴った。

 

 伊織が顔を上げる。

 

 厚い扉が、静かに開いた。

 

 入ってきたのは、一人の少女だった。

 

 白銀の髪。

 

 肩下まで伸びた髪は乱れなく整えられ、白い照明を受けて淡く光っている。

 

 色の薄い肌に、細面の整った顔立ち。

 

 赤い瞳は涼しげで、その表情から感情を読み取ることはできなかった。

 

 身にまとっているのは、白い軍属訓練服だった。

 

 少女は海斗を見た。

 

 次に、部屋の奥の黒い棺を見た。

 

 そしてもう一度、海斗へ視線を戻す。

 

「白峰冴月」

 

 静かな声だった。

 

 海斗の呼吸が止まる。

 

「あの映像に映っていた人の名前です」

 

 少女は、わずかに間を置いて続けた。

 

「私は白峰結月。白峰冴月の妹です」

 

 白峰冴月。

 

 あの人の名前。

 

 灰白色のFRAMEで、自分を守ってくれた人。

 

 死ぬ直前まで、自分に生きろと言った人。

 

 その妹が、目の前にいる。

 

 何を言えばいいのか分からないまま、海斗の身体が先に動いた。

 

 上体を起こすと、腕や胸に繋がれていた医療用コードが張り詰め、いくつかの端子が皮膚から剥がれた。モニターが短い警告音を鳴らす。

 

「動かない方がいいよ」

 

 伊織が軽く言った。

 

 それでも、海斗は止まれなかった。

 

「ごめんなさい」

 

 口から、勝手に言葉がこぼれた。

 

 結月の足が止まる。

 

「ごめんなさい。俺は、あの人に助けられて、それなのに……」

 

 海斗は顔を上げられなかった。

 

 助けられたこと。自分だけが生き残ったこと。あの人が傷ついていくのを、ただ見ていることしかできなかったこと。

 

 そのすべてが、海斗には自分の罪のように思えた。

 

「謝らないでください」

 

 結月の目元が、わずかに潤んでいた。それでも、その声は静かだった。

 

「あなたが謝ったら、姉さんが命を懸けて守ったものまで、間違いになってしまいます」

 

 その言葉に、海斗の喉が詰まった。

 

「姉さんは、あなたに生きろと言いました。なら、まずは生きてください。謝るのは、その後でいいです」

 

 結月はベッド脇まで歩いてきた。

 

 伊織が椅子を少しずらす。

 

「起きて早々に重い話で悪いけど」

 

 伊織が言った。

 

「この人、君の監視役になる予定」

 

 海斗は顔を上げた。

 

「監視……」

 

「正式には、監視観察です」

 

 結月は姿勢を崩さないまま言った。

 

「あなたはまだ、通常の生存者として扱われていません。軍の記録上は、未分類対象です」

 

 未分類対象。

 

 人間でも、敵でもない。

 

 何なのか分からないもの。

 

 海斗は伊織を見た。

 

「伊織さんは?」

 

「私は、止める役……かな」

 

「止める……」

 

「万が一、何かあった時にね」

 

 伊織はそれ以上説明しなかった。

 

 海斗も、それ以上は尋ねられなかった。

 

「中央から、あなたを第七管区内で管理できるか確認しろと命じられています。その観察場所として選ばれたのが、第七要塞都市高度戦術学園です」

 

 中央都市。

 

 各要塞都市を統括し、《絶対安全圏》と呼ばれる人類圏の中枢。

 

 だが、軍用便を除けば、そこへ至る道はどれも命懸けだった。空路、海路、地下を走る一般便には常にCHORUS襲撃の危険があり、比較的安全な軍用便を利用するには、特別な許可か多額の費用が必要になる。

 

 海斗の周囲に、中央都市を訪れた者は一人もいなかった。

 

 行ったこともない場所からの命令が、自分と07の処遇を左右している。

 

 まだ、実感が湧かなかった。

 

「なぜ、俺が学園に?」

 

「あなたを通常の学生として編入させるためではありません」

 

 結月は、まっすぐに海斗を見た。

 

「高度戦術学園には、FRAME適性測定設備、医療隔離区画、緊急時に対応できるFRAME部隊が揃っています。まずは特別管理区画であなたと07を観察し、状態が安定していると確認できれば、行動範囲や他者との接触を段階的に広げていきます」

 

 結月は一度言葉を切り、隔離室を見回した。

 

「この部屋に閉じ込めたままでは、隔離区画の外でも管理できるか判断できませんから」

 

 学園へ戻れるわけではない。

 

 別の場所へ移され、そこで観察されるだけだった。

 

「当初、中央はあなたを引き取るつもりでした。ですが、07と接続したあなたを拘束し、移送するのは現実的ではないと判断した」

 

 それまで眠たげだった伊織の目が、わずかに細くなった。

 

「現実的ではないから、ね……」

 

 結月が伊織を見る。

 

「何か?」

 

「海斗くんが未分類体になったのは、07が封印されていた第七要塞都市。そこで適性測定を受けたら、眠っていた07が目を覚まして、海斗くんと接続した」

 

 伊織は指先にミントグリーンの髪をくるくると巻きつけ、ぱっと離した。

 

「偶然にしては、全部ちょっと出来すぎてるなって」

 

 結月は伊織を一瞥した。

 

「……今は、憶測でしかありません」

 

 言われてみれば、一つずつの出来事が、海斗を07へ導くために用意されていたようにも思えた。

 

 もし、すべてが最初から仕組まれていたのだとしたら――。

 

 結月は海斗へ向き直った。

 

「そこで、条件付きで第七管区による現地管理が認められました」

 

「条件……?」

 

「すべての観測記録を中央へ提出すること。そして、常時監視役を置くことです」

 

 海斗の視線が結月へ向く。

 

「恐怖や混乱の中でも自分の意思を保ち、07を制御できるのかを確認します。その記録が、第七管区で管理可能だと、私の父――白峰創司令官が中央へ主張するための根拠になります」

 

 海斗は視線を落とした。

 

 これからは、何をするにも、すべて中央へ送られる記録になる。

 

「俺が07を制御できると証明したところで、何だっていうんですか」

 

 抑えていたものが、言葉になってこぼれた。

 

「兵器として管理される場所が、中央から第七管区に変わるだけじゃないですか。俺は……兵器じゃない」

 

「中央には、そう思わせておけばいいんです」

 

 予想していなかった答えに、海斗は結月を見た。

 

「中央があなたを何だと判断していても、第七管区で管理可能だと認めさせれば、ここに残せます」

 

 結月は海斗から目を逸らさなかった。

 

「第七管区の管理下にいる限り、父の命令が優先されます。父は、あなたを未分類対象ではなく、一人の人間として扱うと決めています。中央へ渡れば、その保証はありません」

 

 管理されることに変わりはない。それでも、その記録は自分を縛るためだけでなく、中央へ渡さないための盾にもなる。

 

 人間として扱うという白峰創の方針を、今すぐ信じ切ることはできなかった。それでも、中央へ渡されるよりは、ここに残る方がいい。

 

 選べる道は、最初からほとんど残されていない。

 

「……分かりました」

 

 それでも、どちらへ進むかだけは、自分の口で決めたかった。

 

 海斗は結月を見た。

 

「行きます。学園に」

 

 結月は小さく頷いた。

 

 伊織は、眠たげに笑う。

 

「素直でよろしい」

 

 部屋の奥で、黒い棺の亀裂光が、海斗の答えを聞き届けたように一度だけ強く明滅した。

 

 あれも来る。

 

 自分と一緒に。

 

 もう、離れられない。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。