異世界転生したのに前の転生者にやり尽くされていた件   作:berunarudo

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第二十八話 私の役目後編(エリシアside)

 

 いつからでしょうか。

 

 みんながおかしくなったのは。

 たぶん、兄が勇者に選ばれた、その日からだったのだと思います。

 お兄様は、物語に出てくる勇者様のような人でした。

 明るくて、強くて、誰にでも優しくて、私が転びそうになればすぐに手を差し伸べてくれる人でした。

 庭で花冠を作っていると、下手くそだなと笑いながら、最後には一緒に作ってくれる人でした。

 私にとってお兄様は、絵本の中の勇者様よりもずっと近くにいる、本物の勇者様でした。

 

 だから、お兄様が勇者に選ばれた時、私は誇らしかったのです。

 私のお兄様は、やっぱり特別な人だったのだと。誰かを守るために生まれてきた人だったのだと。

 そう信じていました。

 

 けれど、お兄様は王都へ行ってから、それほど時間が経たないうちに、二度と帰ってこなくなりました。

 その日から、キャンウィング家は少しずつ変わっていきました。

 お父様は、私たちと食卓を囲む時間が減りました。

 以前は私の話を最後まで聞いてくれたのに、いつからか書類ばかりを見るようになりました。

 

 私が声をかけても、返事はしてくれます。

 けれど、その目は私ではなく、もっと遠くにある何かを見ているようでした。

 

 お母様は、庭を眺める時間が増えました。

 花を見ているのではありません。空を見ているのでもありません。

 ただ、何も考えないように、何も思い出さないように、そこに座っているだけでした。

 私は、何度も声をかけました。

 

 お母様、今日は庭の花が綺麗です。

 お父様が忙しそうです。

 マリーが新しいお茶を淹れてくれました。

 けれど、お母様は微笑むだけでした。

 優しい笑みでした。でも、その奥に私はいませんでした。

 マリーを除いて、誰も私を見ていないように感じていました。

 

 そんな時、屋敷にやってきたのが、執事のミシェルでした。

 彼は不思議な人でした。

 いつも穏やかに笑っていて、必要な時には必ずそばにいてくれて、私が何も言わなくても欲しい言葉をくれました。

 お父様が疲れている時は、仕事の流れを整えました。お母様が庭から戻れない時は、静かに毛布をかけました。

 私が寂しい時は、何も聞かずに紅茶を淹れてくれました。

 ミシェルが来てから、屋敷は少しだけ元に戻ったように見えました。

 

 お父様は、また私の話を聞いてくれるようになりました。お母様も、時々私を見て笑ってくれるようになりました。

 食卓に、少しだけ会話が戻りました。

 だから私は、ミシェルに感謝していました。

 壊れかけていた家族を、彼がつなぎ止めてくれたのだと思っていました。

 それだけではありません。

 私は、きっとミシェルに憧れていました。

 

 いつも落ち着いていて、何でも知っていて、誰よりも大人で。

 私が泣きそうな時、必ず一番優しい言葉をくれる人。

 それが恋と呼べるものだったのかは、今でも分かりません。

 けれど、幼い私にとって、ミシェルは確かに特別な人でした。

 

 でも。

 そんな幸せも、全部壊れてしまいました。

 お母様の病。朝の来ない空。魔王の槍。お父様の死。そして、私の存在。

 尊敬していたお父様は、私の目の前で民衆に殺されました。

 

 私を守ってくれていたはずの人たちは、お父様を悪魔と呼びました。

 この街を愛していたお父様を、許されない悪だと決めつけました。

 お父様が倒れても、誰も手を差し伸べませんでした。

 

 お母様は、今も目を覚ましません。お兄様は帰ってきません。お父様も、もういません。

 そして私は、私がずっと恐れていたものだったようです。

 

 人を苦しめる悪い魔族。

 お伽話の中で勇者様に倒されるべき存在。

 誰かの幸せを壊すために生まれてきたもの。

 もし、そうなのだとしたら。

 

 全部、私のせいなのでしょうか。

 私がいたから、お父様は槍を使ったのでしょうか。

 私がいたから、お母様は苦しんでいるのでしょうか。

 私がいたから、民衆はお父様を殺したのでしょうか。

 

 私がいなければ。

 お兄様は帰ってきたのでしょうか。

 お父様は笑っていたのでしょうか。

 お母様は庭ではなく、私を見てくれたのでしょうか。

 

 私がいなければ、幸せは続いていたのでしょうか。

 誰か、教えてください。

 私は、何なのですか。

 私は、人間なのですか。

 

 それとも、殺されるべき魔族なのですか。

 

     ◇

 

「エリシアお嬢様」

 

 意識が朦朧とする中で顔を上げると、ミシェルがいました。

 

 広場の端。

 人々の声が少し遠く聞こえる場所。

 レン様とサラ様は、まだ民衆を駅へ誘導しようとしていました。

 マリーは私のそばで、血の流れる額を布で押さえてくれています。

 そんな中、ミシェルだけが、いつも通りの穏やかな顔でそこに立っていました。

 

「ミシェル……」

 

 その顔を見た瞬間、胸の奥にあった何かが緩みました。

 この人なら、何か言ってくれる。

 私を立たせる言葉をくれる。

 

 昔から、そうでした。

 私が寂しい時。私が泣きそうな時。私が何も分からなくなった時。

 ミシェルは、いつも正しい言葉をくれました。

 

「ごめんなさい」

 

 私は呟きました。

 

「私は、何もできませんでした」

「エリシアお嬢様」

 

 ミシェルは優しく膝を折り、私と目線を合わせました。

 

「あなたは何も悪くないのです」

 

 その言葉に、目の奥が熱くなりました。

 

「悪いのは、この状況を作り出した黒幕です。あなたは、ただ巻き込まれただけの被害者なのです」

「ミシェル……ありがとうございます」

 

 その言葉は、あまりにも欲しかった言葉でした。

 私は悪くない。私は被害者。私のせいではない。

 そう言ってほしかった。

 誰かに、そう決めてほしかった。

 

「ですが、お嬢様。このままでは、お身体がもちません」

 

 ミシェルは懐から小さなカプセルを取り出しました。

 

 透明な殻の中に、淡く濁った液体が入っている。

 薬というには少し奇妙で、けれどミシェルが持っていると、不思議と疑う気持ちは起きませんでした。

 

「これは精神を落ち着かせる薬です。以前、奥様にもお出ししていたものと同じものです」

「お母様に……?」

「はい。今のお嬢様には、少し休息が必要です。お気持ちが落ち着けば、もう一度立ち上がれるでしょう」

 

 流石の私でも分かります。

 薬を飲んだからといって、心の傷が消えるわけではありません。

 勇気が湧いてくるわけでもありません。

 

 でも。

 ミシェルは、私を励ましてくれているのだと思いました。

 昔からそうでした。

 彼は、私が立てなくなった時、いつも手を差し伸べてくれた。

 なら、これもきっと同じ。私を立たせるための、小さな支えなのだと。

 

「ミシェル、心遣いに感謝します」

 

 私はカプセルを受け取りました。

 

「お嬢様!」

 

 マリーが少しだけ不安そうに声を上げました。

 

「大丈夫です、マリー」

 

 私は微笑もうとしました。

 うまく笑えたかは分かりません。

 

「ミシェルが、くれたものですから」

 

 そして、カプセルを飲み込みました。

 味はありませんでした。

 苦くも、甘くも、冷たくも、熱くもない。

 ただ、喉の奥を通った瞬間、胸の内側に妙な重さが落ちたような気がしました。

 

 けれど、不思議と安心もしました。

 私はまだ、誰かに助けてもらえる。

 まだ、完全に一人になったわけではない。

 そう思ったのです。

 

「もう一度、頑張ってみます」

 

 私がそう言うと、ミシェルは静かに微笑みました。

 

「その前に、お嬢様」

「はい?」

「なぜ奥様が病に倒れたのか、知りたくはありませんか」

 

 私は瞬きをしました。

 

「え……?」

 

 耳が、言葉を拒んだような気がしました。

 

「あなた、知っているの?」

「ええ、もちろん」

 

 ミシェルは穏やかに答えました。

 

「奥様が病に倒れたのは、私のせいですから」

 

 何を言われたのか、すぐには理解できませんでした。

 言葉は聞こえました。

 意味も分かるはずでした。

 けれど、それをミシェルの口から聞いたという事実を、私の心が受け入れませんでした。

 

「……何を、言っているの?」

「本来の計画では、奥様に私の術を受けてもらう予定でした。細菌を媒介にして、精神へ干渉する。そうして、我々にとって都合の良い子を産んでいただく」

「やめて」

「ですが、その前にお嬢様が生まれてしまった」

「やめてください」

「お嬢様は、我々の術を跳ね除けた。おそらく、あなたの中にあった勇者の性質が邪魔をしたのでしょう」

 

 ミシェルの声は優しかった。

 

 優しいまま、私の世界を壊していきました。

 

「その反動を受けたのは、奥様でした。あなたが跳ね除けたものを、奥様の身体が受けてしまった」

「嘘……」

「嘘ではありません」

「嘘です」

「なら、なぜ奥様は急に病に倒れたのでしょう」

 

 言葉が出ませんでした。

 

「お嬢様。あなたが悪いのではありません」

 

 ミシェルは、先ほどと同じように優しく言いました。

 

「ただ、あなたが存在したことで、奥様は壊れたのです」

 

 胸の奥で、何かが軋みました。

 

「その後も、何度か試みました。盗賊。魔物。事故。直接手を下すのは避けましたが、お嬢様が消えてくだされば、計画はもっと簡単だった」

「……」

「ですが、そのたびに邪魔が入った。忌々しい勇者。雷窮のジャン。そして、あなたを守ろうとする領主」

 

 ミシェルは小さくため息をつきました。

 

「おかげで、領主から槍を譲渡させるという面倒な手順まで必要になりました。それすら、あなたのお父様は最後に妨害した」

「お父様は……」

「ええ。あなたを守るために死にました」

 

 ミシェルは微笑みました。

 

「悲しむでしょうね」

 

 その声は、今まで聞いたどんな言葉よりも冷たかった。

 

「あなたを守るために死んだのに、結局、何も守れなかったと知ったら」

「やめて……」

「お嬢様。あなたが悪いのではありません」

 

 また同じ言葉。

 

 でも、今度は救いではありませんでした。

 

「ただ、あなたがいるから、こうなった」

「やめて、ミシェル」

「あなたがいなければ、奥様は壊れなかった」

「やめて」

「あなたがいなければ、領主は死ななかった」

「お願い」

「あなたがいなければ、マリーも苦しまなかった」

「ミシェル!」

 

 私は叫ぼうとしました。

 けれど、声はかすれました。

 

 身体が重い。指先に力が入らない。視界が揺れる。

 壁に寄りかからなければ、立っていられませんでした。

 

「ああ、本当に馬鹿なお嬢様ですね」

 

 ミシェルの口調が変わりました。

 優しさの形だけを残した、冷たい声でした。

 

「疑うことも知らない純粋無垢。あの厄介な領主と違って、あなたは隙だらけでした」

「どうして……」

 

 涙が滲みます。

 

「どうして、そんなことを言うの……」

「お嬢様」

 

 ミシェルは私を見下ろしました。

 

「私は、最初からあなたが大嫌いでした」

 

 息が止まりました。

 

 お父様の死よりも。民衆の石よりも。魔族と呼ばれたことよりも。

 その言葉は、深く刺さりました。

 

 ミシェルは、私を見てくれていると思っていました。

 壊れかけていた家族を、つなぎ止めてくれた人だと思っていました。

 私が寂しい時、そばにいてくれた人だと思っていました。

 

 私に興味がないことくらい、本当は分かっていました。

 彼にとって私は、守るべき主家の娘でしかない。

 幼い私の憧れなど、届くはずもない。

 

 それでも。

 裏切り者だとは、思っていませんでした。

 

「ミシェル……」

「その顔です」

 

 ミシェルは楽しそうに言いました。

 

「あなたのそういう顔が、見たかった」

「やめてください!」

 

 マリーの声が響きました。

 

 彼女は震えながらも、私の前に立ちました。

 

「ミシェル、あなた……お嬢様に何をしたのですか」

「マリー」

 

 私は手を伸ばそうとしました。

 

「来ては、だめ……」

 

 けれど、マリーは退きませんでした。

 

 いつもそうでした。

 私が泣いた時、マリーはそばにいてくれました。

 私が寂しい時、マリーは話を聞いてくれました。

 誰も私を見てくれないと思っていた時も、マリーだけは私を見てくれました。

 そのマリーが、今も私の前に立っています。

 

「お嬢様から離れなさい」

 

 マリーの声は震えていました。

 戦える人ではありません。剣を持っているわけでもありません。

 ミシェルに敵うはずがありません。

 それでも、彼女は一歩も退きませんでした。

 

「あなたに命令する権利はありませんよ、マリー」

「あります」

 

 マリーは言いました。

 

「私は、お嬢様の侍女です」

 

 ミシェルが、少しだけ笑いました。

 

「そうですか」

 

 次の瞬間、銀色の線が走りました。

 あまりにも速く、あまりにも静かでした。

 マリーの身体が揺れました。

 

「……お嬢、様」

 

 彼女の口元から、赤いものがこぼれます。

 私は叫ぼうとしました。けれど声が出ませんでした。

 身体が動きません。

 マリーが倒れます。私の方へ、ゆっくりと。

 私は受け止めようとしました。

 けれど腕に力が入らず、彼女の身体は私の足元に崩れ落ちました。

 

「マリー……?」

 

 返事はありません。

 彼女の手が、私の裾を掴んでいました。

 最後まで、私を守ろうとしているみたいでした。

 

「あーあ」

 

 ミシェルが、心底つまらなそうに言いました。

 

「お嬢様。また、あなたのせいで死んでしまいましたね」

 

 何かが、切れました。

 みんな、いなくなっていく。

 

 私のせいで。

 私がいるから。

 私が、ここにいるから。

 

 もう、何もいりません。

 何も見たくありません。

 何も聞きたくありません。

 誰にも責められたくありません。

 誰かを失いたくありません。

 

 守れないなら。

 信じてもらえないなら。

 私がいるだけで誰かが壊れるなら。

 

 全部。

 全部、なくなってしまえばいい。

 その瞬間、私の中で何かが目を覚ましました。

 

 それは怒りではありませんでした。

 悲しみでもありませんでした。

 憎しみですらありませんでした。

 もっと冷たく、もっと黒く、もっと底のないもの。

 私の身体の奥から、邪気が溢れ出す。

 血管を伝い、骨を軋ませ、心臓を黒く染めていく。

 額の傷から流れた血が、黒い靄に触れて蒸発する。

 

 空を覆っていた影すら、邪気に呑まれた。

 広場のざわめきが止まる。

 誰かが悲鳴を上げた。

 

 ミシェルは、その光景を見て満足そうに微笑みました。

 

「作戦を遂行させるとしましょう」

 

 彼は倒れたマリーを一瞥し、そして森の方へ視線を向けました。

 

「次は、あの者たちを消すとしましょう」




ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
いつもより、筆が乗っているように感じた方。私は決して、キャラを虐めたいわけではないです。何なら、ハッピーエンド大好きです。でもまあ、なぜかいつもより饒舌なのは不思議ですね。
それはさておき、彼は人を煽るのが大好きです。なぜなら、彼は優位にいるとついつい調子に乗ってしまいます。おちゃめだね。
特に印象に残った場面や台詞がありましたら、一言だけでも感想をいただけると、とても励みになります。
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