異世界転生したのに前の転生者にやり尽くされていた件 作:berunarudo
周囲の家々より一段高い場所に建つ、灰白色の石造りの館だった。
青灰色の屋根は広く、左右には小さな塔のような張り出しがある。派手な城ではない。
だが、館の前には馬車が何台も停められるほどの広場があり、役人らしき者たちが書類を抱えて出入りしている。
兵士たちは通りを行き交う人々に目を光らせ、領主館の周囲には、町の中心とは違う緊張感があった。
ここはイメージした貴族の家であった。
よかった。これが高級マンションみたいな建物だったら、俺はショックで気絶していたかもしれない。
それにしても、ここがエリシアの家か。
本当に俺たちは、領主の娘を助けてしまったらしい。
レンのセンサーは、とことん優秀だな。
「俺の家何個分だよ」
「かかかか。これでも貴族の家なら小せえ方だぜ」
「まじかよ、師匠!」
「かかか。お前も金持ちになったら住めるぜ」
「うぉおおお!」
レンとジャンが馬鹿みたいに盛り上がっている。
うるさい。だが、ここまで来ると、むしろこの騒がしさが少し安心する。
俺の感覚も、だいぶおかしくなってきたらしい。
「私も領主館なんて、初めて入りますよ」
ガードナーさんが小さく息を吐く。
元冒険者らしいこの人でも、さすがに領主館を前にすると緊張するらしい。
「わ、わぁ……すごい大きさだね。私も少し緊張してきたかも」
普段はわりと肝が据わっているサラも、今回はさすがに落ち着かないようだった。
そういう俺も、かなり緊張している。
でも、実際にこの建物を前にすると、田舎者の平民が入っていい場所なのか不安になってくる。
「胃が痛くなってきた」
「かかかか。なんでお前らが緊張してんだよ。こういう時は堂々と成果をアピールするのが普通だろうが」
「それはあんただからだろ」
「かかかか!」
まあ、確かに娘を救ったんだ。取って食われることはないだろう。多分。
門を開けてもらい、領主館の中に入っていく
俺たちの町の草原を綺麗に切り取って、金と手間をかけて整え直したような場所だった。
花は色ごとに並べられ、木々は好き勝手に枝を伸ばすのではなく、庭全体の形に合わせて手入れされている。
自然のままではない。だが、不自然というほどでもない。人の手が入りすぎているのに、どこか落ち着く。
安っぽい感想しか出てこないが、すごく金がかかっていそうだ。
「綺麗……」
「いやはや、絶景ですね」
「綺麗だな」
そんな会話ができるほど、門から領主館までは距離があった。
そうこうしていると、領主館の前に一人の男が立っているのが見えた。
黒い執事服に身を包んだ、整った顔立ちの男だった。
姿勢は真っ直ぐで、動きには無駄がない。
俺たちの馬車が止まると、男はゆっくりと頭を下げた。
「本日はお越しいただき、心より感謝申し上げます」
柔らかい声だった。落ち着いていて、丁寧で、耳に残りすぎない。
「エリシアお嬢様の御命を救っていただき、感謝の限りでございます。領主館の案内を務めさせていただきます、執事長のミシェルと申します」
「ああ、彼らの付き添いのガードナーです。田舎者なので、ご無礼があるかもしれません」
「とんでもございません。お嬢様の御命は、我らにとっても命と同じ。それを救ってくださった皆様は、ここにいる者たち全員にとって恩人でございます」
「いやはや、ありがとうございます」
「へへ、そこまで言われると照れるな」
「かかか。嬉しい待遇じゃねえか」
レンとジャンは分かりやすく機嫌が良さそうだった。
俺も悪い気はしない。ただ、ミシェルという男の言葉は、あまりにも丁寧すぎた。
いや、執事とはそういうものなのかもしれない。
俺が執事を知っているのはラノベくらいなので、何とも言えない。
馬車を使用人に任せ、俺たちは領主館の中へ入っていく。
中は、想像していたほど豪華ではなかった。
金ぴかの装飾品が並んでいるわけでも、壁一面に宝石が埋め込まれているわけでもない。
床はよく磨かれているし、家具も高そうではある。だが、全体としては派手さよりも落ち着きが優先されていた。
シンプルでありながら、洗練された家。そんな印象だった。
「ふふ。この家は、少々シンプルでございましょう」
ミシェルさんが、こちらの視線に気づいたように微笑んだ。
「貴族の館と言えば豪勢なものを思い浮かべる方も多いのですが、我が主は派手な装飾にはあまり興味がございません。浮いた金を、領地の道や水路、兵の装備に使う方を好まれます」
「今時、珍しい貴族様だな」
「ええ。自慢の我が主でございます」
シェルさんはそう言って、穏やかに目を細めた。
その言い方には、本当に領主を誇っているような響きがあった。
なるほど。やはり貴族の中には、金のことしか考えていない奴もいるのだろう。
安易に貴族には近づかないでおこう。貴族怖い。
すると、ミシェルさんの視線が、俺とレンの腰へ向いた。
俺たちが下げている剣。その柄、鞘の位置、歩き方、足の運び。
ただ眺めているだけではない。
まるで、俺たちがどういう戦い方をするのかを、そこから読み取ろうとしているような目だった。
「お二人様は、どちらの流派でございますか?」
「流派?」
レンが首を傾げる。
「腰に剣を携えていらっしゃいますし、盗賊十人を退けたと伺っております。どの剣術を学ばれたのか、少し気になりまして」
「俺たちは父さんからだぜ」
「俺も父さんからですね」
「おや。道場や師範ではなく、お父上から」
ミシェルさんは、ほんの少しだけ目を細めた。
「我流でありながら、洗練された身のこなし。恐れ入りました。素晴らしい師をお持ちなのですね」
「それほどでもねぇよ、かかかか」
ジャンがなぜか嬉しそうに笑う。
どうしてもその顔を見ると腹が立つ。
まあ、実際、俺たちは父さんから剣術をしっかり教わったわけではない。
父さんから基本を教わり、ジャンに身体技術を叩き直され、そこに俺たちなりの癖が混ざっている。
流派として名乗れるほど綺麗なものではないのだろう。
「なあ、流派って何があるんだ?」
レンが気になったのか、ミシェルさんに質問した。
「大きく分ければ、三大剣派がございます。
「まてん? むじん? おぼろ?」
「魔纏流は、魔術や魔想を剣に纏わせて戦う剣術です。王国はこの流派の使い手は多いですね」
ミシェルさんは、丁寧に説明を続ける。
「無尽流は、魔術に頼らず、身体操作と剣技を極める剣術です。冒険者に多い流派でございます。」
「魔術を使わない剣……」
レンの目が輝いた。
俺も思わず、自分の腰にある剣の柄を握る。
父さんは魔術が使えないと言っていた。
なら、父さんの剣は無尽流に近いのかもしれない。
「朧一千流は、西方や自由都市圏に多い剣術で、変則的な間合いを重んじる流派でございます。使い手によって形が大きく変わるため、見分けるのが難しいとも言われています」
「へえ……」
「お二人のお父上がお使いになったのは、あくまで推測ですが、無尽流に近い剣ではないでしょうか。魔術を前提としない動きが多いように見受けられます」
「無尽流か……かっけええ!」
レンが分かりやすく食いついた。
俺も同じ反応をしそうになって、少しだけ悔しくなる。
「無尽流か。いいな」
どうやら、父さんに教えられていた剣術は無尽流だったのか。気に入ったぜ!
「ふふ。お気に召したようで何よりでございます」
ミシェルさんは穏やかに微笑む。
だが、その目で見られるとなぜか、緊張してしまう。
目つきが怖いな。この人。
「この先に、我が主がいらっしゃいます」
ミシェルさんが扉の前で足を止める。
扉を開くと、そこは広い応接室だった。
豪華なシャンデリアや金ぴかの装飾があるわけではない。
だが、大きな窓から光が差し込み、磨かれた木の床と、落ち着いた色の家具が並んでいる。
金持ちアピールというより、長く使うことを前提にした部屋。そんな印象だった。
その中央に、エリシアがいた。
先ほどまでの旅装ではなく、淡い青色のドレスに着替えている。
髪も整えられていて、森の中で震えていた少女とはまるで別人のようだった。
その隣には、一人の男が立っている。
淡い金髪に、少し混じった白。整えられた口髭。
背筋は伸びているが、目元には深い疲れが刻まれている。
ただそこに立っているだけで、この館の主なのだと分かる空気があった。
この人が、キャンウィング領の領主であり、エリシアの父。
「本当に、無事でよかった」
「ご心配をおかけしました、お父様」
俺たちが入ってきた時、ちょうど父娘の会話が聞こえた。
領主はエリシアの肩に手を置き、静かにその姿を確かめるように見ている。
その顔は、領主というより父親のものだった。
子を失うかもしれなかった親の顔。
それを見た瞬間、少しだけ胸が痛くなる。
父さんと母さんも、もし俺が帰らなかったら、こんな顔をするのだろうか。
「皆様」
エリシアは俺たちを見ると、慌てて姿勢を正した。
「改めまして、本当にありがとうございました」
丁寧に頭を下げる。
隣にはマリーさんも立っていた。
マリーさんも服を着替え、落ち着いた様子ではあったが、顔色はまだ少し悪い。
「いや、無事でよかったぜ」
レンがいつもの調子で言う。
エリシアはその言葉に、ぱっと表情を明るくした。
「はい。レン様のおかげです」
「お、おう」
レンが少し照れる。
サラが、にこりと笑った。
おお、怖い。俺は何も見なかったことにした。
領主は、そんな俺たちを静かに見ていた。
そして一歩前に出ると、深く頭を下げる。
「キャンウィング領主、エルランド・キャンウィングだ。娘と侍女を救ってくれたこと、心より感謝する」
「い、いや、そんな」
領主に頭を下げられるなんて、前世でも今世でも経験がない。
どう反応していいか分からず、俺は変な声を出してしまった。
「困っていたから助けただけです」
レンが真っ直ぐに言った。
こういう時、迷わずそう言えるのは本当にレンらしい。
エルランド領主は、レンをじっと見た。
その目が、ほんの一瞬だけ揺れる。
懐かしむような、恐れるような、そんな目だった。
「君が、レン君か」
「あ、はい」
「娘から聞いた。勇者のように現れたと」
「そ、それは大げさというか」
レンが照れたように頬をかく。
「ルークス君、サラ君、ガードナー殿。そして……ジャン殿」
エルランド領主の視線が、ジャンで止まる。
「まさか、雷窮殿まで同行しているとは思わなかった」
「かかか。今はただの暇なおっさんだよ」
「ご謙遜を」
領主は薄く笑った。
だが、その笑みはすぐに消える。
「本来なら、すぐにでも礼を尽くしたいところだが……妻の容態があまり良くない。娘が無事に戻ったことを、妻にも伝えたい」
エリシアの表情が曇った。
そういえば、彼女は母親のために月灯草を取りに行ったのだった。
危険な森に入ってまで救いたかった人。それが、この館にいる。
「ミシェル」
「はい」
領主の声に、部屋の端に控えていたミシェルさんが静かに頭を下げる。
「妻の部屋へ案内を」
「かしこまりました」
ミシェルさんは、無駄のない動きで扉へ向かう。
その背中を見た瞬間、隣にいたレンが小さく眉をひそめた。
◇
案内されたのは、館の奥にある静かな部屋だった。
廊下を進むにつれて、人の気配が薄くなっていく。
領主館全体は広く、立派で、どこも手入れが行き届いていた。
だが、奥へ進むほど、空気が重くなる。
扉の前で、ミシェルさんが足を止める。
「奥様は先ほど少し眠られました。ですが、熱はまだ下がっておりません」
「そうか」
エルランド領主の声が沈む。扉が静かに開かれた。
中に入った瞬間、薬草の匂いが鼻をくすぐった。
その奥に、ほんのわずかに甘い匂いが混じっている。
けれど、誰もそれに触れない。
部屋の中央には、大きなベッドがあった。
そこに、細い女性が横たわっている。
エリシアと同じ淡い金髪。白い肌。整った顔立ち。
きっと元気な時は、美しい人だったのだろう。
しかし今は、頬がこけ、呼吸も浅い。
「お母様……」
エリシアがベッドのそばへ駆け寄る。
眠っていた女性が、ゆっくりと目を開けた。
「エリシア……?」
「はい。私です。戻りました」
「よかった……無事だったのね」
母親は弱々しく微笑んだ。
エリシアはその手を握りしめる。
その姿を見ていると、さっきまでレンにくっついていた少女とは別人みたいだった。
いや、こっちが本当なのだろう。
「あなた方が、娘を助けてくれたのですね」
病の女性が、俺たちを見る。
「ありがとうございます」
「い、いえ」
「無事ならよかったです」
レンがまた、真っ直ぐに答えた。
その言葉に、女性は少しだけ目を細める。
「まるで、あの子みたい」
「あの子?」
レンが首を傾げた。
その瞬間、部屋の空気がわずかに止まった。
エルランド領主の表情が強張る。
エリシアは、母親の手を握ったまま唇を結ぶ。
マリーさんは目を伏せた。
ミシェルさんは、静かに目を伏せた。
「あなた」
エルランド領主が、低い声で妻を止める。
女性は少しだけ寂しそうに笑った。
「ごめんなさい。少し、昔を思い出してしまって」
あの子。レンのような子が、昔この家にいたのだろうか。
レンは何か聞こうとしたが、その前にエルランド領主が口を開いた。
「今日は本当に感謝する」
エルランド領主は、静かに言った。
「君たちには客室を用意しよう。明日の洗礼が終わるまで、ここで休んでくれ」
「ありがとうございます」
ガードナーさんが代表して頭を下げる。
「ミシェル、部屋の準備を」
「かしこまりました」
ミシェルさんは美しい動作で一礼した。
その横顔を、レンがじっと見ている。
不思議に感じた俺は、小声で聞いた。
「どうしたんだ、レン?」
「なんか、ミシェルから感じる」
「何が?」
「分かんねえ」
レンは眉を寄せる。
「でも、あいつの近くにいると、胸の奥がざわざわする」
こいつの勘は、何かと信用できる。
けれど、俺には何も分からなかった。
分かったのは、領主館のベッドが信じられないほど柔らかいこと。
そして、明日の洗礼のことを考えると、その柔らかさでもなかなか眠れないということだけだった。
ミシェルという執事の笑顔。エルランド領主がレンを見た時の目。
その2つが、妙に頭から離れなかった。俺にはセンサーがない。
それでも、この館に何かがあったことだけは、なんとなく分かった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
魔纏流は無尽流に強く、無尽流は朧一千流に強く、朧一千流は魔纏流に強い
とはいっても、単純な相性以上に技量次第では覆されます。作者おすすめはシンプルに強い魔纏流です。
特に印象に残った場面や台詞がありましたら、一言だけでも感想をいただけると、とても励みになります。