「モノの声を聴く男」―― シド・フィリップス インタビュー
ARTE Magazine 20xx年春号より抜粋
廃材と既製品から生命を彫り出す現代アーティスト、シド・フィリップス。ニューヨーク近代美術館での個展「RE:BORN」が来場者数記録を塗り替え、タイム誌が選ぶ「最も影響力のあるアーティスト100人」に名を連ねた彼に、自宅のアトリエで話を聞いた。
アトリエは倉庫を改装した広い空間で、壁一面に工具が掛けられ、作業台の上には分解途中の家電やおもちゃの部品が山のように積まれている。雑然としているが不潔ではない。すべてのモノに居場所が与えられているような、不思議な秩序があった。棚のいちばん上に、古びたカウボーイハットがひとつだけ、丁寧に飾られていた。
――「RE:BORN」、大盛況でしたね。改めて、どのような展示だったか教えていただけますか。
「ありがとう。簡単に言えば、コンセプトは“捨てられたモノたちの第二の人生、
――展示の中で、特に反響が大きかった作品はどれですか。
「入口に置いた《THE GATE》かな。高さ三メートルの門なんだけど、全部おもちゃで組んである。何千個もの、捨てられたおもちゃ。兵隊、車、恐竜、人形、積み木。それぞれが元の色のまま残ってて、モザイクみたいに全体で大きなひとつの顔になってる。目を閉じた、穏やかな顔。来場者はその口の部分をくぐって展示室に入る構造なんだ」
――モノに飲み込まれる体験、ですか。
「そう。入る前と出た後で、モノの見え方が変わってほしかった。帰り道にコンビニで何か手に取ったとき、"こいつにも顔があるかもな"って一瞬でも思ってくれたら、僕の勝ちだよ」
――代表作《LULLABY》についても聞かせてください。赤ん坊の頭部を持つ蜘蛛のような造形で、発表時には物議を醸しましたが、同時にそのグロテスクさから「最も多くの人を泣かせた作品」だとも言われています。
「ははは。みんな写真だけ見て気味が悪いって言うんだけど、実物の前に立つと印象が全然違うんだ。正直に言うと、あれは子供の頃に実際に作ったことがあるんだよ。赤ちゃんの人形の頭に、別のおもちゃの脚をくっつけてね。当時はただ面白がってやってた。自分でもなんであんなことに熱中してたのかよくわからない。でも大人になって思い返したとき、あの奇妙な玩具がずっと頭の中に住んでることに気づいたんだ。三十年も経つのに、あいつの顔を覚えてる」
――子供の遊びが原点だった、と?
「そう。ただし、当時の自分はあいつらを作品だなんて思ってなかった。ぐちゃぐちゃに組み替えて、飽きたら庭で爆竹を巻きつけて吹っ飛ばしてた。乱暴だったよ。今思うと申し訳ないくらいさ。だから《LULLABY》は、あの頃の自分への返答なんだ。同じ姿で作り直したが、今度は怖がらせるためじゃない。中に子守唄のオルゴールを仕込んだ。手を添えると体温で反応して、振動で静かに歌い出す。“お前は怖くないよ、大丈夫だよ”って。あの子に――あの頃ぐちゃぐちゃに作って、そのまま捨てたあの子に、三十年越しにやっと言えた言葉だった」
――制作中に泣いた、という噂も聞きましたが。
「……まあ、ちょっとだけね。脚をつけてる最中に手が止まって、しばらく動けなかった。“こいつ、ずっと待ってたのかな”って思ったら駄目だったよ」
――あなたの作品には一貫して「モノには魂がある」というテーマが流れていますね。これはいつ頃から意識していたんですか。
シドは手元のコーヒーカップを置き、少し黙った。窓の外に目をやり、それから棚のカウボーイハットにちらりと視線を向けた。
「……ひとつ、誰にも信じてもらえない話をしていいかい?」
――ぜひ。
「子供の頃さ、おもちゃに怒られたことがあるんだ」
――おもちゃに?
「どこかで拾った古いカウボーイの人形でさ、別の玩具を超特大ロケット花火を括りつけて打ち上げようとしたんだよ。そしたら、そのカウボーイが勝手に喋りだしたんだ。僕の手の中で。頭がぐるっと回って、僕の目を見て喋ったんだ」
――……なんて?
「正確な言葉は覚えてない。でも、意味ははっきり覚えてる。"僕たちは生きてる。おもちゃを大事にしろ"って。そういうことだった。まるで彼に指揮されるように他のおもちゃもぞろぞろ動き出して……あのときのことは今でも夢に見るんだよ。笑うだろ?」
――笑いません。
「当時は腰を抜かしたよ。しばらくおもちゃに触れなくなった。部屋にあったやつも全部妹にやったくらいだ、怖くてね。でも、不思議なことに、怖さの奥にもうひとつ別の感情があったんだ。“ああ、あいつらは本当に生きてたんだ”っていう……なんて言えばいいかな、畏れに近い感覚。畏怖。それがどうしても消えなかった」
――それが創作の出発点になった、というわけですか?
「すぐにはならなかった。十代の頃はむしろ忘れようとしてた。高校を出て、しばらくゴミ収集の仕事をしてた時期があるんだけど、毎朝トラックで街を回るだろ。そうすると道端に捨てられたおもちゃがあるんだよ。片腕のない兵隊の人形とか、色の褪せたぬいぐるみとか。雨に濡れてさ。それを見るたびに、あのカウボーイの顔が浮かぶんだ。“お前、まだやってんのか”って言われてる気がして。プレス機に放り込めなくてさ、トラックの助手席にそっと置いたんだ。同僚には変な目で見られたけど。それが最初のコレクションだよ」
――ゴミ収集がアートの出発点だったんですね。
「子供に飽きられて捨てられた玩具なんて、世間的にはゴミだろう。でも僕にはひとつひとつに表情が見えたんだ。壊れたラジコンにも、溶けかけた恐竜にも、タイヤのないミニカーにも。全部なにかを訴えてるように見えた、“まだここにいるぞ”って。それはあのカウボーイが教えてくれたことだよ。目に見えないからって、魂がないわけじゃないって。あいつが怒ってくれなかったら、僕は一生それに気づかないまま大人になっていただろうな」
――そのカウボーイに今会えるとしたら、何を言いますか。
シドは少し笑って、椅子から立ち上がり、棚のカウボーイハットに手を伸ばした。指先でそっとつばに触れる。日に焼けて茶色くなった、安っぽいおもちゃのハット。
「ずいぶん前にフリーマーケットで見つけたんだ。あいつのじゃないけどね、あのときのことを思い出すと買わずにいられなかった」
シドはハットを手のひらに乗せ、しばらく眺めてから棚に戻した。
「会えたら“ありがとう”って言うよ。あと、“あのとき怒ってくれてよかった”って。お前のおかげで僕はモノの声が聞こえるようになった。お前のおかげで僕は今ここにいるって」
彼はこちらを向いた。
「でもたぶん、あいつはこう言うだろうな。“だから仲良く遊ぶんだぜ?”って。昔とまったく同じ顔でさ。あいつはそういうやつなんだろう。……ああいう大人に僕もなりたかったんだけどな。人形に言うのも変な話だけど」
その目は少しだけ潤んでいた。四十代の頬には、自宅の家の庭で無邪気に遊んでいた悪戯少年の面影があった。
シド・フィリップスの個展「RE:BORN」はニューヨーク近代美術館にて5月31日まで開催中。次回作「PLAYGROUND」は来春、ロンドンのテート・モダンでの公開が予定されている。
スタッフがシドのことを「創造的な子供」って評していて、わたしも子供の頃はおもちゃの改造が好きな子供だったのでそのことを思い出しながら書きました。