異世界転生したのに前の転生者にやり尽くされていた件 作:berunarudo
人は、理解できないものを恐れる。
暗闇の中に何かがいるかもしれない。病の原因が分からない。空に太陽が昇らない。
昨日まで当たり前だったものが、何の説明もなく奪われる。
そういう時、人は真実を求めるのではない。
いや、正確に言えば、真実を求めているつもりではあるのだろう。
だが、真実というものは大抵、遅れてやってくる。複雑で、面倒で、誰か一人を殴れば終わるような形をしていない。
だから人は、もっと分かりやすいものを欲しがる。
なぜ、こんなことが起きたのか。
誰が悪いのか。何を壊せば、何を責めれば、この不安は消えるのか。
それが正しいかどうかは、あまり関係ない。
人が本当に欲しがるのは、正しい答えではなく、理解できる敵なのだから。
◇
「おいおい、どうなってやがる」
領主館の窓から外を見下ろした瞬間、俺は思わずそう呟いていた。
朝は来ていない。空は相変わらず夜のままだった。
だが、街は眠っていなかった。
領主館の周囲には、昨日まで見たこともないほどの人々が集まっていた。
商人らしき男、仕事着のままの職人、子供を抱えた母親、老人、冒険者、そして普段なら領主館に近づくことすらなさそうな市民たち。
誰もが空を見上げ、領主館を睨み、隣にいる誰かと不安そうに言葉を交わしている。
最初は、ただ困惑しているだけに見えた。
けれど違う。
あれは、もう不安だけではない。
人々の声の中には、明らかな怒りが混じり始めていた。
「領主様は何を隠しているんだ!」
「説明しろ!」
「朝を返せ!」
「魔王の槍なんてものを隠していたんだろう!」
胸の奥が冷たくなった。
魔王の槍。その言葉が、民衆の口から当たり前のように出ている。
昨日まで、誰もそんなものを口にしていなかったはずだ。少なくとも、俺たちの前では一度も聞かなかった。
なのに今は、まるで昔から知っていた真実であるかのように、人々はその言葉を叫んでいる。
◇
ロビーに集まると、そこにはすでにエルランドさん、師匠、ガードナーさん、レン、サラ、エリシア、マリーがいた。
領主館の中は、外とは違って静かだった。だが、その静けさは落ち着きではない。
誰もが声を抑え、動きを抑え、次に何が起こるのかを待っている。
嵐の前というより、もう嵐の中にいるのに、まだ自分たちだけは濡れていないと思い込もうとしているような空気だった。
「おい、エルランドさんよう」
師匠が、いつもの軽い調子とは違う声で言った。
「やられたぜ」
「……そのようだな」
エルランドさんは短く答えた。
その顔は、昨日までの穏やかな領主のものではなかった。
目の下には薄い隈があり、唇は固く結ばれている。
眠れていないのだと、すぐに分かった。
「師匠、いったい何が起きてるんだよ」
「かかか。これを見ろ」
師匠は笑った。
だが、その笑いにはいつものような余裕がなかった。
渡されたのは、新聞紙だった。
紙の端は人の手に何度も触れられたせいか、少し歪んでいる。
表紙には、大きな文字が躍っていた。
――領主は王国を恨んでいる。
――領主は魔王の槍を隠し持ち、その力で我らから朝を奪った。
「……なんだよ、これ」
俺は思わず声を漏らした。
「こんなことを信じる奴なんているのかよ」
それでも、俺はそう言わずにはいられなかった。
「みんな、領主様のことを信じていたんじゃないのかよ。エリシアを心配して、領主館に集まって、昨日だって――」
「事実だからだ」
師匠が、俺の言葉を遮った。
「は?」
「正確には、民衆にとっては事実になった。今のあいつらには、これ以外の理由を見つけられねぇ」
師匠は窓の外へ視線を向けた。
「あいつらは朝が来ない理由を知らねぇ。誰がやったのかも、何が起きてるのかも分からねぇ。ただ、怖い。怖くて仕方がねぇ。そんな時に、こう言われたわけだ」
師匠は新聞を指で弾く。
「領主が悪い。領主が魔王の槍を隠している。そのせいで朝が奪われた。分かりやすいだろ?」
「でも、そんなの……」
「人は分かりやすいものに飛びつく。特に、不安な時ほどな」
「これを跳ね返せるのは、真犯人を突き止めた時だけだ」
師匠はそう言った。
「ですが、我々はその真犯人について、何も知らない」
ガードナーさんが、苦い顔で続ける。
最悪だった。俺たちは敵を探さなければならない。
でも、その敵が誰なのか分からない。
その間にも、外の民衆は怒りを膨らませていく。
「ぐぬぬぬぬ……」
レンが腕を組み、頭から湯気が出そうな顔で考え込んでいた。
「領主様に恨みがあるやつ……いや、でも、そんなのいっぱい居そうだし……いや、でも、領主様はいい人だし……ぐぬぬ」
その時だった。
外から鋭い音がした。
次の瞬間、ロビーの窓が割れた。
「きゃっ!」
ガラス片が光を失った空気の中できらめく。
投げ込まれた石が、真っ直ぐエリシアへ向かって飛んでいた。
「っ!」
レンが動いた。
考えるよりも早く、彼の手が石を掴む。
乾いた音を立てて、石がレンの手の中に収まった。
「大丈夫か、エリシア!」
「は、はい……」
エリシアの顔から血の気が引いていた。
石はただの石だった。
けれど、それが意味するものは、ただの石ではなかった。
領主館の中にまで、民衆の怒りが届き始めた。
「事態は悪化していくばかりか」
師匠がため息を漏らす。
その横で、エルランドさんの表情が一瞬だけ歪んだ。
苦虫を噛み潰したような、痛みに耐えるような顔だった。
そして、彼は何も言わずに歩き出した。
◇
その頃、エルランド・キャンウィングは、いつもよりも速い足取りで執務室へ向かっていた。
廊下ですれ違う使用人たちは、不安そうに頭を下げる。
だが、エルランドはそれに応える余裕がなかった。
外の民衆。投げ込まれた石。新聞に書かれた言葉。
そして、昨夜の影。
すべてが彼の胸を締めつけていた。
執務室に入ると、エルランドは作業机には向かわなかった。
代わりに、本棚の前へ立つ。
そこには何の変哲もない本が並んでいる。領地経営に関する資料、歴史書、法令集、古い詩集。
その中から、エルランドは一冊の本を手に取った。
本を抜いた瞬間、棚の奥に小さな空白が生まれる。
彼はそこへ片目を近づけた。
かちり、と音がした。
本棚が、扉のようにゆっくりと開いた。冷たい空気が、奥から流れてくる。
それは地下の匂いだった。石と埃と、長い年月の中で閉じ込められていた秘密の匂い。
エルランドは迷わず、その奥へ進んだ。
階段は長かった。足音が石壁に反響する。
一歩下りるたびに、領主館のざわめきは遠ざかり、代わりに自分の呼吸音だけが大きくなっていく。
やがて、階段の先に小さな祭壇が見えた。
豪華なものではない。金も宝石もない。神聖な彫刻があるわけでもない。
ただ、古い石の台座があり、その上に一本の槍が置かれている。
質素な槍だった。
「ロンギヌスの槍……やはり、これが狙いか」
エルランドは低く呟いた。
昨夜のことが、脳裏に蘇る。
◇
昨夜、エルランドの寝室には、彼以外の誰かがいた。
最初は物音だった。
ベランダの方から、かすかな音がした。
不審に思ったエルランドが窓を開けると、外には誰もいなかった。
風が吹いているだけ。庭の木々が揺れているだけ。
そう思って振り返った瞬間、部屋の中に影が立っていた。
「どうも、エルランド様」
声は聞こえた。
だが、それが男の声なのか、女の声なのか、若いのか老いているのか、まるで掴めなかった。
「貴様……何者だ」
「我々はただの影ですよ」
「儂の命か」
「違いますよ。人聞きの悪いことを」
「では、何が望みだ」
「あなたが隠している、大事な大事なものです」
エルランドの身体が強張った。
脳裏に浮かんだのは、槍ではなかった。
「娘か……それだけは勘弁してくれ」
「さあ。それは明日になれば分かるはずです」
影は笑っているようだった。
「それを渡してくだされば、すべては解決します」
そう言って、影は消えた。
煙のように。最初からそこにいなかったかのように。
エルランドはしばらくその場に立ち尽くした。
夢だと思いたかった。
だが、夢ではないと、彼はどこかで分かっていた。
◇
「その通りです」
背後から声がした。
エルランドは振り返る。
昨日と同じ影が、地下祭壇の暗がりから湧き出るように立っていた。
「……わしを、この場所に入らせたわけか」
「ええ。ここはキャンウィング領主しか入れないようでしたので」
「くく……ずいぶんと計画的なことだ」
「計画のない行動は、無駄を生みますからね」
影は揺れていた。人の形をしているようで、していない。
声も、姿も、気配すらも輪郭がない。
見ているだけで、目の焦点が狂いそうになる。
「我々の目的は、対勇者兵器ロンギヌスの槍」
影は淡々と言った。
「勇者ゼインを恐れた愚かな王国が作り出した兵器。魔族の因子を組み込み、神の力を狂わせるための槍」
「そこまで調べられているのか。これでも国家機密のはずだがな」
「我々にとって、秘密とは扉です。鍵さえあれば、どれほど固く閉ざされていようと開けられる」
「この槍の力も知っているのだろう」
「ええ、もちろん」
「ならばなおさら、渡すことはできない」
エルランドはロンギヌスの槍を手に取った。
重い。
槍の重さそのものではない。
歴史の重さだった。王国が勇者を恐れた罪。
キャンウィング家がそれを封じ続けてきた責務。
そのすべてが、手の中にのしかかってくる。
「今の状況を理解していますか」
影が言った。
「あなたに残された道は、我々にそれを渡すことだけです。そうすれば、多くの民を救える」
「この槍は、強大な魔力を放つ兵器ではない」
エルランドは槍を握る手に力を込めた。
「あくまで、魔族の遺伝子が組み込まれた槍だ。つまり、今起きているスタンピードと、この槍に直接の関係はない」
「ええ」
影はあっさりと認めた。
「何?」
「スタンピードは、ただの入口です」
影の輪郭が、楽しげに歪む。
「魔物が押し寄せる。民は怯える。朝は来ない。領主が槍を隠しているという噂が流れる。するとどうなると思いますか?」
「貴様ら……」
「人は敵を欲しがる。目に見えない恐怖には耐えられない。ですが、領主という敵なら見える。槍という理由なら理解できる」
影はゆっくりと手を広げるように揺れた。
「この領地を覆う術は、単に魔物を呼ぶためのものではありません。人の感情を揺らし、怒りを増幅し、理性を削る。恐怖は怒りへ。怒りは正義へ。正義は刃へと変わる」
「なんてことを……」
「最大の味方が、最大の敵になる」
影の声は、耳元ではなく、胸の内側から聞こえてくるようだった。
「明日になれば、民だけではありません。騎士たちの理性も少しずつ削れていくでしょう。誰が味方で、誰が敵か。きっと分からなくなる」
エルランドは膝から崩れ落ちそうになった。
だが、槍を支えにして、何とか踏みとどまる。
「貴様らの目的は何だ」
「言ったでしょう。槍です」
「それだけのはずがない」
エルランドは影を睨んだ。
「ここまで領地を壊し、民を狂わせ、わしを追い詰める。槍一本のためだけに、ここまでするものか」
影は沈黙した。
その沈黙が、答えのようだった。
「明日、また来ます」
影は告げた。
「その時までに、ご決断を」
次の瞬間、影は闇に溶けた。
残されたのは、石の床を叩く水滴のような音だけだった。
◇
エルランドは、このことを誰にも話せなかった。
話せば、ロンギヌスの槍の存在を認めることになる。
話さなければ、民は領主を疑う。
どちらを選んでも、キャンウィングは傷つく。
それだけではない。
この槍は、エルランドにとって命に代えても守らなければならない秘密と繋がっていた。
領主としての責務。父としての罪。夫としての後悔。
そのすべてが、槍の穂先に絡みついていた。
だから、彼は黙った。
黙るしかなかった。
だが、その沈黙こそが、敵の望んだものだった。
何もできないまま、一日が過ぎた。
次の日、街にばら撒かれた新聞には、こう書かれていた。
――領主は魔王の槍で、自身の娘を魔族へ変えた。
――領主の息子が死んだのは、槍の呪いのせいだ。
その日、民衆の心に怒りが湧き上がった。
怒りは、正義に変わった。正義は、敵を求めた。
そしてキャンウィング領には、討つべき悪が生まれてしまった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
普段の民衆であれば立ち止まれたかもしれません。ですが、今は特別な状況です。正確に言えばそういう状況を作り出されました
特に印象に残った場面や台詞がありましたら、一言だけでも感想をいただけると、とても励みになります。