天狗は組織で生きる種族である。独自の社会を形成し、長なる者も自分たちから選んで決めてきた。妖怪として利己的な面が強いことを除けば民主的な構造だと言えるだろう。もちろん、何よりも物を言うのは単純に腕っぷしの傾向が強いが。
今日も天魔の屋敷で会合が行われていた。派閥同士が黒い腹を探り合い、相手がボロを出さないか言葉の端々に罠を仕掛けている。鴉の皮を被った狸が揃っていた。
お茶くみとして参加してた射命丸はその場の息苦しい雰囲気に吞まれそうだった。早く、家に帰って丁のことを揶揄いたいと考えていた。
突如、張り詰めた空気が裂けた。比喩ではなく裂けた。
「はあい、こんにちは。ご機嫌いかがかしら。」
鈴音のような声と共に紫の貴婦人が顔を出した。
「何用だ。」
「無礼であるぞ。」
天狗たちは近くに置いていた刀を引き寄せると鯉口に手をかけた。
いきなり乗り込んできた無法者に気色ばむ衆へ大天狗が待ったをかけた。
「お前たち。少しは落ち着け。そして、スキマは何しにここへ来た。」
「そんな怖い顔しなさんな。私はただ忠告をしに来ただけよ。」
「忠告?」
天狗たちの顔に訝し気なものが浮かんだ。
「以前、山を大掃除したでしょう。その時に逃げ出した中級の妖怪が鬼にばらしたそうなのよ。天狗が人間を飼って修業を付けていると。」
だから、とそこでいったん言葉を切った。
「後二三日したら鬼が腕試しにくるわ。」
部屋が揺れた。
「あら、壁に傷がついたわよ。」
一瞬の間に紫が別の場所に姿を現した。一人の鴉天狗は無造作に壁から刀を引き抜いた。
「射命丸。ただの茶くみが出すぎた真似をするな。下がれ。」
天魔が静かに諭した。射命丸は黙って部屋を下がろうとした。
「罰として座敷牢を使えるように掃除しろ。」
障子を閉めようとした彼女に続けて命じた。深々と礼をして今度こそ射命丸は会談を後にした。
「スキマ。詳しく聞こう。」
「そうねえ。まず、言っておくけど私もこれを知ったのが最近なのよ。藍から鬼になにやら動きがある聞いて話を聞きに行ったわ。」
紫は事の詳細を順を追って説明した。
実は紫は丁のことを既に巫女を通して知っていた。人間を厭う天狗が赤子を育てているなんて酔狂なものだと思いながら監視していたのだ。
観察しているうち、天狗たちが確かに人間の子を慈しんでいるのが分かった。紫は幻想郷を理想に近づけるうえで天狗と人間の関係をどうにか改善したいと思っていたから、いい傾向だと喜んで受け入れていた。
そこに来て鬼の襲撃だ。
紫は天狗に直接手を貸さないものの協力するつもりだった。
また、目の上のたん瘤である存在に恩の一つでも売って今後の話し合いでの弱みにしてやろうという魂胆もあった。
「一匹残らず征するべきだった。」
「ああ、根絶やしにすればよかった。」
天狗らはやるせない怒りと不安で悲嘆くれていた。
「どうするの。」
「無論、お帰り頂く。」
天狗の中でも特に武芸に秀でいると評判の大天狗が勇ましく答えた。
「ただで帰ってくれる相手ではないわよ。」
「その時はその時だ。なあ、お前たち。」
「その通りでございます。」
異論を出す者はいなかった。中には羽根の震えを止められない者もいたが、手元を見ると腰の刀をしっかりと握っている。
「吾々も鬼の顔色を伺うだけが能ではない。」
天魔の眼は座っていた。
「そう。」
紫は「手をかそうか」とは言いだせなかった。覚悟を決めた天狗たちの顔を見たら打算が込められた助けを出すことが躊躇われたのだ。
「無事を祈るわ。」
「祈らなくても結構だ。」
「まあ。」
しかし、天狗はやはり紫にとって気に食わない連中のままだったようだ。
その頃、天魔から言いつけられた掃除が終わった射命丸は犬走を呼び出していた。
「犬走。今すぐ丁を座敷牢へ閉じ込めなさい。一歩も出させてはいけませんよ。いいですね。」
有無を言わせぬ口調だった。
「しかし、射命丸様。それは少々行き過ぎではありませんか。」
「これは命令です。あの子は弱いんですよ。外に出したら足手まといになります。」
「逃げるくらいはできるでしょう。」
犬走も事情を教えてもらったが守るためとはいえ難が去るまで閉じ込めるなんて、乱暴だと感じた。
射命丸は庭のまだ新芽も生えない梅を見ながら呟いた。
「私はね。一度書いた連載を落とすのは絶対に嫌。」
「え。」
「人の子成長記録はまだ終わっていないのよ。」
それは遠回しの言葉だったが犬走には本心が伝わった。
「そうですね。私も最期まで読みたいです。」
「分かればいいのです。ほら、サッサと行動しなさい。」
「かしこまりました。射命丸様は本当に新聞が第一なのですね。」
「当然です。無駄話しないでお行きなさい。」
丁を捕まえに、もとい迎えにいく犬走には一つ思い浮かんだことがあった。そういえば「丁」という漢字は書物にも繋がりがある文字だと。
「素直じゃないですね。」
本人に聞かれたらかなり怒られるに違いないことを呟いて林の中を駆けて行った。
それからしばらく立った日のこと。
畳七畳ほどの部屋から格子越しに丁は懇願した。犬走に捕まって地下に閉じ込められた少女の様子を、射命丸が念のため見に来た時だった。
「射命丸様。いつ外に出してくれるのですか。身体がすっかり鈍ってしまいました。」
「嘘言いなさい。たった二週間でしょう。それに犬走がここでも稽古をつけているはずです。」
「でも、ずっと閉じ込められていたら息が詰まりそうです。久しぶりに射命丸様と空を飛びたいです。」
久しぶりに会えた射命丸に丁は甘えた調子で話していた。
「おや、すっかりおねだりも上手くなりましたね。そんなに外が見たいのですか、丁。」
「はい。」
射命丸は懐から手鏡を取り出して丁に渡した。反射的に丁が鏡をのぞき込む。映っているのは何の変哲もない自分の顔だ。
「ほら、綺麗な青でしょう。貴女の目は青空のようですからね。顔はへちゃむくれですが。」
「なっ。」
むくれた頬を両手で挟んで押した。溜まっていた空気が出て間抜け面になったのに射命丸は満足気だった。
「そんな子供騙しはもうききませんよ。素直ではない射命丸様も頬を弄ぶのは好きですよね。隙あらば手を出して。」
「私に向ってそんな口の利き方をするとは生意気ですね。」
射命丸はわざと気分を害したかのような口調で言った。無論、本気で言ってはいないのだが、旗色の悪さを感じた丁はすぐに謝った。
「反抗期なのでしょうか。いい機会ですから、座敷牢で頭を冷やしなさい。」
「ごめんなさい。言いすぎました。」
「口では何だって言えますからね。」
立ち去ろうとした射命丸に丁は待ったをかけた。
「もう少しここに居てくれませんか。」
先ほどまではしゃいでいたのが嘘みたいに淋しさを帯びた声だった。あまりのしょぼくれ具合に思わず足が止まってしまった。
「駄目です。」
しかし、鴉天狗は甘くなってしまう心を戒めて後ろから呼び止める声に振り向きもせず、牢屋を後にした。ここで気を緩めては臍を嚙むようなことになる
「もう、時間がないんですよ。」
鬼は既に山の麓まで迫っていた。