異世界転生したのに前の転生者にやり尽くされていた件   作:berunarudo

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第十八話 空を蝕む雲

 

 朝の光が、やけに眩しかった。

 

 昨日までは、気持ちのいい太陽だと思っていた。

 初めて見る大きな街。石畳の道。赤茶色の屋根。魔導列車の白煙。屋台から漂う香辛料の匂い。そういうものを照らす陽光は、ただ世界の広さを教えてくれるものだった。

 

 けれど、今日は違う。太陽の光が、俺だけを狙っているように感じた。

 昨日歩いたはずの街は、ずいぶん前に見た景色のように感じた。

 通りには今日も人が多い。商人の声、荷馬車の車輪が石畳を叩く音、屋台で焼かれる肉の匂い、本屋の窓辺に並ぶ分厚い本。

 昨日の俺なら、きっと全部に目を輝かせていただろう。

 

 焼けた肉にかかった香辛料の匂いも。

 店先に飾られた本の背表紙も。

 遠くから聞こえる魔導列車の汽笛も。

 

 どれも、俺の心を満たしてはくれなかった。

 今、俺が求めているものは一つだけだった。

 このどうしようもない気持ちを、全部ぶつけられる場所。

 悔しさも、惨めさも、嫉妬も、焦りも。

 胸の奥で黒く溜まっていくものを、何かに叩きつけなければ、俺は自分の中で腐ってしまいそうだった。

 

 だから、俺は歩いた。

 街の大通りから少し外れ、武器を背負った者たちが行き交う区域へ向かう。

 そこには、分かりやすい看板があった。

 

 冒険者ギルド。

 

 その文字を見た瞬間、俺は少しだけ笑った。

 

 テンプレだ。

 

 異世界と言えば冒険者ギルド。

 登録して、依頼を受けて、魔物を倒して、ランクを上げていく。

 受付嬢がいて、荒くれ者がいて、たいてい主人公はそこで絡まれる。

 昔の俺なら、そういう展開を見て笑っていた。

 またこのパターンかよ、と言いながら、それでもページをめくる手は止まらなかった。

 でも、今の俺にはちょうどいい。

 

 もし、この世界が俺を主人公に選ばないなら。

 俺が自分で、そういう場面に飛び込めばいい。

 俺は木造の扉に手をかけた。

 扉の向こうからは、酒の匂いと、肉の焼ける匂いと、男たちの笑い声が漏れていた。

 

 俺は息を吐き、扉を押し開けた。

 

 

「おいおい、聞いたか? 昨日、勇者の痣が現れたんだってよ」

「もちろんだ。昨日はそれでずいぶん酒を飲んだからな」

「六十三人目だろ? この街から勇者様が出るなんてなあ」

 

 入ってすぐ、そんな会話が耳に入った。

 心臓の奥を、細い針で刺されたような気がした。

 だから、俺はその会話から意識を逸らした。

 

 ギルドの中を見回す。

 壁には多くの依頼書が張り出されている。

 薬草採取。害獣駆除。護衛。素材集め。魔物討伐。

 

 テーブルには、武器を置いた冒険者たちが酒を飲みながら騒いでいた。

 受付は思っていたより空いている。ちょうどよかった。今の俺に、長い列で待つ余裕はない。

 俺は受付へ向かった。

 

 そこにいたのは、ブロンドの髪を肩で揃えた女性だった。

 年は二十代前半くらいだろうか。表情は柔らかいが、目元には疲れが見える。

 冒険者という面倒な人種を相手にする仕事なのだから、それも当然かもしれない。

 

「冒険者登録できますか」

 

 俺が声をかけると、受付嬢は俺を見て少し困った顔をした。

 

「ごめんなさいね。ここは洗礼を受けた子しか登録できないの」

「それなら問題ない。昨日受けたばかりだ」

「あら、そうだったの。ごめんなさい。お姉さん、勘違いしちゃったわ」

 

 身長はそこまで低くないと思っていたが、やはりまだ子供に見えるらしい。

 いや、実際に十歳なのだから仕方がない。

 

「じゃあ、説明は聞く?」

「ああ、もちろん」

「よかった。最近は説明を聞かずに飛び出そうとする子も多いのよね」

 

 受付嬢は少し安心したように笑い、掲示板を指さした。

 

「冒険者は、あそこにある掲示板から依頼書を選んで、受付に持ってくることで依頼を受けられるわ。依頼を達成すれば報酬が出る。失敗すれば違約金が発生することもあるから、無茶はしないこと」

 

 彼女は慣れた口調で続ける。

 

「冒険者にはランクがあるの。最初はDランク。そこからC、B、Aと上がっていく。最上位のSランクは、世界でも数えるほどしかいない特別な冒険者よ」

「なるほど」

「基本的には、自分のランクに合った依頼を受けてもらうわ。低ランクのうちは採取や簡単な討伐が多い。無理に高ランクの依頼を受けて死なれても困るからね」

「そして、ギルド内での殺し合いは禁止。受付や一般人に被害を出したら資格剥奪。ただし、冒険者同士の揉め事は、基本的には当人同士で解決。決闘扱いになれば、ギルドはあまり干渉しないわ」

 

 なるほど。

 テンプレではあるが、最低限の秩序はあるらしい。

 

 受付嬢は、手形のような台座を俺の前に置いた。

 

「ここに手を置いて。登録用の魔導具よ」

 

 また手か。昨日の洗礼を思い出して、胸の奥が少しだけざわついた。

 あの時も、俺は手を差し出した。

 神父の魔術が身体の中を探り、そして何も出なかった。

 

 何もない手。

 俺は小さく息を吐き、台座に手を置いた。

 

 昨日ほどではないが、ぞわりとした感覚が手のひらから腕へ走る。

 自分の情報を薄くなぞられるような、あまり気持ちのよくない感触だった。

 

「はい、登録完了。これが冒険者タグよ」

 

 受付嬢が、木製のタグを差し出した。

 ドッグタグのような形をしている。木でできているせいか、軽い。

 

「Dランクは木製。Cは銅、Bは銀、Aはミスリル、Sは龍魔石(りゅうませき)。タグは身分証にもなるから、なくさないようにね」

「分かった」

 

 俺は木製のタグを握った。

 

 Dランク。冒険者としては最初の一歩。

 普通なら、ここから地道に依頼をこなしていくのだろう。

 

 薬草を採り、害獣を追い払い、少しずつ実績を積む。

 それが正しい。

 それが当たり前だ。

 でも、今の俺には耐えられなかった。

 

 昨日、レンは勇者になった。サラは魔術師として認められた。

 俺だけが、何もなかった。

 

 ここで雑草集めの依頼を受けたら。

 俺は本当に、ただのDランク冒険者になる。

 勇者の隣にいる、何もない子供になる。

 そんなもの、認めたくなかった。

 

「いきなりBランクの依頼を受けることはできるのか?」

 

 受付嬢の表情が固まった。

 

「……できないわけではないけど、普通は認めないわ」

「どうして?」

「死ぬからよ」

 

 彼女の声は、さっきより少し硬かった。

 

「無謀な子を止めるのも、受付の仕事なの。見栄を張って高ランクの依頼を受けて、そのまま帰ってこなかった子たちも見てきたわ」

 

 それは、たぶん本心だった。

 この人は俺を馬鹿にしているのではない。

 ただ止めようとしている。

 でも、止まれなかった。

 

「俺が赤眼熊(せきがんくま)を一人で倒せると言ったら、Bランクの依頼を認めてくれるか?」

 

 ギルドに静寂が走った。

 一瞬だけ、酒場の音が消える。

 次の瞬間、その静寂は笑い声に変わった。

 

「ぶはははは!」

「冗談よせよ、坊主!」

「赤眼熊はBランクのパーティーでやる相手だぞ!」

「ガキは大人しく雑草でも集めてろ!」

「そうだそうだ!」

 

 笑い声が降ってくる。

 

 ああ、そうだよな。信じるわけがない。

 十歳の子供が、赤眼熊を一人で倒した。

 そんな話を聞いて信じる大人がいるなら、そいつは相当なお人好しか馬鹿だ。

 魔想を解放して見せれば、少しは黙るかもしれない。

 けれど、それをすれば余計な騒ぎになる。昨日の今日で、また目立つのはまずい。

 それでも、胸の奥の苛立ちは消えなかった。

 

「ねえ、無理しないで。最初は採取依頼から――」

「おいおい、ガキ。退け」

 

 上から声が降ってきた。

 振り返ると、背の高い男が立っていた。

 腰には剣。金のかかった装備。胸元には銀色の冒険者タグ。

 

 Bランク。

 ただ、装備には傷が少なかった。

 新品とまでは言わないが、使い込まれた強者の装備には見えない。

 

「なんだ」

「分かんねぇのか、ガキ。ローズは俺専用の受付嬢だ」

 

 男は受付嬢の名前をわざとらしく呼び、カウンターに肘をついた。

 

「ちょっと、グーズ様。困ります」

「照れんなよ、ローズ。なあ、さっさと俺の女になれって」

 

 受付嬢――ローズの顔が引きつる。

 周囲の冒険者たちは、面倒そうに視線を逸らした。

 誰も止めようとしない。

 

 そういう男なのだろう。

 嫌われている。でも、止められない。

 グーズは銀色のタグを指で弾いた。

 

「俺様はBランク冒険者だ。この街を守ってやってるんだよ。俺がいなくなったら困るだろ?」

「そ、それは……」

 

 ローズが言葉に詰まる。

 

 なるほど。この街には、Bランク以上の冒険者が少ないのかもしれない。

 だから、性格に問題があっても切れない。

 よくある話だ。力を持った小物が、周囲に迷惑をかけながら居座る。

 

 テンプレだ。

 これほど綺麗なテンプレが、俺の前に転がってきた。

 なら、味わわせてもらおう。

 

「なあ、グーズさん」

「あん? なんだ、ガキ」

「あんた、Bランクなんだろ」

「そうだ。名誉あるBランク冒険者様だ」

「じゃあ、あんたを倒せば、俺もBランク相当ってことでいいよな」

 

 空気が変わった。

 

 笑っていた冒険者たちが黙る。

 ローズが息を呑む。

 グーズの額に青筋が浮かんだ。

 

「おいおい、ガキ。それは冗談じゃすまねぇぞ」

「冗談じゃない」

 

 俺はグーズを見上げた。

 

「事実だ」

 

 グーズが腰の剣を抜いた。

 刃が光を反射する。新品に近い剣だ。よく研がれている。だが、そこには戦場の匂いがなかった。

 

「俺は寛大なんだ。今取り消せば、命だけは助けてやるよ」

「俺は問題ない。さっさと来いよ、グズ野郎」

「だ、ダメです! やめてください、グーズ様! 相手は子供ですよ!」

 

 ローズが制止しようとする。だが、グーズは止まらなかった。

 そして、俺も止まる気がなかった。

 

「ガキ、一回死んどけ」

 

 グーズが踏み込む。

 

 魔想による身体強化。

 それなりに速い。少なくとも、ただのチンピラではない。

 

 けれど、遅い。

 剣筋が単純すぎる。踏み込みも大きい。魔想の流れも荒い。

 ジャンに何度も転がされてきた俺から見れば、次にどこへ剣が来るか分かりすぎるほどだった。

 振り下ろされた剣が、俺のいた場所を斬る。

 だが、そこに俺はいない。

 グーズの剣は床に突き刺さった。

 

「あ?」

 

 グーズが顔を上げる。

 その顎を、俺の蹴りが捉えた。

 

 魔想を流した脚で、地面を蹴った勢いで死角から振り抜いた一撃を浴びせる。

 衝撃が顎から頭蓋へ抜ける。

 

 グーズの身体が後ろへ倒れた。

 床に背中を打ちつけ、銀色のタグが音を立てる。

 ギルドの中が静まり返った。

 俺は倒れたグーズの首元から銀のタグを掴み上げる。

 

「これで、Bランクの依頼を受けても問題ないよな」

 

 ローズはしばらく言葉を失っていた。

 

 やがて、絞り出すように言う。

 

「……本来は、問題あります」

「だよな」

「でも、実力を示したのは事実です。こちらで責任を持てる範囲なら、特例として認めます」

 

 ローズは苦い顔をしながら、掲示板から一枚の依頼書を外した。

 

暴鳥(ぼうちょう)討伐。Bランク相当です。森の外れに現れる大型の鳥型魔物。単独での討伐は推奨されません」

「それでいい」

「本当に行くの?」

「ああ」

 

 ローズは俺の顔をじっと見た。

 心配している目だった。

 止めたいと思っている目だった。

 それでも、俺は依頼書を受け取った。

 

 今の俺には、止まる理由より、進まなければならない理由の方が大きかった。

 

 

 

 ギルドを出た俺は、そのまま領地近くの森へ向かった。

 

 街の喧騒が遠ざかり、代わりに木々のざわめきが耳に入る。

 森の空気は、俺の町の近くにある森と少し似ていた。

 

 だが、違う。満ちている魔粒子の濃度が違う。

 分かりやすく言えば、俺の町の森が五なら、この森は十。

 肌に触れる空気の重さが違う。呼吸のたびに、肺の奥へ入ってくる魔粒子の量が多い。

 

 この世界には、ステータスも鑑定もない。

 目の前の魔物がレベルいくつなのか、数字で表示されることはない。

 だから、自分の感覚を信じるしかない。

 魔粒子の流れ。魔物の気配。足跡。匂い。空気の揺れ。

 ジャンに叩き込まれたものが、俺の中に残っている。

 俺は十年で、町の森にいる魔物ならほとんど倒せるようになった。

 赤眼熊にも勝った。

 

 なら、ここで俺はもっと強くなれる。

 強くならなければならない。

 レンが勇者なら。

 サラが魔術師なら。

 俺は、それとは違う強さを手に入れるしかない。

 

 森の奥へ進む。

 しばらく歩くと、遠くに大きな魔力を感じた。

 

 俺は足を止め、息を潜める。空気中の魔粒子に意識を伸ばす。

 ジャンが使う感知技術――サイト。

 俺もようやく、少しだけ形にできるようになっていた。

 もちろん、ジャンのように細かくは見えない。分かるのはせいぜい、大きさと輪郭、魔力の流れくらいだ。

 それでも十分だった。

 感じるのは大きな鳥類、翼を広げている。まあ、使えるといっても軽い造形しか分からないのは残念だ。

 ゆっくりと気配を消し、近づくと大きな鳥が見えてきた。思っている以上に大きい。

 俺は気配を殺しながら近づいた。木々の隙間から、それが見えた。

 

 暴鳥(ぼうちょう)は思っていた以上に大きい。

 頭部には、骨のように硬質な冠羽が何本も突き出していた。

 鋭く曲がった嘴は、獲物を引き裂くためだけに存在しているようだった。

 太い脚には、肉を抉る鉤爪。翼は広げれば、木々の間を覆い隠すほどある。

 開かれた口の奥から、獣の咆哮とも鳥の鳴き声ともつかない濁った声が漏れていた。

 紫に光る眼には、知性らしいものはほとんどない。

 ただ、壊すものを探す狂気だけが燃えている。

 

 最高の獲物だ。

 ここから気配を消し、全力で強化して急所を突くこともできるだろう。

 たぶん、それが一番安全だ。だが、それでは意味がない。

 俺が欲しいのは、安全な勝利ではなかった。

 自分の強さを、自分に叩きつけるための勝利だ。

 

 俺は魔想を解放した。

 体内に満ちていた魔想が、全身から溢れ出す。

 空気が震える。足元の草が揺れ、森の魔粒子が俺の魔想に反応してざわめいた。

 

「Gra……?」

 

 暴鳥が反応した。紫の眼が、こちらを向く。

 最初は驚いたように首を傾げた。

 だが次の瞬間、俺を獲物として認識したのだろう。

 翼を広げ、喉の奥から咆哮を放った。

 

「Graaaaaa!」

「うるせぇよ、鳥野郎」

 

 俺は手を向け、指を曲げて挑発する。

 

「さっさと来い」

 

 言葉が通じたのか、それともただ本能が反応したのか。

 暴鳥は地面を蹴った。

 

 大地が抉れる。

 砕けた石が弾丸のように飛ぶ。

 翼を背後へ流し、嘴を槍のように突き出した巨体が一直線に迫ってくる。

 

 速い。

 でかい図体のくせに、想像以上に速い。

 

 正面から受ければ、俺の身体など簡単に吹き飛ぶ。

 骨は折れ、内臓は潰れ、肉は裂けるだろう。

 

 ならばギリギリで避けるしかない。

 一寸の狂いも許されない。

 俺は腰のショートソードの柄を握った。

 鞘の中には、すでに魔想を流してある。

 ただ剣を抜くのではない。鞘の内部で魔想を圧縮し、小さな爆発を起こす。

 その衝撃で刀身を押し出し、抜刀速度を限界まで跳ね上げる。

 

 タイミングは一度きり。

 早すぎれば届かない。遅すぎれば潰される。

 

 暴鳥の巨体が迫る。

 風圧が頬を叩く。

 嘴の先が、視界いっぱいに広がる。

 

「そうこなくちゃな」

 

 俺は地面を蹴った。

 

 前へ。

 暴鳥の突進から逃げるのではなく、その足元へ潜り込む。

 視界が暗くなる。

 頭上を鉤爪が掠める。

 爪が巻き起こした風だけで、頬の皮膚が裂けそうになる。

 

 その下で、俺は身を翻した。

 魔想を圧縮し、鞘の内側で炸裂。

 次の瞬間、剣が跳ねるように抜けた。

 

 閃光。

 横一文字の斬撃が、暴鳥の足元を走った。

 それは一度きりの抜刀だった。

 だが、滑り込む俺自身の速度と、鞘の爆発で押し出された刀身の速度が重なる。

 その一閃は、暴鳥の両脚をまとめて斬り抜いた。

 

 抜き放った剣を、俺は身体の回転に合わせて鞘へ戻す。

 

魔想斬(まそうざん)

 

 カチン。

 納刀の音が響いた。

 次の瞬間、暴鳥の両脚から血が噴き出した。

 

「Graaaaaa!」

 

 支えを失った巨体が傾く。

 突進の勢いを殺しきれないまま、暴鳥は前のめりに崩れた。

 森の大木へ激突する。

 幹が悲鳴を上げるように軋み、次の瞬間、轟音とともにへし折れた。

 土煙が舞い上がる。折れた枝が降り注ぐ。

 

 俺は砂煙の中で立ち上がった。

 右手が震えている。

 抜刀の反動で、手首から肘にかけて鈍い痛みが走っていた。

 脚にも負荷が残っている。滑り込みの時に、少し皮膚を削ったらしい。

 それでも、立っている。

 

 暴鳥は倒れていた。

 まだ生きている。

 翼をばたつかせ、嘴を地面に打ちつけ、何とか立ち上がろうとしている。

 だが、両脚を失った以上、もうまともには動けない。

 

 真正面から切り合っていれば、かなり消耗していただろう。

 知性がなく、ただ突っ込んできてくれて助かった。

 あとは、とどめを刺すだけだ。そう思った時だった。

 茂みの奥から、魔力を感じた。

 

「おい、誰だ」

 

 俺は剣の柄に手をかける。

 次に聞こえたのは、拍手の音だった。

 

「素晴らしい腕だ」

 

 茂みの奥から、一人の男が出てくる。

 グーズだった。

 

「お前……」

 

 さっきギルドで倒したはずのBランク冒険者。

 顎にはまだ蹴りの跡が残っている。だが、意識ははっきりしているようだった。

 

「何の用だ」

「お前の実力は確かに本物だ。そこは認めてやるよ」

 

 グーズは笑っていた。

 ギルドで見せていた小物じみた笑いではない。

 もっと薄く、嫌な笑いだった。

 

「だけどな、経験はD以下だ」

「何が言いたい」

 

 俺は剣を握る手に力を込めた。

 

 こいつは何をしに来た。

 俺の戦闘を邪魔するつもりか。

 それとも、さっきの仕返しか。

 グーズは自分の頭を指で叩いた。

 

「俺はBランク冒険者だ。実力だけじゃない。ここを使って生き残ってきた」

「頭を使ってきたってか」

「そうだ。Bランクの条件は、単純な強さだけじゃねえ。依頼の達成数、危険地帯での生還率、街への貢献。そういうものも含まれる」

 

 グーズは肩をすくめる。

 

「それに、この街にはBランク以上の冒険者が少ない。だから、俺みたいな奴でも重宝される」

「自覚はあるんだな」

「もちろんだ。俺は強者じゃない。だが、弱者でもない。死なずに稼ぐ方法を知っている」

 

 その言葉に、胸の奥がざわついた。

 こいつは雑魚ではない。

 少なくとも、自分が強くないことを知っている。

 そのうえで、生き残るために他人を利用する種類の人間だ。

 

「ギルドでお前を見た時から分かってたぜ」

 

 グーズは口の端を吊り上げる。

 

「誇示するように垂れ流していた魔想。子供にしては異常な動き。赤眼熊を倒したって話も、あながち嘘じゃねえと思った」

「なら、なんで絡んだ」

「決まってんだろ。お前みたいなのがこの街で目立ったら、俺の価値が下がるからだ」

 

 グーズの目が細くなる。

 

「Bランク冒険者が足りねえから、俺はこの街ででかい顔ができる。受付嬢にも、ギルドにも、領主の連中にもな。だが、お前みたいなガキが出てきたら困るんだよ」

「だから、俺をここに誘導したのか」

「正解だ」

 

 グーズは楽しそうに笑った。

 

暴鳥(ぼうちょう)の依頼は本物だ。だが、こいつには厄介な性質がある」

 

 その瞬間、倒れていた暴鳥が大きく喉を震わせた。

 嫌な予感がした。

 

「まさか――」

暴鳥(ぼうちょう)はな、死ぬ前に親を呼ぶんだよ」

 

 次の瞬間、暴鳥が空へ向かって咆哮した。

 

「Graaaaaaaaaa!」

 

 森全体を揺らすような声だった。

 空気が震える。

 木々の葉がざわめく。

 魔粒子の流れが乱れる。

 

 俺は即座に走り、暴鳥の頭へ剣を突き刺した。

 咆哮は途切れた。だが、遅かった。

 すでに声は届いていた。

 

「じゃあな、ガキ。せいぜい死ぬ気で頑張れ」

「てめぇ!」

 

 俺が振り返った時には、グーズの気配が薄れていた。

 隠密系の魔術か。

 さっきまで感じていた魔力が、霧のように消えていく。

 

 追うか。いや、違う。

 それどころではない。

 森の奥。いや、山の方角から、空気が変わった。

 

 重い。

 さっきの暴鳥とは比べ物にならない魔力が、遠くから押し寄せてくる。

 俺の背筋に、冷たいものが走った。

 

     ◇

 

 山のふもとに、黒い影があった。

 最初、それは岩山の一部に見えた。

 だが、違う。羽だ。

 漆黒の羽を背負った巨大な魔鳥が、折れた木々と抉れた土の中心に蹲っていた。

 

 彼女の足元には、家屋ほどもある大蛇が横たわっている。

 蛇の鱗は何枚も剥がれ、太い胴は無惨に裂けていた。

 山の主と呼ばれてもおかしくない巨体。

 人間なら、見ただけで逃げ出すような魔物。

 

 その大蛇が、ただの餌になっていた。

 大暴鳥は鉤爪で蛇の肉を押さえつけ、嘴を深々と突き立てる。

 ぐちゅり、と湿った音が響いた。

 

 骨が砕ける。

 肉が引き裂かれる。

 大蛇の巨体が、まだ生きているかのようにびくりと跳ねた。

 

 けれど、大暴鳥は気にも留めない。

 紫黒い瘴気をまとった嘴で肉を抉り取り、喉の奥へ流し込んでいく。

 捕食というより、蹂躙だった。

 この山の主であったはずの蛇でさえ、今の大暴鳥の前ではただの肉にすぎない。

 

 その時だった。遠くから、我が子の声が届いた。

 大暴鳥の嘴が止まる。

 紫に光る眼が、ゆっくりと声のした方へ向いた。

 

 嘴の先から、裂いたばかりの蛇の血が滴り落ちる。

 一滴、二滴。

 黒い土の上に落ちた血が、じわりと広がった。

 低く、喉が鳴る。山の空気が震えた。

 人は、その天災そのものの魔物に「大暴鳥(だいぼうちょう)」という名を付けた。

 

 そして今、その天災が、山を下りようとしていた。

 




ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
冒険者ランクがSの条件の一つに龍討伐があります。その際に龍の中にある龍魔石でタグを作ります。
また、ランクSは頂点はなく、さらに上の国家が認める頂点も存在しております。
特に印象に残った場面や台詞がありましたら、一言だけでも感想をいただけると、とても励みになります。
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