海斗は息を呑んだ。
ストライカーだ。
けれど、目の前に立つそれは、海斗が憧れていた姿とはまるで違っていた。
血に濡れたブレード。
煤に汚れた装甲。
斬られたばかりの異形の肉片。
そこに立っているだけで、周囲の空気が押し潰されるような圧があった。
本物のFRAME。
本物の兵士。
本物の戦場を生きているもの。
海斗は初めて、ストライカーという言葉の重さを肌で理解した。
憧れだけで見ていいものではなかった。
『ケルブ級反応、沈黙を確認』
無機質なAI音声が響く。
女が小さく舌打ちした。
「チッ……まだいたのか」
低い女の声だった。
荒れているのに、乱れてはいない。
女が、海斗へ顔を向ける。
鋭く削ぎ落とされた頭部装甲の奥で、細いバイザーが蒼白く光っていた。
「生きてるか」
「……っ」
返事をしようとして、声が喉に引っかかった。
生きている。
たぶん。
そう答えたかった。
けれど、痛みと恐怖で、うまく言葉にならない。
女はそれ以上を求めなかった。
「待ってろ。今出してやる」
その言葉に、海斗の胸の奥がかすかに緩んだ。
助かる。
ほんの一瞬だけ、そう思ってしまった。
だが、その直後。
『CHORUS反応接近』
『複数確認』
空気が変わった。
比喩ではない。
熱と煙で濁っていた戦場の空気が、さらに別のものへ変質していくのが分かった。
赤煙の奥から、音が聞こえる。
ギチ。
ギチギチギチ――。
骨を擦り合わせるような、湿った不快音。
大量の足音と、関節の軋みと、喉の奥で鳴るような異音が、煙の向こうで折り重なっていた。
海斗の顔から血の気が引く。
さっきの一体だけで、何もできなかった。
それが今、煙の向こうに群れている。
女がゆっくりと立ち上がった。
『ケルブ級反応、十五』
『敵性反応多数』
『危険度上昇』
女はブレードを握り直す。
その仕草は、ひどく自然だった。
恐怖も、迷いもない。
ただ、面倒な仕事が増えたとでも言いたげに、女は短く息を吐く。
「……面倒だな」
その一言と同時に、背部スラスターが展開した。
灰色の装甲背面で、機械翼のような推進器が開く。
首元から背中へ伸びる機械脊椎の表面を、蒼白い光が走った。
それは装甲の発光というより、兵士の神経そのものが熱を持ったように見えた。
警告音とともに、AIの声が走る。
『コーラスリアクター、出力上昇』
『神経接続、全系統同期』
『全奏解放――フルスコア』
空気が弾けた。
蒼白い粒子光が背中から噴き上がり、灰色のFRAMEが瓦礫を蹴った。
海斗が瞬きをする間もなく、その姿は視界から消えていた。
ただ、赤煙の中に蒼白い残光だけが走る。
右へ抜けたと思った時には、もう異形の首が跳ねていた。背後で黒い血が噴き上がり、遅れて斬撃の音が耳に届く。
灰色のFRAMEは止まらない。
崩れた柱を蹴り、瓦礫の上を滑るように抜け、群がる異形たちの隙間を縫っていく。
痛みで意識が飛びかけるたび、海斗の視界には、灰色の残光と黒い血飛沫だけが焼きついた。
速い、という言葉では足りなかった。
人間の形をした何かが、戦場そのものを切り裂いているようだった。
数秒後。
赤煙の中で、最後の異形が崩れ落ちた。
切断面から黒い血を噴き上げ、痙攣しながら瓦礫の上を滑っていく。
静寂が戻る。
いや、違う。
静かすぎた。
さっきまで耳を埋め尽くしていた咆哮も、骨を擦るような不快音も、今は消えている。
瓦礫の下で、海斗は浅く息を吐いた。
助かった。
そう思いたかった。
けれど、女は動かなかった。
ブレードを下ろしたまま、煙の奥を見ている。
構えを解いていない。
勝った人間の背中ではなかった。
何かを待っている。
いや。
何かが来ることを、もう分かっている。
『周辺CHORUS濃度、急上昇』
無機質なAI音声が響く。
『高位反応、接近』
空気が軋んだ。
ミシ、と。
建物の梁が悲鳴を上げたのではない。
瓦礫が崩れた音でもない。
もっと近くて、もっと遠い。
空間そのものが、目に見えない手で無理やり捻じ曲げられているような、不快な軋みだった。
同時に。
キィィィィィィィ――――――!!
耳鳴りが爆発した。
海斗は歯を食いしばる。
「あ……ぁっ……!」
頭の奥へ、熱した針を何本も差し込まれたような痛みが走った。
吐き気が込み上げる。
視界が赤と黒に揺れる。
自分の呼吸がどこにあるのか分からなくなる。
赤煙の向こう。
そこに、白がいた。
白い。
あまりにも白い。
それは、煙の中に立っているはずなのに、煙に汚れていなかった。
輪郭がぼやけて見えるのは、視界が霞んでいるせいではない。
その周囲だけ、景色そのものが歪んでいた。
人型。
けれど、人間ではない。
白磁のように滑らかな四肢。
血管の代わりに、薄い光が皮膚の奥を流れている。
顔のあるべき場所は、整いすぎた無機質さで塗り潰されていた。
その整い方が、気味悪いほど美しかった。
海斗の全身が総毛立つ。
あれは違う。
さっきの異形とは違う。
倒せるとか、逃げられるとか、そういう次元ではない。
『識別コード更新』
AI音声に、わずかなノイズが混じる。
『SERAPH class』
女が小さく舌打ちした。
「……最悪だな」