今日から霊夢の残機   作:大体三恵

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第二話 あの子のために、三つの命

「あなたには三つの命があるわ」

 

 紫は、菓子の数でも数えるような気軽さで言った。

 

「現在の私自身の命を含めて三つですか。それとも予備が三つですか」

 

「予備が三つ。あなた自身を一つと数えるなら、合計は四つね」

 

「その三つは、私が死んだ時に使われるんですか」

 

「基本的には霊夢が死んだ時に使われるわ」

 

 予想していた答えではあったが、改めて聞くと納得しにくい。

 

「霊夢が致命傷を受けた場合、私の命が一つ減るという理解でいいですか」

 

「少し違うわね。霊夢が死ぬ結果へ到達した時、時間と位置をわずかに巻き戻して、安全な場所からやり直させるの。その対価として、あなたの残機が一つ消費される」

 

「蘇生ではなく、局所的なやり直しですか」

 

「そう考えていいわ。霊夢自身には、死んだ記憶が残る場合と残らない場合があるでしょうね」

 

 それは、霊夢が記憶の混濁を招くのでは?

 

「危ない……。幅がありすぎませんか」

 

「境界に関わる仕組みは、機械のように毎回同じ結果を出すものではないのよ」

 

 説明の曖昧さは気になるが、紫が意図的に隠しているのか、本人にも確定できないのかは判断がつかなかった。

 当然、私も判断がつかない。

 

「巻き戻る時間はどれくらいでしょうか?」

 

「数秒から数分程度」

 

「位置は」

 

「致命傷を避けられる範囲ね」

 

「霊夢が再び同じ行動を選んだ場合は」

 

「……また死ねば、また一つ減る」

 

「三回繰り返せば」

 

「あなたが動けなくなる」

 

 紫の言葉が少しだけ重くなった。

 

「一つ減ると、あなたは激しい頭痛と吐き気が出るでしょう。血を吐くこともあるわね。二つ目で、歩くことが難しくなる程度まで衰弱する。三つすべて失えば、しばらく意識を保てないでしょうね」

 

「死んだりはしないんですか、私」

 

「通常の消費なら、すぐには死なないわ。身体の方が回復するまで眠ることになるでしょうけれど」

 

「ということは、通常ではない消費の場合があるんですね。具体的には?」

 

 紫は口元を隠す扇子を数段開き、わずかに目を細めた。

 

「霊夢が巻き戻しを拒んだ場合よ」

 

「え? 死にそうなのに拒むことができるんですか」

 

「本人が、自分の死を受け入れてでも先へ進むと決めたならね。その時は残機によるやり直しが成立しない」

 

「その場合、霊夢は」

 

「そのまま進むわ。そしてきっと、必ず最善を掴むでしょうね」

 

「私は?」

 

「必ず死ぬわね」

 

「必殺ですね」

 

 部屋の外で蝉が鳴いていた。

 私の反応に紫も世界も戸惑っているようだった。

 気を撮り直し……。

 

「残機が何個残っていても、死ぬのですか」

 

「ええ」

 

「霊夢が一度、退かないと決めただけで。これを本人は知っているんですか」

 

「まだ教えていないわ」

 

「え? なんで」

 

 思わず紫を見た。

 

「教えてくださいよ、それは」

 

「嫌よ」

 

 紫の視線が逃げた。

 これはわがままをしている時だろう。そういうお方だ。

 

「なぜです?」

 

「知れば、霊夢は使わないでしょう」

 

「そうですよね」

 

「だから教えないの」

 

 紫の論理は一貫していた。こちらの倫理と一致していないだけで、目的に対する手段としては理解できる。

 

「私が直接伝えることは?」

 

「今のあなたは幻想郷へ自由に行けないわ。無理ね」

 

「では、なにか通信手段は」

 

「用意していないわよ」

 

「では、私は霊夢のために死ぬ可能性だけを与えられ、本人へ意思確認する手段もないんですね」

 

「その代わり、霊夢が死ぬ可能性は下がるわ」

 

 紫は静かに答えた。

 

「あなたは危機管理の仕事をしていたのでしょう。重大な損失へ備えて、通常は使わない予備を確保する。あなたの専門に近い話ではなくて」

 

「保険には契約者の同意と条件の開示が必要です」

 

「幻想郷にそんな面倒な制度はないわ」

 

「ここは外の世界です」

 

「でも、私が決めたことよ」

 

 議論を続けても結論が変わらないことは分かった。ならば、現状で確認できる情報を集める方がよい。

 彼女が人の理の外にいるのは事実。

 いや、私たちが人の理の檻にいる、こっちが正しい。

 あちらは檻の外。

 檻の中から叫んでも、檻から飛び出しても意味はない。むしろ悪化する。

 

 気持ちと考えを切り替える。

 情報収集だ。

 

「では、私の身体能力について説明してください。外見だけが霊夢と同じなのか、内部も同等なのかで危険性が変わります」

 

「霊夢本人ほどではないわ。戦闘能力は、だいたい三割程度と思っておけばいいでしょう」

 

「三割の算出基準が分かりません」

 

「弾幕ごっこなら、並の妖怪には勝てるかもしれない。でも霊夢と戦えば、ほとんど何もできずに終わる程度」

 

「飛行は」

 

「できる」

 

「霊力は」

 

「使える」

 

「巫女としての作法や技術は」

 

「身体がある程度覚えているでしょうね。あと真似事くらいだけど、あちらで霊夢と一緒に修練したでしょ?」

 

「そういえばそうでしたね。なんの結果も出せてませんが……。では、私自身の経験や記憶が上書きされる可能性はありますか」

 

「今のところはないわ。ただし、身体の癖や感覚に引かれることはあるでしょう」

 

 味覚、睡眠、運動感覚、反射。身体が変われば、思考へ影響する要素はいくらでもある。

 

 性別が変わったわけではないため、そこへの混乱はない。しかし、成人女性として積み重ねてきた身体感覚の大半は失われている。身長、筋力、声、顔、年齢、周囲からの扱われ方まで変わるなら、社会生活への影響は十分に大きい。

 

「残機が減った時の回復方法は」

 

「時間、睡眠、食事、運動。それから巫女としての修練と、神社の仕事ね。健康的に暮らしていれば戻るわ」

 

「残機が自然に補充されるという意味ですか」

 

「そうよ。すぐではないけれど」

 

「一つ回復するまでの目安は」

 

「あなた次第ね」

 

「具体的な数値がほとんどありませんね」

 

「人間は数値が好きねえ」

 

「数値がなくても構いませんが、条件が分からなければ計画を立てられません」

 

「なら、一度経験してみるとか?」

 

「現場合わせですか……。やめておきます」

 

 答えながら、鏡へ視線が向いた。

 霊夢が死ねば、私の命が減る。

 

 その仕組み自体への怒りはある。だが、それとは別に、霊夢が死ぬ状況を想像しただけで、胸の奥が冷たくなった。

 

 幻想郷で彼女が傷つく場面を見たことはある。本人は平然としていたし、周囲も深刻に受け取っていなかった。それでも私は、彼女が無茶をするたびに、必要以上に目で追っていた。

 

 今思えば、危険を評価していたという説明だけでは足りない。

 

「霊夢が無事なら、私が苦しむこと自体は問題ありません」

 

 口にしてから、自分でも言い過ぎたと気づいた。

 

 紫は扇子の向こうから、珍しいものを見るような目を向けている。

 

「さっき、残機にされるのは嫌だと言っていなかったかしら」

 

「嫌です。ですが、すでに仕組みが成立しているなら、霊夢が死ぬよりは私が頭痛を受ける方がましだと言っているだけです」

 

「それを一般には、かなり好意的な態度と呼ぶのよ」

 

 紫は笑った。

 命は繋がっているのに、私の手が霊夢に届かないことを知っている余裕が見て取れる。

 

 くやしいけど私は話を戻すことにした。

 

「この身体を霊夢本人へ似せた理由は、残機としての接続を安定させるためだと理解しました。それ以外に、私が霊夢と同じ姿である必要はありますか」

 

「特にはないわ」

 

「では、少し変えることは」

 

「おすすめしないわね。接続が弱くなるかもしれない」

 

 それはまずい。

 私の価値と覚悟が無駄になる。

 

「髪を切る程度でも」

 

「短くするくらいなら問題ないでしょうけれど、そのままの方が似合うわよ」

 

「う……。それはそうですね」

 

 紫は鏡を見て、満足そうに頷いた。

 

「でも、本当によくできているでしょう。霊夢と並べたら、どちらが本物か迷う人もいるかもしれないわ」

 

 その光景を想像した。

 霊夢が、同じ顔をした私を見る。

 嫌がるだろうか。怒るだろうか。それとも、紫の仕業だと知って呆れるだけだろうか。

 私自身の状況よりも、霊夢がどんな顔をするのかを先に考えていることに気づき、視線を落とした。

 

「何かしら」

 

「いえ」

 

「霊夢と会いたくなった?」

 

「今は会いたくありません」

 

「本当に」

 

「いや……。この姿のまま会うのは、さすがに気まずいです」

 

 嘘ではなかった。

 ただ、会いたくないという感情よりも、会った時に嫌われたくないという不安の方が強いことは、口にしなかった。

 紫は立ち上がり、再び空間へ裂け目を開いた。

 

「説明は以上よ。後は神社で暮らしながら覚えなさい」

 

「生活費や身分証明はありますか?」

 

「用意してあるわ。十分に」

 

「連絡手段は」

 

「必要になれば、こちらから来るわ」

 

「こちらからは呼べないんですか」

 

「呼んでみればいいでしょう。気が向けば返事をするわ」

 

「それは連絡手段とは呼びません」

 

 紫は裂け目の中へ片足を入れ、振り返った。

 

「あなたなら大丈夫よ。霊夢の身体は、とても丈夫だから」

 

「私が心配しているのは身体だけではありません」

 

「知っているわ」

 

 その言葉を最後に、紫は消えた。

 

 空間の裂け目も閉じ、部屋には蝉の声だけが残る。

 

 私はしばらく畳の上へ座っていた。

 

 三つの命、霊夢との接続、拒否された場合の死、回復条件、外の世界の博麗神社。確認すべきことは増えたが、少なくとも状況の輪郭は見え始めている。

 

 鏡の中では、霊夢の顔をした少女が考え込んでいた。

 

「契約者も被契約者も、保険は使わないためにあるんです!」

 

 誰へ言うでもなく呟く。

 

 霊夢にも、この三つの命を使わせるつもりはない。

 

 そのために何ができるのかは、まだ何一つ分からなかった。

 

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