今更ですが、舞台は霊夢がまだ生まれる前の時代です。そのため、役職で呼ばれている人物は捏造された人物だと思ってください。
こ れは丁がようやく稽古後の治療にも泣かなくなった頃の事である。蝉の声がひいていく夕暮れ、賑やかな山里に鴉に抱かれた人間の幼子が訪れた。
「まさか、こうなるとは思いませんでしたね。」
人間の子どもの成長を書いた連載記事は予想以上の好評をえて、ついには天魔様の耳にも入ることとなった。初めて御前に呼ばれたときはお咎めを受けるのではないかと内心怯えていたのだが、告げられたのは子どもに会ってみたいということだった。
「これが丁でございます。」
「ほう。これが人の赤子か。食うことはあっても抱くのは初めてだな。」
産着にくるまれた丁は天魔を怖がることなく、むしろ腕の中で眠るくらいの肝の太さを見せつけ、それはもう大変気に入られた。上等な御服によだれを垂らして汚したときは冷や汗がでたが、それでも天魔の目尻は下がりっぱなしだった。
「こうしてみると子犬みたいで可愛らしいではないか。」
「愛玩としてはなかなか面白いものです。」
「そうだな。せっかくだから私も一枚噛ませてもらおう。」
そして空いている離れを貸し与えられることになった。
射命丸は自分が罰せられることがなくて胸をなでおろしたが、一番恐れていたのは別のことだったことには気づくことはない。あと数十年の間は新聞のネタに困らないと喜ぶだけであった。
「全く、空を飛んでも怖がらないとは。お前の目は碧いガラス玉なのですかね。」
「ガラス玉って何。」
「ん、飴玉みたいな透明な固い玉ですよ。色がついたものはトンボ玉とも言いますね。」
里に着くと射命丸は抱えていた子どもを下ろし、木刀を持たせると与えられた住居に向かって歩き出した。飛んで行ってもいいのだが、稽古からの帰り道は他の天狗へのお披露目も兼ねていた。
「丁が来たぞ。」
「いつにもましてボロっちいな。」
「雑巾みたいだ。」
「人間のくせによく頑張るものだよ。」
通りを歩く天狗たちは普段の余所行きの顔を浮かべているが、誰しも密かに丁の姿を盗み見していた。
丁も道に沿って並ぶ露店に頭を左右に振りながら眺めていた。
射命丸に手をひかれながら歩く子どもは店先のあるものに目を引き付けられた。それは朱いトンボ玉だった。
「丁、どうしたんですか。」
「綺麗な飴玉がある。」
「飴玉?あの店は玩具屋のはず。」
足を止めた子供視線の先をたどると射命丸は、こんなものも知らないのかと嘲笑した。
「これはトンボ玉というものですよ。」
「トンボ玉。」
丁はこの綺麗なガラス玉が自分の大好きなものとよく似ていることに気づいた。
「欲しいのですか。」
「わからない。」
生まれてこのかた丁は一度も物をねだったことがなかった。だから、「欲しいか」と聞かれてもどう答えればいいのか知らなかったのだ。
「ふむ。」
その様子を見ていた射命丸は店員を呼ぶと幾らかのお金を渡した。
「丁、私は他の店に用がありますからその間に欲しいものでも見つけなさい。」
「え。」
困惑した丁に店の者は優しく声をかけた。この天狗も新聞を読んでいて丁のことは知っていたのだ。
「お嬢ちゃん。射命丸様はあんたに玩具をあげたいんだと。太っ腹だねぇ。さあ、そんなもんなんか置いておじちゃんのお店をゆっくり見ていっておくれ。ほら、この人形はどうだい。」
そういいながら木刀を取り上げ近くの壁に立てかけると、菊の模様が入った着物を着た人形を子どもに持たせた。丁はつぶらな目をした人形を可愛いとは思ったが、それ以上何かを思うことはなかった。
「おじさん。アレは。」
「ああ、トンボ玉かい。せっかく大金をもらったというのに勿体ないねぇ。」
店の天狗はしきりに人形や綺麗な千代紙などをすすめたが、丁はトンボ玉の入った籠を指さした。
「強情な人の子め。たくさんあるから好きなだけ選んでこの袋に入れなさい。」
「ありがとう。」
丁は透き通った色とりどりのガラス玉から迷うことなく一つ選ぶと肌色の麻布で出来た巾着に入れた。
「一つでいいのかい。他の物は」
「うん。これが良いの。」
丁にとってそれはとりわけ精彩を放つ宝玉のようだった。
「お嬢ちゃんが満足ならそれでいいんだけどね。じゃあ、袋をもっと上等なものにしてやろう。」
店の天狗は棚の下からなめし革でできた茶色の巾着をとりだすと布の物と取り換えた。
「何でそれを選んだんだい。」
「ないしょ。」
「それは悲しいなぁ。せっかく丈夫な袋をだしてやったのに。」
ウソ泣きをすると、丁は逡巡して天狗の耳元に顔を近づけた。彼は内心しめしめと思いつつも感激した風を装って丁の答えを待った。
彼からしてみれば丁が選んだ物は平凡な単色でそこまで欲しがるような代物には見えなかった。子どもは辺りを見回して射命丸が近くにいないことを確認すると耳に口を寄せて恥ずかしそうに短く囁いた。
「そうかい、そうかい。」
幼い答えに微笑まし気に笑みを浮かべたとき、射命丸が帰ってきた。
「選び終えましたか。」
「射命丸様。」
丁は駆け寄って抱き着いた。
射命丸は子どもの頭を撫でながら店員に声をかけた。
「不足はどれほどですか。」
「いえいえお代は十分でしたよ。そこのトンボ玉一つだけなんだから。むしろ、こっちがお釣りを返さないといけません。」
「それはそれは。遠慮するとは子どもらしくありませんねぇ。」
射命丸は呆れた目で丁を見た。
丁はどうして射命丸がそういう反応をするのか分からずにきょとんとした表情で見上げている。
「いやぁ、それを選んだのはとってもいじらしい理由ですよ。」
「言っちゃだめ。」
「ごめんよ、お嬢ちゃん。内緒だったな。」
店の天狗の言葉に子どもは慌てて制止した。
「私には教えてくれないのですか。」
「だって。」
丁はじれったくモジモジしていたが、口を開くよりもしびれを切らした射命丸が店を立ち去るほうが早かった。
「店主、お釣りはいりません。」
「毎度。」
あったばかりの店主には告げて自分には話してくれないことは、射命丸にとって面白くないことだった。
「射命丸さま、まって。」
木刀を担いで置いていかれないように小走りで後をついていく女の子は、一度お店に振り返ると店主に向かってはにかみながら手を振った。前では鴉天狗が不機嫌そうな顔で待っていた。
二人は手をつないで向こうのほうへ去っていった。
「射命丸もすっかり丸くなって。」
「そうだな。」
遠巻きに見ていた天狗たちが口々にそう囁きあった。
「俺は一年も経たずに食うと思っていたんだけどな。」
「私もだ。人の子にあれほど熱をあげて。」
「熱をあげると言えば、先生のまねごとをする姫海棠や白狼天狗も変わっておるよ。」
射命丸は知らないが丁の記事が人気になった原因は彼女にもある。彼らは天狗の癖に人の親のように世話を焼く姿を滑稽だと思って読んでいたのだ。鴉天狗としても上位の存在が矮小な存在に翻弄されている様を見下していた。
「見ていて飽きないな。」
「ああ、あいつらの関係は見ていて面白い。」
「聞けば天魔さまも気に入ったという話だぞ。」
しかし、次第に読者はこの偽の親子に嘲り以外の、どこか心が温かくなるような感情を抱き始めた。人間と妖怪、異なる種族の歪な彼女たちの間には特別な絆がみえた。その絆に長く生きている者ほど、どこか懐かしさを覚えるのだ。
「そういえば、私にも気まぐれはあったな。」