「……最悪だな」
灰色のFRAMEの中から漏れた声には、疲労も苛立ちも混じっていた。
その一言で、海斗にも分かってしまった。
目の前に現れたものが、さっきまでの異形とはまるで違うのだと。
数が多いとか、動きが速いとか、そういう種類の危険ではない。
もっと根本的に、存在しているだけで周囲の法則を壊しているような、そんな気配があった。
白い異形は、何も言わない。
ただ静かに立っている。
それだけで、耳鳴りがさらに強くなった。
海斗は、喉の奥がひどく狭くなるのを感じた。息を吸おうとしても、肺がうまく膨らまない。
あれを見てはいけない。
そう思っているのに、視線を逸らすこともできなかった。
女がブレードを持ち直し、半身に構えた。
腰を落とすと、背部スラスターが小さく開く。
さっきまで異形の群れを切り裂いていた灰色のFRAMEが、さらに深く沈み込んだ。
逃げる構えではない。
迎え撃つ構えだった。
『コーラスリアクター出力上昇』
『全奏解放《フルスコア》』
白い異形が、消えた。
そう見えた。
音よりも先に、瓦礫の山が爆ぜる。
何かが通った。
理解が追いつくより早く、衝撃波が戦場を叩いた。
海斗の目には追えない。
白い影が動いたのか、空間そのものがズレたのかさえ分からなかった。
けれど、女だけは反応していた。
灰色のFRAMEが、反射のように横へ跳ぶ。
蒼白い残光が、燃える空気の中に鋭い弧を描く。
避けた。
海斗には、そう見えた。
だが、何もない空間が裂けた。
ドゴンッ――!!
衝撃が炸裂する。
躱したはずの灰色のFRAMEが、横合いから巨大な槌で殴りつけられたように吹き飛んだ。
崩れた壁を突き破り、コンクリートと鉄筋を撒き散らしながら、瓦礫の奥へ叩き込まれる。
海斗の目が見開かれる。
白い異形の腕は触れていない。確かに避けたはずなのに、その後から見えない力だけが追いついてきた。
『衝撃異常』
『空間歪曲反応、確認』
「……チッ」
瓦礫を蹴り砕き、女が強引に姿勢を立て直す。
左肩装甲が砕けていた。
それでもブレードは落としていない。
白い異形は、変わらず立っていた。
何歩か、ゆっくりと前へ出る。
滑らかな動きだった。
だが、足音だけが遅れて聞こえた。
カツ。
カツ。
半拍遅れて、空間の奥から響いてくる。
おかしい。
全部がおかしい。
海斗の喉がひくついた。
女が吐き捨てる。
「ズレてんのか……空間ごと」
踏み込んだ足元で、瓦礫が爆ぜた。
灰色のFRAMEが、白い異形の懐へ向けて加速した。
一瞬で距離を潰す。
ブレードが閃く。
居合。
細く、鋭い、一筋の蒼白が、白い異形の懐を抜ける。
遅れて、その胴体が斜めに裂けた。
噴水のように血がしぶく。
白い肉片が宙を舞い、断面からは光る組織が覗いた。
女は着地と同時に左腕を跳ね上げる。
手首装甲がスライドし、内蔵火器が露出した。
『腕部火器、展開』
乾いた重音。
ドンッ――!!
至近距離から叩き込まれた一撃が、切断された白い肉塊を吹き飛ばす。
いくつもの白い破片が、雨みたいに周囲へ散らばった。
そのひとつが、海斗のすぐ近くへ落ちる。
ぐちゃり、と。
まだ温かい、拳大の肉片だった。
海斗は息を詰める。
その直後。
切断された白い異形の身体が、蠢いた。
ぬめるように。
断面から、白い糸みたいな組織が無数に伸びる。
血。肉。骨。
さっき吹き飛ばされたはずの破片が、磁石に引かれるみたいに跳ね上がっていく。
周囲へ飛び散った血液すら、空中で逆流し、白い身体へ戻っていった。
時間が巻き戻っているようだった。
傷が塞がるのではない。
壊れた事実そのものが、なかったことにされていく。
『自己修復反応、確認』
『再生速度、異常値』
女の声が低く沈んだ。
「……再生持ちかよ」
それでも、女は攻撃の手を止めなかった。
再生を始めた胴体を斬り上げ、返す刃で肩口を切断する。繋がりかけた白い組織が、形を取り戻す前に再び切り刻まれていく。
その最中、海斗のすぐ近くへ落ちた肉片が、ぴくりと跳ねた。
もう一度。
ぴく、ぴく、と痙攣しながら、白い異形の方へわずかに滑る。
戻ろうとしている。
そう思った瞬間、海斗は反射的に右手を伸ばしていた。
止められる力など、どこにもない。それでも、目の前であの化け物が元通りになるのを、ただ見ていることだけはできなかった。
指先が、血塗れの肉片を掴む。
ぬるい。
気持ち悪い。
今すぐ放り投げたかった。
肉片が、手の中で脈打つ。
白い異形の身体へ戻ろうと、粘るように震えている。
潰れた左腕から走る痛みで、意識が白く弾けかける。
それでも、海斗は離さなかった。
女の刃が、再生途中の白い異形をさらに斬り裂く。
残っていた片腕が、不意に持ち上がった。
その手が向けられた先に、女はいない。
瓦礫の下にいる海斗だった。
女は間を置かず、肩口から腕を斬り飛ばす。
切断された白い腕が、宙を回った。
その掌が空中で裂け、内側に収縮していた肉の塊を撃ち出す。
弾丸のように圧縮された白い塊が、女の脇を抜けて海斗へ迫った。
「――ッ!」
女が振り返る。
背部スラスターが限界まで開き、蒼白い粒子光を噴き上げた。
その光に、血のような赤が一瞬だけ混じる。
灰色のFRAMEが加速した。
白い弾丸を背後から追い、海斗へ届く寸前でその射線へ割り込む。
振り向きざまにブレードを振り抜き、白い弾丸を海斗の眼前で両断した。
左右へ分かれた破片の間で、景色が捻じれる。
女がブレードを引き戻すより早く、見えない衝撃が灰色のFRAMEの腹部で炸裂した。
装甲が砕け、赤い血と蒼白い放電が同時に噴き出す。
灰色のFRAMEは後方へ弾き飛ばされ、瓦礫と鉄骨をへし折りながら海斗のすぐ傍へ激突した。
ドガァンッ――!!
海斗の頬へ、熱い液体が降りかかった。
赤だった。
『致命的損傷』
『腹部装甲大破』
『内部出血警告』
『コーラスリアクター出力、低下』
灰色のFRAMEの腹部が、大きく抉れていた。
抉れた腹部から、蒼白い放電を孕んだ白煙が漏れ、装甲の隙間からは赤黒い液体がとめどなく流れ落ちている。
その向こうでは、白い異形の再生が続いていた。
切り刻まれた胴体が繋がり、失われた腕が新たな組織によって形作られていく。
海斗に肉片を奪われた箇所にも別の白い肉が盛り上がり、欠けた部分を埋めていった。
白い異形が最初の一歩を踏み出した時には、傷も欠損も完全に消えていた。
女はブレードを支えに立ち上がろうとしたが、膝が崩れた。
装甲内で何かが壊れる鈍い音がした。
白い異形が、ゆっくりと近づいてくる。
静かで、美しく、残酷な勝者の歩みだった。
キィィィィィィィ――――――!!
海斗の耳鳴りが限界まで跳ね上がる。
視界が歪む。
頭の中へ、何かが流れ込んでくる。
安心。
静寂。
繋がる。
溶ける。
独りじゃない。
もう、戦わなくていい。
そして――接続。
「あ……ぁぁぁぁっ……!!」
海斗は絶叫した。
それは痛みだけではなかった。
恐怖だけでもなかった。
自分の中に、自分ではない感情が入り込んでくる。
怖いはずなのに、楽になれると思ってしまう。
逃げたいはずなのに、もう抵抗しなくていいと、どこかで囁かれる。
その優しさのようなものが、何よりも気持ち悪かった。
女は膝をついたまま上体を起こし、海斗を背にして白い異形へブレードを向けた。
右腕は震えていたが、刃先だけは下がらなかった。
「……ガキに……手ェ出してんじゃねェよ……」
掠れた声。
だが、白い異形は女を見ていなかった。
砕けた装甲も、流れ続ける血も、最後まで海斗を庇おうとする意志さえ、すでに終わったものとして扱っているようだった。
白い顔が、ゆっくりと海斗へ向く。
「……っ」
喉の奥が、凍りついた。
見られている。
そう思った。
だが、違う。
白い異形が見ていたのは、海斗の顔ではなかった。
右手。
血に濡れた指が握り締めている、白い肉片。
白い異形は、それを確認するように、ほんのわずかに首を傾けた。
それに応えるように、海斗の右手の中で肉片が小さく脈打った。
どくん、と。
自分の心臓とは違う拍動だった。
「……ぁ……?」
海斗の指が、勝手に強張る。
離そうとした。
けれど、離せなかった。
白い肉片が、手のひらの内側で粘るように震えている。
白い異形の周囲で、景色がゆっくりと歪み始めた。
赤煙がねじれ、瓦礫の輪郭が波打つ。
白い身体は、その歪みの奥へ沈むように薄れていく。
消えていく輪郭の奥から、なおも視線だけが残っている気がした。
やがて白い輪郭は完全に消えた。
残されたのは、白い肉片の拍動だけだった。
どくん。
その音を最後に、海斗の意識はゆっくりと沈んでいった。
《STRIKER/ストライカー》
高速機動と近接戦闘に優れた汎用型FRAME。
背部スラスターを用いた高速戦闘を得意としている。