異世界転生したのに前の転生者にやり尽くされていた件   作:berunarudo

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第二十七話 師匠と弟子

 

 俺たちは、森の奥へ向かっていた。

 

 背後にはキャンウィングの街がある。

 領主を失い、朝を失い、それでもまだ夜の中で息をしている街。

 レンやサラ、エリシアたちが残っている街。

 俺が少しでも失敗すれば、魔物の群れに踏み荒らされるかもしれない街。

 街の灯りは、木々の隙間から少しずつ遠ざかっていく。

 

 最初はまだ、振り返れば領主館の屋根が見えた。

 けれど、森へ入ってしまえばそれも消える。

 見えるのは、黒い幹と、濡れた土と、どこまでも続く夜の気配だけだった。

 

 俺たちは魔想で身体を強化しながら進んでいた。

 それなりに速度は出している。

 普通の人間なら、とっくに息が切れているだろう。

 けれど、師匠は俺のさらに前を走っている。

 義足のはずなのに、まるで森そのものが道を開けているみたいに速い。

 足音はほとんどない。枝を踏む音も、草を掻き分ける音も、最小限。

 俺が必死に追いかけているのに、師匠は振り返る余裕すらあった。

 ほんとに義足かよ。

 

「かかかか」

 

 師匠が笑った。

 

「魔物の気配が濃くなってきやがった」

 

 言われて、俺も意識を広げる。

 

 魔想円を薄く展開すると、森の奥に嫌なざわめきがあった。

 いつもの魔物の気配とは違う。

 一体や二体ではない。もっと多い。

 それが肌に触れた瞬間、背筋に冷たいものが走った。

 

「おい、ルーク。急ぐぞ」

「了解」

 

 俺は歯を食いしばって速度を上げた。

 目的地は、森の奥にある大きな滝の手前らしい。

 師匠いわく、そこなら街から十分に離れている。

 魔物を引き寄せても、うまく軌道を変えられれば、キャンウィングの街にも、俺たちの故郷であるゼケルにも被害が及びにくい。

 もちろん、うまくいけば、の話だ。

 

 そこが怖い。

 道中、俺たちは一度も魔物に遭わなかった。

 普段の俺なら、妙に魔物に狙われる。

 理由は分かっている。俺の魔想は濃い。

 魔物からすれば、匂いの強い餌みたいなものなのだろう。

 なのに、今は何も来ない。

 

 静かすぎる。

 それが、逆に不気味だった。

 やがて、水の音が聞こえ始めた。

 遠くで大きな水が落ちる音。森の静けさを裂くような、低く響く音だった。

 

「ここらでいい」

 

 師匠が足を止めた。

 

 滝そのものはまだ見えない。けれど、空気が湿っている。

 地面も柔らかく、木々の葉には細かい水滴がついていた。

 師匠は周囲を見渡し、すぐに配置を決める。

 

「いいか、ルーク」

 

 師匠は俺を見た。

 いつもの軽い笑いはなかった。

 

「お前は、槍に魔想を流し続けろ。ただ流すんじゃねぇ。お前が生成できる魔想と、槍へ注ぎ込む魔想。その量をギリギリ同じに保て」

「簡単に言ってくれるな」

 

 師匠は俺の胸元を指差した。

 

「少しでも消費が勝てば、お前は枯渇する。逆に生成が勝ちすぎれば、魔想が暴れて制御が乱れる。お前がやるのは、放出じゃねぇ。維持だ」

「維持……」

「ああ。魔物を全部引き寄せようとするな」

「え?」

「目的は、すべての魔物を集めることじゃない」

 

 師匠は森の奥を見た。

 

「スタンピードの軌道を変えることだ。街に向かってる流れを、こっちへ曲げる。全部じゃなくていい。少しでも多く、街から逸らす」

 

 俺は頷いた。

 そうだ。これは、魔物を殲滅する作戦じゃない。

 街を守るための作戦だ。

 

「俺は森に潜る」

 

 師匠は弓を握る。

 

「気配を消して、お前に迫る魔物を倒し続ける。お前は俺が許可するまで、何があっても槍に魔想を注ぎ続けろ」

「何があっても?」

「ああ」

「魔物が目の前に来ても?」

「俺を信じろ」

 

 短い言葉だった。

 それ以上の説明はなかった。

 

 俺は槍を握りしめる。

 質素な槍だ。世界を狂わせるような禍々しさはない。

 けれど、エルランドさんの死も、エリシアの苦しみも、民衆の狂気も、この槍に絡みついているように感じる。

 手のひらに汗が滲んだ。

 

 ああ、前世でもあったな。

 重要な役目を任されたのに、失敗した時のこと。

 周囲の視線が、一斉に自分へ向く感覚。

 責められて、笑われて、期待されることそのものが怖くなった瞬間。

 思い出すだけで、逃げたくなる。でも、逃げられない。

 俺がやらなければ、故郷も、キャンウィングの街も、魔物に襲われるかもしれない。

 震える手を、もう片方の手で握りしめた。

 

「かかか。いくか」

「ああ」

 

 俺は槍に魔想を流し込んだ。

 最初は細く。槍の内側を探るように。

 次の瞬間、槍が反応した。

 俺の魔想が、まるで別の血管を通るように槍の中へ流れ込む。

 質素だったはずの槍が、淡く脈打った。

 

 そして、空へ向かって魔力が放たれた。

 見えない柱が立ち上がるような感覚だった。

 俺の体内から流れ出た魔想が、槍の中で濃く、鋭く、遠くまで届くものに変わっていく。

 師匠の気配は、その瞬間にはもう森の中へ消えていた。

 

 完全に消えた。

 足音も、呼吸も、魔想の揺らぎもない。

 この森に最初からジャンという男はいなかった。

 そう錯覚するほど、完璧に。

 

「はは……くそほどしんどい」

 

 槍を通じて魔想が吸われ続ける。

 ただ垂れ流しているだけなら、まだ楽だった。

 問題は、生成と消費を合わせ続けることだ。

 

 魔力炉で魔想を生み出す。

 生み出した分だけ、槍へ流す。

 ほんの少しでも消費が多ければ、体の内側が空になる。

 ほんの少しでも生成が多ければ、余った魔想が暴れて集中が乱れる。

 針の穴に糸を通し続けるような感覚だった。

 しかも、それを戦場のど真ん中でやれと言われている。

 それだけに集中する。

 俺の役目は、戦うことではない。逃げることでもない。

 ここに立ち続けることだ。

 

     ◇

 

 本来、魔想の生成と消費を同時に行うこと自体は、不可能ではない。

 

 魔術師であれば、誰もが多少は行っている。

 魔想を生み出し、術式へ通し、発動させる。

 身体強化でも、魔術でも、魔導具の起動でも、それは同じだ。

 だが、生成量と消費量を長時間釣り合わせ続けるとなれば、話はまったく違う。

 普通の者なら、そもそも生成量が足りない。

 短時間で強い一撃を放つ方が効率は良く、長く薄く放出する意味は薄い。

 

 しかし、ルークスの場合は違った。

 魔術回路を持たない彼は、魔術を扱えない。

 だがその代わり、彼の魔力炉は異常なほど大きい。

 生み出される魔想の量だけで言えば、同年代はもちろん、熟練の魔術師と比べても異質だった。

 

 しかも、魔術回路がないことが、今だけは功を奏していた。

 回路がないからこそ、特定の術式に魔想を奪われない。

 属性に変換されず、純粋なまま流せる。器さえあれば、いくらでも放出できる。

 そして、その膨大な魔想を崩さず操作する技術を叩き込んだのが、雷窮のジャンだった。

 

 派手な魔術はない。勇者のような力もない。

 それでも、ルークスは積み上げてきた。

 だからこそ、この作戦は成立している。

 

 だが、そんなルークスでさえ、この均衡を保てるのは本来なら安全な場所にいる時だけだ。

 魔物が迫る戦場で、恐怖に呼吸を乱されず、痛みに集中を奪われず、死の気配の中で維持し続けられるか。

 

 それは、また別の問題だった。

 

     ◇

 

「ま、まじで来やがった」

 

 森の気配が変わった。

 最初は遠かった。木々の奥のざわめきだったものが、明らかにこちらへ向かっている。

 

 地面が震え、葉が揺れる。獣の息遣いが近づいてくる。

 しかも、一体じゃない。

 いつもなら逃げる、あるいは戦う。

 だが、今の俺にはそのどちらも許されていない。

 

 槍から手を離せない。魔想の流れを止められない。

 生成と消費のバランスを崩せない。

 俺に許されているのは、ただ師匠を信じることだけだった。

 木々をなぎ倒すような音が近づいてくる。

 

「赤眼熊!」

「GRAAAAAAA!」

 

 赤い目をした巨大な熊が、木を掻き分けて現れた。

 唾液を垂らし、爪を立て、俺だけを見ている。

 完全に俺の魔想に惹かれている。

 

「まじで餌扱いかよ……!」

 

 赤眼熊が地面を蹴った。

 

 速い。

 身体強化していても、今の俺では避けられない。

 避ければ、槍への魔想の流れが乱れる。

 

 分かっている。目を逸らすな、魔想を流し続けろ。

 でも、本能が叫ぶ。逃げろ。

 腕が震えた。

 赤眼熊の爪が迫る。

 思わず目を瞑った。

 

 その瞬間、熱を感じた。

 爆発ではない。炎でもない。

 ただ、一瞬だけ空気が焼けたような感覚。

 目を開けると、赤眼熊の頭が吹き飛んでいた。

 巨体が俺の目の前で崩れ落ちる。

 

 矢が飛んだ音はしなかった。

 師匠の気配もなかった。

 どこから撃ったのかすら分からない。

 ただ、赤眼熊だけが死んでいた。

 

「はは……流石は師匠か。格が違う」

 

 俺はまだ強くなったつもりでいた。

 赤眼熊にだって、昔のように一方的に怯えるだけではない。

 戦えるようになったと思っていた。

 でも、師匠は違う。

 

 俺が恐怖で目を閉じた一瞬に、魔物の頭を撃ち抜いている。

 気配を消したまま。位置を悟らせないまま。

 俺の集中を乱さないように。

 守られている。

 その事実が、少しだけ胸を温めた。

 

 俺の役目は、スタンピードの軌道を変えること。

 師匠が守る。俺は信じる。

 なら、やるしかない。

 俺は再び槍へ魔想を流し続けた。

 

 次々と魔物が来た。

 

 ムカデ、鳥、熊。

 鹿のような角を持つ獣。

 狼に似た何か。森の中で見たことのない、巨大な虫。

 動物園もびっくりのバリエーションだった。

 

 俺だけだったら絶対に死んでいる。

 けれど、魔物は俺に届く前に倒れていく。

 時には頭を撃ち抜かれ、時には足を射抜かれ、時には進路を変えられたところを崖下へ落とされた。

 

 師匠の矢は、ただ魔物を殺しているのではなかった。

 俺へ向かう流れを切り、群れの勢いを逸らし、魔物同士をぶつけ、森の地形を使って数を減らしている。

 

 これが、雷窮のジャン。

 俺は、改めてその背中の遠さを思い知った。

 

     ◇

 

 ジャンは、木々の間に溶けるように身を潜めていた。

 

 弓を引く。

 その動作には、無駄がなかった。

 一射で一体。

 時には、一射で二体。

 魔物の急所を抜き、足を止め、軌道をずらし、ルークスへ届く前に処理していく。

 視界の端で、ルークスが槍を握っている。

 

 顔色は悪い。

 額には汗が浮かび、肩は細かく震えている。

 それでも、魔想の流れは途切れていない。

 あれだけの魔想を生み出し続け、なお制御を崩さない。

 

 やはり、優秀だ。

 ジャンは胸の内でそう思った。

 

 魔想の生成量だけなら、四天に並ぶ可能性すらある。

 いや、単純な量だけなら、すでに片足を突っ込んでいるかもしれない。

 

 だが、ルークスに向いているのは剣ではない。

 あいつには、魔導具が向いている。

 優秀な器さえあれば、いくらでも化ける。

 魔術回路がないことを欠点と見る者は多いだろう。

 だが、あいつには、まだ自分でも分かっていない可能性が詰まっている。

 

 初めて会った時は、ただの生意気なクソガキだと思っていた。

 妙に大人びた目をしているくせに、どこか夢見がちで。

 自分が特別であることを信じたいのに、現実には何も持っていなくて。

 それでも必死に背伸びをしている子供。

 

 そう思っていた。

 だが、修行を重ねるたびに、ジャンは考えを改めさせられた。

 レンには特別な才能があった。

 真っ直ぐ前へ進める強さがある。あれは勇者になるべくしてなった少年だ。

 

 だが、ルークスにはない。

 魔術回路もない。勇者の痣もない。

 誰かに選ばれた証もない。

 ないのに、あいつは鍛えることをやめなかった。

 

 ジャンはそれを知っている。

 雨の日も、疲れている日も、結果が出ない日も。

 自分だけが何者にもなれないと分かっても。

 それでも、あいつは立ち上がった。

 

 俺でも無理だ。

 ジャンは素直にそう思う。

 自分には才能があった。弓も、気配遮断も、雷の扱いも、最初から人より上手かった。

 だからこそ、才能がない場所から這い上がろうとするルークスのしぶとさが、少しだけ眩しかった。

 

 弟子。

 いつの間にか、そう呼ぶことに違和感がなくなっていた。

 

 ならば、守る。今度こそ守る。

 かつて守れなかったものがある。

 手を伸ばしたのに届かなかったものがある。

 自分の矢が、あと少し早ければ救えたかもしれない命がある。

 その後悔は、今でも義足の付け根よりも深い場所に残っている。

 

 だから。

 ルークスだけは、ここで殺させない。

 

 俺の命に代えてでも。

 ジャンは弓を引いた。魔物の眉間を射抜く。

 次の瞬間、別の木の上へ移動する。

 また撃つ。また殺す。終わりは見えない。

 スタンピードがいつ止まるのか分からない。

 どれだけ殺しても、森の奥から次が来る。

 

 だが、やり続けるしかない。

 ルークスが立ち続ける限り。弟子が信じている限り。

 師匠が折れるわけにはいかない。

 

 その時だった。

 この世のものとは思えない邪悪さが、森全体を叩いた。

 

「ぐっ……!」

 

 ジャンの指が、一瞬だけ弦から外れそうになった。

 反射的に街の方角を見る。

 キャンウィングの上空に、巨大な影があった。

 

 ドラゴン。

 いや、ただのドラゴンではない。

 邪気をまとい、夜そのものを歪ませるような存在。

 翼を広げるだけで、街を包む空気が黒く濁る。

 

 ジャンの脳裏に、古い記憶が蘇った。

 焦げた匂い。崩れた建物。守れなかった背中。

 

 まずい。

 何が起きた。

 街に、あれほどの危険はなかったはずだ。

 レンか、サラか、エリシアか。

 それとも、何か別の――。

 

「ぐああっ!」

 

 ルークスの悲鳴が聞こえた。

 ジャンは意識を強引に引き戻した。

 

 視線を向ける。

 そこには、本来いるはずのない男が立っていた。

 

     ◇

 

 魔物の数が、少しずつ減ってきていた。

 俺にも分かった。

 最初は森そのものが襲いかかってくるようだったのに、今は気配の密度が少し薄くなっている。

 良かった。うまくいっている。

 

 そう思った。思ってしまった。

 次の瞬間、邪悪な気配が俺の身体を震わせた。

 

「なんだ、今の……」

 

 街の方角だった。

 思わず意識がそちらへ向く。

 

 空の向こうに、黒い何かが見えた気がした。

 巨大な翼。歪んだ影。

 遠くにいるはずなのに、心臓を掴まれるような圧迫感。

 

 ほんの一瞬。

 たった一瞬だけ、槍へ流す魔想が揺らいだ。

 その隙を、影は見逃さなかった。

 気づいた時には、俺の身体は宙を舞っていた。

 

「ぐああっ!」

 

 背中から地面に叩きつけられる。

 肺の空気が全部抜けた。

 槍が手から離れそうになる。

 

 まずい。

 離したら終わる。

 俺は必死に柄を握り直した。

 

 何だ、魔物か。

 いや、違う。気配がなかった。魔物の荒い殺気も、足音も、臭いもない。

 降り立つ影に、俺はまったく気づけなかった。

 

 顔を上げる。

 そこにいたのは、ミシェルさんだった。

 

 黒い執事服に整った姿勢。

 領主館で、エリシアのそばにいたはずの男。

 

「ミシェルさん……?」

 

 声がかすれた。

 

「どうして、ここに……」

「私の計画における最大の脅威を、消しに来ただけですよ」

 

 ミシェルさんは、何でもないことのように言った。

 

「ジャン・ボルト。そして、ルークス君」

 

 俺の背筋が冷えた。

 理解できたこの人は敵であると

 ミシェルさんは、ゆっくりと剣を抜いた。

 剣先が俺へ向く。

 

「さあ」

 

 ミシェルさんは微笑んだ。

 

「守ってみなさい。雷窮のジャン」

 

 一瞬にして、剣が振るわれた。

 俺の肉体を切り裂こうと、銀色の線が迫る。

 その刹那、森の奥から矢が飛んだ。

 ミシェルさんの眉間を狙った、完璧な一射。

 だが、ミシェルさんはそれを見もせずに剣で弾いた。

 乾いた金属音が、森の中に響く。

 ミシェルさんは笑う。

 

「楽しめそうですね」

 

 森の奥で、雷が鳴ったような気がした。




ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
街にでは何があったのか、なぜ、ミシェルがここにいるのか。
特に印象に残った場面や台詞がありましたら、一言だけでも感想をいただけると、とても励みになります。
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