異世界転生したのに前の転生者にやり尽くされていた件 作:berunarudo
勇者の弱点は、いつだって分かりやすい。
親友。家族。恋人。守るべき民。託された約束。
どれもこれも、ありきたりなものです。
ですが、ありきたりだからこそ強い。
勇者とは、自分一人のためには折れない生き物です。
己の傷など顧みず、恐怖を押し殺し、目の前の誰かを救うためなら何度でも立ち上がる。
実に厄介です。
だからこそ、勇者を折るならば、勇者自身を傷つけるだけでは足りない。
彼らが守ろうとするものを奪う。信じている者の死を見せる。
届かなかったという事実を突きつける。
そうすれば、どれほど強い勇者であっても、決意は揺らぐ。
決意が揺らげば、力も揺らぐ。
勇者とは、結局のところ、希望によって立つ者なのですから。
私の目の前で、レン・ダラスは膝をついていました。
先ほどまで、あれほど眩しく輝いていた勇者の痣は、今や沈黙しています。
手から剣は滑り落ち、瞳からは光が消え、口元は何かを言おうとして動いているのに、声にはなっていない。
実に良い顔です。
友を失ったと思い込んだ勇者。師を失ったと思い込んだ弟子。
自分が守るべき場所にいながら、何一つ守れなかったと知った少年。
これほど分かりやすい絶望も珍しい。
エリシアお嬢様の邪竜化は、予定よりも大きく変質しました。
あの形態のまま放置していれば、私も再度マギアを使わざるを得なかったでしょう。
マギアの連続使用は危険です。肉体への負荷も大きい。何より、これ以上予定外の消耗をするのは好ましくありません。
その意味では、彼が邪竜を打ち破ってくれたのは幸運でした。
エリシアお嬢様は、魔族化の臨界を超え、生きたまま人の形へ戻った。
邪竜化した肉体から勇者の力によって邪気が削られ、しかし完全には浄化されていない。
魔族因子は残り、変質した肉体も残っている。
これ以上ないほど貴重な検体です。
あとは、お嬢様の身体から必要な遺伝子を抜き取ればいい。
「や、やめて……来ないで……」
エリシアお嬢様が、震える声で言いました。
白く変わった髪。額から伸びる二本の角。背に見える尾。
まだ人間の少女の面影を残しながらも、その身体はすでに人とは言い切れないものへ変わっている。
ですが、その瞳だけは変わっていません。
怯え、助けを求め、誰かに守ってほしいと願う瞳。
幼い頃から、何度も見てきた瞳です。
実に扱いやすい。
「安心してください、お嬢様」
私はできるだけ柔らかく微笑みました。
「痛みはありませんよ」
そう言って、手を伸ばした瞬間でした。
全身に、凄まじい殺意が突き刺さりました。
「っ!」
考えるより先に、身体が動いていました。
影へ沈み、その場から距離を取る。
もし一瞬でも遅れていれば、今の私の首は落ちていたかもしれない。
私は着地し、ゆっくりと顔を上げました。
「何ですか、今のは……」
勇者の力。
そう呼ぶには、あまりにも違っていました。
勇者の力とは、本来、光に近い。
人を守り、邪を祓い、魔族を退けるために形作られた神の機構。
レン・ダラスが先ほど邪竜を斬った時の光は、まさにその系統でした。
ですが、今、私の肌を裂いたものは違う。
あれは、光ではありません。
救いでもありません。守護でもありません。
悪意です。
純粋で、冷たく、濁りきった悪意。
殺すことをためらわない者だけが持つ気配。
気絶していたはずの勇者が、立ち上がっていました。
けれど、それはもう、レン・ダラスではありませんでした。
立ち方が違う。剣の拾い方が違う。視線が違う。
先ほどまでの少年は、どこか前のめりでした。
迷いながらも真っすぐで、未熟で、愚かで、だからこそ勇者らしかった。
しかし、今そこに立つ者は違う。
剣を握っているというより、剣に握らせてやっている。
身体の中心に無駄な力がなく、視線には感情の揺れがない。
まるで、長い眠りから起きた獣が、自分の爪の具合を確かめているようでした。
「くは」
勇者の口が歪みました。
「くははははははは」
笑い声が広場に響く。
その声を聞いたサラ・グリムが息を呑みました。
エリシアお嬢様も、レン様、と小さく呟いたまま固まっている。
周囲の騎士たちも、剣を構えながら動けないでいました。
誰もが理解したのでしょう。あれは、レン・ダラスではない。
「何者ですか、あなたは」
私は問いかけました。
勇者の顔をした何かは、ゆっくりとこちらを見ました。
「おいおい」
その声は、レン・ダラスのもののはずでした。
けれど、口調も響きも、まるで違う。
「先に名を名乗るのが礼儀だろう」
「……それは失礼しました」
不快でした。
私が、この私が、得体の知れない何かに礼儀を指摘される。
ですが、怒りを表に出すほど愚かではありません。
私は片手を胸に当て、軽く頭を下げました。
「私の名は、ノアーク教団最高幹部、謙虚のミシェルと申します」
その名を聞いた瞬間、勇者の顔をした何かは、にやりと笑いました。
「そうか、そうか」
その笑みには、懐かしさすらありました。
「わしを起こしたのは、ノアーク教団か。どこまでも因果というわけだ」
「ほう」
私は目を細めました。
「ノアーク教団をご存じなのですか」
「ああ。知っているとも」
「どこでそれを?」
「さあな」
彼は剣を肩に担ぐようにして、首を鳴らしました。
「教える義理はない」
「では、あなたの名も?」
「わしの名も、わしのことも、勝てば教えてやる」
その瞬間、彼が動きました。
構えようとした。
そう認識した時には、私の右腕が宙を舞っていました。
「――」
遅れて、肩が軽くなったことに気づく。
痛みはありませんでした。出血もほとんどない。
斬られた断面は、まるで肉体が斬られたことを理解していないかのように、奇妙な沈黙を保っている。
何をされた。
そう考えた時には、次の斬撃が迫っていました。
私は影を使い、身体を後方へ逃がす。
髪が数本、切られて宙を舞いました。
危ない。
本当に、危なかった。
「なんという力……」
私は思わず呟きました。
「認識することすらできないとは」
「当然だ」
彼は笑いました。
「お前のような三下では、わしには勝てぬよ」
三下。
その言葉が、胸の奥に落ちました。
「私の腕を切り落としておいて、三下ですか」
「くはははは」
彼は心底愉快そうに笑いました。
「すまぬな。切りすぎてしまった。あまりにも弱くてな」
「……そうですか」
怒りが湧きました。
それも、久しく忘れていたほど純粋な怒りでした。
腕を斬られたことではありません。
不意を突かれたことでもありません。
この私を、取るに足らぬものとして見下したことが許せなかった。
謙虚。
私に与えられた名です。
私はその名にふさわしく、己を過信しない。
状況を見誤らず、相手を分析し、必要であれば撤退もする。
ですが、見下されることと、謙虚であることは違います。
目の前の存在は強い。素の私では勝てない。
それは認めましょう。
この出力、この気配、この振る舞い。
四天に匹敵するか、あるいはそれに近い存在。
ノアーク教団を知っていながら、現在のカプセルやマギアについての詳細は知らないようにも見える。
ならば、私にも分があります。
私は残された左腕を動かし、影の中からカプセルを取り出しました。
透明な殻の中に、黒く濁った液体が揺れている。
エリシアお嬢様に与えたものとは、配合が違う。
これは私自身の肉体で実験するために調整した、より強引な変質剤です。
「ほう」
彼が目を細めました。
「何をするつもりだ」
「あなたへの贈り物ですよ」
私はカプセルを口に含み、噛み砕きました。
液体が喉を通る。
次の瞬間、身体の内側で何かが暴れ出しました。
「ぐ……」
骨が軋む。筋肉が裂ける。
血管の内側を、黒い爪で引っかかれるような感覚が走る。
さきほどマギアによって再現した希望の残滓が、身体の奥で悲鳴を上げる。
皮膚の下から硬い鱗が押し上がり、骨格が歪み、尾てい骨の辺りから棘の並んだ尾が伸びる。
痛みはある。
ですが、顔に出すほどではありません。
頭から角が生え、腕の断面が黒い粒子を吐きながら塞がっていく。
新たに生えた鱗は、夜の光を鈍く反射していました。
私はゆっくりと息を吐きました。
空気が少し、熱を帯びる。
「なるほど」
勇者の顔をした何かが、楽しげに笑いました。
「今の教団は、そこまで完成させたのか」
「ご満足いただけましたか」
「いいだろう」
彼は剣を構えました。
「トカゲよ。切り刻んでくれるわ」
「それはこちらの台詞ですよ」
私も身体を沈める。
二つの力が、広場でぶつかろうとした。
その瞬間でした。
天から、何かが降ってきました。
空気が潰れる。
広場の石畳が砕け、衝撃波が周囲へ広がり、砂煙が巻き上がる。
騎士たちが盾を構え、サラ・グリムがエリシアお嬢様を庇うように身を寄せる。
「はいはい、そこまで」
煙の中から、軽い声が聞こえました。
「これ以上街を壊されたら困るんだよね」
その声を聞いた瞬間、私は心底うんざりしました。
煙が晴れていく。
そこには、長身の男が立っていました。
質素な剣を肩に担ぎ、まるで散歩の途中で立ち寄ったかのような態度で。
だが、その身にまとっている気配は、決して軽くない。
騎士たちが息を呑みました。
「勇者様……」
誰かが呟く。
サラ・グリムも目を見開いていました。
エリシアお嬢様は、震える手で胸元を押さえています。
広場に満ちていた恐怖が、一瞬だけ薄れた。
彼が来た。
その事実だけで、人々はわずかに息を取り戻している。
実に腹立たしい。
「勇者……ベルナード」
私はその名を口にしました。
現代における勇者。
ノアーク教団の計画を、何度も面倒な形で妨害してきた男。
そして、この場で最も来てほしくなかった人物の一人。
レン・ダラスの身体を使う何かは、ベルナードを見て愉快そうに笑いました。
「ほう」
彼は剣を軽く揺らした。
「今代の勇者か」
ベルナードは、私と彼を交互に見ました。
ミシェルという魔族化した男。
レン・ダラスの身体を使う、得体の知れない何か。
そして、崩れかけた街。
普通なら、状況を理解するだけでも時間がかかるでしょう。
しかし、ベルナードは面倒くさそうに首を回しただけでした。
「さてと」
彼は質素な剣を肩から下ろし、静かに構えました。
その瞬間、空気が変わる。
軽い態度はそのままに、広場全体が彼の間合いになったような錯覚を覚えました。
「どっちからやる?」
勇者ベルナードは、静かに剣を向けた。
レン・ダラスの中にいる何かが笑う。
私も、残された力を練り上げる。
壊れた街の中心で、三つの異なる殺意が重なった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
ああ、ついに登場。噂の四天様。彼らはSランク冒険者を超す存在かつ、四名しか名乗ることを許されない。あとミシェルが謙虚?
特に印象に残った場面や台詞がありましたら、一言だけでも感想をいただけると、とても励みになります。