月に行くのはいつになるだろうか。
勝手な期待に応えようと努力した。
「──救世主なら助けてくれ! この戦いが終われば我々は王に認められ、あなたも手に入れることができる! 富と名誉を!」
目覚めたら知らない国。
自分を救世主だと崇める人達。
されど僕には平凡な力しかなくて、それでも応えようと剣を取った。
来るべき日に備えて鍛錬を重ねた。
こんな自分でもやれるんじゃないかと、少しだけ夢を見た。結果、地獄を見た。
「助けてくれ」
「このままだと俺達も化け物になってしまう、嫌だ体が動かない」
「頼む、死なせてくれ」
「英雄なら殺せ、我らを!」
天上から炎が落ちてきた。
国は火の手に包まれ、空間が裂けた。漆黒の化け物達が湧いて出てきた。人々は醜悪な姿の化け物に変わった。腰を抜かした僕はしばし罵られていたけど、人の声はすぐに消えた。周りにいた人間は全て化け物に変化して、暗黒の中を僕は逃げた。
「 」
「 」
「 」
頭は全くといっていいほど回らず、体を動かしていたのは原始的な生存本能。赤黒い暗闇の中を逃げて逃げて逃げ続け、どこまで走ったのかは覚えていない。
☆
草の香りが鼻の奥に届く。
冷たいものが頬に触れた。
そして気付いた。
生きている。でもわからない。
ここはどこで
目を開いてみると頭は重く、上手く焦点が定まらない。背中の後ろに何かがある。木だ。恐らくかなり大きい。僕はぐったりともたれかかっていた。
爽やかな草の香りが花をくすぐる。遠くに聞こえるのは風の音。とても穏やか。
「……?」
狭まった視界の中に人がいた。顔は酷くぼやけていたけど、辛うじて女性であることはわかった。
「ぁ……は」
声が上手く出ない。
どういうことかと焦っていると、驚くほどやせ細った自分の腕が見えた。見ている景色がぐらつく。少し力を入れただけで呼吸が乱れ、酷く息苦しかった。
「知らない場所に知らない女。驚くのも無理はないけど、今は何も考えずにいなさい。もう少しだけ大人しくしていれば動けるようになる。
「ぇ……ぁ」
戦争ってどういうことだろうか。
ダメだ何も思い出せない。詳しく聞いてみたかったけど、まともに喋ることはやはりできず、ぐったりとしたまま
痛みはなかったけど虚脱感が酷くて、何かを見ているだけでも辛かった。
「そうそう。今は大人しく眠りなさい。ここは隔絶されているから、私達を害するものはなにもないわ」
彼女が何を言っているのかはわからなかった。ただ、それはまるで子守唄のように、意識がどこかに溶けていく。
☆
草の香りが鼻の奥に届く。
冷たいものが頬に触れた。
木の葉をつたって落ちてきた水滴。目を開けて指で拭うと、紺碧色の海が見えた。
そこは高台だった。近くには崖があって、うっかり落ちたりしたら死亡確定。
「どこだここ……僕、まさか死んだのか?」
喉が少し痛いが、声自体は問題なく出る。
しかしどうしてこんなところに。見たこともない場所だし、直前まで何してたかも思い出せないし。
辛うじて記憶に残っているのは、不思議な場所で誰かと喋ったような……かなりあやふやなもの。それ以前のことは全くの白紙だ。やけに服がボロボロなんだけど何があった? 剣を抜いてみると刀身が半分以上
(誰かいないのか……)
あらためて周囲を見渡すも、人の姿はない。
犬みたいな何かが崖から転がり落ちてるんだけど、あれはなんなんだろうか。ちょっと可哀想だから助けてあげたい……おいおい爆発したぞ。あれはもうダメだなっていうかアレ生物じゃないだろ。
どう見ても機械犬だった。
なんだここは異世界か? 爆発した機械犬を前にして、びっくりしすぎて声も出ない
「うわっ!?」
ふらりと上を見たら、悲鳴が出た。
二本の太い木の枝の間。そこには女性が寝そべってた。幸せそうな顔でスヤスヤと意識を飛ばしている。
ふわりとしたドレス姿で、どこか神々しい雰囲気の美女だ。髪の毛も凄くふわふわしている。なんだあの人、天女さま?
「危な……くはないのか? 木登りに自信があるとか……いやいや」
普通に危ないだろ。
僕は声をかけるべく息を吸い込み、なるべく驚かせないようタイミングを見計らった。
バキビキと不穏な音が聞こえてきた。
「えっ」
ぐらりと傾く女性の体。
ギョッとして枝を見ると、ほとんど折れていた。
後のことは言うまでもない。どうやら彼女は浮遊術などは使えなかったようで、普通に落下してきた。
「ちょっとちょっとちょっと! うおおおおおおおおお!?」
慌ててダイブして受け止めた結果、僕の背骨が死んだ。格好良くはいかないものだ。まあ仕方ない。だって僕は凡人だからね。
☆
「いったい何があったというの?」
神々しい美女は困惑した顔でそう言った。
さらには「せっかく気持ちの良い光合成だったのに……」とも。光合成ってなんだ。
よく分からない人である。でも美人だ。浮世離れしてはいるけど、紛れもないお姉さんである。
「まさか攻撃したのかしら? 私を」
「違います。枝が折れたんです。お姉さんの……いやなんでもないです」
あなたの重さで、とは言えなかった。ちょっと怖いことが怒る気がしたからやめておいた。
「なるほど。まあそういうこともあるわね。これは想定の範囲内。ひとつ、あなたの人間性を知ることもできたし、結果オーライとするわ」
「は、はあ……それは良かったですね?」
それにしても変なお姉さんだ。
僕を知ってるような口ぶりだけど、もしかして知人だったりするのだろうか。
「もしかして、僕達は知り合いなんでしょうか?」
「あなたは私のことを知らないでしょう? だから、その質問に対する答えは否ね。でも、ここから知り合いになることはできるから心配しないで」
心配はしてないけど……何が言いたいんだろう。
結局、あなたは誰で僕は誰なんでしょうか。僕の聞き方が悪かったのは間違いないけど、なんだかはぐらかされているような気持ちになる。
「疑問にも答えてあげるから、そちらの心配も無用よ」
困惑気味の僕の視線に気づいたのか、彼女は「ごめんなさいね」と声のトーンを落とした。なんだか申し訳ないな。責めるつもりとかはなかったんだけど。
「まず、ここはフォンテーヌ。水神の国よ。あなたが目覚めた場所は違う場所にあるのだけれど、離れなければならない理由があったの。だから申し訳ないとは思ったのだけれど、回復する前に運ばさせてもらったわ。私が」
フォンテーヌ。
聞いたことあるようなないような。ちょっと懐かしい気がするのは気のせいだろうか。
「私が。おぶって。運ばせてもらったわ」
そしてなぜか圧を感じた。
なんだよそれ重かったってこと? そりゃ華奢なお姉さんが男一人運ぶのは大変だろう。たとえ相手が成人男性じゃないとしても。
「ありがとう……ございます?」
「うん、そうよね。ただ運んだというだけでは、私は危ない人になってしまうわ。意識不明の少年を同意なしに運搬した。犯罪の香りがするわね……ちょっと自分に自信がなくなってきたわ。どうして私は生きているのかしら」
「いや、えっと、その、大丈夫です。自信持ってくださいお姉さんは女神です」
いきなり様子がおかしくなっていくお姉さんを前に、僕は適当な慰めの言葉をかけた。
悪人じゃないのは何となく伝わってきたから、この時点で警戒心はほとんど無し。単純に変な人なんだと思うことにした。
「なるほど。そうやって他者を敬う心、素晴らしいわ。これからも続けなさい」
お姉さんはふわりとした髪を揺らし、誇らしそうに胸を張った。色んな意味で迫力はなかった。
「……申し訳ないわね。少し自分のキャラを掴みかねているの。今の私はいわば自分探しの旅の最中。大目に見てくれると助かるわ」
そして、思春期の子供みたいなことを言い出した。
いやまあ、自分探しは何歳になっても終わらないものだとも言う。だから、これはきっと普通のことなのだろう。多分。
変人を見る目にならないよう、僕は必死にそれらしい理由を考えた。
「こほん。話を戻すわ」
「はい」
「申し訳ないけど、あなたについてはほとんど何も知らないわ。だから、あなたの個人情報について答えられることはあまりないの。どうしてこんなことを言うのかって? 寝言で『僕は誰だ』ってうなされていたからよ。記憶喪失なんでしょう?」
お姉さんは咳払いをすると、ちょっぴり悲しそうな顔で言った。
僕はゆっくりと頷く。
上手く言葉が出てこなかった。
そうなると、僕は自分が何者なのかわからないままだ。どこに帰ればいいかわからないし、帰る場所があるかどうかすら不明。そういうことになる。
「いったい何があったんだろう……」
「私にはなんとも言えないわ。私が見たのは、あなたが目の前に落ちてくる瞬間くらいのものよ。酷く傷ついていたわ。放っておいたら死んでしまうと思ったから応急手当をしたわ。でもそれだけだと不足だった。最近になってようやく、アビスの毒素を浄化できたの」
アビスの毒素。
僕の体にはそれが入り込んでいて、放置するとかなり危険な状況だったらしい。お姉さんはあの手この手で浄化してくれた……と。もしかしてどこかの国の聖女様とか? それか巫女さんとか。
「ちなみに、私の故郷はなくなったわ。この世界のどこにもないから、そういう意味では私達は似たもの同士ということになるわね。ふふ、喜びなさい」
そうなのか……喜べないけど。てか、なんで今、悪の令嬢みたいな笑い方したの? キャラが定まってないように見えるのは僕の気のせいだろうか。気のせいじゃないよな。だって本人がそう言ってたし。
「ふぅ……申し訳ないわ。今の私はいわば自分探しの旅の最中。大目に見てくれると助かるわ」
ほら、また言ってる。さっきと一言一句変わってない台詞なんだけど、もしかして言い訳のために暗記してる?
「そうだ。自己紹介がまだだったわね。私の名前はマハールッカデッッ……こほん。マハールッカというの」
「で……?」
「マハールッカよ。長いし変な名前だから、ルッカと呼んで欲しいわ。ルッカ様でも問題ないわ」
「じゃあルッカ様で」
長くも変でもないけど、なんか高貴な感じの名前だ。そして即答で呼び捨てを回避する僕。自分のヘタレ根性に悲しい気持ちになる。今、迷いとかなかったからね。何の自慢にもならない。
「そういうわけだから、あなたにも名前を用意させてもらったわ。行くところがないのでしょう? それなら私と一緒に来なさい。その時、名前がなかったら不便だと思ったの」
それはありがとうございます。でも、これからどうするかは話してないと思うんですけど、見た目によらず話の進め方が乱暴ですね?
いや、いいんだけどね。行くところないのは本当だし、連れて行ってもらえるならついて行くよ。護衛しろって言うならするし。……使い物になるかどうかはともかく。
「ありがとうございます。有り難く頂戴しますし、身代わりで魔物とも戦いますよ」
いずれにせよ、助けてもらった恩は返したいと思う。僕はルッカ様の言う通りにすることを決めた。
「素晴らしい心意気だわ。誇りなさい」
あれ、また悪女っぽい声のトーンになった。それ以外が凄く清らかだからギャップが凄い。
「あなたの名前はルカよ。ずっと考えていたのだけれど、迷走して振り出しに戻ったから、もうそれでいくことにしたわ。お気に召さないなら『ルカルカ』という選択肢もあるけど」
「ルカでいいです。
告げられた名前は、可もなく不可もなく。正直な感想は微妙だったけど、僕は「わぁ嬉しいなぁ」と喜んでおいた。
現状、頼りの綱はお姉さん。ルッカ様だけである。
彼女の機嫌を損ねてはならない。まずはしっかりと信頼を得ようと、僕は決意したのだった。
「ところで、これからどこに行くんですか?」
「よくぞ聞いてくれたわ。この滝を下って、まずは前進しようと考えているの!」
「滝を、くだる?」
僕の心は折れそうになった。
今から滝を下るとか言い出した。
冗談であって欲しいところだったが、ルッカ様は「心配は無用よ。水があるなら泳げるわ」とか言ってる。僕は死を覚悟した。