レクイエム・フレーム ―FRAMEを纏えない青年―   作:momomotototo

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第八話 ノクターン 前編

 海斗は振り返った。

 

 そこに、黒紫のFRAMEが立っていた。

 

 背中に大きな推進器はなく、身体に張りつくような薄い装甲と、背骨に沿って走る機械脊椎だけ。

 

 音も気配も削ぎ落としたような細身の輪郭に、角のような鋭いフィンだけが頭部から伸びていた。

 

 顔は見えない。

 

 細いスリットだけが赤紫に淡く光り、頭部装甲の後ろから淡いミントグリーンの髪が左右に流れていた。

 

 表情はないのに、髪だけが人間のものだった。

 

 胸部装甲の左側に、小さな識別表示が浮かんでいる。

 

《PHANTOM》

 

 海斗も、その名前だけは知っていた。

 

 隠密、奇襲、近接制圧に特化した軽量FRAME。

 

 正面から戦線を支える機体ではない。

 

 気づかれる前に懐へ入り、敵を沈黙させるためのFRAMEだった。

 

「やっぱり、人間じゃないね」

 

 冗談を言うみたいな、軽い声だった。

 

 その軽さが、銃口を向けてきた兵士たちよりもずっと怖かった。

 

 兵士たちは、まだ距離を取っていた。

 

 撃つ前に構え、叫び、警告し、判断を迷っていた。

 

 だが、目の前の相手は違う。

 

 すでに海斗の間合いへ入っていた。

 

「誰、だ……」

 

「質問する余裕あるんだ」

 

 黒紫のFRAMEが、両手を下げる。

 

 手首の装甲が滑るように開き、その内側から二本の短刀が抜き放たれた。

 

 細い刃。

 

 光をほとんど反射しない黒い刀身。

 

 まるで影を削り出したような武器だった。

 

「じゃあ、試してみよっか」

 

 目の前の相手が、視界から消えた。

 

「――っ!」

 

 海斗は反射的に右腕を振った。

 

 また壊したくなかった。

 

 押し退けるだけでいい。

 

 触れれば、弾き飛ばせる。

 

 そう思った。

 

 違った。

 

 黒い刃が、海斗の右腕を通り抜けた。

 

 何が起きたのか分からない。

 

 腕を振ったはずだった。

 

 だが、視界の端で赤が散る。

 

 遅れて、右腕が肘の先から落ちた。

 

「……ぁ」

 

 腕が、落ちた。

 

 自分の腕が。

 

 その理解が頭に届いた途端、痛みが噛みついてきた。

 

「がああああああああッ!」

 

 喉が裂けるほど叫んだ。

 

 膝が崩れかける。

 

 切断面から熱い血が溢れ、失われた右腕の重さだけが、そこにないまま残っている。

 

 海斗は傷口を押さえることもできなかった。

 

 目の前の相手が、もう次の動作へ移っていたからだ。

 

 黒紫のFRAMEは、すでに懐にいる。

 

 片足が、海斗の腹へめり込んだ。

 

「うっ……!」

 

 身体が浮く。

 

 内臓が潰れたような衝撃で、息が喉の奥から押し出された。

 

 屋上のフェンスへ叩きつけられる。

 

 金属柵が大きく歪み、固定具が弾けた。

 

 背中側に、空が開いた。

 

 海斗の身体が、屋上の外へ放り出される。

 

 風が耳元で唸った。

 

 落ちる。

 

 地面が迫る。

 

「う、わ!」

 

 海斗は背中から地面へ叩きつけられた。

 

 身体が一度、二度と跳ねる。

 

 瓦礫の上を転がり、崩れた外壁の残骸にぶつかってようやく止まった。

 

 肺から息が抜ける。

 

 視界が白く弾け、瓦礫の粒が頬を打った。

 

 立ち上がる暇はなかった。

 

 黒紫のFRAMEが、音もなく降りてくる。

 

 海斗の視界に、影が落ちた。

 

 落下の勢いを殺さないまま、片膝が腹へ叩き込まれる。

 

「ぐっ……!」

 

 背中が瓦礫へ沈み、肺の奥から息が潰れた。

 

 軽いはずなのに、動けない。

 

 押さえつけられているのは腹だけではなかった。

 

 腰も、肩も、逃げる方向を先回りして潰されている。

 

 二本の短刀が、頭上で振り上げられた。

 

「や、め――」

 

 刃が落ちる。

 

 海斗は反射的に左手を突き出した。

 

 その横で。

 

 ないはずの右腕が、熱を持って蠢いた。

 

 肉が伸びる。

 

 骨が戻る。

 

 皮膚が閉じる。

 

 再生した右手が、ぎりぎりで顔の前へ滑り込む。

 

 防御なんてものじゃない。

 

 顔を庇うだけの、みっともない動きだった。

 

 黒い刃が、両方の手のひらを貫いた。

 

「ぐ、あ……ッ!」

 

 血が散り、刃先が手の甲から抜ける。

 

 それでも勢いは止まらなかった。

 

 二本の短刀は、海斗の両手を縫い止めたまま、喉元へ沈んでくる。

 

「っ、ぐ……!」

 

 海斗は歯を食いしばり、貫かれた両手で刃を押し返した。

 

 塞がろうとする肉が、黒い刃に押し裂かれる。

 

「……再生完了まで、十秒弱」

 

 黒紫のFRAMEが、軽く首を傾ける。

 

「腕は戻るんだ」

 

「っ……!」

 

 海斗は、貫かれた両手にさらに力を込めた。

 

 押し返す。

 

 押し返さなければ、喉を貫かれる。

 

 だが、黒紫のFRAMEは動じなかった。

 

「力だけは強いね」

 

 相手の声は、楽しそうだった。

 

「でも、使い方が下手」

 

 黒紫のFRAMEが、右手を貫いていた短刀をすっと引き抜いた。

 

「っ、あ……!」

 

 支えにしていた右手から力が抜け、海斗の防御が崩れる。

 

 次の瞬間、その黒い切っ先は喉元に添えられていた。

 

 冷たい。

 

 皮膚が薄く裂け、血が一筋流れた。

 

 海斗の身体が、びくりと震える。

 

「や……だ……」

 

 声が震えた。

 

 息が詰まって、喉の奥で変な音が鳴る。

 

「やだ……殺さないで……」

 

 言葉は途中で何度も途切れた。

 

 止めようとしても、声が勝手に震える。

 

「お願い……します……」

 

 海斗は喉元の刃から逃げることもできず、ただ首を小さく振った。

 

「殺さないで……死にたくない……」

 

 黒紫のFRAMEが、わずかに首を傾ける。

 

「……変なの」

 

 軽い声だった。

 

 けれど、その奥にほんの少しだけ、別の色が混じった。

 

「化け物みたいに治るのに、そんなふうに泣くんだ」

 

 赤紫のスリットが、細く光る。

 

「……なんか、人間みたい」

 

 その直後だった。

 

『待機。処理命令を変更――』

 

 無線が割り込んだ。

 

 だが、その声が最後まで届くより早く、喉元の刃が横へ引かれた。

 

 熱い、と思った。

 

 そこから先の感覚が、首の下で途切れた。

 

 景色が、ぐらりと横へ倒れた。

 

 瓦礫の地面が目の前まで迫り、頬に硬い衝撃が走る。

 

 視界が一度だけ跳ねて、空と地面が入れ替わった。

 

 少し離れた場所に、自分の身体が見えた。

 

 地面に押さえつけられたままの身体。

 

 両腕は血に濡れ、首から上だけがなかった。

 

 声が出ない。

 

 息もできない。

 

 泣くこともできない。

 

 海斗の視界だけが、砕けた地面の上で止まった。

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