異世界転生したのに前の転生者にやり尽くされていた件   作:berunarudo

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第二十九話 反逆の輪

 

 俺には、理解できなかった。

 どうしてミシェルさんが裏切ったのか。どうして、裏切る必要があったのか。

 あの穏やかな笑顔は、全部嘘だったのか。

 エリシアに向けていた優しい言葉も、領主館で働く姿も、エルランドさんに頭を下げていたあの姿も、全部、最初から作り物だったのか。

 

 夜の森は、冷たかった。

 湿った土の匂い。遠くで落ちる滝の音。

 木々の隙間から差し込むことのない朝。

 キャンウィング領を覆う異常な闇が、ここまで追いかけてきているようだった。

 

 俺は槍を握りしめたまま、目の前の男を見ていた。

 

 黒い執事服。乱れのない姿勢。

 けれど、その手には血に濡れた剣がある。

 ミシェルさんは、いつもと同じ顔でそこに立っていた。

 そのことが、何よりも気持ち悪かった。

 

「なぜ……」

 

 喉が乾いていた。

 声を出すだけで、胸の奥が痛んだ。

 

「どうしてだよ、ミシェルさん」

 

 俺は一歩、前に出る。

 

「あんた、そんな人じゃなかっただろ」

 

 そう言いながら、自分でも分かっていた。

 俺は、ミシェルさんのことを何も知らなかった。

 エリシアを支え、領主館を支え、誰よりも冷静に状況を見ていた人。

 俺が知っていたのは、その表面だけだ。

 それでも、信じたかった。

 エリシアが信じていた人が、最初から全部嘘だったなんて、認めたくなかった。

 ミシェルさんは、俺の問いにすぐには答えなかった。

 

 ただ、手に持っていた剣をゆっくりと持ち上げる。

 そして次の瞬間。

 その剣を、地面に叩きつけた。

 

 鈍い音が森に響いた。

 刃が食い込んだ地面に、細い亀裂が走る。

 土が割れ、湿った泥が跳ね、周囲の草が小さく震えた。

 

「なぜ?」

 

 ミシェルさんは、静かに言った。

 その声には、怒りが混じっていた。けれど、叫びではない。

 胸の奥で長い間煮詰められていたものを、ようやく吐き出すような声だった。

 

「簡単な話ですよ。私は、最初からこのために仕えていた」

 

 ミシェルさんの視線が、俺の手元へ落ちる。

 

「すべては、あなたが今持っているその槍のためです」

「……この槍のために?」

 

 俺は思わず槍を見下ろした。

 

 質素な槍だった。

 見た目だけなら、伝説の兵器には見えない。

 飾り気もない。宝石もない。禍々しい装飾もない。

 ただ、握っているだけで、どこか身体の奥がざわつく。

 まるで、槍そのものが呼吸しているみたいだった。

 

「こんな槍のために、エルランドさんを死なせたのか」

 

 言葉にした瞬間、胸の奥が熱くなった。

 

「街をめちゃくちゃにして……全部、こんな槍のためかよ!」

「こんな?」

 

 ミシェルさんの声が、低くなった。

 

 空気が変わる。

 彼の身体から、黒い魔想が滲み出した。

 それは普通の魔想とは違っていた。

 冷たく、重く、肌に触れるだけで内側へ染み込んでくるような、嫌な気配。

 負の感情を煮詰めて形にしたような魔想だった。

 

「その槍には、魔族の遺伝子が組み込まれている」

 

 ミシェルさんは言った。

 

「神が人類に与えた仕組みに、異物を差し込むための鍵。人のために作られた力を狂わせ、神のシステムに傷をつけるための針」

 

 彼の目が、暗く光った。

 

「その槍があれば、忌々しい神を殺すことができる」

「神を……?」

「ええ」

 

 ミシェルさんは微笑んだ。

 

「私は、この腐りきった世界をやり直すのですよ」

 

 その言葉を聞いた瞬間、背筋に冷たいものが走った。

 

 世界をやり直す。

 あまりにも大きすぎる言葉だった。

 俺たちが今、命をかけて守ろうとしている街も。

 泣きながら立とうとしているエリシアも。

 民衆も、エルランドさんも、マリーさんも、レンも、サラも。

 その全部を、ミシェルさんは「やり直し」という言葉で片づけようとしている。

 

「そんなこと、できるわけがないだろ」

「できますよ」

 

 ミシェルさんは、迷いなく言った。

 

「我々、ノアーク教団ならば」

「ノアーク……教団……」

 

 聞いたことのない名前だった。

 俺の知っているこの国の宗教は、ヨームル教だったはずだ。

 教会も、洗礼も、勇者も聖女も、全部その枠組みの中にあるものだと思っていた。

 

「我々の目的は、ただ一つ」

 

 ミシェルさんは、まるで祈りを捧げるように言った。

 

「愚かな神を殺し、世界をやり直す」

「やり直したら、今ある世界は消えるだろ」

「だから、やるのです」

「なっ……」

「この世界を救うには、それしかない」

 

 彼は本気だった。

 狂っている。そう言い切るのは簡単だ。

 けれど、ミシェルさんの目には、迷いがなかった。

 自分が正しいと信じ切っている人間の目だった。

 だからこそ、恐ろしかった。

 

「そんなわけあるかよ」

 

 俺は槍を握る手に力を込めた。

 

「もっとあるはずだろ。みんなが幸せになる方法が。誰かを犠牲にしなくても、全部壊さなくても、救える方法が」

「ありませんよ」

 

 ミシェルさんは即答した。

 

「あると信じたいだけです。弱者はいつもそうだ。失いたくないものがあるから、都合のいい可能性に縋る」

「違う」

「違いません」

 

 ミシェルさんは、微笑んだままだった。

 

「それに、いいではありませんか。やり直すのです。死んだ者たちも、無駄な犠牲ではなくなる」

 

 その言葉で、頭の中にエルランドさんの顔が浮かんだ。

 

 穏やかに笑っていた顔。娘を見ていた目。

 民衆の前に出ると決めた時の、静かな覚悟。

 エルランドさんは死んだ。

 民衆に殺された。

 ミシェルの計画に追い込まれ、自分の命を使って証明した。

 

 それを、やり直せるから無駄ではない?

 ふざけるな。

 

「そんな簡単に、やり直せるわけないだろ」

 

 俺の声は震えていた。

 怒りで。悔しさで。そして、少しだけ恐怖で。

 

「失ったものは戻らない。戻らないから、背負うんだろ。ないからって、全部なかったことにしようとするのは、ただの逃避だ」

 

 俺は魔想を全身へ流した。

 血液に乗せて、腕へ、足へ、胸へ。

 皮膚の下に熱が広がっていく。

 

「俺は、もう逃げない」

 

 言い切った瞬間、地面を蹴った。

 身体が前へ飛ぶ。

 魔想を鎧のように身体の外側へ纏う。

 拳ではない。剣でもない。

 今の俺にできる最大の攻撃は、全身でぶつかることだった。

 俺はミシェルさんの懐へ飛び込み、全力の蹴りを放った。

 

 しかし蹴りは、ミシェルさんの身体をすり抜けた。

 

「なっ……!」

 

 足が影を突き抜ける。

 肉を蹴った感覚がない。骨に当たる衝撃もない。

 そこにいるはずの身体が、黒い影のように揺らぎ、俺の蹴りだけを飲み込んだ。

 体勢が崩れる。

 その瞬間、背後から笑い声が聞こえた。

 

「はは……はははははは」

 

 ミシェルさんは、片手で顔を覆いながら笑っていた。

 

「青いですね。本当に、若すぎる」

「何を……」

「精神論で解決できるほど、この世界は単純ではないのですよ」

 

 視界が揺れた。

 足に力が入らない。

 

「私の力を教えてあげましょう」

 

 ミシェルさんの声が、耳元で聞こえた。

 

「私の力は、細菌です」

 

 次の瞬間、体内で何かが弾けた。

 

「がっ……!」

 

 全身が痺れる。

 筋肉が勝手に硬直し、指先が震え、膝が折れた。

 呼吸が乱れる。

 魔想を流そうとしても、途中で何かに邪魔される。

 まるで身体の中に、細い糸が無数に入り込み、神経を引っ張っているようだった。

 

「細菌を媒介に、相手の身体へ干渉する」

 

 ミシェルさんは、倒れかけた俺の前に立った。

 

「神経へ触れ、筋肉へ命令を送り、時には精神にまで影響を与える。もっとも、完全な操作には時間がかかります。接触、食事、傷口、呼吸。どこから入れるかによって、効果も変わる」

 

 剣の切っ先が、俺の首に触れた。

 冷たい。

 

「あなたには、せいぜい痺れを与える程度でしょう。ですが、この程度でも、今のあなたを止めるには十分です」

「く……そ……」

 

 身体が動かない。

 魔想を流そうとしても、流れが途中で乱される。

 自分の身体なのに、自分のものではないみたいだった。

 ミシェルさんは俺を見下ろしたあと、ゆっくりと森の闇へ視線を向けた。

 

「さて、ジャン様」

 

 その声は、よく通った。

 

「どういたしますか」

 

 森が静まり返る。

 滝の音だけが遠くで響いている。

 

「このまま弟子が殺されるのを見守るのか。それとも、見捨ててキャンウィングの街を救いに行くのか」

 

 ミシェルさんは楽しそうに言った。

 

「あなたは選ぶしかない。どちらの弟子を救うのかを」

「師匠……」

 

 俺は必死に声を絞り出した。

 

「俺のことはいい……街に……」

 

 言い終えるより早く、腕に熱が走った。

 

「ぐああああっ!」

 

 ミシェルさんの剣が、俺の腕を切り裂いていた。

 魔想が乱れているせいで、防御が間に合わなかった。

 皮膚が裂け、血が飛ぶ。

 遅れて、焼けるような痛みが襲ってきた。

 

「今は君の番ではありません。静かに」

 

 ミシェルさんは、俺を見ることすらしなかった。

 

「さあ、ジャン様。何も守れず、妻も、仕えるべき主も失ったあなたは、今度はどう決断するのですか」

 

 空気が揺れた。

 ほんのわずかな揺らぎだった。

 普通なら気づかなかったかもしれない。

 けれど、俺には分かってしまった。

 

 師匠が、動揺した。

 

「だめだ……師匠……!」

 

 俺が叫ぶより早く、ミシェルさんの口元がわずかに上がった。

 

「そこですか」

 

 次の瞬間。

 木々の間から、師匠が崩れ落ちた。

 

「がはっ……!」

 

 ジャンが地面に膝をつく。

 いつもの軽薄な笑みはない。

 額に汗が滲み、片目が鋭くミシェルさんを睨んでいる。

 けれど、身体が動いていなかった。

 

「私の魔術は、面倒な条件が多いのですよ」

 

 ミシェルさんは、師匠へ歩み寄りながら言った。

 

「接触や食事によって細菌を内部へ送る必要がある。相手の魔想が強ければ、内部への干渉も弾かれる。まして、あなたのような強者は危険を察知し、身体の内側まで魔想で守っている」

 

 ミシェルさんは、そこで一度言葉を切った。

 

「ですが、所詮は人間です」

 

 彼の足音が、湿った土を踏む。

 

「人間である限り、心は揺らぐ。心が揺らげば、魔想の守りにも隙ができる」

 

 ミシェルさんは、師匠の前で足を止めた。

 

「あなたの弱点は、弟子のようですね」

「……くそ、野郎」

 

 師匠が吐き捨てる。

 

「誉め言葉として受け取っておきましょう」

 

 ミシェルさんは、師匠の腹を蹴りつけた。

 

「がっ……!」

「あなたには、本当に邪魔をされ続けました」

 

 もう一度、蹴る。

 

「あの領主も、あなたも、まったく面倒でしたよ。おかげで、このような危険で、成功率も低く、手間ばかりかかる作戦を取らざるを得なかった」

「ざまぁ……ねぇぜ……」

 

 師匠は血を吐きながら、それでも笑った。

 

 その笑みに、ミシェルさんの目が細くなる。

 

「あなたは簡単には殺しません」

 

 ミシェルさんの声が、冷たくなった。

 

「身体を蝕み、その身が崩れても再生させ、何度も何度も苦しめて差し上げます」

 

 笑い声が森にこだました。

 俺は倒れたまま、それを見ていることしかできなかった。

 

 師匠が倒れている。俺を助けようとして、隙を突かれた。

 キャンウィングの街では、今も魔物が迫っているかもしれない。

 エリシアたちが、レンたちが、まだ戦っているかもしれない。

 

 なのに、俺は動けない。

 腕から血が流れている。身体は痺れている。

 体内では、得体の知れない何かが暴れている。

 ここで終わるのか。

 

 何も救えずに。師匠を倒されて。ミシェルに負けて。

 街も、エリシアも、レンもサラも守れずに。

 また、俺は何もできないまま終わるのか。

 

 嫌だ。

 それだけは、嫌だ。

 

 俺を信じてくれた師匠のために。

 俺を連れてきてくれた人のために。

 まだ俺を主人公だなんて思っていない俺自身のために。

 俺は、ここで終わりたくない。

 その時だった。

 

 握りしめていた槍が、黒い光を放った。

 

「……え?」

 

 槍が、脈打っていた。

 ただの武器ではない。

 ただ魔族の遺伝子が込められているだけでもない。

 槍の奥に、何かがある。

 俺には魔術回路がない。

 

 だから魔術は使えない。

 どれだけ魔想があっても、術式へ変換するための管がなかった。

 水はあるのに、蛇口がなかった。

 でも、この槍にはある。

 

 魔族の遺伝子が組み込まれているということは、魔族の魔術回路に近い構造がそこに存在しているということだ。

 俺の身体には回路がない。なら、身体の外にある回路を使えばいい。

 理屈より先に、本能がそう理解した。

 俺は残った力をすべて槍へ流し込んだ。

 

 その瞬間、身体の中から何かを引きずり出されるような感覚があった。

 

「が、ぐううっ……!」

 

 痛い。

 魔想を使っているというより、命を吸われているようだった。

 腕の血管が熱を持つ。心臓が一拍ごとに槍へ引っ張られる。

 胸の奥から生まれる魔想が、全部、槍の中へ飲み込まれていく。

 だが、止めない。

 

 もっと流せ、もっとだ。

 俺にあるものなんて、どうせこれくらいしかない。

 魔術回路がないなら、魔想で押し通せ。

 黒い光が槍の穂先に集まった。

 

 ミシェルさんが、こちらを振り向く。

 

「な……」

 

 その表情が、初めて崩れた。

 

 驚愕。理解不能。そして、わずかな恐怖。

 次の瞬間、黒い閃光が走った。

 

「があっ!」

 

 防御もしていなかったミシェルさんの身体に、黒い魔術が突き刺さった。

 ミシェルさんは反射的に影へ沈み、別の場所へ移動する。

 

「何が……」

 

 彼は自分の傷を見た。

 

 焦げている。

 執事服の一部が焼け、白い肌に黒い痕が残っている。

 そして、その原因を見た。

 魔術回路を持たないはずのガキが、槍を通して魔術を放っている。

 

「馬鹿な……あれは、領主の血筋でなければ……」

 

 ミシェルさんの目が細かく動く。

 

 思考している。なぜ使えたのか。

 どこで計算が狂ったのか。

 そして彼は、一つの答えに辿り着いたようだった。

 

「なるほど……」

 

 ミシェルさんの顔が歪んだ。

 

「どこまでも、邪魔をしてくれる!」

「ミシェル」

 

 俺は槍を構えた。

 

 身体はまだ痺れている。

 腕は痛い。魔想はどんどん減っていく。

 それでも、槍を通してなら、魔術が撃てる。

 

 なぜ使えたのかは、完全には分からない。

 けれど、今はそれで十分だった。

 これで、俺はあいつと戦える。

 

「お前を止める」

 

 槍の穂先に黒い光が集まる。

 術式と呼べるほど綺麗ではない。

 ただ、槍の形をした黒い魔想の砲撃。

 名をつけるなら。

 

「カオス・グングニル」

 

 俺は叫んだ。

 

「くらえ!」

 

 槍状の黒い閃光が、ミシェルへ向かって放たれた。

 

「小賢しい!」

 

 ミシェルさんは剣で弾こうとする。

 だが、黒い光は剣ごと押し込んだ。

 

「ぐっ……!」

 

 ミシェルさんの足が地面を削る。

 

 いける。

 俺は身体強化を回しながら、槍へ魔想を流し続けた。

 全身が軋む。胸が苦しい。視界の端が暗くなる。

 それでも、止めない。

 

「どうした、ミシェル」

 

 俺は歯を食いしばりながら言った。

 

「動揺してるぜ」

 

 ミシェルさんの顔に、初めて青筋が浮かんだ。

 

「黙れ、ガキ。私の力は、この程度では――」

「俺を忘れんなよ」

 

 その声は、背後から響いた。

 次の瞬間、雷の矢がミシェルさんの顔面へ飛んだ。

 ミシェルさんは反射的に手で防ぐ。

 だが、その手が焼け焦げた。

 

「貴様……!」

 

 師匠が立っていた。

 膝は震えている。口元には血が残っている。

 それでも、弓を構えていた。

 その隙を逃さず、俺は跳んだ。

 

 上空から、もう一度カオス・グングニルを撃ち込む。

 焼き切ることはできない。

 でも、その場に縫い止めることならできる。

 

「が、あああああっ!」

「抑えておけ、ルークス!」

「分かってる!」

 

 師匠の手に、雷が集まっていく。

 大暴鳥の時に見た魔術。

 だが、あの時よりもさらに大きい。

 弓そのものが雷へ変わっていくようだった。

 

「さすがだぜ、俺の弟子はよ」

 

 師匠は笑った。

 その笑みを見て、胸の奥が熱くなった。

 

「我が矢に宿りし、天を穿つ怒りよ」

 

 雷が迸る。

 

「怒れ、怒れ。その怒りを、神に仇なす愚かな者へ。裁きを与えよ」

 

 青白い雷が、森を照らした。

 夜の闇が、一瞬だけ裂ける。

 木々の影が地面に焼きつき、滝の音すら遠のいたように感じた。

 師匠は弦を限界まで引く。すべてを想いを乗せて。

 

 そして、怒りは解き放たれる。

 

「第五階位――雷霆の矢(ケラウノス)

 

 雷の矢が、ミシェルへ向かって一直線に走る。

 

 当たる。

 そう思った瞬間、ミシェルさんの口が小さく動いた。

 

「マギア、起動」

 

 世界が白く弾けた。衝撃が俺を吹き飛ばす。

 身体が宙を舞い、地面に叩きつけられ、そのまま何度も転がった。

 手から、槍が離れる。

 

「はっ……はあっ……!」

 

 呼吸が荒い。喉が焼ける。

 立ち上がるだけで、膝が笑った。

 槍に魔想を吸われすぎた。

 身体の中が空っぽに近い。

 

「どう……なった……」

 

 煙が晴れていく。

 その中心に、何かが立っていた。

 最初、俺はそれを理解できなかった。

 

 白い羽。

 背中から伸びる、あまりにも美しい翼。

 頭上には、光り輝く輪。

 傷ついていたはずの肉体は、すでに癒えている。

 焼け焦げた手も、切り裂かれた服の隙間から見えた傷も、すべて消えていた。

 

 夜の森に、天使が立っていた。

 だが、それは救いの象徴ではなかった。

 ミシェルさんは、白い翼を広げ、穏やかに微笑んだ。

 

「ええ、褒めて差し上げますよ」

 

 その声は、先ほどまでと変わらず丁寧だった。

 

「この私に、切り札を切らせたことを」

 

 光の輪が、静かに輝く。

 

「そして、残念です」

 

 ミシェルさんは、俺と師匠を見下ろした。

 

「あなた方に勝利は、二度と訪れないでしょう」

 

 白い羽が、夜の森に広がった。

 それは神聖な光ではない。

 人を救うための奇跡でもない。

 人に裁きを与える最悪の天使の姿だった。

 




ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
ついに明かされる最悪の力。ミシェルの独想魔術は細菌魔術。この力は様々な面倒な条件があるので空気感染であれば感情の強化が関の山。食事による接触でようやく身体の麻痺。身体同士の接触で支配や操作ができます。身体における重大な病などは相当な接触がなければ不可能でしょう。
特に印象に残った場面や台詞がありましたら、一言だけでも感想をいただけると、とても励みになります。
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