異世界転生したのに前の転生者にやり尽くされていた件   作:berunarudo

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第二十五話 気づかぬ夕陽

 

 エルランド・キャンウィングは死んだ。

 

 民衆は、彼を悪魔と呼んだ。魔族の手先と呼んだ。

 領地に朝が来ない元凶だと信じた。だから、彼を殺した。

 それで終わるはずだった。

 

 領主が死ねば、悪夢は終わる。

 魔王の槍を隠していた悪人が裁かれれば、空は白み、太陽が顔を出し、昨日までの日常が戻ってくる。

 人々は、そう信じたかったのだと思う。

 

 だが、夜は明けなかった。

 窓の外には、相変わらず黒い空が広がっていた。

 月も星もない。朝の気配もない。

 ただ、街のあちこちで揺れる魔導灯と松明の光だけが、夜の底に沈んだキャンウィング領をかろうじて照らしている。

 

 領主館には、静寂が訪れていた。

 それは落ち着きではない。

 誰もが言葉を失い、現実を受け入れるだけで精一杯になっている沈黙だった。

 

 つい先ほどまで、ここには領主がいた。

 穏やかに笑い、娘を気遣い、俺たちを屋敷に迎えてくれた人がいた。

 その人はもういない。それなのに、悪夢は終わっていない。

 誰も、その事実をどう扱えばいいのか分からなかった。

 

 俺だって、まだ受け止めきれていない。

 エルランドさんは悪人だったのか。それとも、悪人を演じたのか。

 どちらにせよ、彼は死んだ。民衆に殺され、夜の街で心臓を止めた。

 それなのに、空は黒いままだった。

 

「何で……」

 

 かすれた声が、ロビーに落ちた。

 エリシアだった。

 彼女は椅子に座っていた。

 いや、座っているというより、マリーさんに支えられて、かろうじてそこにいるだけだった。

 

 目は赤く腫れていた。

 けれど涙はもう出ていない。

 泣きすぎたのか、それとも泣くことすら分からなくなったのか。

 エリシアは、どこにも焦点の合わない目で、床の一点を見つめていた。

 

「どうして……?」

 

 その声は、誰かに問いかけているようで、誰にも届いていなかった。

 

「お父様……何か話してよ……」

「エリシア様……」

 

 マリーさんが彼女の肩を抱く。

 

 いつも落ち着いているマリーさんでさえ、今は声が震えていた。

 

「ねぇ、マリー。何でこうなったの?」

「……」

「私が全部悪いのかな」

 

「そんなことはございません」

 

 マリーさんはすぐに言った。

 けれど、それ以上の言葉は出てこなかった。

 

 当然だ。

 何を言えばいい。あなたは悪くありません。

 お父様はあなたを愛していました。民衆は間違っています。

 どれも正しいのかもしれない。

 でも、今のエリシアに届くには、どれも軽すぎる。

 

「私が……」

 

 エリシアの声が、また消えかけた。

 その時だった。

 ぱん、と乾いた音がロビーに響いた。

 全員が振り返る。

 音の主は師匠だった。

 ジャンは両手を叩いたまま、いつものように片目で俺たちを見ていた。

 

「理由は簡単だ」

 

 師匠は言った。

 

「あの男は、自分の命で証明したんだよ」

「証明……?」

 

 ガードナーさんが聞き返す。

 

「ああ。エルランドを殺しても夜は明けねぇ。つまり、あいつが原因じゃねぇってことだ」

 

 ロビーの空気が、わずかに動いた。

 俺はその意味を少し遅れて理解した。

 

 悪魔の証明。

 存在しないことを証明するのは難しい。

 エルランドさんが「自分は原因ではない」と叫んでも、民衆は信じなかっただろう。

 槍は存在する。娘に魔族の遺伝子がある。

 その時点で、彼の言葉はすべて疑われる。

 

 だが、彼が死んでも夜が明けなければどうなる。

 少なくとも、領主を殺せば悪夢が終わるという理屈は崩れる。

 

 エルランドさんは、自分の死を使って、それを証明した。

 自分が悪として死ぬことで民衆の怒りを一か所に集めた。

 そして、自分が死んでも夜が明けないことで、真犯人が別にいることを示した。

 

 まったく。

 本当に、とんでもない男だ。

 

「お父様の死は……」

 

 エリシアが、小さく顔を上げた。

 

「無駄では、なかった……?」

 

 今の彼女にとって、その言葉はあまりにも危うい救いだった。

 救いと呼ぶには細すぎる。

 指先で触れただけで折れてしまいそうな、頼りない糸。

 それでも、今のエリシアには必要だった。

 彼女はその糸にすがるように、震える手を胸元に寄せた。

 

「そうだな」

 

 師匠は短く答えた。

 

「あの男は、無駄死にするような馬鹿じゃねぇ」

 

 その言葉で、エリシアの表情がほんの少しだけ揺れた。

 だが、師匠はすぐに視線を鋭くする。

 

「ただし、問題は何一つ解決してねぇ」

 

 救いに浸る時間は与えられなかった。

 師匠は窓の外を見る。

 

「この空を覆ってる術が解けない限り、魔物がここに押し寄せるのは時間の問題だぜ」

「やはり、スタンピードは止まっていないのですね」

 

 ガードナーさんが苦い声で言った。

 

「でも、真犯人はどこにいやがる」

 

 レンが拳を握った。

 エルランドさんの死を見てから、レンはずっと黙っていた。

 怒っているのか、悔しがっているのか、それとも自分に何ができたのかを考えているのか。

 今の俺には分からなかった。

 ただ、手の甲の痣は、まだかすかに光を残していた。

 

「敵の場所が分かれば、俺がぶっ飛ばす」

「その敵が分かんねぇから困ってんだよ」

 

 師匠が舌打ちする。

 空気が詰まる。最悪の盤面だった。

 その時、一人が静かに手を挙げた。

 

「一つ、意見がございます」

 

 ミシェルさんだった。

 黒い執事服に身を包み、いつも通り背筋を伸ばして立っている。

 領主が死んだ直後だというのに、その姿勢には乱れがなかった。

 

「敵の正体が不明である以上、真犯人を探すことに時間を使いすぎるのは危険かと存じます」

「なら、どうする」

 

 師匠が聞く。

 

「敵を見つけるのではなく、まず敵の狙いを一つ潰すのです」

「狙い?」

「はい。今、最も差し迫っている危機はスタンピードです。ならば、結界の解除ではなく、押し寄せる魔物そのものをどうにかするべきではないでしょうか」

「どうにかって言ってもな」

 

 レンが眉をひそめる。

 

「魔物の群れだろ? 街に来る前に全部倒すのか?」

「正面から迎え撃てば、被害は避けられません」

 

 ミシェルさんは落ち着いた声で続ける。

 

「ですが、魔物の性質を利用すれば、軌道を変えることはできるかもしれません」

「魔物の性質……」

 

 俺は思わず呟いた。

 少し前、師匠は言っていた。魔物は強い力に惹かれる。

 強い魔力、強いエネルギー、そういうものに反応して移動することがあると。

 

「強い力を用意すれば、魔物を誘導できるわけですか」

 

 ガードナーさんが言う。

 

「その通りです」

 

 ミシェルさんは頷く。

 

「ですが、ただの魔力では足りません。街へ向かうほどの魔物を引き寄せるには、より強く、より濃く、より魔物にとって魅力的な餌が必要です」

「そんなもんがどこにある」

 

 師匠がそう言いながら、片目を細めた。

 ミシェルさんは、ゆっくりと俺を見た。

 

「あるはずです。強力な魔力が」

「……俺か」

 

 声が少し乾いた。

 ミシェルさんは否定しなかった。

 

「ルーク様の魔力量は、尋常ではございません。さらに、領主様が持っていた槍を増幅器として用いれば、魔物の群れを引き寄せるほどの力を作り出せる可能性があります」

「そうか」

 

 師匠が小さく笑った。

 

「ルークの馬鹿魔力に、槍を合わせるのか」

「はい」

「増幅器にするってわけだな」

「その通りです」

「ちょ、ちょっと待ってくれ」

 

 俺は思わず声を上げた。

 

「どういうことだよ。俺の魔力を増幅させるって、どうやって?」

「悪い悪い」

 

 師匠は頭をかいた。

 

「いいか、ルーク。魔物は強い力に惹かれる。だから魔力の多いお前は、最高の餌だ」

「言い方ひどすぎるだろ?」

「事実だろうが」

 

 ひどい。

 だが、否定はできなかった。

 

「で、あの槍に魔族の遺伝子が組み込まれているなら、魔力との親和性が高い可能性がある。魔族は魔力の扱いに長けているからな。お前の魔想をあの槍に通せば、普通に放出するよりもずっと濃く、遠くまで届く餌になる」

 

 俺は少しずつ理解した。俺の魔想を肥大化させる。

 魔物が街ではなく、俺の方へ向かうようにする。

 そして、街から離れた場所へ誘導する。

 つまり、俺が囮になる。

 

「おいおい、どういうことだよ師匠」

 

 レンは眉間に皺を寄せていた。

 どうやら、まだ完全には理解できていないらしい。

 他のみんなも似たような顔をしている。

 

「簡単な話だ」

 

 師匠は短くまとめた。

 

「ルークの魔力を馬鹿みてぇに膨らませて、魔物をおびき寄せる」

「な、なるほど」

「なるほどで済ませるなよ」

 

 俺は思わず突っ込んだ。

 だが、レンは俺をじっと見ていた。

 

「ルーク、お前できるのか?」

「分からない」

 

 正直に答えた。

 

「でも、やるしかないだろ」

 

 レンは一瞬だけ黙った。

 そして、にっと笑った。

 

「なら、俺は街を守る」

「おう」

「お前が外で魔物を引きつけるなら、俺は中でみんなを守る」

 

 迷いのない声だった。

 さすがは勇者様だ。

 

「魔物を引き寄せるほどの魔力なんて、勇者様でもなければ……」

 

 マリーさんが不安そうに呟いた。

 

「かかか」

 

 師匠が笑う。

 

「こいつの魔想の生成量は、俺以上だ」

「そ、そんなことが……」

 

 エリシアも、弱々しく顔を上げた。

 その視線には、驚きと不安が混じっている。

 師匠が無言で俺を見た。

 

 分かったよ。

 見せればいいんだろ。

 俺は小さく息を吸った。

 普段は抑えている魔想の蓋を、少しだけ外す。

 

 胸の奥にある魔力炉が、深く息を吸うように熱を帯びた。

 肺から取り込んだ魔粒子が、体内で濾過され、自分の魔想へと変わっていく。

 その流れを、あえて止めない。押さえ込まず、流れるままにする。

 次の瞬間、俺の魔想が足元から広がった。

 

 ロビー全体が、俺の内側に沈んだような感覚になる。

 人の輪郭が、魔想を通してぼんやりと伝わってくる。

 エリシアの震え。マリーさんの強張った呼吸。

 ガードナーさんが剣に手を添える気配。

 レンの手の甲に宿る光。

 サラが俺を心配そうに見つめていること。

 全部、分かる。

 

「……ここまでとは」

 

 ミシェルさんが目を見開いた。

 

「想像以上です」

「すごい……」

 

 エリシアが小さく呟く。

 

「これは、納得せざるを得ませんね」

 

 ガードナーさんも息を呑んでいた。

 

「あ、ははは……」

 

 なんだか、自慢しているみたいで落ち着かなかった。

 

 俺は魔術が使えない。ただ魔想が多いだけ。

 それでも、この場ではその「だけ」が必要とされている。

 そう思うと、胸の奥に少しだけ熱が灯った。

 

「なら、作戦は決まったな」

 

 師匠が言った。

 

「俺とルークで魔物をおびき寄せる」

 

 師匠の声はいつもより低かった。

 

「街にも魔物が流れる可能性がある。民衆もまだ完全には落ち着いてねぇ。お前たちは中で守れ」

 

 レンは手を俺に向ける

 

「街は俺たちで守る」

「だから、必ず成功させろよ、ルーク」

「もちろんだ、レンこそしくじるなよ」

「任せろ」

 

 レンはいつだって真っすぐな男だ。

 

「ガードナー」

 

 師匠が次に声をかける。

 

「お前はあの町に戻れ」

「……やはり、あの町にも被害が及ぶ可能性があるのですね」

「ああ。俺たちの誘導が完璧にいくとは限らねぇ。魔物の一部が逸れる可能性はある」

「分かりました」

 

 ガードナーさんはすぐに頷いた。

 

「ゼケルへ戻り、警備隊に警戒を伝えます」

「頼んだぜ」

「はい」

「サラ」

 

 師匠はサラを見る。

 

「お前はここに残れ。怪我人が出る。民衆も、騎士も、誰かが倒れる可能性が高い」

「……分かりました」

 

 サラは両手を胸の前で握った。

 

 不安そうだった。

 けれど、その眼にはしっかりと覚悟が映っていた。

 

「私にできることをします」

「それでいい」

「ミシェル」

 

 師匠は最後にミシェルさんを見た。

 

「領主館と民衆の整理は任せる」

「お任せください、ジャン様」

 

 ミシェルさんは深く頭を下げた。

 

「お嬢様のことも、必ずお守りいたします」

 

 その言葉に、マリーさんが小さく頷いた。

 

     ◇

 

 俺と師匠は、ロンギヌスの槍を持って領主館を出た。

 

 街は、異様に静かだった。

 少し前まで怒号が満ちていたはずなのに、今は誰も大声を出していない。

 領主を殺したことで、怒りの熱が一度冷えたのだろう。

 

 だが、落ち着いたわけではない。

 人々は空を見上げていた。

 まだ明けない夜を見上げていた。

 誰かが小さく呟く。

 

「なんで……」

 

 別の誰かが、震える声で答える。

 

「領主を殺したのに……」

「じゃあ、何が原因なんだよ……」

 

 真の恐怖が、街を包み始めていた。

 怒りは、まだ人を動かす。

 だが、怒りの先を失った恐怖は、人を凍らせる。

 俺たちはその中を歩いていた。

 

「おい、ルーク」

 

 門へ向かう途中、師匠が声をかけてきた。

 

「どうしたんだ、師匠」

「この作戦、うまくいくかは正直分からん」

「どうしたんだよ。弱気だな」

「当然だ」

 

 師匠は鼻で笑った。

 

「この作戦は、お前にかかっている」

 

 俺は黙った。

 

「魔物は俺が減らす。近づいた奴は撃つ。だが、魔物が一斉にお前へ向かう可能性は高い」

「つまり、俺が死ぬ可能性もあるってことか」

「ある」

 

 師匠は即答した。

 

 その容赦のなさが、逆にありがたかった。

 

「逃げたくなったか?」

「少し」

「正直でよろしい」

「でも、逃げない」

 

 俺は槍を見る。

 

 質素で、地味で、それなのに多くの人を狂わせた槍。

 いろんなものが、この槍に絡みついている。

 でも、今は使うしかない。

 

「俺は故郷も、この街も救う」

 

 そう言ってから、少しだけ自分で驚いた。

 ずいぶんと大きなことを言ったものだ。

 

「だから、師匠」

「あん?」

「俺を守ってくれ」

 

 師匠は一瞬だけ黙った。

 それから、小さく笑った。

 

「生意気な弟子め」

「弟子だからな」

「なら、師匠らしく守ってやるよ」

 

 その言葉に、胸の奥の震えが少しだけ収まった。

 俺は一人ではない。少なくとも、今は。

 

 俺たちは門を抜けた。

 外の森は、夜の底に沈んでいる。

 遠くの空だけが、かすかに赤く滲んでいた。

 どうやら外は夕暮れだった。

 そんな当たり前のことも、あの街では気づけなかった。

 

 俺と師匠は、その光のない赤へ向かって歩き出した。




ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
これ以外の道はなかったのか。一応あったのですが、これ以上にひどい結末になる可能性があります。
すべてを救うルートは存在しません。なぜなら、それができるのは神のみだから。
特に印象に残った場面や台詞がありましたら、一言だけでも感想をいただけると、とても励みになります。
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